アシュアはコテージを出て、あたりをぶらぶらと歩き始めた。
やりきれない気持ちだった。
ケイナのことは本当の弟のように思っていた。カインもだ。
アシュアには両親はいない。カインのようにトウという伯母の存在も、ケイナのように養父となったカート司令官のような存在もない。
両親が亡くなったときアシュアはわずか3歳で、孤児を受け入れてくれる施設で育った。
施設に入ったときアシュアは両親の死が受け入れられず、成長が止まり、声をなくしていた。
今はもうあまり当時のことは覚えていないが、施設で病院と連携して治療を受けた。
結局普通の状態になるまで4年かかった。
だからアシュアは7歳になってからようやく通常の時間を取り戻したのだ。
自分がほかの人よりも遅れているということはちょっとした気後れを彼にもたらしたが、幸いにも周囲の対応は温かく、アシュアは実に健全な数年を過ごした。
『リィ・カンパニー』から引き抜きがあったのは14歳の時だ。
施設を出る理由を詳しく知らされないまま、彼はいきなりさまざまな分野の専門知識や運動機能促進の訓練を受けることになった。
そこが『ビート』というカンパニーと政府が共同で運営する先鋭兵士養成所だと知ったのはだいぶんたってからだ。
カインとはそこで知り合った。彼が『リィ・カンパニー』の御曹子だとは最初は知らなかった。
滅多に笑わず表情も変えず、落ち着きはらったカインをなんてつき合いにくそうな奴だろう、くらいにしか彼は思わず、興味も沸かなかった。
ふたりがよく組んで訓練を受けるようになったのはアシュアが16歳の時、カインは13歳の時だった。
アシュアが行動系の訓練を重点的に受けるのに対し、カインはナビゲーター的にコンピューターを操り指揮をとりもつ訓練を受けていた。
そこで初めて彼がおそろしく頭の切れる少年だということをアシュアは知った。判断がいつも的確だし、アシュアが動きやすいように指示を出す。
「おまえは本当に頭がいいんだな」
アシュアは一度言ってみたことがある。
「そう? ぼくはアシュアのような動きをしてみたいといつも思ってるよ」
カインはそう答えて恥ずかしそうに笑った。
そのとき初めてカインがごく普通に感情表現をすることを知った。
『ビート』としての最初の指令を受けたのはその一年後だ。
そしてそれがケイナの護衛だった。
初めてケイナ・カートの顔をビデオで見せられたときのカインの顔を今でもよく覚えている。
きっとカインはあの時からケイナに心を奪われていたのだろう。
『おれだって仰天したもんな……』
アシュアは思う。
笑みを見せず、表情を変えないところはカインとよく似ていたが、カインと違うのは彼の目が氷のように冷たかったことだ。
今となってはカインのほうが遥かに表情に富んでいると思える。
カインの無表情に見える部分は冷静さゆえだったし、それは決して偏りのあるものではなかった。
しかしケイナの目は全ての感情を取り払った暗闇の目だったのだ。
そのうえにあの美貌だ。言葉をなくすほどの完璧な造作。その美貌が他人を寄せつけまいとするような殺気を放つ姿はとても14歳の少年とは思えなかった。
この任務、無事にまっとうできるのだろうかと正直言って疑問を感じたほどだ。
あれから3年たった。
ふたりとも自分の気持ちを正直に表現できない無器用さがある。
でも、無器用ながらもごく当たり前の17歳の少年だとアシュアは思う。
カインはケイナに出会って、ケイナはセレスに出会って、どんどん変わっていった。
自分も変わった。
頼られることに張りを覚えたし、彼らのことを大切に思った。
任務さえなければとどれほどいいかと思ったかしれない。
それなのに、カインは目の前で血まみれになり、ケイナは殺してくれと言う。
ふたりを守れない自分がアシュアは悔しかった。こんな悔しさをいまだかつて感じたことがなかった。
ケイナを殺すことなどできやしない。できるわけがない。
でも、あいつが出てきたらいったいどうなるのだ。
あいつはいったいどれほどの血を求めるだろう。
アシュアはどうすればいいのか分からなかった。
ふと背後に人の気配を感じてアシュアは振り返った。
「アシュア」
薄明かりの中に立っていたのはセレスだった。
「どうした」
アシュアは言った。
「ケイナ、眠ったみたいで。すごく疲れてるみたい」
セレスは少し笑って答えた。
「たぶん、大丈夫だと思うよ。さっきみたいなのはもう……。おれはなんか眠くなくて……。ほら、昼間なんだかなかなか目が覚めなかっただろう? けっこう眠ったような気分だから……」
「そうか」
アシュアはそう言うとコテージの入り口の前の石段に腰をおろした。
セレスもその隣に腰をおろす。
向こうのほうにほかのコテージの影が見えた。
あとは点在する林とその林の向こうにエアポートと『中央塔』の明かりが小さく見えるだけだ。
「ケイナとなんかあった?」
セレスは尋ねた。
アシュアは首を振った。
「いや、何もないよ」
「だったらいいんだけど」
セレスはふと足下の石を拾って眺めた。
「これ、ガラスだ……」
セレスはつぶやいた。そしてくすくす笑った。
「ガラスがそんなに面白いか?」
アシュアは怪訝な顔をした。
「そうじゃなくて……」
セレスはアシュアにガラス玉を見せた。
「これ、昔おれがアルにあげた硬化ガラスの玉。ちょっと欠けちゃってるけど、地球にいたときにおもちゃにしてたやつなんだ。めずらしいんだよ。おれもどこで手に入れたのか覚えてない。いっとき、こんな玉をいっぱい使って建築デザインしたのが流行った頃があったんだって叔父さんが言ってた」
アシュアはセレスの手のひらにある直径2センチほどの玉を見つめた。うっすらと青い色がついている。
「アルはここに持ってきてたんだ……」
セレスはそう言うと立ち上がった。
「これね、こうやって空を見るんだ」
セレスはガラス玉を片目に当てて空を見上げた。
「今はもう暗くなっちゃってるけど、昼間だときれいなんだよ。光が乱反射して」
アシュアは笑みを浮かべた。
「もうちょっと早ければ見れたのに残念だな」
「アルは…… 昔からすごく頭がいいけど…… すごいなって思う。おれがコテージに行くかもなんて…… 予想たててすぐに計画して……」
「うん…… そうだな。カインも頭いいやつだが、いい勝負だ」
アシュアは少し笑って同意した。
セレスはもう一度ガラス玉を手のひらに持つと、しばらくそれを見つめたあとアシュアに近づいて差し出した。
「これ…… アルに渡してくれないかな」
「え?」
アシュアは思わずセレスの顔を見た。
「そんなもん、自分で渡せよ」
アシュアは不機嫌そうに言った。
セレスはかすかにうなずいた。
「ケイナは…… 自分を殺してくれって言ったんだろ?」
アシュアはその言葉にしばらくセレスを見つめたあと目をそらせた。
「おまえら、なんでそう悪いほうに悪いほうに考えるんだ?」
アシュアはいまいましそうに言った。
「おれの身にもなってくれ」
セレスはおかしそうに笑った。
「笑いごとじゃねぇよ」
アシュアはじろりとセレスを睨みつけた。
「ほんとだね」
セレスは再びアシュアの隣に腰をおろした。
「おれ、さっきみたいに怖さを感じなくなったよ。いつもある程度までくると開き直るってとこあるんだけど、絶対ケイナを助けてみせる、って、今は思ってるよ」
セレスはもう一度アシュアの前にガラス玉を出した。
「だからおれたちを守ってて。ユージーは来るよ。ケイナはきっと知らないだろうけど、ユージーを自分で呼んでるよ」
アシュアはごくりと唾を飲み込んだ。
「だから守って」
アシュアは黙ってガラス玉を受け取った。
ガラス玉はアシュアの手の平で小さく光った。
やりきれない気持ちだった。
ケイナのことは本当の弟のように思っていた。カインもだ。
アシュアには両親はいない。カインのようにトウという伯母の存在も、ケイナのように養父となったカート司令官のような存在もない。
両親が亡くなったときアシュアはわずか3歳で、孤児を受け入れてくれる施設で育った。
施設に入ったときアシュアは両親の死が受け入れられず、成長が止まり、声をなくしていた。
今はもうあまり当時のことは覚えていないが、施設で病院と連携して治療を受けた。
結局普通の状態になるまで4年かかった。
だからアシュアは7歳になってからようやく通常の時間を取り戻したのだ。
自分がほかの人よりも遅れているということはちょっとした気後れを彼にもたらしたが、幸いにも周囲の対応は温かく、アシュアは実に健全な数年を過ごした。
『リィ・カンパニー』から引き抜きがあったのは14歳の時だ。
施設を出る理由を詳しく知らされないまま、彼はいきなりさまざまな分野の専門知識や運動機能促進の訓練を受けることになった。
そこが『ビート』というカンパニーと政府が共同で運営する先鋭兵士養成所だと知ったのはだいぶんたってからだ。
カインとはそこで知り合った。彼が『リィ・カンパニー』の御曹子だとは最初は知らなかった。
滅多に笑わず表情も変えず、落ち着きはらったカインをなんてつき合いにくそうな奴だろう、くらいにしか彼は思わず、興味も沸かなかった。
ふたりがよく組んで訓練を受けるようになったのはアシュアが16歳の時、カインは13歳の時だった。
アシュアが行動系の訓練を重点的に受けるのに対し、カインはナビゲーター的にコンピューターを操り指揮をとりもつ訓練を受けていた。
そこで初めて彼がおそろしく頭の切れる少年だということをアシュアは知った。判断がいつも的確だし、アシュアが動きやすいように指示を出す。
「おまえは本当に頭がいいんだな」
アシュアは一度言ってみたことがある。
「そう? ぼくはアシュアのような動きをしてみたいといつも思ってるよ」
カインはそう答えて恥ずかしそうに笑った。
そのとき初めてカインがごく普通に感情表現をすることを知った。
『ビート』としての最初の指令を受けたのはその一年後だ。
そしてそれがケイナの護衛だった。
初めてケイナ・カートの顔をビデオで見せられたときのカインの顔を今でもよく覚えている。
きっとカインはあの時からケイナに心を奪われていたのだろう。
『おれだって仰天したもんな……』
アシュアは思う。
笑みを見せず、表情を変えないところはカインとよく似ていたが、カインと違うのは彼の目が氷のように冷たかったことだ。
今となってはカインのほうが遥かに表情に富んでいると思える。
カインの無表情に見える部分は冷静さゆえだったし、それは決して偏りのあるものではなかった。
しかしケイナの目は全ての感情を取り払った暗闇の目だったのだ。
そのうえにあの美貌だ。言葉をなくすほどの完璧な造作。その美貌が他人を寄せつけまいとするような殺気を放つ姿はとても14歳の少年とは思えなかった。
この任務、無事にまっとうできるのだろうかと正直言って疑問を感じたほどだ。
あれから3年たった。
ふたりとも自分の気持ちを正直に表現できない無器用さがある。
でも、無器用ながらもごく当たり前の17歳の少年だとアシュアは思う。
カインはケイナに出会って、ケイナはセレスに出会って、どんどん変わっていった。
自分も変わった。
頼られることに張りを覚えたし、彼らのことを大切に思った。
任務さえなければとどれほどいいかと思ったかしれない。
それなのに、カインは目の前で血まみれになり、ケイナは殺してくれと言う。
ふたりを守れない自分がアシュアは悔しかった。こんな悔しさをいまだかつて感じたことがなかった。
ケイナを殺すことなどできやしない。できるわけがない。
でも、あいつが出てきたらいったいどうなるのだ。
あいつはいったいどれほどの血を求めるだろう。
アシュアはどうすればいいのか分からなかった。
ふと背後に人の気配を感じてアシュアは振り返った。
「アシュア」
薄明かりの中に立っていたのはセレスだった。
「どうした」
アシュアは言った。
「ケイナ、眠ったみたいで。すごく疲れてるみたい」
セレスは少し笑って答えた。
「たぶん、大丈夫だと思うよ。さっきみたいなのはもう……。おれはなんか眠くなくて……。ほら、昼間なんだかなかなか目が覚めなかっただろう? けっこう眠ったような気分だから……」
「そうか」
アシュアはそう言うとコテージの入り口の前の石段に腰をおろした。
セレスもその隣に腰をおろす。
向こうのほうにほかのコテージの影が見えた。
あとは点在する林とその林の向こうにエアポートと『中央塔』の明かりが小さく見えるだけだ。
「ケイナとなんかあった?」
セレスは尋ねた。
アシュアは首を振った。
「いや、何もないよ」
「だったらいいんだけど」
セレスはふと足下の石を拾って眺めた。
「これ、ガラスだ……」
セレスはつぶやいた。そしてくすくす笑った。
「ガラスがそんなに面白いか?」
アシュアは怪訝な顔をした。
「そうじゃなくて……」
セレスはアシュアにガラス玉を見せた。
「これ、昔おれがアルにあげた硬化ガラスの玉。ちょっと欠けちゃってるけど、地球にいたときにおもちゃにしてたやつなんだ。めずらしいんだよ。おれもどこで手に入れたのか覚えてない。いっとき、こんな玉をいっぱい使って建築デザインしたのが流行った頃があったんだって叔父さんが言ってた」
アシュアはセレスの手のひらにある直径2センチほどの玉を見つめた。うっすらと青い色がついている。
「アルはここに持ってきてたんだ……」
セレスはそう言うと立ち上がった。
「これね、こうやって空を見るんだ」
セレスはガラス玉を片目に当てて空を見上げた。
「今はもう暗くなっちゃってるけど、昼間だときれいなんだよ。光が乱反射して」
アシュアは笑みを浮かべた。
「もうちょっと早ければ見れたのに残念だな」
「アルは…… 昔からすごく頭がいいけど…… すごいなって思う。おれがコテージに行くかもなんて…… 予想たててすぐに計画して……」
「うん…… そうだな。カインも頭いいやつだが、いい勝負だ」
アシュアは少し笑って同意した。
セレスはもう一度ガラス玉を手のひらに持つと、しばらくそれを見つめたあとアシュアに近づいて差し出した。
「これ…… アルに渡してくれないかな」
「え?」
アシュアは思わずセレスの顔を見た。
「そんなもん、自分で渡せよ」
アシュアは不機嫌そうに言った。
セレスはかすかにうなずいた。
「ケイナは…… 自分を殺してくれって言ったんだろ?」
アシュアはその言葉にしばらくセレスを見つめたあと目をそらせた。
「おまえら、なんでそう悪いほうに悪いほうに考えるんだ?」
アシュアはいまいましそうに言った。
「おれの身にもなってくれ」
セレスはおかしそうに笑った。
「笑いごとじゃねぇよ」
アシュアはじろりとセレスを睨みつけた。
「ほんとだね」
セレスは再びアシュアの隣に腰をおろした。
「おれ、さっきみたいに怖さを感じなくなったよ。いつもある程度までくると開き直るってとこあるんだけど、絶対ケイナを助けてみせる、って、今は思ってるよ」
セレスはもう一度アシュアの前にガラス玉を出した。
「だからおれたちを守ってて。ユージーは来るよ。ケイナはきっと知らないだろうけど、ユージーを自分で呼んでるよ」
アシュアはごくりと唾を飲み込んだ。
「だから守って」
アシュアは黙ってガラス玉を受け取った。
ガラス玉はアシュアの手の平で小さく光った。