「早速派手にしごかれたもんだな」
セレスの腕をマッサージしてやりながらアシュアは苦笑した。
「アシュア、痛い!」
セレスは顔をしかめた。
「おっとわりぃ…… おまえ、なんかあっちこっちカチコチだぞ。一週間体動かしてないからかな」
そして手を放すと、アシュアは白い錠剤ふたつをセレスに渡した。
「噛まずに飲み込め」
セレスはそれを口に放り込んだ。糖衣の甘い味がした。
「アシュア、あんたはどれくらいの時間もった? 最初の射撃訓練の時……」
薬を飲み下してセレスは言った。アシュアは笑った。
「おれの射撃訓練はブロードじゃねえからな」
「ケイナは最後までやりきったとユージーが言ってた」
セレスは白い訓練生用のトレーナーをかぶりながら言った。
「ケイナと同じようになんてできる奴はいねえよ。しようがないだろ」
アシュアは笑った。セレスはため息をついてかぶりを振った。
「おれ、ユージーにかばってもらってたんだ……」
「ユージーはハイラインで上位五位以内にランクされてるんだ。あがったばかりのおまえなんかとは差がついて当たり前だよ」
「五位以内……」
セレスはつぶやいた。
「そう。五位以内。今のハイラインでは一位はケイナ、二位はおれ、三位がユージー、四位がカイン。五位はディ・ベックウィズ。おまえはたぶん会ったこともないやつだよ。それでおまえはたぶんビリ」
アシュアは薬の瓶をセレスに放ってよこした。
「アシュアって、ケイナの次にできる人だったの?」
セレスは瓶を空中で掴んで目を丸くした。
「上位の3人までをおれたちで占めてんだから、そりゃほかの奴らは面白くないだろうさ」
アシュアは笑った。
「おまけに差が開き過ぎてて追いつけねぇときてる」
「すごい自信」
セレスはつぶやいた。
「自信じゃなくて事実だよ。おまえ、ユージーに追いつくのなんて大変だぞ。ケイナはさらにその上だ。……まあ、頑張んな。薬は明日の朝も飲んでおけよ」
「ねえ、アシュア」
部屋を出て行こうとするアシュアにセレスは慌てて言った。アシュアはドアに向けかけた足を止めた。
「おれ、なんだか分からなくなってきた…… ユージーって…… 普通の人だよ。おれの腕見て傷めてる場所教えてくれたんだよ。普通のことを普通にする人だよ。本当にケイナを憎んでるの? ひどいことをするような人には見えないよ」
「あいつらのことはおれたちだって分からないんだよ。そう言ったろ」
アシュアはしかたなく再び戻ると、ソファに腰掛けるセレスの横に座った。
「ユージーはできるヤツだよ。おまけに紳士的で冷静だ。カート家の跡取りだという理由であいつに寄っていく奴も多いけれど、客観的に見ておれもユージーは優秀なやつだと思うよ。そう思ってる者も多いと思う。だけど、ケイナの評判はあんまり良くねぇ。良くない評判のほうがよく耳に入って来る。ケイナのことをよく知らない人間はどっちかといえばケイナをかなり嫌なヤツだと思ってるだろう。あいつの無愛想さは見ようによっちゃできることを鼻にかけてるとも見えるし」
「ひどいこと言うな」
セレスはちょっとアシュアを睨んだ。
アシュアは笑って肩をすくめた。
「おれは客観的に言ってんだよ。ケイナの無愛想さを別に意識的じゃないって知ってるのは おれたちだからだろ? 今でこそまともにしゃべるようになったけど、最初の頃はおれたちにさえあいつの態度は冷たいもんだったんだぜ。ろくに返事もしなかった。しばらくしてからは、あの赤いピアスで感情を封じ込められてたしな」
「じゃあ、どうしてそれでもケイナとつき合うことにしたの」
セレスの言葉にアシュアはぐっと詰まった。任務だったなどとはとても言えない。
「ケイナはちょっと無愛想だけど、悪い人じゃないよ。アシュアもそう思ったから友人でいるんだろ?」
言い募るセレスにアシュアは息を吐いた。
「おまえだってジュディに相当嫌われてたじゃないか。おまえも別に悪人じゃないだろ」
セレスは憤慨したようにアシュアを睨みつけた。
アシュアはそれを無視してセレスの肩をぽん! と叩くと立ち上がった。
「虫が好かないとか自分と相性合わないっていうのは誰でもあるもんなんだ。ケイナはなまじ目立つヤツだしあの性格だから嫌われる部分も多いかもしれねえけど、少なくともおれたちはケイナのいい部分を知ってるだろ。そもそもケイナ自身がユージーを悪く言ったことは一度もないんだ。あいつはたぶん兄である彼のことを信じてる。だから、おれたちも信じてやろう」
アシュアの言葉にセレスはまだ納得できないような表情をしていたがうなずいた。
アシュアはそれを見ると部屋を出て行った。
部屋を出たアシュアが隣の自分の部屋の前にカインが立っているのは分かっていたことだった。
「セレスの言うことにはときどきひやっとさせられるよ」
アシュアはため息をついてカインに言った。
「ほんとに知らねえのか? ってこっちが聞きたくなるような目をするし」
「まさかユージーと組むようなことになるとは思わなかったな……」
カインは壁にもたれて言った。
「ありゃ、たぶんブロードが細工してるぜ。ランダムシャッフルならバッガスでないにしても似たようなやつと組むことになってたんじゃねえかな」
アシュアの言葉にカインはうなずいた。
「たぶんね。つまり、ブロード教官はユージー・カートを信頼しているし、セレスにはほかのライン生から余計なことをされたくないっていうことだ」
カインは足下の黒い床を見つめた。光に反射して無数の小さな傷が目に飛び込んで来た。
その傷がカインの気持ちをさらにざわめかせた。
「もっと言えば、そこいらで蔓延しているようなユージーのケイナ苛め、みたいなのは彼の信用してないってことだ」
「さっきあいつにも言ったけど、だいたいケイナ自身がユージーを悪く言うことなんてないからな」
「ちょっと気になってるんだ……」
カインがそう言ったので、アシュアは彼に目を向けた。
「気になっているというか…… 気づいたんだけど……」
カインは視線を泳がせた。
「アシュア、おまえ、ユージー・カートに最近会ったことあるか?」
「ユージーと?」
アシュアは眉を吊り上げたあと、記憶を探るように天井を見上げた。
「そうだな…… トレーニングルームにいるときに会ったかな… いつだったかなんて覚えてねえけど」
「話をしたことは?」
「話なんかするわけないだろ」
アシュアは呆れたようにカインを見た。
「そりゃあ警戒はするけれど、たいがい離れてるし、あっちもおれとケイナがいたって、視界にも入っていないような顔をしてるぜ」
「じゃあ、アシュアは少なくとも彼の姿は見ているんだな」
カインは息を吐いた。
「おまえ、何が言いたいの」
アシュアは訝し気にカインを見た。カインは首を振った。
「ぼくはユージー・カートの姿を見た記憶がないんだよ。ここ一年…… いや、もっとかな」
「はあ?」
アシュアは目を丸くしてカインを見た。
「そんなバカなことあるかよ。同じハイラインにいるんだぞ」
「そう思うんだけど…… 思い出せないんだ」
カインの表情は冗談を言っているものではない。アシュアは不安を感じて眉をひそめた。
いくらなんでも会っていないはずはない。
カリキュラムが違うのだから、そうそう毎日姿を見るわけではないだろう。
だが毎日のようにケイナはトレーニングルームに行くし、それに同行していれば会わないはずはなかった。
「バッガスは見るんだろう?」
アシュアは尋ねた。カインはうなずいた。
「あの胸くそ悪くなるスキンヘッドはいやというほど目に焼きついてるよ」
「バッガスは一番ユージーと一緒にいることが多いぜ」
「だけど、覚えがないんだ」
カインは言った。
「ほんとうに、ぼくにはユージーの記憶がないんだよ」
アシュアは口を引き結んだ。カインは何かに恐れを感じている。彼の目はメガネの奥で真っ赤に充血していた。
カインの目には、漠然とでも何かが見えているのだ。いや、『見えかけて』いるのかもしれない。
不安定な彼の能力はいつもカインの目に負担をかける。
「『ライン』に入ったときは確かにユージーと会ってる。そのときの記憶はあるんだ。ケイナと同じように細っこい体つきだ。背筋をぐっと伸ばすような癖がある。身長はぼくと同じくらいでケイナよりは高かった。髪は黒くて短く刈り上げてた……」
「今、ユージーの髪は長いよ。訓練のときはおれみたいに後ろでくくってる」
アシュアは言った。カインは首を振った。
「知らない……」
「身長はもうケイナのほうが高いかもしれないな」
「どうしてなんだ…… どうしてぼくはユージーを知らない? こんなこと、今の今まで気づかなかった」
カインは戸惑ったようにつぶやいた。そんなふうに言われてもアシュアにも理由は分からない。
「セレスは今ユージーと組んでるんだ。そんなに気になるなら、あいつの射撃の訓練のときに覗いてみれば」
アシュアの言葉にカインは不安げにうなずいた。そしてためらいがちに言った。
「なあ、アシュア」
「なに」
「セレスは『分からなくなってきた』って言ってたよな」
アシュアは目を細めた。
「うん…… そうだな」
「分からなくなったって、どういうことだろう……」
「どうって……」
アシュアは困惑したようにカインを見た。
「そりゃ、ユージーは優秀なハイライン生だし…… あいつの中ではもっと厭な雰囲気のやつだと思ってたんだろ」
「ユージーがケイナを憎んでいないのだとすれば、じゃあ、どうしてケイナはあっちこっちから嫌がらせを受けるんだ?」
「それは……」
アシュアは答えようとしたが、いい言葉が見つからなかった。
どうしてなんて…… こっちが聞きたい。
「虫が好かないから? 愛想が悪いから? そんなことで何年も何年もやるものなのか? たったそれだけのことで? ましてや『ライン』にいて、みんなヒマじゃないんだよ。おまけに、きみが言うようにケイナはハイラインでトップなんだ。その下にぼくらがいる。ぼくらはケイナの味方についてる。普通、苛めっていうのは自分より弱い者にするもんじゃないのか? 彼らはあの事件のときに自分たちの仲間がどういう目に遭ったか知っているはずだろう? 一歩間違えば、ケイナは倉庫にいた全員を殺していたかもしれないんだぞ」
「おまえ、おれがいっちばん聞きたくないようなことを言おうとしてねえか?」
アシュアは鋭い目でカインを見ると不機嫌そうに言った。
「相手が悪くなきゃ、非があるのはこっちってことになるじゃねえか」
カインはアシュアを見据えた。
「だけど、なんか…… ぼくらはこの数年、何も見えてなかったんじゃないか? きみが言うようにケイナがこれまでユージーのことを悪く言ったことなんか一度もない。これだけ周囲はユージーとケイナの確執を感じているのに、ケイナとユージーが実際いがみ合ったことなんかないじゃないか」
アシュアはカインの顔を無言で見つめた。
「ケイナへの憎しみを誰が駆り立ててるんだ?」
カインは目を伏せた。
「誰がケイナを憎んでるんだ……?」
アシュアは何も言えず口を引き結んだ。
セレスの腕をマッサージしてやりながらアシュアは苦笑した。
「アシュア、痛い!」
セレスは顔をしかめた。
「おっとわりぃ…… おまえ、なんかあっちこっちカチコチだぞ。一週間体動かしてないからかな」
そして手を放すと、アシュアは白い錠剤ふたつをセレスに渡した。
「噛まずに飲み込め」
セレスはそれを口に放り込んだ。糖衣の甘い味がした。
「アシュア、あんたはどれくらいの時間もった? 最初の射撃訓練の時……」
薬を飲み下してセレスは言った。アシュアは笑った。
「おれの射撃訓練はブロードじゃねえからな」
「ケイナは最後までやりきったとユージーが言ってた」
セレスは白い訓練生用のトレーナーをかぶりながら言った。
「ケイナと同じようになんてできる奴はいねえよ。しようがないだろ」
アシュアは笑った。セレスはため息をついてかぶりを振った。
「おれ、ユージーにかばってもらってたんだ……」
「ユージーはハイラインで上位五位以内にランクされてるんだ。あがったばかりのおまえなんかとは差がついて当たり前だよ」
「五位以内……」
セレスはつぶやいた。
「そう。五位以内。今のハイラインでは一位はケイナ、二位はおれ、三位がユージー、四位がカイン。五位はディ・ベックウィズ。おまえはたぶん会ったこともないやつだよ。それでおまえはたぶんビリ」
アシュアは薬の瓶をセレスに放ってよこした。
「アシュアって、ケイナの次にできる人だったの?」
セレスは瓶を空中で掴んで目を丸くした。
「上位の3人までをおれたちで占めてんだから、そりゃほかの奴らは面白くないだろうさ」
アシュアは笑った。
「おまけに差が開き過ぎてて追いつけねぇときてる」
「すごい自信」
セレスはつぶやいた。
「自信じゃなくて事実だよ。おまえ、ユージーに追いつくのなんて大変だぞ。ケイナはさらにその上だ。……まあ、頑張んな。薬は明日の朝も飲んでおけよ」
「ねえ、アシュア」
部屋を出て行こうとするアシュアにセレスは慌てて言った。アシュアはドアに向けかけた足を止めた。
「おれ、なんだか分からなくなってきた…… ユージーって…… 普通の人だよ。おれの腕見て傷めてる場所教えてくれたんだよ。普通のことを普通にする人だよ。本当にケイナを憎んでるの? ひどいことをするような人には見えないよ」
「あいつらのことはおれたちだって分からないんだよ。そう言ったろ」
アシュアはしかたなく再び戻ると、ソファに腰掛けるセレスの横に座った。
「ユージーはできるヤツだよ。おまけに紳士的で冷静だ。カート家の跡取りだという理由であいつに寄っていく奴も多いけれど、客観的に見ておれもユージーは優秀なやつだと思うよ。そう思ってる者も多いと思う。だけど、ケイナの評判はあんまり良くねぇ。良くない評判のほうがよく耳に入って来る。ケイナのことをよく知らない人間はどっちかといえばケイナをかなり嫌なヤツだと思ってるだろう。あいつの無愛想さは見ようによっちゃできることを鼻にかけてるとも見えるし」
「ひどいこと言うな」
セレスはちょっとアシュアを睨んだ。
アシュアは笑って肩をすくめた。
「おれは客観的に言ってんだよ。ケイナの無愛想さを別に意識的じゃないって知ってるのは おれたちだからだろ? 今でこそまともにしゃべるようになったけど、最初の頃はおれたちにさえあいつの態度は冷たいもんだったんだぜ。ろくに返事もしなかった。しばらくしてからは、あの赤いピアスで感情を封じ込められてたしな」
「じゃあ、どうしてそれでもケイナとつき合うことにしたの」
セレスの言葉にアシュアはぐっと詰まった。任務だったなどとはとても言えない。
「ケイナはちょっと無愛想だけど、悪い人じゃないよ。アシュアもそう思ったから友人でいるんだろ?」
言い募るセレスにアシュアは息を吐いた。
「おまえだってジュディに相当嫌われてたじゃないか。おまえも別に悪人じゃないだろ」
セレスは憤慨したようにアシュアを睨みつけた。
アシュアはそれを無視してセレスの肩をぽん! と叩くと立ち上がった。
「虫が好かないとか自分と相性合わないっていうのは誰でもあるもんなんだ。ケイナはなまじ目立つヤツだしあの性格だから嫌われる部分も多いかもしれねえけど、少なくともおれたちはケイナのいい部分を知ってるだろ。そもそもケイナ自身がユージーを悪く言ったことは一度もないんだ。あいつはたぶん兄である彼のことを信じてる。だから、おれたちも信じてやろう」
アシュアの言葉にセレスはまだ納得できないような表情をしていたがうなずいた。
アシュアはそれを見ると部屋を出て行った。
部屋を出たアシュアが隣の自分の部屋の前にカインが立っているのは分かっていたことだった。
「セレスの言うことにはときどきひやっとさせられるよ」
アシュアはため息をついてカインに言った。
「ほんとに知らねえのか? ってこっちが聞きたくなるような目をするし」
「まさかユージーと組むようなことになるとは思わなかったな……」
カインは壁にもたれて言った。
「ありゃ、たぶんブロードが細工してるぜ。ランダムシャッフルならバッガスでないにしても似たようなやつと組むことになってたんじゃねえかな」
アシュアの言葉にカインはうなずいた。
「たぶんね。つまり、ブロード教官はユージー・カートを信頼しているし、セレスにはほかのライン生から余計なことをされたくないっていうことだ」
カインは足下の黒い床を見つめた。光に反射して無数の小さな傷が目に飛び込んで来た。
その傷がカインの気持ちをさらにざわめかせた。
「もっと言えば、そこいらで蔓延しているようなユージーのケイナ苛め、みたいなのは彼の信用してないってことだ」
「さっきあいつにも言ったけど、だいたいケイナ自身がユージーを悪く言うことなんてないからな」
「ちょっと気になってるんだ……」
カインがそう言ったので、アシュアは彼に目を向けた。
「気になっているというか…… 気づいたんだけど……」
カインは視線を泳がせた。
「アシュア、おまえ、ユージー・カートに最近会ったことあるか?」
「ユージーと?」
アシュアは眉を吊り上げたあと、記憶を探るように天井を見上げた。
「そうだな…… トレーニングルームにいるときに会ったかな… いつだったかなんて覚えてねえけど」
「話をしたことは?」
「話なんかするわけないだろ」
アシュアは呆れたようにカインを見た。
「そりゃあ警戒はするけれど、たいがい離れてるし、あっちもおれとケイナがいたって、視界にも入っていないような顔をしてるぜ」
「じゃあ、アシュアは少なくとも彼の姿は見ているんだな」
カインは息を吐いた。
「おまえ、何が言いたいの」
アシュアは訝し気にカインを見た。カインは首を振った。
「ぼくはユージー・カートの姿を見た記憶がないんだよ。ここ一年…… いや、もっとかな」
「はあ?」
アシュアは目を丸くしてカインを見た。
「そんなバカなことあるかよ。同じハイラインにいるんだぞ」
「そう思うんだけど…… 思い出せないんだ」
カインの表情は冗談を言っているものではない。アシュアは不安を感じて眉をひそめた。
いくらなんでも会っていないはずはない。
カリキュラムが違うのだから、そうそう毎日姿を見るわけではないだろう。
だが毎日のようにケイナはトレーニングルームに行くし、それに同行していれば会わないはずはなかった。
「バッガスは見るんだろう?」
アシュアは尋ねた。カインはうなずいた。
「あの胸くそ悪くなるスキンヘッドはいやというほど目に焼きついてるよ」
「バッガスは一番ユージーと一緒にいることが多いぜ」
「だけど、覚えがないんだ」
カインは言った。
「ほんとうに、ぼくにはユージーの記憶がないんだよ」
アシュアは口を引き結んだ。カインは何かに恐れを感じている。彼の目はメガネの奥で真っ赤に充血していた。
カインの目には、漠然とでも何かが見えているのだ。いや、『見えかけて』いるのかもしれない。
不安定な彼の能力はいつもカインの目に負担をかける。
「『ライン』に入ったときは確かにユージーと会ってる。そのときの記憶はあるんだ。ケイナと同じように細っこい体つきだ。背筋をぐっと伸ばすような癖がある。身長はぼくと同じくらいでケイナよりは高かった。髪は黒くて短く刈り上げてた……」
「今、ユージーの髪は長いよ。訓練のときはおれみたいに後ろでくくってる」
アシュアは言った。カインは首を振った。
「知らない……」
「身長はもうケイナのほうが高いかもしれないな」
「どうしてなんだ…… どうしてぼくはユージーを知らない? こんなこと、今の今まで気づかなかった」
カインは戸惑ったようにつぶやいた。そんなふうに言われてもアシュアにも理由は分からない。
「セレスは今ユージーと組んでるんだ。そんなに気になるなら、あいつの射撃の訓練のときに覗いてみれば」
アシュアの言葉にカインは不安げにうなずいた。そしてためらいがちに言った。
「なあ、アシュア」
「なに」
「セレスは『分からなくなってきた』って言ってたよな」
アシュアは目を細めた。
「うん…… そうだな」
「分からなくなったって、どういうことだろう……」
「どうって……」
アシュアは困惑したようにカインを見た。
「そりゃ、ユージーは優秀なハイライン生だし…… あいつの中ではもっと厭な雰囲気のやつだと思ってたんだろ」
「ユージーがケイナを憎んでいないのだとすれば、じゃあ、どうしてケイナはあっちこっちから嫌がらせを受けるんだ?」
「それは……」
アシュアは答えようとしたが、いい言葉が見つからなかった。
どうしてなんて…… こっちが聞きたい。
「虫が好かないから? 愛想が悪いから? そんなことで何年も何年もやるものなのか? たったそれだけのことで? ましてや『ライン』にいて、みんなヒマじゃないんだよ。おまけに、きみが言うようにケイナはハイラインでトップなんだ。その下にぼくらがいる。ぼくらはケイナの味方についてる。普通、苛めっていうのは自分より弱い者にするもんじゃないのか? 彼らはあの事件のときに自分たちの仲間がどういう目に遭ったか知っているはずだろう? 一歩間違えば、ケイナは倉庫にいた全員を殺していたかもしれないんだぞ」
「おまえ、おれがいっちばん聞きたくないようなことを言おうとしてねえか?」
アシュアは鋭い目でカインを見ると不機嫌そうに言った。
「相手が悪くなきゃ、非があるのはこっちってことになるじゃねえか」
カインはアシュアを見据えた。
「だけど、なんか…… ぼくらはこの数年、何も見えてなかったんじゃないか? きみが言うようにケイナがこれまでユージーのことを悪く言ったことなんか一度もない。これだけ周囲はユージーとケイナの確執を感じているのに、ケイナとユージーが実際いがみ合ったことなんかないじゃないか」
アシュアはカインの顔を無言で見つめた。
「ケイナへの憎しみを誰が駆り立ててるんだ?」
カインは目を伏せた。
「誰がケイナを憎んでるんだ……?」
アシュアは何も言えず口を引き結んだ。