ケイナは部屋で自分のデスクのコンピューターに向かいながら、ふと画面の片隅に通信のサインが入っていることに気づいた。
 画面を開くと通信室の男が映った。
「きみに個人通信が入っている。そこで受けるかね」
 男は言った。ケイナは不思議に思った。『ライン』に入ってから自分に個人アクセスしてくる人間などいなかったからだ。
「誰からです?」
「ジェニファ・イードという女性からだ」
 男は無表情に答えた。
「ジェニファ……?」
 ケイナは眉をひそめた。ジェニファがどうしてわざわざ連絡をしてきたのだろう。
「個人通信は5分間だ。どうするかね」
 男の声にケイナはちらりと後ろを振り返った。ジュディはまだ起きている。横のセレスも起きているだろう。
「そっちに行きます。少し待つように伝えてください」
 ケイナはそう答えて立ち上がった。
 通信室に行くと、さっきの男がガラス貼りの部屋の向こうに並んでいる画面のひとつを指差した。
 ケイナはうなずいて部屋に入り、ウエイト状態になっていたキイを押した。
「ケイナ……?」
 画面に映ったジェニファはケイナの顔を見てほっとしたような顔をした。
「シエルの葬儀がやっと終わったの。ノマドたちは昨日でそれぞれの場所に戻っていったわ」
「うん……」
 ケイナは疲れを隠せないジェニファの顔を見つめた。
「いったいどうしたの。おれに何か用?」
「ごめんなさい。早く連絡したかったのだけど…… 私、通信機持っていなくて。アパートの友人に借りてるの」
 ジェニファは落ち窪んだ目をしばたたせた。青黒いクマがくっきりと浮かんでいる。憔悴しきっているような感じだ。いつも朗らかな彼女とは全く違った。
「夢を見ているのよ」
 妙な不安が押し寄せた。ケイナはその不安を押し退けるように無意識に髪をかきあげた。
「あんたたちがそっちに戻ってから毎晩、毎晩」
 ジェニファはくしゃくしゃになっていた巻き毛を振った。
「無理を承知で言うわ。ケイナ、お願い、よく聞いて」
「なに?」
 ケイナは努めて平静を装いながら言った。
「そこを出たほうがいいと思うの。命の危険があるんじゃないかしら」
 あまりに突拍子もないジェニファの言葉にケイナはぽかんと口を開けた。
「あなただけじゃない。セレスもよ。いえ、カインもアシュアも。相手が誰だか分からないんだけど、あんたたちを追ってる者がいるわ。とても大きな力であなたたちを閉じ込めようとしてるように思えるの」
「ジェニファ……」
 ケイナは言った。
「何のことなのか…… おれにはよく分からない。命の危険って、どういうこと?」
 ケイナは後ろのほうに座っている男をちらりと振り向いた。男はほかの誰かと通信している。防音つきのガラス越しなので、こっちの声は聞こえていないだろう。
「ジェニファ、あんまりきわどい話はここではできないんだ。通信内容は一週間保存されるし、時間も5分しかない。おれに分かるように手短に言ってくれないか」
 ジェニファは絶望したように首を振った。
「やっぱり、この間帰ってきたときにもっと話しておくべきだった。一気に話をしたらあなたが混乱するかもしれないって思ったの」
 ジェニファはずいっと画面に顔を寄せて来た。反射的にケイナは身を後ろにそらせた。
 ジェニファはこういう通信機に慣れていないせいもあるのだろうが、顔を近づけたら巨大化した自分の顔が相手に見えることが分かっていない。
「歯車が回り出した。あんた、そっちに戻ってそんな気持ちになってない?」
 ケイナは無言で大きなジェニファの顔を見つめた。歯車が回り出した……?
 ジェニファは黒目がちの目を一杯に見開いてケイナの顔を食い入るように見つめた。
「ケイナ、あなたの体は何か大きな爆弾を抱えてるわ。あなたはいずれそのために死んでしまう運命だった。でも、あの子に会って変わった。あの子はあなたを助けてくれる。あの子はあなたの剣となり盾となってあなたの力になると思う。だからふたりでいつも一緒にいなければならないの。だけど、それを欲しがる者がいるみたいなのよ。ううん、邪魔する者かしら。その者はたとえ殺してもあんたたちを手にいれたいんだと思うわ」
 ケイナは弓形の眉をひそめた。彼女の言っているのはリィ・カンパニーのことだろうか。でも、殺してでも手にいれたいなんて……。
「ケイナ・カート、そろそろ時間だぞ。」
 男の声が割り込んできた。
「分かってます」
 ケイナは答えた。
「ケイナ、ノマドには緑色の髪と緑色の目を持つ者がいたのよ」
 ジェニファも男の声を聞いたのか、口早に彼女は言った。
「え?」
 ケイナは目を見開いた。
「優れた知能と類い稀な予知能力と、汚泥で淀み切った水さえも清水に変える力を持っていると言われた」
「カート、時間だ」
 男の声が響いた。ジエニファの顔が苦悩にゆがんだ。
「ジェニファ…… ごめんよ。今度休暇の時に聞くよ」
「それじゃあ、遅すぎるわ! ケイナ、ノマドに帰って!」
 ジェニファが叫んだが、ケイナは強引にスイッチを切った。規定違反をしてあとで通信内容をチェックされると困るからだ。
 ケイナはしばらく何も映らなくなった画面を見つめ、ガラスの扉を開けて男に会釈すると部屋に戻った。
 ケイナの気配を感じたのか、セレスがパーティションの上から顔を出した。足元はたぶんまた椅子だ。
「ジェニファがなんて?」
 セレスはほかのふたりに聞こえないように小声で言った。
 ケイナはその顔をしばらく眺めたあと、なんでもない、というように肩をすくめてみせた。 セレスは少し不審そうな顔をしたが、緑の髪を揺らしてすぐに引っ込んだ。
 コンピューターの前に座って再び講議の内容をまとめようとしたが、ケイナの頭にはジェニファの言葉がぐるぐるとうずまくばかりだった。
(ノマドには緑色の髪と緑色の目を持つ者がいたのよ)
(ケイナ、ノマドに帰って!)
「どうしろっていうんだよ……」
 彼は呻いてこめかみをおさえた。

 深夜の急な外部からのコンタクトで驚いた人間がもうひとりいた。
 カインだ。
「トエラ・ルウという人がきみに面会だ。急用だということだが、どうするかね」
 デスクの画面に映ったドナルド・ハイツ教官が不快色あらわな表情でカインに言った。
「トエラ?」
 カインは首をかしげた。そんな人は知らない。
「きみの遠縁にあたると言っていた。面会時間ぎりぎりだぞ」
 ドナルドは早くしろといわんばかりの口調でせっついた。彼にとってはこの迷惑な客が用を済ませてさっさと帰ってくれれば今日の仕事は終わりだ。
「分かりました。行きます」
 カインは腰をあげた。
「六号面会室だ。音声はシャットアウトしているが、ビデオは回されているからそのつもりで」
 ドナルドはそう言い捨てると画面から消えた。
「誰だ…… トエラなんて……」
 カインはそうつぶやきながら六号面会室に入り、そして度胆を抜かれた。
「そろそろ眠る時間だったかしら」
 ソファにゆったりと背をもたせかけて座っていたトウは優雅に足を組んで煙草をふかし、カインを見てにっこりと笑ってみせた。
「どうしてここに……」
 カインは掠れた声で呆然と立ち尽くした。その姿を見てトウは声をたてて笑った。
「こんな格好じゃ誰も私がリィの社長だって分からないらしいのよね。スリルがあって面白いわ」
 そして持っていた煙草を灰皿に押し付けた。
「でも、あんたにはすぐに分かっちゃうみたいね」
「いつ…… 『コリュボス』に?」
 カインはトウから目を放さずに向かいのソファに座った。
「三時間前。ホテルにチェックインして、二、三の仕事を片付けてきたの。遅い時間に悪いわね」
 トウのあでやかな笑みをカインは警戒しながら見つめた。
 この人のやることだけはいつも全く見えない。事前の予感すらしない。
 でも、まさかここまで乗り込んでくるとは思わなかった。
「何よ、そんな顔しないで。久しぶりに休暇をとってわざわざ息子に会いにきたのよ。キスしてくれてもいいんじゃない?」
「休暇?」
 カインは疑わしげに目を細めた。トウは大袈裟に肩をすくめた。
「いけない? 私だって人間よ。ここのところちょっと体調が優れなかったから休みをとったのよ。それにあんたのことが心配でしようがなくて」
 そう言ってトウはぐいっと身を乗り出し、カインの顔に自分の顔を近づけた。
「あまりにもあんたが私に内緒ごとを作り過ぎるもんだから」
 カインはごくりとつばを飲み込んだ。
 トウは怒っている。そのことだけは明らかだった。
 彼女はにっこり笑うとカインの頬を両手で挟み、すばやく彼の頬にキスをした。
「ビデオには再会を喜ぶ叔母かなんかがキスしたように見えるわね」
 彼女はおかしそうに笑って再びソファにもたれた。そして今度は鋭い目をカインに向けた。カインは思わず身構えた。
「セレス・クレイに関する情報をもっと出しなさい。どんな些細なことでもすべて私に報告するのよ。一週間に一度、データを私にオフィスに送ること」
「今までも送っています。彼は別にどこということのない少年で……」
「普通であるはずがないわ」
 カインの言葉をトウはぴしゃりと遮った。
「私はあんたより独自のルートをいくつも持ってるのよ。あんたが調べられないことも私だったら情報入手できるのよ」
 トウは厳しい表情を変えずに、声だけは穏やかに言った。
「だったらご自身で調べればいいじゃありませんか。それとも、ここの所長にでも頼んでみたらどうです?」
 カインはトウから目をそらせた。トウはそんなカインを見てかすかに表情を和らげた。
「バカな所長に何ができるのよ。私を堂々とこの一般面会室に通した男よ。だからあんたに頼んでるわけでしょ?」
 トウはカインの顔を覗き込んだ。
「もう、分かるわね。私はセレス・クレイの情報が欲しい。うまくいけば、ケイナ・カートは自由になるかもしれないわ」
「え?」
 カインは思わずトウを見た。
 トウはうまくカインの心を掴んだことを知って心の中でほくそえんだ。
「セレス・クレイという少年のほうが優れた被検体になる確率が高いのよ。でも、それにはもう少しデータが必要だわ。三ヶ月くらい情報収集すれば、だいたいの分析はできる。彼とケイナが一緒にいる機会が多いならそれくらいのこと簡単でしょ」
「もし、セレスのほうが優れていたら、セレスを研究対象にすると……?」
 カインは震える声で言った。
「そうよ」
 トウはほほえんだ。
「本当はふたり一緒に欲しいところだけれど、あなたはそれを望んでいないでしょ?」
「そんな……」
 カインはトウを睨みつけた。
「ケイナの代わりにセレスを仮死保存するっていうんですか!?」
「あら、知っていたの」
 彼女は驚かなかった。
「立派なものね。彼が教えてくれたの? そこまで信頼関係が築ければたいしたものだわ」
「トウ……」
 カインは冷静を保とうと思いつつ、意にそぐわず震える頬を感じながら言った。
「人間を仮死保存なんて無茶だ。それも健康体の人間を。それは禁止されているでしょう。 ましてやセレスはきちんと地球に住民登録されているんですよ。家族だっている。説得できるわけがない」
「じゃあ、ケイナにする?」
 カインは平然としているトウを呆然として見つめた。
「ねえ、よく考えて。セレスとケイナのどちらを取るの? ケイナは自由になれたら私は彼を『ビート』に引き抜こうと考えてるのよ。そうすればずっと一緒よ。あんたたちは見張り、見張られる立場ではなく、本当の仲間として一生同じ道を歩んでいけるじゃない?」
 トウはするりとカインの横に身をすべりこませると、慰めるようにカインの肩を抱いた。
「カイン、私は叔母でもあるけど母親でもあるのよ。あのきれいな男の子にあんたが心を奪われてることくらい、とっくの昔に気づいてたわ。母親として私だってあんたが最愛の友人と永遠の別れをする時に涙を流す姿なんか見ていられないわ。なんとかしてやりたいと思ったのよ」
 カインは耳もとでささやくように言うトウの声を聞きながらこぶしを握り締めた。
「遺伝子の損傷もない。生殖器官も健全。知能も運動神経も標準レベルを超えてるわ。そう、ケイナもセレスも。だけど、サンプルはひとりでも構わない。ひとつあれば何とかなるわ」
「何とかなるって……」
 カインは顔を歪めた。
「一体何をどうしようって考えてるんです。ぼくらは何も教えてもらってない」
「知りたいの?」
 トウは笑みを浮かべた。
「あんたがリィの後継のことを本気で考えてくれたら、いずれは全部知ることになるわ。大丈夫。あんたがリィを継ぐことになっても、ちゃんとケイナ・カートはあんたのそばにいるように善処するわよ」
「ケイナは…… ケイナはそんなことは望まない……」
「彼が望む望まないは関係ないわ。あなたがリィの後継者であり、あなたがこの星の経済中枢を担うんだから」
「ケイナは、そんなことは望まない!」
 カインはトウの顔を見て怒鳴った。
「じゃあ、彼の望みはなに?」
 トウは言った。
(ケイナの望み?)
 カインは目を細めた。トウはそんなカインを冷静に見つめていた。
「どちらかひとり、もしくは両方、よ。あなたがどうこうできることじゃないわ。だけど、あなたが優位に立つことはできる。男の子に眠ってもらい、ケイナとともに生きるか、それともケイナを眠らせるか……」
 トウの言葉はすべてワナだと分かっていながら、カインは揺さぶられる自分をどうすることもできなかった。
「自由の身になればケイナはずっとあんたを親友と思って大事にしてくれるわ。だって自分を助けてくれたのよ。自分を助けてくれた者を憎む人間なんていないわ」
 カインの脳裏に昔ケイナが言った言葉が思い出された。
(おれが眠りにつくまでそばにいて欲しい。リィの後継者ならそれができるよな……)
 カインは目を閉じて顔を伏せた。
 そばにいてほしい。
 ケイナのその言葉に全身の血が逆流したような高揚感を覚えたことは否めなかった。
 彼は自分とは敵対したくないと言ったではないか。
 セレスがケイナの代わりになることは、自分の意志や命令ではない。
 ぼくのせいではない。
 カンパニーの…… 意志だ……。
 でも、ケイナはそんなことは絶対許さない。
 ケイナはぼくを殺すか?
 トウはカインの横顔を見て微笑んだ。彼が何も言わないので了承したと思ったようだ。
「いい子ね。このことはアシュアには言わなくてもいいわ。大丈夫、何もかもうまくいくわよ」
 トウはぎゅっとカインを抱き締めると立ち上がった。
 部屋を出ていきかけて思い出したように振り向いて、バッグの中から小さなブレスレットのようなものをカインの前のテーブルに置いた。
「小型カメラ。これにセレス・クレイの映像を撮っておいて」
 トウは言った。
「実際に彼の姿を見てみたかったんだけど、手続きが面倒だからやめたわ。よろしくね」
 トウはカインに顔を近づけてキスをするとにっこり笑って部屋から出て行った。
 ひとり残されたカインはこぶしを握りしめたままトウの残したカメラを睨みつけた。