セレスは三人が病院のエントランスから出てきたところでちょうど出会った。
 ケイナにヴィルのキイを渡すと、これで自分の仕事が終わったと思い家に戻ろうと踵を返しかけた。その背にアシュアが声をかけた。
「今からケイナのアパートに行くんだ。おまえも来いよ」
「え?」
 セレスは戸惑ったような顔を向けた。ケイナの顔を見たが彼の顔からは何の感情も読み取れない。
「おれ…… でも……」
 何か用があったような気がしていた。何だっただろう……。
「アシュアのヴィルの後ろに乗せてもらいな」
 しばらくしてケイナはぶっきらぼうにそう言うと、さっさとヴィルが停めてある場所に歩き始めた。
「だとよ」
 アシュアがにっと笑ってセレスの背を押した。セレスは促されるままにそれに従った。
 嬉しくないわけではない。誘ってもらうことをどこかで待っていたかも……。それは偽れない本音だった。
 カインはその様子をただ黙って見ていた。アシュアの提案は一瞬無謀ではないかと思ったのだが、自分の目に何も見えなかったので反対することはやめた。

 ケイナのアパートは中央塔からかなり離れた郊外に建っていて、びっくりするほど時代遅れの古風な外観だった。
 六階建ての白い壁の小さなアパートをバイクから降りて下から見上げると、窓に花を飾っている部屋がやたらと多いことが見てとれた。
 高層の住宅しか見たことのないセレスにとってそれはあまりにも不思議な光景だった。
「あら、帰ってきたの?」
 上のほうから声がしたので、四人は顔をそちらに向けた。 三階の部屋の窓から老女が顔を覗かせている。
「連絡してくれれば掃除をしてあげたのに。アシュア、久しぶりね」
「こんちは、シェル」
 アシュアは手を振った。老女は嬉しそうに手を振り返した。
「夫がイキのいい魚を持って帰ってきたのよ。ベリーパイも焼くつもりなの。あとで取りに来て」
「すげえ! 今夜は盛大なパーティになるぜ!」
 アシュアが叫ぶと、老女は得意げにほほえみ返して部屋の中に引っ込んだ。
「あの人のだんなさん、養殖でもしてるの?」
 こじんまりとしたエントランスにみんなで入っていきながらセレスがケイナに尋ねた。
「彼女に夫はいないよ。亡くなったんだろう」
 ケイナは答えた。
「え? でも、魚がどうとかって……」
 セレスは面喰らった。
「彼女は夢の中に生きてるんだよ」
 アシュアが代わりに答えた。セレスは困惑したような顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
 エレベーターの前に立つと、ちょうど誰かが上からおりてきたらしく四人の前でドアが開いた。
 出てきたのは真っ黒な長い髪を垂らして鮮やかな手織りのケープをまとった中年の女性だった。少し太り気味の体がエレベーターの入り口を塞いだ。
 彼女はケイナの顔を見てびっくりしたような表情をした。
「あら! 久しぶりね! 休暇?」
 ケイナは彼女を見て少し笑みを浮かべた。
「ちょっと見ないあいだにまた背が伸びたわねえ。それにまた今回はずいぶんと友だちを連れてきたのね!」
 彼女は真っ黒な大きな目を見開いてほかの三人を見回した。そしてセレスの姿を見て大きくうなずいた。
「ああ、それで分かったわ。昨日夢を見たのよ。あんたたちのことだったのね」
 セレスは彼女の黒い目にじっと見つめられて居心地が悪くなり、助けを乞うようにケイナの顔を見た。
 ケイナはそれを無視して女性に言った。
「ジェニファ、あんたの夢は健在だね」
「当たり前よ。まだまだ現役だわ。また意識して見ておいてあげる。休暇はいつまで?」
「五日後には戻るんだ」
「あら、今回は短いのね、分かったわ。何か見えたら知らせに行くわね」
 彼女はそう言ってにっこり笑うとアパートから出て行った。
「ずいぶんとここの人たちと仲がいいんだね。みんながケイナのことを知ってるみたい。 おれんちじゃ、会っても誰も何も言わないよ」
ジェニファの大きな体を見送りながら、セレスは言った。
「おれが『ノマド』と暮らしていたからだろ」
ケイナはためらいがちに答えた。
「『ノマド』? あの人は『ノマド』なの?」
「今は違うよ。」
ケイナは答えた。それ以上説明をするのは面倒臭そうな表情だった。
「このアパートはいろんな理由で『ノマド』の群れからは離れた人間が多いんだよ。入居に面倒な手続きがいらないアパートだし……。 ミセス・シェルは昔群れの中で菓子づくりの名人で、ジェニファは夢見占いの役についていたらしい」
ケイナの代わりにカインが答えた。
「ああ、それでさっきベリーパイがどうとかって……」
 セレスはつぶやいた。そしてケイナを見た。
「『ノマド』で育ったことをあの人たちに言ったの?」
「言わないよ」
 ケイナは苦笑した。
「言わなくても分かるみたいだ。さっきのジェニファは初めておれの顔を見るなりそれと言い当てた」
「ふうん……」
 セレスはジェニファの相手を見透かすような真っ黒な少し魚を思わせるような大きな目を思い出して何となく納得いくような気がした。
「だけど、どこまで信じていいんだか。おれとカインの顔見ても『ノマド』だなんて言ってたからな」
 アシュアが肩をすくめた。
「ぼくらもいろんな意味で一般の地球人からは外れた『異端』なんだろ」
 カインは答えた。セレスがカインの顔を見たので、カインはかすかにセレスに笑みを返した。
 そうだ、カインは『アライド』との混血だと言っていたっけ……。セレスは思い出した。
 『ノマド』は言うなれば地球の中の異民族だ。普通の地球人の生活からは外れている。
「アシュアもハーフなの?」
 エレベーターのドアが開いたので、先に立って歩き出すケイナのあとに続きながらセレスはアシュアに尋ねた。
「おれは純血地球人」
 アシュアは肩をすくめた。
「どうせ、変わり者だろうさ」

 ケイナの部屋は殺風景とも思えるほど何もなかった。
 床は人造ではあったがよくできた板張りで、小さなキッチンとクッションが数個置いてあるだけの小さなリビング、そして向こうにはベッドを置くくらいの広さしかないという寝室がひとつだとケイナは言った。
 窓が多く明るいので狭くても閉塞感はない。とはいえセレスの家に比べればまるで人が住んでいるような気配のない部屋だった。
 こんな部屋にケイナは休暇のたびに戻ってきてひとりで過ごしていたのだろうか。セレスは何とも言えない思いで部屋を眺めた。
「おまえの家と比べると空家みたいな気がするだろ?」
 呆然としているセレスにケイナはバッグを床に放り投げながら言った。
 キッチンに行ったケイナをちらりと見てカインが神経質そうに彼のバッグを拾いあげて部屋の壁際まで持っていった。
「ここに来るといつもほっとするぜ。足が伸び伸びのばせるもんなあ!」
 アシュアはどっかり床に腰を降ろすと、大きな伸びをして大の字に寝転んだ。
「おまえはごちゃごちゃいろんなもん持って帰るから部屋が狭くなるんだよ」
 ケイナはミネラルウオーターのボトルを数本ぶら下げて戻って来るとアシュアを見下ろした。
「アシュアは壊れた看板だの、捨ててあった家具だの、すぐにもって帰る癖があるんだ」
 ケイナに渡されたミネラルウォーターをセレスに渡してやりながらカインが言った。
 セレスはあいまいに笑ってそれを受け取った。なんだか変な気分だった。
 カインもアシュアもこれまでの感じと違って見えた。会話も、やっていることも、ごく普通の17歳の少年だ。
 ラインで見ていた彼らはいつもぴりぴりした空気に包まれていて、セレスは知らず知らず彼らのそばにいると緊張したものだ。今の彼らには自分を緊張させるものは何もなかった。カインですら穏やかに笑みを浮かべている。
「ちょっとひと休みしたらメシの買い出しにでも行くか。セレス、おまえ荷物持ちだぜ。ついて来いよ」
 アシュアが水をぐいっとひと飲みして言った。
「買い出し?」
 セレスは面喰らったようにつぶやいた。
「おれのスペシャルメニューを食わせてやるよ」
 アシュアはにいっと笑ってみせた。
「何を買いに行くの」
 セレスは疑わしそうにアシュアを見た。
「何を買いに行くかだって?」
アシュアは信じられないというような顔をした。
「決まってんだろ。今夜のディナーの材料を買いにだよ。エビ、ブロッコリー、コメ、たまねぎ、アスパラガス、それから……」
「そんなのオンラインで配達してもらえばいいじゃないか。配送口、ここにはないの?」
 セレスの言葉に一瞬三人は黙り込み、それからケイナがくすくす笑い始めた。
 アシュアは顔を真っ赤にしてセレスを睨みつけた。
「直接シティに行って自分で選んでくるんだよ! 材料選びの醍醐味をしらねえのか!」
「おやじクサイこと言ってんな……」
 セレスがぽつりとつぶやくと、アシュアはものすごい勢いでセレスに飛び掛かり、その体をはがいじめにした。セレスは抵抗したがアシュアの力にかなうはずもない。
 そのうちふたりとも笑い始めた。
「大騒ぎすんなよ。下の部屋の住人に迷惑だろ。この家そんなに造りが頑強じゃないんだぞ」
 ケイナが苦笑しながら言った。ふたりは笑いで息をきらしながら離れた。
「行くぜ!」
 アシュアは立ち上がった。
「カイン、こいつのお守を頼むぜ」
 アシュアがそう言ってケイナを顎でしゃくってみせると、カインは物静かに笑ってうなずいた。
 ケイナはふん、と鼻を鳴らした。