サウス・ジュニア・スクールでトップの秀才と運動神経ばかりが良くて勉強は全然冴えない痩せっぽちがどうして仲良くなれるんだろう、と学校中はうわさが渦巻いた。
アルがテストのあとの成績発表以外で話題になることなど初めてだ。
セレスとアルは成績だけでなく、見た目も全く正反対だった。
ぱっとしない地味な顔だちに太めでおっとりした雰囲気のアルと、こぼれ落ちそうな大きな緑色の目を持つ痩せっぽちのセレス。
ふたりの共通点といえば揃って周囲からは敬遠されているという点だけだったかもしれない。
それでもアルはセレスのことを気に入っていた。
セレスはアルにつきあって図書館に行くと、アルが何度も声をかけても気づかないほど本を読むことに熱中した。
家に呼ぶと目を輝かせてアルのコンピューターに触った。
「いいなあ、アルはこんなの持ってて。最新式じゃん」
とつぶやきつつ、一度教えればあっという間にその操作を覚えてしまう頭の回転の早さや記憶力は一緒にいなければ分かりえなかった。
アルはそんなセレスを尊敬したし、セレスと友だちであることに誇りを持った。
不思議だったのはこれほど頭のいい彼がどうして授業中には居眠りばかりしてしまい、成績を奈落の底へと落してしまうのかということだった。
いつもエネルギー全開でテストに挑み、満点を取るアルにとってはそこだけは理解できなかった。
噂はいつしか飽きられ、ふたりのことなど誰も興味を持たなくなるのにさほど時間はかからなかった。
規則正しく退屈なスクールの生活の中でふたりは放課後行動をともにするというささやかな幸せを共有し、気づかないうちに3年の時間が過ぎていた。
もう、セレスはアルにとっていないことのほうが不自然なくらいの存在になっていた。
セレスにとってもきっとそうだろう。
放課後になってアルを教室まで迎えに来るのはいつもセレスのほうだ。
セレスは両親とは幼い頃に事故で死別し、叔母夫婦に引き取られて育ったこと、今は10歳年上の兄と暮らしているということはつき合っているうちに自然と分かってきた。
セレスの兄ハルド・クレイは『コリュボス』で軍管轄の警務指揮官を務めている。
若干23歳で指揮官というからにはきっと優秀な人であるに違いない、とアルは思ったが、ほとんど家に戻らないのでセレスはひとり暮らしをしているも同然だった。
食べることや洗濯はすべて機械任せだったが、セレスの家に行くとさすがにきれいとは言いがたかった。
「時々兄さんが抜き打ちで連絡してくるから焦るよ」
セレスは笑った。
「だから、画面に映る周りだけはきれいにしとくんだ」
確かに通信用のカメラに映り込む範囲だけは小器用に整とんされている。
そこまでするなら全部片付けろよ、とアルはリビングのソファの上や床に散らばった紙や衣類を見て苦笑する。
きれい好きのアルの母親が見たらきっと卒倒するに違いない。
アルの母親は当初自分の息子が小汚い風貌の少年と仲良くすることを快く思っていなかった。
ましてやセレスの成績が下から数えたほうが早いと知った日には全身全霊でセレスには近づくなと説得にかかった。
しかし、ひょんなことからセレスの兄が類い稀な出世で指揮官になっていることを知ってからはコロリと態度を変えた。
『中央塔』勤めのエリートであるという面に惹かれたのだろう。
『コリュボス』の中枢を担う『中央塔』での仕事に就くことは一流ステイタスでもあったのだ。
アルはそんな母親を苦々しく思ったが、母親に面と向かって意見できない自分が情けなかった。
セレスの兄のハルド・クレイにはセレスの家に遊びに行ったときに一度だけ画面越しに会ったことがある。
セレスの言っていた「抜き打ち」の連絡だ。
「兄さん、おれの一番の友だちなんだ」
セレスが得意そうにアル前に押しやるのでアルは顔を真っ赤にした。
「やめろよ、セレス」
そう言いつつ、アルは「一番の」と言われたことにまんざらでもなかった。
「仲良くしてくれて感謝するよ。わがままなやつだけど、よろしく頼むよ」
「いえ、あの……」
いつもそつのない返事をするアルはこれまで接したことのない相手にしどろもどろになった。
画面の向こうのハルド・クレイは、広い肩に鼻梁の高い精悍な顔の青年だった。
整った顔立ちはアルの母親が見たらきっと歓喜のあまり卒倒するに違いないほど十分な気品をたたえていた。
藍色の目も厳しく引き締まった口元も恐そうだが、セレスを見るときは優し気にほころぶ。
セレスは大切に思われているんだな、とアルは兄弟のいない自分をちょっぴり哀れんだ。
そしてジュニア・スクール最後の年になった。
季節のない『コリュボス』で、唯一変わり目と子供たちが実感するのは学年の修了時だ。
緊張と期待とが折り混ざった落ち着きのない時期だ。
子供たちは3歳から『ジュニア・スクール』に入り13歳で修了する。
その後はそれぞれのプロフェッショナルを目指す。
希望の進路に進むときには試験がある職種もあり、希望進路に合った成績をおさめている者は『ジュニア・スクール』から推薦状を発行してもらえる。 これによって試験が免除になることもあった。
アルとセレスの周りでも話題と言えばスクール修了後の進路についてのことばかりだった。
なかには卒業してからゆっくり考えるさ、という自信家もいたが、 9割の子供たちはスクール終了と同時にそれぞれの道に向かって旅立っていく。
ふたりはとりたてて将来のことを具体的に話し合ったことはなかった。
避けていたといってもいい。離れてしまうことを実感するのが恐いからだ。
アルはできればずっとセレスと一緒にいたかった。
しかしそれはいくらなんでも不可能だ。いつかはそれぞれの道に進むしかない。
「ぼくさ……」
アルは思いきって口を開いた。図書館に向かういつもの道だった。
「今日、推薦状もらったよ」
「へえ」
セレスがアルの顔をまじまじと見た。
「よかったじゃん。お父さんとおんなじ医者になるの?」
「ううん」
アルはかぶりを振った。
「ラ、『ライン』の情報管理士養成科…… に行くんだ」
アルの顔は真っ赤になった。
なんだか照れくさかった。 『中央塔』の『ライン』に進むことは子供たちの間でも憧れの分野だった。
『中央塔』にからむ進路に進むと上ランクの生活が期待できる。
「恥ずかしいからほかで言わないでよ」
「恥ずかしいことなんかないよ」
セレスは笑った。
「アルはコンピューター関係で最先端に進むんだろうなって思ってたよ」
アルはそれを聞いて照れくさそうに顔をくしゃくしゃにした。
「セレスは?」
尋ねたとたんにセレスの顔が曇った。そしてアルから目をそらせた。
「うん……」
アルは目を細めてセレスを見た。
「なに?」
アルはセレスの顔を覗き込んだ。
セレスが目をそらすときはたいがい何か知られたくないことがある証拠だ。
アルが貸してやった本を汚したときもそうだった。
「またなにか、ぼくに隠してる?」
アルの言葉にセレスは困ったように笑みを見せた。
「隠すつもりはなかったんだ。まだ迷ってたから」
セレスは肩をすくめ、すぐそばを通り抜けていった浮遊型のバイク『ヴィルモータル(ヴィル)』、にちらりと目を向けた。
「あのさ…… 叔母さんが…… ジュニア・スクールを修了したら地球に戻って来いって言ってるんだ」
「え?」
顔から血の気が引くのをアルは感じた。
「地球に…… 帰っちゃうの? なんで?」
「まだ決めてないよ」
セレスはアルがパニックを起こさなければいいな、と思いながら答えた。
アルはたまに過呼吸を起こすことがある。この一年起こっていないから大丈夫だろうと思うけれど。
「叔母さんは軍関係の仕事って昔から嫌いなんだよ。ここにこのままいたら兄さんと同じ方向に進んでしまうからほっとけないってさ」
「軍関係って…… じゃあ、ぼくと同じ『ライン』に行かなくちゃいけないじゃん。 セレスはそっちに進みたいの?」
さっきと打って変わってアルの顔に光が差した。
「あ、あのさ、だったらちょうどいいじゃん、一週間後に『ライン』の見学会があるんだ。一緒に行こうよ」
「でも、何の書類も出してないよ」
セレスは苦笑して額に垂れかかった緑の髪をかいた。
「それに叔母さん、許してくれっこない」
「なんでさ!」
アルは憤慨したように言った。
「お兄さんは許してもらったんだろ? 願書出すときに保護者の同意がいるよ。セレスだけなんでだめなんだよ!」
セレスは困ったな、というようにアルを見た。
「ぼく、やだよ…… 地球に帰っちゃったら、会えなくなるかもしれないじゃないか……」
とうとうアルは涙声になった。
「こんなとこで泣くなよ…… まだ決めてないって言ってんだろ」
セレスは慌てて周囲を見回してアルをなだめた。だがふたりに気をとめる通行者など誰もいない。
みんなそれぞれの用事で頭が一杯らしく、立ち止まるふたりをどんどん追いこしていく。
「どのみちスクール卒業したら別々になるんだから一緒だろ」
「物理的に違うよ!」
アルらしい抗議だった。セレスは思わず笑いをこらえた。
「笑うなよう。ぼくはショック受けてんだぞ!」
セレスの顔を見咎めてアルは余計に泣き出しそうな顔をした。
「あのさ、兄さん、トリプルプラスなんだよ」
セレスは静かにアルに言った。
「叔母さんが帰って来いって言ってる理由はそれもあるんだ」
アルはぽかんと口をあけ、そしてがっくりと肩を落した。
歩道の石畳みがじわりと涙でにじんだ。
トリプルプラス。子供を90%以上の確率で作ることができる貴重な人間。
25歳までに最低シングルプラスランクの相手と結婚して子孫を残すよう言われている人種。
セレスもアルも『ジュニア・スクール』修了と同時にこの検査を受けなければならない。
トリプルプラスからトリプルマイナスまでの7ランクに分けられているが、ゼロポイントから上になると公費で治療を受けることができる。生活の保障もある。
子供を作ることができるかできないかでランク分けされることには長い間論争が起こっているが、そうでもしなければ人口の減少が食い止められなかった。
「叔母さんはおれが兄さんと一緒にいると兄さん結婚できないからって言ってるんだ」
「お兄さんはなんて言ってるの?」
言い募る涙声のアルを見て、セレスは肩をすくめた。
「別に気にするなって…… やりたいようにやればいいって……」
アルはしばらく放心状態だったが、急にきゅっと口を引き結び思案するような表情になった。
そして半ば睨みつけるようにセレスに目を向けた。
「だったら行くぞ。公開見学」
「は?」
セレスは怪訝な目をアルに向けた。アルはこれしかないと言わんばかりに眉を釣り上げている。
「願書出しちゃえ! 公開見学に行けばこっちのもんだ。名前残るしな。どうせ『ライン』に入ったら全員寄宿舎だ。行くぞ!公開見学!」
セレスはあんぐりと口をあけてアルを見つめた。
こいつ、いつになく途方もないことを言う。
アルは力強くうなずくと、さっさと歩き始めた。セレスは慌ててあとを追った。
「無理だよ。おれ、『ライン』の試験受けるような勉強してないよ」
不安そうに言うセレスを見て、アルはにやりと笑ってみせた。
「あと半年ある。任せなさい」
セレスは呆然としてアルを見た。
「任せなさいって…… おれの家庭教師でもするつもり?」
「そうです」
アルは鼻から息を吹き出した。
「だてに成績がいいわけじゃない。スクール最後の締めくくりだ。 ちょうどいいさ。だから一緒に行くんだぜ、公開見学」
「だけど、保護者の同意がいるんだ。叔母さん説得するの難しいよ」
「ハルドさんにサインしてもらえばいいじゃないか! 『中央塔』の指揮官だぜ? こっちでは一緒に住んでる。保護者で通らないはずないよ! 何よりセレスはどうしたいの?」
ぴしゃりと言い放ったアルの言葉にセレスは思わず足をとめた。
アルが振り返ると、セレスは緑色の目を大きく見開いていた。
ああ、この目。
いつもいったい何を見ているんだろうと思うくらい遠い視線の目。
ぼくはだからセレスに惹かれるんだ。
アルは黙ってセレスの顔を見つめ返した。
「おれ、このまま『コリュボス』にいたいんだ」
セレスは言った。
「地球みたいに季節も何もないけど、ここ、好きだよ。アルみたいな友だちもできたし」
その言葉はアルにとって何より嬉しいものだった。
「叔母さん…… きっと分かってくれるよ。きっと何もかもうまくいくさ」
「そうだね」
言葉に出すと叶うような気がした。
この時はそう信じていた。
おとなになっても親友でいられるからと。
アルがテストのあとの成績発表以外で話題になることなど初めてだ。
セレスとアルは成績だけでなく、見た目も全く正反対だった。
ぱっとしない地味な顔だちに太めでおっとりした雰囲気のアルと、こぼれ落ちそうな大きな緑色の目を持つ痩せっぽちのセレス。
ふたりの共通点といえば揃って周囲からは敬遠されているという点だけだったかもしれない。
それでもアルはセレスのことを気に入っていた。
セレスはアルにつきあって図書館に行くと、アルが何度も声をかけても気づかないほど本を読むことに熱中した。
家に呼ぶと目を輝かせてアルのコンピューターに触った。
「いいなあ、アルはこんなの持ってて。最新式じゃん」
とつぶやきつつ、一度教えればあっという間にその操作を覚えてしまう頭の回転の早さや記憶力は一緒にいなければ分かりえなかった。
アルはそんなセレスを尊敬したし、セレスと友だちであることに誇りを持った。
不思議だったのはこれほど頭のいい彼がどうして授業中には居眠りばかりしてしまい、成績を奈落の底へと落してしまうのかということだった。
いつもエネルギー全開でテストに挑み、満点を取るアルにとってはそこだけは理解できなかった。
噂はいつしか飽きられ、ふたりのことなど誰も興味を持たなくなるのにさほど時間はかからなかった。
規則正しく退屈なスクールの生活の中でふたりは放課後行動をともにするというささやかな幸せを共有し、気づかないうちに3年の時間が過ぎていた。
もう、セレスはアルにとっていないことのほうが不自然なくらいの存在になっていた。
セレスにとってもきっとそうだろう。
放課後になってアルを教室まで迎えに来るのはいつもセレスのほうだ。
セレスは両親とは幼い頃に事故で死別し、叔母夫婦に引き取られて育ったこと、今は10歳年上の兄と暮らしているということはつき合っているうちに自然と分かってきた。
セレスの兄ハルド・クレイは『コリュボス』で軍管轄の警務指揮官を務めている。
若干23歳で指揮官というからにはきっと優秀な人であるに違いない、とアルは思ったが、ほとんど家に戻らないのでセレスはひとり暮らしをしているも同然だった。
食べることや洗濯はすべて機械任せだったが、セレスの家に行くとさすがにきれいとは言いがたかった。
「時々兄さんが抜き打ちで連絡してくるから焦るよ」
セレスは笑った。
「だから、画面に映る周りだけはきれいにしとくんだ」
確かに通信用のカメラに映り込む範囲だけは小器用に整とんされている。
そこまでするなら全部片付けろよ、とアルはリビングのソファの上や床に散らばった紙や衣類を見て苦笑する。
きれい好きのアルの母親が見たらきっと卒倒するに違いない。
アルの母親は当初自分の息子が小汚い風貌の少年と仲良くすることを快く思っていなかった。
ましてやセレスの成績が下から数えたほうが早いと知った日には全身全霊でセレスには近づくなと説得にかかった。
しかし、ひょんなことからセレスの兄が類い稀な出世で指揮官になっていることを知ってからはコロリと態度を変えた。
『中央塔』勤めのエリートであるという面に惹かれたのだろう。
『コリュボス』の中枢を担う『中央塔』での仕事に就くことは一流ステイタスでもあったのだ。
アルはそんな母親を苦々しく思ったが、母親に面と向かって意見できない自分が情けなかった。
セレスの兄のハルド・クレイにはセレスの家に遊びに行ったときに一度だけ画面越しに会ったことがある。
セレスの言っていた「抜き打ち」の連絡だ。
「兄さん、おれの一番の友だちなんだ」
セレスが得意そうにアル前に押しやるのでアルは顔を真っ赤にした。
「やめろよ、セレス」
そう言いつつ、アルは「一番の」と言われたことにまんざらでもなかった。
「仲良くしてくれて感謝するよ。わがままなやつだけど、よろしく頼むよ」
「いえ、あの……」
いつもそつのない返事をするアルはこれまで接したことのない相手にしどろもどろになった。
画面の向こうのハルド・クレイは、広い肩に鼻梁の高い精悍な顔の青年だった。
整った顔立ちはアルの母親が見たらきっと歓喜のあまり卒倒するに違いないほど十分な気品をたたえていた。
藍色の目も厳しく引き締まった口元も恐そうだが、セレスを見るときは優し気にほころぶ。
セレスは大切に思われているんだな、とアルは兄弟のいない自分をちょっぴり哀れんだ。
そしてジュニア・スクール最後の年になった。
季節のない『コリュボス』で、唯一変わり目と子供たちが実感するのは学年の修了時だ。
緊張と期待とが折り混ざった落ち着きのない時期だ。
子供たちは3歳から『ジュニア・スクール』に入り13歳で修了する。
その後はそれぞれのプロフェッショナルを目指す。
希望の進路に進むときには試験がある職種もあり、希望進路に合った成績をおさめている者は『ジュニア・スクール』から推薦状を発行してもらえる。 これによって試験が免除になることもあった。
アルとセレスの周りでも話題と言えばスクール修了後の進路についてのことばかりだった。
なかには卒業してからゆっくり考えるさ、という自信家もいたが、 9割の子供たちはスクール終了と同時にそれぞれの道に向かって旅立っていく。
ふたりはとりたてて将来のことを具体的に話し合ったことはなかった。
避けていたといってもいい。離れてしまうことを実感するのが恐いからだ。
アルはできればずっとセレスと一緒にいたかった。
しかしそれはいくらなんでも不可能だ。いつかはそれぞれの道に進むしかない。
「ぼくさ……」
アルは思いきって口を開いた。図書館に向かういつもの道だった。
「今日、推薦状もらったよ」
「へえ」
セレスがアルの顔をまじまじと見た。
「よかったじゃん。お父さんとおんなじ医者になるの?」
「ううん」
アルはかぶりを振った。
「ラ、『ライン』の情報管理士養成科…… に行くんだ」
アルの顔は真っ赤になった。
なんだか照れくさかった。 『中央塔』の『ライン』に進むことは子供たちの間でも憧れの分野だった。
『中央塔』にからむ進路に進むと上ランクの生活が期待できる。
「恥ずかしいからほかで言わないでよ」
「恥ずかしいことなんかないよ」
セレスは笑った。
「アルはコンピューター関係で最先端に進むんだろうなって思ってたよ」
アルはそれを聞いて照れくさそうに顔をくしゃくしゃにした。
「セレスは?」
尋ねたとたんにセレスの顔が曇った。そしてアルから目をそらせた。
「うん……」
アルは目を細めてセレスを見た。
「なに?」
アルはセレスの顔を覗き込んだ。
セレスが目をそらすときはたいがい何か知られたくないことがある証拠だ。
アルが貸してやった本を汚したときもそうだった。
「またなにか、ぼくに隠してる?」
アルの言葉にセレスは困ったように笑みを見せた。
「隠すつもりはなかったんだ。まだ迷ってたから」
セレスは肩をすくめ、すぐそばを通り抜けていった浮遊型のバイク『ヴィルモータル(ヴィル)』、にちらりと目を向けた。
「あのさ…… 叔母さんが…… ジュニア・スクールを修了したら地球に戻って来いって言ってるんだ」
「え?」
顔から血の気が引くのをアルは感じた。
「地球に…… 帰っちゃうの? なんで?」
「まだ決めてないよ」
セレスはアルがパニックを起こさなければいいな、と思いながら答えた。
アルはたまに過呼吸を起こすことがある。この一年起こっていないから大丈夫だろうと思うけれど。
「叔母さんは軍関係の仕事って昔から嫌いなんだよ。ここにこのままいたら兄さんと同じ方向に進んでしまうからほっとけないってさ」
「軍関係って…… じゃあ、ぼくと同じ『ライン』に行かなくちゃいけないじゃん。 セレスはそっちに進みたいの?」
さっきと打って変わってアルの顔に光が差した。
「あ、あのさ、だったらちょうどいいじゃん、一週間後に『ライン』の見学会があるんだ。一緒に行こうよ」
「でも、何の書類も出してないよ」
セレスは苦笑して額に垂れかかった緑の髪をかいた。
「それに叔母さん、許してくれっこない」
「なんでさ!」
アルは憤慨したように言った。
「お兄さんは許してもらったんだろ? 願書出すときに保護者の同意がいるよ。セレスだけなんでだめなんだよ!」
セレスは困ったな、というようにアルを見た。
「ぼく、やだよ…… 地球に帰っちゃったら、会えなくなるかもしれないじゃないか……」
とうとうアルは涙声になった。
「こんなとこで泣くなよ…… まだ決めてないって言ってんだろ」
セレスは慌てて周囲を見回してアルをなだめた。だがふたりに気をとめる通行者など誰もいない。
みんなそれぞれの用事で頭が一杯らしく、立ち止まるふたりをどんどん追いこしていく。
「どのみちスクール卒業したら別々になるんだから一緒だろ」
「物理的に違うよ!」
アルらしい抗議だった。セレスは思わず笑いをこらえた。
「笑うなよう。ぼくはショック受けてんだぞ!」
セレスの顔を見咎めてアルは余計に泣き出しそうな顔をした。
「あのさ、兄さん、トリプルプラスなんだよ」
セレスは静かにアルに言った。
「叔母さんが帰って来いって言ってる理由はそれもあるんだ」
アルはぽかんと口をあけ、そしてがっくりと肩を落した。
歩道の石畳みがじわりと涙でにじんだ。
トリプルプラス。子供を90%以上の確率で作ることができる貴重な人間。
25歳までに最低シングルプラスランクの相手と結婚して子孫を残すよう言われている人種。
セレスもアルも『ジュニア・スクール』修了と同時にこの検査を受けなければならない。
トリプルプラスからトリプルマイナスまでの7ランクに分けられているが、ゼロポイントから上になると公費で治療を受けることができる。生活の保障もある。
子供を作ることができるかできないかでランク分けされることには長い間論争が起こっているが、そうでもしなければ人口の減少が食い止められなかった。
「叔母さんはおれが兄さんと一緒にいると兄さん結婚できないからって言ってるんだ」
「お兄さんはなんて言ってるの?」
言い募る涙声のアルを見て、セレスは肩をすくめた。
「別に気にするなって…… やりたいようにやればいいって……」
アルはしばらく放心状態だったが、急にきゅっと口を引き結び思案するような表情になった。
そして半ば睨みつけるようにセレスに目を向けた。
「だったら行くぞ。公開見学」
「は?」
セレスは怪訝な目をアルに向けた。アルはこれしかないと言わんばかりに眉を釣り上げている。
「願書出しちゃえ! 公開見学に行けばこっちのもんだ。名前残るしな。どうせ『ライン』に入ったら全員寄宿舎だ。行くぞ!公開見学!」
セレスはあんぐりと口をあけてアルを見つめた。
こいつ、いつになく途方もないことを言う。
アルは力強くうなずくと、さっさと歩き始めた。セレスは慌ててあとを追った。
「無理だよ。おれ、『ライン』の試験受けるような勉強してないよ」
不安そうに言うセレスを見て、アルはにやりと笑ってみせた。
「あと半年ある。任せなさい」
セレスは呆然としてアルを見た。
「任せなさいって…… おれの家庭教師でもするつもり?」
「そうです」
アルは鼻から息を吹き出した。
「だてに成績がいいわけじゃない。スクール最後の締めくくりだ。 ちょうどいいさ。だから一緒に行くんだぜ、公開見学」
「だけど、保護者の同意がいるんだ。叔母さん説得するの難しいよ」
「ハルドさんにサインしてもらえばいいじゃないか! 『中央塔』の指揮官だぜ? こっちでは一緒に住んでる。保護者で通らないはずないよ! 何よりセレスはどうしたいの?」
ぴしゃりと言い放ったアルの言葉にセレスは思わず足をとめた。
アルが振り返ると、セレスは緑色の目を大きく見開いていた。
ああ、この目。
いつもいったい何を見ているんだろうと思うくらい遠い視線の目。
ぼくはだからセレスに惹かれるんだ。
アルは黙ってセレスの顔を見つめ返した。
「おれ、このまま『コリュボス』にいたいんだ」
セレスは言った。
「地球みたいに季節も何もないけど、ここ、好きだよ。アルみたいな友だちもできたし」
その言葉はアルにとって何より嬉しいものだった。
「叔母さん…… きっと分かってくれるよ。きっと何もかもうまくいくさ」
「そうだね」
言葉に出すと叶うような気がした。
この時はそう信じていた。
おとなになっても親友でいられるからと。