「いいのか、あんなこと言って……」
ライブラリの外に立っていたアシュアがカインに言った。
「こっちから挑発しちゃまずいんじゃないの」
「さあ…… どうなるかな」
カインはつぶやいた。
「ケイナは?」
カインが尋ねるとアシュアは小さく頷いた。
「部屋に戻った。今日はもう寝るつもりだろ」
アシュアは答えた。
「やれやれ、もうすぐ久々の休暇が来ると思うと嬉しいよ」
「休暇か……」
カインは目の前に霧がかかったような気がしたが、アシュアにはそれを言わなかった。
新入生たちにとって休暇は多忙な毎日の中で半分忘れかけていたものだった。
彼らは休暇が明けてすぐに半期のテストがあるにもかかわらず、休みの間の計画をたてることに熱中した。
「休暇中はノースタウンのコテージに行ってもいいって言われたんだ」
ダイニングでアルが上気した顔でセレスとトニに言った。
いつもは疲れ切って食事中話しをすることもなかったロウラインのダイニングがいつになく騒がしい。みな休暇のことで浮き足だっているようだ。
「きみたちも一緒に行こうよ。友だちを連れて行っていいって父さんは言ってるんだ」
「コテージなんか持ってるの? きみんちお金持ちなんだ」
トニは感心したように言った。
「別にそんなんじゃないよ。普段は人に貸したりしてるんだ。今は誰も使ってないから」
アルは興奮しきっている。
「ね、ひさしぶりに羽を伸ばそう。セレスはどうせ戻ったってひとりだろ?」
「おれ、兄さんに会うんだ。兄さんも二日だけなら休暇とれるって言ってたし。それからで良かったら行くよ」
セレスはフォークに刺したアスパラガスをぱくりと口に入れながら答えた。
「ぼくは一度地球に戻らなくちゃ」
トニも言った。アルががっかりした顔をしたので慌ててつけ加えた。
「でも一週間たったらこっちに戻るから、それから行くよ。休暇は二週間あるから充分楽しめるさ」
「じゃあ、あとで住所教えるから、きっと来てくれよ」
アルは念を押すようにふたりに言った。
(休暇か……)
セレスも教官から通達があるまでそのことをすっかり忘れていた。
(ケイナはどうするんだろう)
前にどこかでケイナは一人暮らしをしていると聞いた。誰もいないたったひとりの家に帰るのだろうか……。
一瞬ケイナも誘いたいと思ったが、あまりにも突拍子もない考えに思わず苦笑して首を振った。
あのケイナが来るはずがないではないか。ましてやアルのコテージに。
休暇までの一週間は時間のたつのがのろのろと遅く、それでもしばらくはこの過酷な生活から解放されるのだという希望は誰にとっても甘美きわまりなかった。
あのジュディでさえ機嫌良さそうにみえる。
セレスは兄には休暇三日前に一度連絡を入れた。
画面の向こうの兄はほんの十秒も続けてセレスと話を続けることができなかった。少し話すとすぐにどこからか別の通信が入ってそれに出なければならなくなるのだ。
「すまない、セレス。今日、五隻貨物船が来たんだ。予定より早かったうえに登録していない乗員と積み荷を山ほど持ってきてやがる。とりあえず、アパートに自分で戻ってろ。夕方には帰れるから」
ハルドはすまなさそうに言った。そう言っている間にも向こうで呼び出しの音が鳴っている。
「分かってる。兄さん、頑張って」
セレスは言った。ハルドはかすかに笑みを浮かべたあと、仕事に入った時の厳しい表情を画面にちらりと残して消えた。セレスはため息をついた。
もしかしたら兄は休暇を取れないかもしれない、と思ったからだ。でも、そうなればアルの待っているコテージに行けばいい。
アルとノースタウンのコテージで過ごす休暇はきっと楽しいだろう。
休暇の朝は午前八時には中央塔を出なければならないため、訓練生たちは慌ただしく帰宅の荷物をまとめた。
ジュディは何にも言わずにいつの間にか部屋を出て行ったようだ。
トニは大きなバックを手にセレスのブースを覗き込んだ。
「地球行きの船が九時なんだ。空港に行ってからチケットを買うからもう出るよ。アルに必ず行くからって言っといて」
「うん。分かった」
セレスは荷物をまとめながら答えた。トニはにっこり笑うと最後にケイナのブースに向かって 「行ってきます」と声をかけた。
「ちゃんと戻って来いよ」
ケイナが返事をするのが聞こえた。あまりにもめずらしいことだった。普段こんな物言いは絶対しないからだ。トニが仰天した顔をしているのを想像してセレスは笑いをこらえた。
ケイナは自分では気がついていないかもしれないが、ここで顔を合わせた当初に比べればトニやセレスに自分から声をかけることや笑顔を見せることが多くなっていた。
トニとセレスが時々ふざけて笑い合っていると、腕組みをしてブースから顔を覗かせ 「いい加減にしろよ。うるせえだろ」と言ったこともあった。しようがない奴らだな、という笑みがかすかに浮かんだ表情だった。
人のカリキュラムに影響を及ぼすようなことをすると二、三発殴るだけではすまされないぞ、と言った最初の言葉はいったいどうしたのだ、という感じだ。
ただ、ケイナはジュディにはあまり声をかけない。彼もジュディは苦手なのかもしれなかった。
「ケイナ」
最後の荷物をバッグに詰め込んだあと、セレスは何気ないふうを装ってパーティションの向こうのケイナに声をかけた。
ケイナは返事をしなかった。
セレスはバッグを持つと、ケイナのブースの入り口に回って中を覗き込んだ。
彼は古びたカーキ色のズボンに白いシャツをはおっていた。 トレーニングウエア以外の初めて見るケイナの姿かもしれない。
ベッドに腰かけて足をあげ、ブーツの紐を結んでいる。うつむいた横顔に金色の髪が鼻の頭まで垂れかかっていた。
「ケイナ」
セレスは再び声をかけた。
「なんだよ」
ケイナは顔もあげずにぶっきらぼうに答えた。いつものケイナの態度だ。
「休暇中はどうするの」
セレスは言った。
ケイナは結び終えた足を下し、もう片方に手をかけた。
「別に…… 家に戻って寝る」
当たり前だと言わんばかりだ。
「予定、何にもないの?」
「おまえの知ったこっちゃないだろ」
すぐに素っ気無い返事がかえってきた。
「カインとアシュアは?」
「知らねえよ。地球に戻るんだろ」
カインはいつもケイナのそばにいるって言ってたのに……。
でも、休暇ならしかたがないのかもしれない。
ケイナはベッドから立ち上がるとデスクの上の数冊の本を取り上げた。それが最後の荷物らしい。
「アシュアはいつも四、五日たったらこっちに戻ってきて、おれんちに転がり込んで来る。 まあ、おれは半分迷惑、半分有り難いけど」
ケイナはセレスに顔を向けずに言った。
セレスの怪訝な顔を感じたのか、ケイナはちらりと振り返ってかすかに笑みを浮かべた。
「あいつは、メシ作れるからな」
セレスは思わず吹き出した。アシュアのあの大きな体つきで、いったいどんな料理を作るというのだろう。
「あいつのメシはけっこういけるぜ。ラインをドロップアウトしたらコックにでもなれるんじゃないか」
今日はケイナの貴重な冗談の連発だ。セレスは顔をほころばせた。
「おれ、アシュアとは話ししたことないから想像つかないけど、おれも11歳の時からずっと一人暮らしだからメシ作ってもらえる気持ち分かるよ」
忘れものはないか調べるようにブースを見回すケイナにセレスは言った。ケイナは一瞬動作をとめたあと、セレスを振り向いた。
「11歳の時から?」
「地球から兄さんとふたりでこっちに来たんだけど、兄さんはあんまり帰って来れないんだ。食事はいつも叔母さんがプログラムしておいたものをディナーメーカーが作ってた」
「……」
ケイナは何も言わずにセレスに背を向けた。セレスの頭にふとひらめいたものがあった。
「ケイナ」
この思いつきがとてもいいものに思えた。そして今はとてもいいタイミングだと思った。
「どうせ何も予定がないんなら、おれんちに来ない?」
「え?」
ケイナが訝し気な目を向けた。
「久しぶりに兄さんと会うんだ。一緒にメシ食おうよ」
「冗談じゃない」
ケイナは即座にそう言い、眉をひそめた。
「なんでおまえの兄貴とメシ食わなきゃならないんだよ」
「ひとりでいるよか、いいよ」
セレスはそう言うと、デスクの上にヴィルのキイがあることをすばやく見てとり、あっという間にそれをひったくっていた。
「この……!」
ケイナはセレスに険しい目を向けた。
「おれ、下で待ってるよ!」
セレスはケイナが罵声を浴びせようとする前に身を翻して部屋を飛び出した。
ケイナは唇を噛んでそれを見送ると、腹立たし気にデスクを蹴飛ばした。そのすぐあとにアルがおずおずと顔を覗かせたことをセレスは知らなかった。
「あ、あの……」
アルはおそるおそるケイナの後ろ姿に声をかけた。
「セ、セレスは……」
とたんにケイナの怒りに燃えた視線に直撃されてアルは慌てて部屋を飛び出した。
「やだなあ、もう…… 先に帰っちゃったのかな……」
アルはぶつぶつつぶやきながら荷物を取りに自分の部屋に戻った。
ライブラリの外に立っていたアシュアがカインに言った。
「こっちから挑発しちゃまずいんじゃないの」
「さあ…… どうなるかな」
カインはつぶやいた。
「ケイナは?」
カインが尋ねるとアシュアは小さく頷いた。
「部屋に戻った。今日はもう寝るつもりだろ」
アシュアは答えた。
「やれやれ、もうすぐ久々の休暇が来ると思うと嬉しいよ」
「休暇か……」
カインは目の前に霧がかかったような気がしたが、アシュアにはそれを言わなかった。
新入生たちにとって休暇は多忙な毎日の中で半分忘れかけていたものだった。
彼らは休暇が明けてすぐに半期のテストがあるにもかかわらず、休みの間の計画をたてることに熱中した。
「休暇中はノースタウンのコテージに行ってもいいって言われたんだ」
ダイニングでアルが上気した顔でセレスとトニに言った。
いつもは疲れ切って食事中話しをすることもなかったロウラインのダイニングがいつになく騒がしい。みな休暇のことで浮き足だっているようだ。
「きみたちも一緒に行こうよ。友だちを連れて行っていいって父さんは言ってるんだ」
「コテージなんか持ってるの? きみんちお金持ちなんだ」
トニは感心したように言った。
「別にそんなんじゃないよ。普段は人に貸したりしてるんだ。今は誰も使ってないから」
アルは興奮しきっている。
「ね、ひさしぶりに羽を伸ばそう。セレスはどうせ戻ったってひとりだろ?」
「おれ、兄さんに会うんだ。兄さんも二日だけなら休暇とれるって言ってたし。それからで良かったら行くよ」
セレスはフォークに刺したアスパラガスをぱくりと口に入れながら答えた。
「ぼくは一度地球に戻らなくちゃ」
トニも言った。アルががっかりした顔をしたので慌ててつけ加えた。
「でも一週間たったらこっちに戻るから、それから行くよ。休暇は二週間あるから充分楽しめるさ」
「じゃあ、あとで住所教えるから、きっと来てくれよ」
アルは念を押すようにふたりに言った。
(休暇か……)
セレスも教官から通達があるまでそのことをすっかり忘れていた。
(ケイナはどうするんだろう)
前にどこかでケイナは一人暮らしをしていると聞いた。誰もいないたったひとりの家に帰るのだろうか……。
一瞬ケイナも誘いたいと思ったが、あまりにも突拍子もない考えに思わず苦笑して首を振った。
あのケイナが来るはずがないではないか。ましてやアルのコテージに。
休暇までの一週間は時間のたつのがのろのろと遅く、それでもしばらくはこの過酷な生活から解放されるのだという希望は誰にとっても甘美きわまりなかった。
あのジュディでさえ機嫌良さそうにみえる。
セレスは兄には休暇三日前に一度連絡を入れた。
画面の向こうの兄はほんの十秒も続けてセレスと話を続けることができなかった。少し話すとすぐにどこからか別の通信が入ってそれに出なければならなくなるのだ。
「すまない、セレス。今日、五隻貨物船が来たんだ。予定より早かったうえに登録していない乗員と積み荷を山ほど持ってきてやがる。とりあえず、アパートに自分で戻ってろ。夕方には帰れるから」
ハルドはすまなさそうに言った。そう言っている間にも向こうで呼び出しの音が鳴っている。
「分かってる。兄さん、頑張って」
セレスは言った。ハルドはかすかに笑みを浮かべたあと、仕事に入った時の厳しい表情を画面にちらりと残して消えた。セレスはため息をついた。
もしかしたら兄は休暇を取れないかもしれない、と思ったからだ。でも、そうなればアルの待っているコテージに行けばいい。
アルとノースタウンのコテージで過ごす休暇はきっと楽しいだろう。
休暇の朝は午前八時には中央塔を出なければならないため、訓練生たちは慌ただしく帰宅の荷物をまとめた。
ジュディは何にも言わずにいつの間にか部屋を出て行ったようだ。
トニは大きなバックを手にセレスのブースを覗き込んだ。
「地球行きの船が九時なんだ。空港に行ってからチケットを買うからもう出るよ。アルに必ず行くからって言っといて」
「うん。分かった」
セレスは荷物をまとめながら答えた。トニはにっこり笑うと最後にケイナのブースに向かって 「行ってきます」と声をかけた。
「ちゃんと戻って来いよ」
ケイナが返事をするのが聞こえた。あまりにもめずらしいことだった。普段こんな物言いは絶対しないからだ。トニが仰天した顔をしているのを想像してセレスは笑いをこらえた。
ケイナは自分では気がついていないかもしれないが、ここで顔を合わせた当初に比べればトニやセレスに自分から声をかけることや笑顔を見せることが多くなっていた。
トニとセレスが時々ふざけて笑い合っていると、腕組みをしてブースから顔を覗かせ 「いい加減にしろよ。うるせえだろ」と言ったこともあった。しようがない奴らだな、という笑みがかすかに浮かんだ表情だった。
人のカリキュラムに影響を及ぼすようなことをすると二、三発殴るだけではすまされないぞ、と言った最初の言葉はいったいどうしたのだ、という感じだ。
ただ、ケイナはジュディにはあまり声をかけない。彼もジュディは苦手なのかもしれなかった。
「ケイナ」
最後の荷物をバッグに詰め込んだあと、セレスは何気ないふうを装ってパーティションの向こうのケイナに声をかけた。
ケイナは返事をしなかった。
セレスはバッグを持つと、ケイナのブースの入り口に回って中を覗き込んだ。
彼は古びたカーキ色のズボンに白いシャツをはおっていた。 トレーニングウエア以外の初めて見るケイナの姿かもしれない。
ベッドに腰かけて足をあげ、ブーツの紐を結んでいる。うつむいた横顔に金色の髪が鼻の頭まで垂れかかっていた。
「ケイナ」
セレスは再び声をかけた。
「なんだよ」
ケイナは顔もあげずにぶっきらぼうに答えた。いつものケイナの態度だ。
「休暇中はどうするの」
セレスは言った。
ケイナは結び終えた足を下し、もう片方に手をかけた。
「別に…… 家に戻って寝る」
当たり前だと言わんばかりだ。
「予定、何にもないの?」
「おまえの知ったこっちゃないだろ」
すぐに素っ気無い返事がかえってきた。
「カインとアシュアは?」
「知らねえよ。地球に戻るんだろ」
カインはいつもケイナのそばにいるって言ってたのに……。
でも、休暇ならしかたがないのかもしれない。
ケイナはベッドから立ち上がるとデスクの上の数冊の本を取り上げた。それが最後の荷物らしい。
「アシュアはいつも四、五日たったらこっちに戻ってきて、おれんちに転がり込んで来る。 まあ、おれは半分迷惑、半分有り難いけど」
ケイナはセレスに顔を向けずに言った。
セレスの怪訝な顔を感じたのか、ケイナはちらりと振り返ってかすかに笑みを浮かべた。
「あいつは、メシ作れるからな」
セレスは思わず吹き出した。アシュアのあの大きな体つきで、いったいどんな料理を作るというのだろう。
「あいつのメシはけっこういけるぜ。ラインをドロップアウトしたらコックにでもなれるんじゃないか」
今日はケイナの貴重な冗談の連発だ。セレスは顔をほころばせた。
「おれ、アシュアとは話ししたことないから想像つかないけど、おれも11歳の時からずっと一人暮らしだからメシ作ってもらえる気持ち分かるよ」
忘れものはないか調べるようにブースを見回すケイナにセレスは言った。ケイナは一瞬動作をとめたあと、セレスを振り向いた。
「11歳の時から?」
「地球から兄さんとふたりでこっちに来たんだけど、兄さんはあんまり帰って来れないんだ。食事はいつも叔母さんがプログラムしておいたものをディナーメーカーが作ってた」
「……」
ケイナは何も言わずにセレスに背を向けた。セレスの頭にふとひらめいたものがあった。
「ケイナ」
この思いつきがとてもいいものに思えた。そして今はとてもいいタイミングだと思った。
「どうせ何も予定がないんなら、おれんちに来ない?」
「え?」
ケイナが訝し気な目を向けた。
「久しぶりに兄さんと会うんだ。一緒にメシ食おうよ」
「冗談じゃない」
ケイナは即座にそう言い、眉をひそめた。
「なんでおまえの兄貴とメシ食わなきゃならないんだよ」
「ひとりでいるよか、いいよ」
セレスはそう言うと、デスクの上にヴィルのキイがあることをすばやく見てとり、あっという間にそれをひったくっていた。
「この……!」
ケイナはセレスに険しい目を向けた。
「おれ、下で待ってるよ!」
セレスはケイナが罵声を浴びせようとする前に身を翻して部屋を飛び出した。
ケイナは唇を噛んでそれを見送ると、腹立たし気にデスクを蹴飛ばした。そのすぐあとにアルがおずおずと顔を覗かせたことをセレスは知らなかった。
「あ、あの……」
アルはおそるおそるケイナの後ろ姿に声をかけた。
「セ、セレスは……」
とたんにケイナの怒りに燃えた視線に直撃されてアルは慌てて部屋を飛び出した。
「やだなあ、もう…… 先に帰っちゃったのかな……」
アルはぶつぶつつぶやきながら荷物を取りに自分の部屋に戻った。