「西にあるドームで整備と燃料チェックをして待機してます。帰るときにはまた呼んでください」
 『人の島』に着陸したあとジュディは言った。カインはうなずいて、持って来た防寒着をとりあげた。夏の終わりとはいえ、気温はもう氷点下だ。
「ありがとう。感謝するよ」
 差し出したカインの手を、ジュディは嬉しそうに握り返した。
「結果…… ぼくにも教えてくださいね」
 ためらいがちに言うジュディにカインはかすかに笑みを浮かべてみせた。
「分かった」
 ジュディには何も話していなかったが、きっとトニとコンタクトしたときにいろいろ聞いたのだろう。それ以上に自分に直接聞いて来ないのは彼の社会勉強の賜物かもしれない。
 船を降りると、ジュディはすぐに飛び立っていった。
 カインは1キロほど先で作業している様子をしばらく見つめ、停泊している黒い軍機に近づいていった。しばらく歩くとユージーが降りて来るのが見えた。
「えらく年代物に乗って来たんだな」
 ユージーはカインに手を差し出して笑いながら言った。
「手段がないなら迎えに行かせたのに」
「あの船に乗って来たかったんだ」
 カインはユージーの手を握り返して答えた。ユージーは再び笑った。
 彼は相変わらず黒い髪を伸ばして肩に垂らしている。カインのように組織のトップに立ったからといってスーツを着る気はないらしい。昔から好んで着ていた軍仕様の黒づくめの姿だった。
「痩せたな」
 軍機の中に促しながら言うユージーにカインはうなずいて笑った。
「痩せもします。毎日戦争みたいで。重役からはどやされるしね」
「それはこっちも同じだよ。それでも、今そっちにいる人たちは元からリィにいて、リィに残ることを決意した人たちだ。新しい社長にしっかりしてもらおうと必死なんだろ」
 こんなふうにユージーと話すことがあるなど思ってもみなかった。
 人懐こい表情だった父親と違い、ユージーはどちらかといえば厳しい顔つきだ。
 何も知らないと怖い人間に見えるが、話すと父親譲りの人懐こさが垣間見える。
「あとでまた詳しく言うつもりなんだが……」
 ユージーは軍機の扉を開きながら言った。
「出資の関係で慌ただしく業務分離してしまったんだが、もう一度見直しをしたほうがいいと思ってるんだ」
「見直し?」
 カインは目を細めてユージーを見た。
「得意分野の違いだよ。リィは医学や科学の方面が基盤になってる。カートは運輸や建設技術それと軍関係。おやじも経営のことより軍関係の仕事にシフトしてた。おれもそっちのほうが性に合ってるんだ。医療施設や研究所の運営に長ける人材育成はたぶんそっちのほうが得意だろう」
 ユージーはカインの顔を見た。
「そのあたりを鑑みてもう一度見直しをしたほうがいいとおれは思うんだ。場合によっては提携でもいい。そっちの子会社に移行させる決心もついてるよ」
 そう言って軍機に入るユージーのあとにカインは続いた。
 数人乗りでない軍機の中に入るのは初めてだった。かなり広い。ユージーはドアの閉まった部屋の前で立ち止まった。
「ちょっと会わせたい人がいる」
「え?」
 かすかに思わせぶりな笑みを浮かべるユージーの顔をカインは怪訝そうに見た。そして彼が開いて促すドアの向こうに足を踏み入れて、そのまま立ちすくんだ。
「アシュア……」
 そうつぶやいた次の瞬間には、アシュアの大きな腕が自分の肩をがっしりと抱くのを感じた。
「悪い! おれのほうから行けば良かったんだけど、動けなかったんだ……」
 呆然としているカインにアシュアは顔を上気させながら言った。
 アシュア…… 生きてたんだ…… 良かった。
 少し痩せたように思えたが、燃えるように赤く強烈なくせっ毛も、人懐っこそうに笑う口元も、以前のアシュアと変わらなかった。その安堵に思わず足から力が抜けた。
「おっと……!」
 慌てて自分を支えるアシュアの腕の向こうから突き出された小さな手を見てカインはぎょっとした。
「アー」
「お兄ちゃんよ」
 子供の声とともに、リアの声が聞こえた。 顔をあげると、リアが小さな男の子を抱いて笑って立っていた。
 肩まで垂らしていた髪は結い上げられていたが、彼女も少し泣き出しそうな顔で笑う表情は変わっていなかった。
「え……」
 カインは状況がよく飲み込めずに、自分に差し出された手をただ見つめていた。
「もうひとりいるんだよ」
 アシュアはそう言うと身をかがめて、足元にまとわりついていたらしい女の子を抱き上げた。
「え……??」
 リアが自分の腕に押しつける男の子をカインは慌てて受け止めた。
 小さい……。小さい手。まだ一歳にもなっていないんじゃないだろうか。
「えへへ。子供できたんだ。」
 アシュアは照れくさそうに言った。
「えっ? リ、リアとの?」
「やあねえ。ほかに誰だっていうのよ」
 リアが言った。
 嘘だろ……。カインは自分の顔をぴたぴたと小さな手で叩く男の子を見た。確かにどことなくアシュアに似ている。女の子のほうは…… トリに…… いや、リアにそっくりだ。でも、この子もアシュアに似てる。双児……。
「ダイとブランよ。この子がダイ」
 リアはカインが抱く男の子の頬に触れて言った。
「ダイ……」
 つぶやくと、ダイは嬉しそうにカインを見て笑った。
 カインはユージーを振り返った。それに気づいたユージーは肩をすくめた。
「ケイナと約束をしたんだ。必ずアシュアを探すって。だいぶん時間かかったけどな」
「あたしのせいなの」
 リアが慌てて口を挟んだ。
「あたしたちのほうからあなたに会えばたやすいことだったの。 ……でも、ケイナたちのことを聞いて、あたし、しばらくだめだったの。それと出産やいろいろ重なっちゃって……」
「いいよ……」
 カインは泣き出しそうになるのを必死になってこらえた。
「すみません。ぼくは何もできなかった……」
「違うわ」
 リアは言った。
「地震を起こしたのは……」
「そういう話題はナシだぜ」
 ユージーが遮った。
「未来に役立つことをしよう」
 彼はそう言うと部屋の外を顎で示した。
「未来に役立つことを」

「夏で少し表面が溶けて氷の状態が不安定なのと、断層からまだ活動のエネルギーが微弱だが出てる。あまり大きな衝撃を与えられないんだ。下の箱を潰してしまう危険性もあるしな」
 計器類のひしめく部屋に3人を案内したユージーは言った。
「幾重にも重なった氷が邪魔をして今まで生体反応を取ることができなかった。やっと届く範囲まで来たから、細いセンサーを氷に突き刺してその先につけた装置で読んだんだ」
 部屋の中央の四角い天板の前に来て彼は自分の小指を突き立てた。
「これくらいの太さのチューブを氷を溶かしながらずっと中に入れていったんだよ」
 カインは緊張した面持ちで彼の顔を見た。
「解析情報をビジュアル化したものだ」
 ユージーは手元のスイッチを押した。
 四角い天板の上に細いラインが何本も走り、からみ合って少しずつ形を作っていく。
 やがて空中に浮かぶようにそれは具体的な形を成していき、数分後、4人とアシュアの子供たちは天板の上にぽっかりと浮かぶ 見覚えのあるふたりの姿を見た。
「マンマ!!」
 ダイがそれを指差して叫んだ。リアは震えながらダイを抱き締めた。
「あるんだ。生体反応が……。生きてる。ふたりとも」
 ユージーは3人の顔を交互に見て言った。
 カインは感覚のない足が自分の体を支えてくれないんじゃないかと思った。きっと自分は今、不格好なほど震えているだろう。だが、アシュアもリアも同じようなものだった。
「どうして…… あれから一年たつのに……」
 カインは思わず天板の端にしがみついてつぶやいた。
 ふたりの姿は一年前と同じだった。お互いにしっかりと抱き締めあい、人形のように白い肌と凍っている髪を除けば顔を寄せて幸せそうに眠っているように見える。
 夢の中で見た光景と同じだ。
「酸素がずっと供給されてるのと……」
 ユージーは一瞬口をつぐみ、再び続けた。
「断層が出すエネルギーの波長に合わせて…… 心臓が鼓動を打ってる。死なないぎりぎりのところで生命を維持してる。低い温度と酸素と…… いろいろ偶然が重なっているんだろうが…… 奇跡としか言いようがないよ」
「夢見たちが……」
 リアが震える声で言った。
「夢見たちが言ってたの。星に声をかけてるって」
 ユージーとカインはリアの顔を見た。
「星に声をかけてるって。あのときは何のことか分からなかった。でも、このことだったのかもしれない。……星はケイナたちを助けてくれたのよ」
 ユージーは口を引き結んでリアから目をそらせた。
 彼は非科学的なことを信じないタイプだ。
 祈りは確かにあったかもしれない。しかし、『ノマド』の夢見が地震を起こし、その後のふたりの保護を星の意志にゆだねるなどナンセンスだった。彼らが何らかの装置を使ったことをユージーは突きとめていたし、カインもそのことは薄々感じていた。そうでなければ、あれだけの規模の地震がいきなり起こるはずがない。
 それでも、生きていて欲しいという願いは…… 彼らだけでなく、みんなが心のどこかで密かに持っていたことだった。
 その願いが受け止められたのなら、何も言うまい……。
 ユージーがそう考えていることは、カインにも察しがついた。
「この環境の中で今生きているといっても、そう何ヶ月も何年ももつわけじゃない。同じように細いラインを差し込んで遠隔操作で彼らには医療処置を行いながら掘り起こして行く予定になってる」
 ユージーがそう言って自分の顔に目を移すのを感じてカインは彼の顔を見た。
「ふたりを助ける。プロジェクトは二度と行わないと約束できるか」
 カインはユージーの顔を見つめた。
「プロジェクトは一年前に…… 解散したよ」
 カインは答えた。