「ほら」
 こわばった表情のまま暗い外を睨みつけているカインに、ユージーは片手に持ったミネラルウォーターのボトルと補給食のスティックビスケットの袋を差し出した。もう片方の手には自分のものを持っている。
 カインはちらりと見て、いらない、と言おうとしたが結局黙って受け取った。
「あと二時間以上はかかるんだ。飲まず食わずじゃ体がもたないぞ」
 ユージーはカインの横に座って言った。
 腕につけたナビは『コリュボス』を離れると作動しなくなってしまった。いくらなんでも星間で読めるタイプではなかったらしい。
「星間艇が一機、『コリュボス』から強引に出発みたいだ。エアポートを経由せずに。裏の運び屋だな」
 ユージーはミネラルウォーターのボトルに口をつけてひとくち飲んで言った。
「出発してるってことは、乗り込んだってことだ」
 カインは無言で手に持ったボトルを睨みつけた。
「『ノマド』たちが運び屋と契約したことくらいはおれの耳に入ってたけど、とんでもねえよ」
 ユージーの言葉にカインは彼に目を向けた。ユージーはその顔をちらりと見て少し肩をすくめた。
「おれも知らなかったけど、『ノマド』に手出し無用っていう規則が軍にはあるんだぜ。もちろん裏規則。ただ、対外的に完全見逃しっていうのは治安を守る以上難しいから、ある程度の許容範囲はつけてる。違法移動については時間規則がある」
 ユージーは座席に身を沈めると前の座席の背を蹴った。座席が前に倒れたので、彼は足をそこに乗せた。
「プロジェクトの被害者…… そういう立場の人間なんだろうけど、あいつらの独自輸入も無許可だぞ。何が彼らにこんな自由を許す理由になるんだ? まあ…… 何となく分かるけどな。おれ、『ノマド』に一度行ったから」
 カインは行儀悪く伸ばされたユージーの足を見るともなしに眺めた。
「あんな集団意識の強い場所、恐ろしくて二度と行く気はしない。ケイナの顔を見たとき、あいつがあっちの人間だと思った。それが恐ろしくてあいつの利き腕を掴んだまま離すことができなかった」
 集団意識……。カインは目を横の窓に向けた。相変わらず真っ暗で何も見えない。
 確かに『ノマド』の結束力は生半可じゃない。たくさんの人間が集まれば集まるほど、それを統合するのはよほど統率力のある人間でなければ難しい。しかし、彼らは分岐しても意志の疎通ができる。同じ目的を共有して動くことができる。そんな彼らは自分たちの持つ他への脅威をはっきり認識していた。
「『ノマド』でのケイナの立場がよく分からないけど、あいつにはできる限りの情報を伝えて来た。頭のいいあいつならその情報を効果的に使う方法を考えるだろう」
 それを聞いたカインの目が訝し気に細められた。
「情報? なんの」
「クレイ指揮官の居場所と、おれの個人機のキイナンバー、『ホライズン』のセキュリティホールと使えそうなウィルスの保存先。ウィルスなんざ焼石に水かもしれんけどな。 あいつが万が一運び屋の船に乗れていなくても、おれの専用機にうまく辿り着いて動かせればあいつならどうにかして地球に来るよ」
「ケイナがどうして乗っていないって思うんだ?」
「50人いたんだよ。森の中に。おまえも見ただろ」
 ユージーは答えた。その言葉にカインは絶句した。
「腕に力のある『ノマド』の人間がケイナを助けに来れば情勢は変わっただろうが、そうでなければあいつひとりで50人を相手にするようなもんだ。運び屋の船の出発時間や停泊時間を逆算すりゃ、乗れたかどうかなんて神のみぞ知るだ」
「『ノマド』がケイナを見捨てるっていうのか?」
 そんな予見は全く出ていなかった。いや、待てよ。トリがいた。『ノマド』に行ってから予見らしき予見は何も見ていない。見えかけても…… 見えかけても全部トリが消していた……?
「地球に着けば、個人艇が『コリュボス』を出たかどうかだけは分かるよ」
 ユージーはつぶやくように言った。
 いったい何がどうなっているんだろう。『ノマド』はケイナの味方じゃなかったのか? アシュアやセレスはいったいどうなったんだ……。
「食えよ」
 ユージーは言った。
「次はいつ食えるか分からないぜ。着いたと同時に牢屋に放り込まれるかもしれないだろ?」
 カインは気乗りのしない様子でビスケットの袋をあけた。
 しっかりしなけりゃ……。みんな絶対助かってる。地球に来ている。それを信じないと。
 細いビスケットを口に入れるとビタミン臭い甘い味がした。
 地球に着いたら、とにかく『ホライズン』でやってることをやめさせるんだ。
 『ホライズン』…… 地平線…… 水平線か。なんでこんな名前をつけたんだか。
 目の端に何かがひっかかったような気がしたが、 意識を凝らそうとするとすぐに消えてしまった。
 それがトリが消した記憶であることも、カインには分からなかった。