「地球にいるエリドが渡し屋を使って船を飛ばした。こっちに着くのは2時間後です。今、みんな大慌てで荷物をまとめてる」
 リンクはトリに言った。トリはじっと座ったまま目を伏せて床を見つめている。
「エアポートを経由しないから、警告を受ける可能性がある。停船時間は30分しかない。間に合うかな……」
「間に合わなかったら、置いていく」
 トリの言葉にリンクはぎょっとした。
「見捨てる…… んですか? リアもいるんですよ?」
「動揺するなって言っただろ」
 トリは顔をあげてリンクを見た。
「二機目はもう飛ばない。乗るなら一度限り」
「彼らを置いていったりしたら……」
 トリが目をそらせてしまったので、リンクはそれ以上言い募ることができなかった。
(さあ…… 来い)
 トリは心の中でつぶやいた。

 カインは促されてエアポートに停めてある小さな専用機に乗った。一緒に乗り込んだのはユージーとあとひとりだ。
「もう一機には5人乗ってる。こっちパイロットとあのひとりしかいない。向こうについたら5人が完全に護衛する」
 ユージーは言った。カインはユージーをちらりと見たあと、無言で腕の細いバングルに目を移した。座席に座って隠れるようにしてスイッチを押した。それを見てユージーは彼の横に座り、周りからの視界を塞いだ。
 二人以外いないのだから誰も見るはずはないが、念には念を入れるしかなかった。
 小さなウィンドウが目の前に開く。4つの小さな点。たぶんこれがケイナ、アシュア、セレス、リア。
 4つ……?
 カインはぎょっとした。
 ちょっと待って……。ぼくが抜けたら3つ…… だろ。
「ナビは10個入れといた。稼動してるか?」
 ユージーの言葉にカインは答えることができなかった。
 4つのうちのひとつが消える…… ぼくじゃなかった……?
 画面を切り替えてカインは目を見開いた。無数に光る点。これはいったい何。
 カインは横の窓にすがりついた。遠くに見える森。わずかに自分の目に映る赤い霧。
「ケイナ!」
 思わず小さく叫んだカインの腕をユージーは掴んだ。カインはびくりとしてユージーを見た。
「ケイナには知らせた。いや、あいつは分かってた」
 ユージーはすばやく言った。
「ケイナとセレスには捕獲命令しか出してない。『ノマド』には手出しはしない」
「アシュアは!」
 カインの言葉にユージーは口を引き結んだ。
「アシュア・セスは諦めろ。無理だ。彼を助けたらカンパニーを納得させられない」
 カインは立ち上がりかけたが、それよりも早くユージーの銃がカインの額に突きつけられた。後方に座っていた兵士が立ち上がったが、ユージーは彼に座れというように合図を送った。
「今、ここで降りてもケイナは喜ばないぞ。それに間に合わない」
 カインはユージーを睨みつけた。
「地球に行け、カイン・リィ。おれにできることはやってきた。50人のうち40人はカンパニーが指定してきた兵士だが、残り10人はこっちで入れた。彼らには違う動きの指示を与えてる。カートの指示で動く人間だ。運がよければ誰も死なない。全員逃げられる。これが精一杯だ」
「レジー・カートはどうしたんだ……」
 カインは震える声でユージーに言った。ユージーは銃口を外すと不機嫌そうに顔を歪めた。
「おやじは軟禁されてる。おれがあんたを地球に送らないと命の保証はない」
 トウ……。いったい何してる……。カートにこんなに手を出したら自分の首を絞めるようなもんだ……。カインは思わず前のめりになると両手で額を押さえた。
「カイン・リィ」
 ユージーの声にカインは顔をあげた。
「おれはトウ・リィを許さない。あんたが彼女の側についた時点であんたを殺すぞ」
「ぼくにも銃を」
 カインは言った。
「そんな勝負はハンディなしだ」
「もちろん」
 ユージーは眉を吊り上げてかすかに笑みを浮かべた。
「ケイナはちゃんと銃を一挺残したじゃないか」
 アシュア、ケイナ…… 頼む。全員助かってくれ……。
 カインは祈るような気持ちでこぶしを握り締めた。

「左! 3人!」
 リアは首をすくめて叫んだ。アシュアがすばやく銃を撃った。
「当たった!?」
 身をかがめて走りながら、リアはアシュアに叫んだ。
「わかんねえっ! 手ごたえ感じる前にもう逃げてる!」
 アシュアは叫び返した。
「セレスは?!」
「ここ!」
 アシュアの頭上を飛び越えてセレスが前方を走っていった。
「は、速ええ……」
 あっという間に走っていくセレスを見てアシュアはつぶやいた。
「歩いてるときはノロマなくせに……」
「アシュア!」
 ケイナの声がしたので、アシュアは顔を巡らせた。気配もなく近づいてくるから、ケイナもセレスもどこにいるのかさっぱり分からない。
 右から出てきたケイナが肩を掴んだので、アシュアはリアと一緒に草むらに身を伏せた。
「なんか、変だ」
 ケイナはあたりに目を配りながら言った。
「はっきりと数は分からないけど、ほかの奴らと違う動きをする兵士がいる」
「右!」
 リアが叫ぶとほぼ同時にケイナは銃を撃った。森の中ではリアの嗅覚はケイナとさほど変わりない。
「なんにしても、おれとセレスの足ばっかり狙ってきやがる。うざったい」
 ケイナは吐き出すように言った。
「セレスの動きがヤバくねえか」
 アシュアが言うと、ケイナはかすかに眉をひそめた。リアはアシュアの言うことの意味が分からず怪訝そうに彼の顔を見た。
「走り回ってるけど全然相手にダメージ与えてねぇぞ。あっちは本気だ。蹴散らすだけじゃ、きりがねぇ」
「嫌がってるんだ」
 ケイナは答えた。
「体力が続かない。手加減しながらあんだけ動いてると」
「分かってる」
 ケイナはそう言うと走り出した。
 ちくしょう、何やってんだ。ケイナは心の中で舌打ちした。
 あんなにお互いの動きが読めたのに、今のセレスは全然おれの動きを読まないし、勝手に走っていく。リアとアシュアを守れと言ったのに。前はもっと気持ちが通じあってた。
 ケイナはふと足をとめた。
 前はもっと……?
 前っていつ。
 ケイナは呆然とした。
 治療をする…… 前…… 読まないセレスじゃなくて、読めないおれ……?
「セレス!」
 ケイナは叫んだ。
 トリの誤算。おれの誤算。セレスとおれは一緒に動けない……!
 ケイナは再び走り出した。

 何人倒しただろう。
 セレスは息をきらして周囲を見回した。
 倒したと…… 思う。手ごたえはあったし。でも、こんなに息がきれるなんて初めて。
 アシュアとリアは…… うしろにいるよな。
 50人て言ってた。ほんとにそんな数なの? もっとたくさん追って来てるような気がする。
 額から汗が伝って落ちた。
「セレス!」
 ケイナの声が響いて思わず身構えた。すくめた肩を光がすり抜けていった。光の先で倒れ込む音がする。
「なにやってる!」
 ケイナが険しい顔で走って来て腕を掴んだ。
「もっと下がれ! アシュアたちと離れ過ぎるな!」
「アシュアたちいるよ」
「離れ過ぎてるよ! そんなんじゃ守れねえだろ!!」
 怒鳴りつけるケイナにセレスは呆然とした。
「やってるよ。おれ、ちゃんと……」
 戸惑ったように言うセレスをケイナは睨みつけた。
 ケイナ、なんでそんな怖い顔してんの。なんでおれをそんな責めるような顔してんの?
「セレス、頼むからアシュアを守ってくれ! そんなんじゃ、おれが動けない」
 なに? おれ、ケイナの邪魔してんの? セレスはケイナの顔を見つめた。
 光が飛んで来たので、ふたりは咄嗟に身を伏せた。
「頼むぞ!」
 ケイナはセレスの頭を軽く殴ると再び立ち上がって走っていった。
 ち、ちゃんと動いてるよ……。いつもと一緒。でも、なんでこんなに息がきれるんだろう。
 セレスは周囲を見回しながら立ち上がった。
 ケイナの苛立ち。なんで?
 ふいに背後に気配を感じた。
 剣を振りおろしたとき、セレスは自分の顔にかかる温かい水を感じた。
 そして自分の目の前で首を切り落とされて倒れる兵士を見た。
「うそ……」
 こんなこと、いままでなかった。おれがやった? 殺すなんて……。おれの剣が?
 頬を指で拭うと、赤い色がべっとりとついた。
「やだよ……」
 セレスはつぶやいた。体中に震えがはしる。呼吸がさらに乱れた。
 リアは言ってたじゃないか。目の前の命は代わりのいない命。
 どうして殺さないといけないの? なんでおれは人を殺すの? いやだ……。
 助けて。もういや。人殺しはもういや!