「邪魔だ。ちょっと外に連れていって」
 泣き出してしまったセレスを見たケイナが眉をひそめてそう言うと、リアが少し憤慨したような顔をしてケイナをちらりと睨み、セレスをテントの外に連れて出た。
「セレスは…… ちょっと精神状態が不安定だね…… まあ、しかたないか……」
 ふたりを見送ってつぶやいたトリの言葉にリンク以外の3人はぴくりとしたが、かろうじて平静を装った。
 リアに助けてもらった後ろめたい記憶が甦る。
 ケイナはリンクの代わりにマシンの前に座ると、通信機能に切り替えて以前アクセスしたレジーのプライベート回線を開いた。
 リンクが横から手を伸ばしてキイを叩いた。
「磁場に穴あけた。でないと飛ばない」
 ケイナはちらりとリンクを見てから、頬杖をついてモニターを見つめた。それを見たリンクは変な感覚に陥った。
 モニターの前で頬杖をつくのはカインがよくやる癖だ。親指を伸ばして顎を乗せる。誰もがよくやる仕種だが、ケイナの反らした顎は角度までがカインによく似ている。
 顔をあげるとアシュアが垂れかかった前髪をかきあげていた。これはケイナの仕種によく似ている。この3人はお互いの癖を交換しあってるみたいだ。 ……それだけ意識が通じ合ってるってことなのかな……。
 アシュアこそ違うけれどわずか18歳の子供たち。決しておとなとはいえない不安定な年齢。
 体格的にはおとなと代わりはないけれど、こんな問題をしょいこむには相当の負担を強いられているだろう。彼らの心情を思うとリンクは少し辛さを感じた。
 モニターの反応を待つケイナがかすかに顔をしかめた。
「痛みがある?」
 リンクの気づかうような言葉にアシュアがはっとしてケイナを見た。ケイナはかぶりを振った。
 カート司令官とコンタクトを取るときは、ケイナは緊張状態に陥る。
 前のときとは違って今度はトリもいるし大事には至らないと思うが、ケイナが頬杖をつきながらもう片方の手で周囲にある割れそうなカップや先の尖ったペンを無意識のうちに自分より離れた場所に移動させているのを見て、アシュアは何となく背筋が寒くなった。
「時間がかかるな……」
 画面の中の呼び出しの点滅を見つめてリンクがつぶやいた。
 前のときもそうだった。レジーが通信を受け取れる状態でなければ開くことはない。向こうの都合など知るよしもないから、待っても出て来ないということも考えられるのだ。
 諦めようかとケイナが手をあげてキイを押さえようとしたとき、いきなり受信の画面に切り替わった。
 ケイナは咄嗟にモニター受信に切り替えた。あまり広域にこちらの状態を知らせる必要はない。モニターだけなら画面に映る範囲しか向こうには分からない。
「よう」
 ケイナの顔がこわばった。モニターに姿を見せたのはレジーではなくユージーだったからだ。
「ユージー……」
 ケイナはかすれた声でつぶやいた。
「なんで…… 『ライン』に戻らなかったのか」
「『ライン』?」
 ユージーは笑った。
「あと一度の試験、残り半年くらいどうにでもなるさ」
 ケイナは目をあげてアシュアとカインを振り向いた。ふたりとも戸惑った表情を浮かべている。ユージーが出てくるなど、そこにいる誰もが想像していなかった。
「レジーは……」
「おやじはもう復帰してるよ」
 ケイナの言葉にユージーは即座に答えた。
「カンパニーがやってくれたな。連絡してくるだろうから待ってろとおやじに言われた。あの情報が出た時点でおやじはカイン・リィがおまえたちと一緒にいると悟ったみたいだ。今、おまえたちの状態はどうなっている?」
 ケイナが髪をかきあげた。出方を考えあぐねているのだろう。ケイナの躊躇した態度を見てユージーは笑った。
「リィはカートに大きなリスクを負った。リーフがおやじを撃ったのは計算外だったんだろうが、シュウ・リィの時代の恩を仇で返したようなもんだな。トウ・リィはもう手出しはできないよ。たぶん、これ以上目立ったことをすると、ほかの重役たちが黙っちゃいないだろう。よくも悪くもあの時代からずっと引き続いてカンパニーのそばにいるのはカートしかいないんだよ」
 ケイナは息を吐いて目を伏せた。
 ユージーは戻って全部レジーから聞いたんだ……。
 とうとうこの人まで巻き込んでしまうことになった。
 いや、巻き込むもなにも、カートの力を借りようとした時点で同じことだ。
「カイン・リィは地球に戻るか?」
 ユージーの言葉にケイナは気乗りのしない様子でうなずいた。
「おやじは自分で動くことはできないが、代行としての権限をおれに与えた。カイン・リィの護衛はおれがする」
「ユージーが?」
 ケイナは目を細めた。それを見てユージーは肩をすくめた。
「信用できないか?」
 おかしい。何かがひっかかる。でも、それが何か分からない。
 うまくことが運び過ぎる?
 目をあげると、カインも何かを感じているようで眉をひそめていた。
 ユージーのことはいつも読めない。どうしてなんだろう……。
 トリのほうをちらりと見ると、トリは顔を伏せて額を手で押さえていた。何かに苦悩しているような感じだ。彼も読めないのかもしれない。
「どうすれば信用できる?」
 ユージーは言った。
「不安なことがあれば解消するぜ」
「銃を5挺用意してください」
 ふいにトリが口を開いた。
「それとあなたの利き手の人さし指」
 ケイナの目が見開かれた。アシュアとカインはぎょっとし、リンクは一気に顔から血の気をなくした。
 ユージーはかすかに笑った。
「オーケィ、そうすりゃ、信用できるわけ?」
 ユージーが手を伸ばしてナイフをとりあげたのを見て、ケイナは思わずモニターにすがりついた。
「やめろ……!」
 ケイナの形相が一転した。すさまじい殺気だ。
「ユージー、やめろ! あんたを信用する! 頼むからやめろ!」
 そう怒鳴るとあっという間に振り向いてトリの胸ぐらを掴んでいた。
「やめさせろ! ユージーの腕を潰すな!! でないと…… でないと、おれのほうがどうかなっちまう……!」
 やばい。ケイナがなんかやばそうだ。アシュアは無意識に身構えていた。
 カインの顔もこわばっている。
 トリはケイナの手を掴むと、モニターに向かって叫んだ。
「ユージー・カート! 覚えておくがいい! あなたが裏切ると、あなただけでなく、カートのすべてはリィと同じく『ノマド』を敵に回す!」
 ユージーの手からナイフが跳ね飛んでいった。
 自分の頬に小さな傷をつけながら弧を描いて後ろに飛ぶナイフをユージーは目で追った。
 ケイナがぎょっとしてモニターを振り向いた。ケイナだけではない。アシュアとカインも呆然としている。
「こんな力があるのはぼくだけじゃないぞ…… あなたたちは『ノマド』を軽視し過ぎる。 ……少しは恐れを抱くがいい」
 トリの息づかいが荒い。ユージーは少し青ざめた顔をこちらに向けた。
「指一本で何を喚いてやがる……。なくなればほかの指でいくらでも這いあがってやるさ」
 ユージーはケイナを見据えた。
「おまえが左腕を潰されて右に変えたようにな」
「おれの左腕はなくなったわけじゃない……」
 ケイナは震える声で言った。ユージーは不機嫌そうに眉をつり上げた。
「ほかに要望は?」
「『ライン』の中にセレスの所持品が残っていないか確かめて欲しいんです」
 カインがモニターに向かって言った。
「セレス・クレイの所持品?」
 ユージーは訝し気にカインを見た。
「カートなら『ライン』内に干渉できるでしょう。どんなものか分からないけれど、プレートをつけたブレスレットがあればそれが欲しいんです。彼の両親の形見です」
 必死の形相でモニターを見つめるカインをアシュアは見た。
 青い顔のトリを支えながらケイナも険しい顔をしている。
「分かった。調べてみる」
 ユージーは答えた。
「明日…… 午後6時。銃を持って行く。 ……ほかの者は地球に渡らないのか」
 誰も返事をしないので、ユージーは眉をひそめて一瞬目を閉じた。そしてモニターから消えた。それと同時にトリはがくりと膝を折った。
 胸ぐらを掴んだままだったケイナは慌ててトリを支えた。さっきまでの興奮状態が嘘のように消えている。
 トリは青い顔でケイナに笑みを浮かべてみせた。
「ケイナ…… きみ、分からないの。さっきのはぼくじゃないよ。 ……きみだ」
「え?」
 ケイナはトリを凝視した。
「よくもぼくの体を使ったな。 ……全くきみの力は……」
「トリ、薬を出そうか」
 リンクの言葉にトリはかぶりを振った。そして力なく手を離すケイナの肩を抱いた。
「いいよ、もう……。ユージー・カートは分かっただろう……。彼は裏切らない」
 ケイナは無言でこわばった表情のままトリに肩を抱かれていた。
「セレスがいなくて良かったね……。彼がいたらこんな力は消えていただろう。結果はこれで良かったんだ」
 トリはつぶやいた。

「これで文句ないだろ。カイン・リィは必ず地球に連れて行く」
 ユージーは消えたモニターの前から振り向いた。
 仏頂面で座っているレジー、無数のつきつけられた銃口をユージーは苛立たし気に睨みつけた。
「さっきあいつらに言ったとおりだ。トウ・リィに伝えろ。あんたは痛い思いをするってな」
「伝えます」
 銃を持ったひとりが答えた。ユージーは頬についた傷を押さえた。
 待ってろ、トウ・リィ。よくもカートに辱めを与えてくれたな。
 彼は心の中でつぶやいた。