翌日、カインはリアの剣をアシュアから手渡されて面喰らったような顔をした。
「剣なんて…… 持つの数年ぶりじゃないかな……」
 カインはぎごちなく鞘をつけた。
 ケイナはアシュアがリアに手ほどきをしていたときの剣を受け取った。
 さすがにあの柄だけの剣はリンクも持たせることをためらったのだ。
「使うときになりゃ、すぐ勘を取り戻すさ。まあ、そんなこたぁないってトリは言ってた」
 アシュアは言った。確かにこれを振るうような気配があったら、トリはふたりどころか、子供たちも森に行かせはしないだろう。
 女性がひとり子供たちを引き連れて行く後ろについて、ふたりはコミュニティをあとにした。
 10分ほど歩いて草地に出ると、ここでしばらく子供たちを遊ばせるからと女性が言ったのでカインとケイナは少し離れて木の根元に腰をおろした。
 何人いるだろう。15人くらい? 18人? ちょろちょろ動き回るから数えられない。どの子も6歳にも満たないような子ばかりだ。なかにはよちよち歩きの子もいる。
 こんな子を森になんか連れて来ていいんだろうかとカインは子供たちを見てふと不安になった。
「『ノマド』の子供は逞しいよ。転んだくらいじゃ泣かないし。ケンカはするけど」
 カインの心を読んだように、ケイナが言った。目を向けると退屈そうに草をちぎって弄んでいる。
「体調はどう?」
 カインが尋ねると、ケイナは肩をすくめた。
「別に。どうってことない」
 耳についたピアスがなければもう少し愛想のいいことを言うのだろうが、これが聞き慣れたケイナの返事だった。
「セレスのデータの分析がなかなか進まないんだ……」
 カインは子供たちに目を向けて言った。
「見張り役のウィルスの情報が出て来ない。どこかに隠されているのかとひとつひとつ見ていくんだけど、数が膨大過ぎて……」
「戻ったらおれも手伝うよ」
 ケイナは答えた。
「おまえ、少し休んだほうがいいよ。ずっと緊張しっぱなしだろ。『ノマド』の生活にも慣れてないだろうし」
 子供がひとり駆け寄って来た。まだ3歳くらいの男の子だ。彼はカインのそばによると、その足の間にちょこんと座った。
「慣れるとかどうとかいうより、焦ってる気持ちのほうが大きいかもしれないな……」
 無意識のうちに男の子の脇に手を差し込んで、自分の膝の上に座らせ直していることにカインは自分で気づいていなかった。
「セレスの場合、Rt9でなくても治療は可能だけれど、とにかく見張りの干渉ウィルスが特定できないとどうしようもない。リンクはとりあえずセレスの性別を女性に特定させる治療だけをしようかって言うんだけど、それも見張りウィルスがどう出るか、やってみないと分からないんだ。ただ、その前にセレスの気持ちの問題もあるし……」
 カインはふと口をつぐんだ。ケイナの顔に今にも吹き出しそうな笑みが浮んでいたからだ。
「なに?」
 カインは訝し気に目を細めた。ケイナは無言でカインの膝の上を指差した。それでやっとカインは気づいた。いったいいつの間に……。
「おい、あっち行って来い」
 カインは男の子の頭に手を置くと、その顔を覗き込むようにして言った。
「にいちゃ、と」
 あどけない声で男の子は即答した。ケイナはくすくす笑い出した。
 へえ…… ピアスがついていてもこれくらい笑えるのか……。頭の片隅でそう思いながら、カインは男の子を立たせた。
「ちゃんとみんなと遊んで来い!」
 お尻を軽く叩くと、男の子はそのままほかの子たちのところへ危なっかしく走って行った。
「おまえが子供にモテるとは思わなかった」
「ぼくも」
 ケイナの言葉にカインは子供たちを見つめて答えた。
「子供に触ったことなんか、ここに来て初めてなんじゃないかな ……かわいいな」
 子供らしい甘い匂い。柔らかい髪や手。確かにそんなものに触れた機会はこれまでなかった。触れてかわいいと思える自分も初めて知ったことだった。
「あの子たちも、大きくなったら自分のルーツを知るのかな」
「その頃には自分のルーツなんでどうでもよくなってるよ」
 カインが目を向けると、ケイナは木の幹にもたれかかって笑みを浮かべてカインを見つめ返した。
「カイン・リィがそういう世の中にしてくれる」
 カインは思わず目をそらせた。そんな重いことを言わないでくれ、ケイナ。
 きみに言われるのが一番重い。
 ケイナは黙り込むカインの横顔をちらりと見て目をそらせた。

 子供たちがお弁当を広げ始めたので、ケイナとカインは時間潰しに木立の間に入っていった。
 もうすぐアシュアとセレスが来るだろう。
 森の空気は心地良かった。光も匂いも、カインはこんなに大きく息をしたのは久しぶりのような気がした。
「ほら」
 ケイナがいきなり何かを投げてよこした。カインが空中で掴んで手の平を広げてみると、小さな紫色の実だった。
「なに、これ」
「食べてみな」
 その言葉に戸惑った。見たこともない植物の実を食べてみろと言われても普通警戒する。
「訓練のとき、ハーブを食べるってのはやらなかったのかよ」
 ケイナは笑った。
「ブルーベリーみたいなもの。コリュボスの土壌は汚染されてないから、生で食べても死なないよ」
 カインはためらったのち、口に入れてすぐに吐き出した。甘みはあったが、かなり強烈なミントの刺激が口一杯に広がったからだ。息がつまりそうなほど鼻がツンとして咳き込むカインを見て、ケイナはさらに笑った。
「ちょっとお子さまには無理だったかも」
「ふざけんな」
 カインは潤みかけた目をこすってケイナを睨みつけた。何がブルーベリーだ。ひりひりするのを通り越して突き刺すように咽が痛い。
「ひとりで戻るのは許さないからな」
「……は?」
 ふいのケイナの言葉にカインは目を細めた。
 ちくしょう、あんなもん食べさせやがって、目が痛い。
「おまえは自分ひとりでトウ・リィに会おうとしているだろう」
 ケイナは言った。
「ひとりで行くのは許さない。おまえひとりでなんか行かせない。行くときはおれも一緒だ」
「なに、言って……」
 カインは咳き込んだ。
「一ヶ月たったら、トリは地球に戻ると言ってる。おれたちを地球の『ノマド』に送ったら、おまえはひとりで何とかしようと思っているだろう?」
 カインは潤む目をケイナからそらせた。
 何か言いたくても舌がミントの刺激で自分のものじゃないように感じる。
 それでも無理にカインは口を開いた。
「き、きみがリィに乗り込めるわけが…… ないだろう。……わざわざ相手の懐に…… と、飛び込むようなもんだ」
 言い終わったとたんに咳き込んだ。ミントはだいたい苦手かもしれない。
「それをしなきゃ、何ができるっていうんだよ」
 ケイナは言い募った。しかし、カインも負けてはいなかった。
「きみにも、セレスにも…… そんなことさせられるわけがないじゃないか。……トウに会うならぼくしか…… あり得ない」
「トウ・リィはおまえの言うことなら聞くのかよ」
 カインは腹が立ってきた。こっちの気も知らないで……!
 手の甲で目をこすり、いい加減にしろと怒鳴りつけようとして顔をあげたとき、ケイナの顔に浮かんだ表情にカインは口をつぐまざるをえなかった。
 なんで…… なんでそんな悲しい顔をする……。
「おまえ、この次離れたら、もう二度と会わないつもりじゃないのか」
 それを聞いて思わず顔をそらせた。はっきりと分かっていたわけではなかった。
 ただ、この次ケイナと別れると、もう二度と会えないという予感はあった。
 何があるのか分からない。分からないが、カンパニーに戻ればその可能性は十分にあった。
 こんなこと、考えたくなかった。
 当たり前だ。命がけでここまで来たのはいったい何のためだったんだ。
 おまえの顔を見たい一心じゃないか……。
 だけど、どうしようもないだろ。ぼくにはぼくの役目がある。
 一生懸命そのことだけを考えようとしていたのに……。
「残酷なことを言う…… これ以上言うと本気で怒るぞ! きみはやっと治療を始めたばかりだ。結果は半年たたなきゃわからないんだぞ」
 言っている間に感情が高ぶってカインはケイナの腕を掴んだ。
「それにきみはセレスと一緒にいるという役目があるだろう。彼のそばにいなきゃならないだろう!」
 怒鳴った途端にケイナに勢いよく腕を払われ、バランスを崩してカインはどっと倒れ込んだ。
「今度はおれがおまえを守る番だ。カイン、おまえをひとりで危険な目に遭わせない」
 ケイナは言った。
 そんなこと、そうですかと容認できるわけもない。
 腕を払われ倒れ込んだ羞恥も重なってカインはケイナに飛びかかった。
 彼の胸ぐらを掴むとそのままそばの木の幹に乱暴に押しつけた。
 ケイナが衝撃に顔を歪めた。
「ぼくはもうきみにできる限りのことはした! もう…… もうここにいてもできることは…… 何もないんだよ!」
 絞り出すようにそう言って、カインは後悔した。ケイナの目が自分の目のすぐ近くにあった。
 深淵を見るようなケイナの目。心臓が狂ったように動悸を打ち始める。
 ケイナに触れることはいつも怖かった。
 ケイナに必要以上に近づいたり触れたりすることは、身の破滅を意味しそうな気がした。
 そう、あの夢の中でも、彼に触れた途端あっという間に彼の言うなりになってしまったじゃないか……。
 助けて…… ぼくは今、とんでもないことをしようとしている……。
 カインはやっと気づいた。ケイナの吐息から漏れるミントの香り。
 そうか、ケイナはわざとぼくにあの実を食べさせたわけじゃなかったんだ……。
 そんな姑息な真似するはずないって、どうして信じてやれなかったんだろう。
 でも、もう遅い……。