森の中を歩くことに慣れてきたアシュアは通信機を持つカインを連れて磁場の外まで連れていくことになった。
「アシュア…… ぼくはどうしてリィの息子として生まれて来たんだろう……」
ざくざくと草を踏み分けて歩きながら、カインは先を歩くアシュアの背に言った。
「おまえにその役目があるからだろ」
こともなげに答えるアシュアをカインはびっくりして見た。
「そんなびっくりするようなことかよ」
アシュアはちらりとカインを見て笑った。
「自分にゃ何か役目や意味がある。そう思ってなきゃ、おれだって自分の存在価値が分からなくなる。ただ、おもしろ半分に作られた人間だなんて思いたかねぇよ」
「おまえがリィの息子だったら良かったのにな。なんでもガンガン決めてガンガン動かしそうだ」
「頭は使わねぇで、体だけ使ってな」
アシュアは彼を振り返った。
「カイン、おまえ絶対に次のトップになれよ。トップになったらおれを雇ってくれよな。おまえのボディガードでもなんでもするわ」
「雇うのはいいけど、ボディ・ガードはいらないよ」
カインは笑った。
「リアと結婚するの?」
急な質問にアシュアは戸惑ったような表情を浮かべた。
「なんだよ、いきなり……。そりゃ、迎えに来るからってあいつには言ったけど、そんなもん、分からねえよ」
照れて顔を背けるアシュアをカインは見つめた。
「ボディー・ガードっていうのは身を張ってクライアントを守る人だよ。アシュアにそんなことさせられない」
カインは目を伏せた。
「守る相手が違うだろ」
守る相手…… そうか、ぼくはカンパニーの下で働く何千何万という人を守らないといけないんだな。
不満そうな顔をしているアシュアを追いこしてカインは思った。
そしてアライドの人、TA-601の保障……。『ノマド』たちの願い。
曾祖父は全てに裏切られて全てを引き受けた。その血が少しでも流れているのなら、ぼくの役目は逃げないことだ。
きっとどうにかする道はある。そう信じよう。
最高のラストシーンを迎えてみせる。きっと。
「磁場を出たぞ」
アシュアが言ったので、カインは通信機を開いた。
レイへの連絡先のコールをしてしばらく待っていると、いきなり息子のジュナの姿が現れた。
「カイン・リィ……」
ジュナの顔は怒りに歪んでいた。
「連絡はするなとぼくは言ったはずだ」
アシュアが気づかわしげにカインの顔を見た。
「レイと話をさせてください。頼みます。ひとりの…… いや、ふたりの人間の命がかかっている」
「父はいないよ」
ジュナはぴしゃりと言い放った。
「あのあと…… 倒れた。脳硬塞だ」
カインの目が見開かれた。脳硬塞…… レイが……。
「幸い命は助かった。でも、もう動けない。父は『ホライズン』に入ることを拒んだのでアライドに発った。3日前だ」
「う……」
カインはこぶしを握りしめて額に押しつけた。望みは断たれてしまった。そんなカインの様子をジュナはじっと見つめた。
「カンパニーから使者が来たぞ」
彼の言葉にカインはうなずいた。
「分かってます」
「父と母は必死になって隠してた」
「……」
「……ぼくも言わなかったよ。きみに会ったことは」
カインは目をあげた。ジュナは複雑な表情でカインを見下ろしていた。
「どうして父と母はきみみたいなお坊っちゃんのカタを持つのか、ぼくは不思議でならない」
ジュナは顔を歪めてため息をついた。
「……ケイナ・カートの治療に関することなら…… 引き受ける」
カインとアシュアはびっくりしてジュナを見た。
「アライドに発つ前に父がそう頼んで行った。手が不自由になっていた父が必死になってぼくの腕を掴もうとした。だから協力する。…… でも、それだけだ。ほかはない」
カインはごくりと唾を飲み込んだ。ジュナはカインを鋭い目で見据えた。
「父の期待に応えろ。きみの誠意は何だ」
カインはジュナの顔をしばらく見つめた。そしてきっぱりと答えた。
「あなたは近い未来にそれを知る」
ジュナはかすかに笑みを浮かべた。
「そんなことが言えるようになったのか。あれからほんの少ししかたっていないのに」
無言で自分の顔を見据えるカインの顔をジュナはしばらく見つめた。
「……話を聞くよ。何が必要だ」
カインはほっと目を閉じた。
一週間後、ジュナは自らの足で直接森の入り口までやって来た。
今回も、カインはアシュアとともに彼を出迎えた。
セレスの輸血が終わり、ケイナは昨日から少しずつ睡眠剤の投与を減らしている。
ピアスは以前のものではなく、もっと抑制機能を押さえたものを両耳につけることになった。
全部を押し込めてまた耳を切られてはたまらないというのと、ある程度外部から反応を見ることができる状態でなければ経過が分からないというのが理由だった。
「戻って来たときにはケイナは完全に目覚めてるよ」
リンクはそう言ってふたりを送りだした。出るときにそばにいたトリをカインはちらりと見たが、トリは一瞬目を合わせたあと目をそらせて何も言わなかった。
トリと一緒に何かを見たような気がする。なんだっただろう……。
カインは問いたい気持ちを押さえつつコミュニティをあとにした。
「すでに指示を与えてある」
ジュナはふたりの前に平たい銀色のケースを開いてみせた。細いガラス管がずらりと並んでいる。
ジュナは前のような白衣ではなく、ごく普通の普段着に顔を隠すように帽子を目深に被っていた。
「ちょうど、ぼくの患者で遺伝子治療が必要な子供がいた。その子の治療と偽ってRt9を入手したけれど、彼はしばらくしたら『ホライズン』に引き取られるだろうな」
「ホライズンに? なぜ?。」
カインは目を細めた。それを見てジュナはかすかに笑みを浮かべた。
「Rt9レベルの治療が必要な症状だったら、もう『ホライズン』の管轄だよ。そんな治療は必要ないじゃないかとせっつかれる前にぼくは父のいるアライドに行くつもりだ。患者たちを見捨てていくのは辛いけれど、医者はぼくひとりじゃないし」
カインは言葉をなくしてジュナを見つめた。
「なぜそんな顔をする。こうなることは分かっていただろう」
呆れたように言うジュナからカインは目をそらせた。
「すみません……。 あなたの言うとおりだ。ぼくは何も分かっていない」
ジュナはケースの蓋を閉じるとカインに差し出した。
「父はね、察していたんだろう。ケイナ・カートの早急な治療法を考えていたみたいだ。その途中で倒れた。彼の病状についてぼくはあまり詳しくは分からないが、父が特に脳に与える影響を除去する治療計画書を作っていたから、それに基づいてこれを作った。もしかしたらほかに治療が必要な部分があるのかもしれないが、たぶん脳が与える影響のほうが一番の優先課題だったんだろうね。だけど、ぼくはもうそれ以外は協力できない。段階を追って治療していくしかないから、この治療が完結したあとのことは早い目に手を打っておいたほうがいい。まあ、そうは言っても半年後だから……」
「半年すればケイナは何とかなるんですか?」
カインのすがるような目をジュナは見つめた。
「ケイナ・カートってどんなやつなんだい?」
カインはジュナの質問の意図が分からず黙って彼を見つめ返した。
「世の中にはどんなに助けてと言っても手を差し伸べられない人がたくさんいるというのに、彼だけはいろんな人間が必死になって手を掴んでやろうとするんだな」
重い言葉だった。カインだけでなく、アシュアも目を伏せた。
「責めてるわけじゃないよ」
ジュナはなかなか受け取ろうとしないケースをカインに押しつけて言った。カインは手を伸ばしてケースを受け取った。
「月2回の投与だ。糖液か生食液で点滴静注する。うまくいけば2ヶ月程度で効果は見えるだろう。効果が出れば月1度でいい。その後は少しずつ投与期間を伸ばす。詳しくは中のディスクに入れてる。ただし、今すでに脳に異常が出ていれば、その部分は手術して除去するしかないよ。スキャンできれば一番いいんだろうけれど、そういう設備はないんだろうね……」
カインの無言の表情を肯定と見たジュナはふたりに背を向けた。
「じゃあ、さようなら」
「ジュナ!」
カインは思わず叫んだが、ジュナは振り返らなかった。
「アライドに行きます! レイを…… あなたを迎えに行くから……!」
ジュナは振り向いた。後ろ向きに歩きながら彼は笑った。
「連絡はするなとぼくは言ったはずだ」
ジュナは手をあげた。
「『ご子息さま』のご訪問はお断り」
カインは抱えたケースの冷たさを感じながらジュナを見送った。
「アシュア…… ぼくはどうしてリィの息子として生まれて来たんだろう……」
ざくざくと草を踏み分けて歩きながら、カインは先を歩くアシュアの背に言った。
「おまえにその役目があるからだろ」
こともなげに答えるアシュアをカインはびっくりして見た。
「そんなびっくりするようなことかよ」
アシュアはちらりとカインを見て笑った。
「自分にゃ何か役目や意味がある。そう思ってなきゃ、おれだって自分の存在価値が分からなくなる。ただ、おもしろ半分に作られた人間だなんて思いたかねぇよ」
「おまえがリィの息子だったら良かったのにな。なんでもガンガン決めてガンガン動かしそうだ」
「頭は使わねぇで、体だけ使ってな」
アシュアは彼を振り返った。
「カイン、おまえ絶対に次のトップになれよ。トップになったらおれを雇ってくれよな。おまえのボディガードでもなんでもするわ」
「雇うのはいいけど、ボディ・ガードはいらないよ」
カインは笑った。
「リアと結婚するの?」
急な質問にアシュアは戸惑ったような表情を浮かべた。
「なんだよ、いきなり……。そりゃ、迎えに来るからってあいつには言ったけど、そんなもん、分からねえよ」
照れて顔を背けるアシュアをカインは見つめた。
「ボディー・ガードっていうのは身を張ってクライアントを守る人だよ。アシュアにそんなことさせられない」
カインは目を伏せた。
「守る相手が違うだろ」
守る相手…… そうか、ぼくはカンパニーの下で働く何千何万という人を守らないといけないんだな。
不満そうな顔をしているアシュアを追いこしてカインは思った。
そしてアライドの人、TA-601の保障……。『ノマド』たちの願い。
曾祖父は全てに裏切られて全てを引き受けた。その血が少しでも流れているのなら、ぼくの役目は逃げないことだ。
きっとどうにかする道はある。そう信じよう。
最高のラストシーンを迎えてみせる。きっと。
「磁場を出たぞ」
アシュアが言ったので、カインは通信機を開いた。
レイへの連絡先のコールをしてしばらく待っていると、いきなり息子のジュナの姿が現れた。
「カイン・リィ……」
ジュナの顔は怒りに歪んでいた。
「連絡はするなとぼくは言ったはずだ」
アシュアが気づかわしげにカインの顔を見た。
「レイと話をさせてください。頼みます。ひとりの…… いや、ふたりの人間の命がかかっている」
「父はいないよ」
ジュナはぴしゃりと言い放った。
「あのあと…… 倒れた。脳硬塞だ」
カインの目が見開かれた。脳硬塞…… レイが……。
「幸い命は助かった。でも、もう動けない。父は『ホライズン』に入ることを拒んだのでアライドに発った。3日前だ」
「う……」
カインはこぶしを握りしめて額に押しつけた。望みは断たれてしまった。そんなカインの様子をジュナはじっと見つめた。
「カンパニーから使者が来たぞ」
彼の言葉にカインはうなずいた。
「分かってます」
「父と母は必死になって隠してた」
「……」
「……ぼくも言わなかったよ。きみに会ったことは」
カインは目をあげた。ジュナは複雑な表情でカインを見下ろしていた。
「どうして父と母はきみみたいなお坊っちゃんのカタを持つのか、ぼくは不思議でならない」
ジュナは顔を歪めてため息をついた。
「……ケイナ・カートの治療に関することなら…… 引き受ける」
カインとアシュアはびっくりしてジュナを見た。
「アライドに発つ前に父がそう頼んで行った。手が不自由になっていた父が必死になってぼくの腕を掴もうとした。だから協力する。…… でも、それだけだ。ほかはない」
カインはごくりと唾を飲み込んだ。ジュナはカインを鋭い目で見据えた。
「父の期待に応えろ。きみの誠意は何だ」
カインはジュナの顔をしばらく見つめた。そしてきっぱりと答えた。
「あなたは近い未来にそれを知る」
ジュナはかすかに笑みを浮かべた。
「そんなことが言えるようになったのか。あれからほんの少ししかたっていないのに」
無言で自分の顔を見据えるカインの顔をジュナはしばらく見つめた。
「……話を聞くよ。何が必要だ」
カインはほっと目を閉じた。
一週間後、ジュナは自らの足で直接森の入り口までやって来た。
今回も、カインはアシュアとともに彼を出迎えた。
セレスの輸血が終わり、ケイナは昨日から少しずつ睡眠剤の投与を減らしている。
ピアスは以前のものではなく、もっと抑制機能を押さえたものを両耳につけることになった。
全部を押し込めてまた耳を切られてはたまらないというのと、ある程度外部から反応を見ることができる状態でなければ経過が分からないというのが理由だった。
「戻って来たときにはケイナは完全に目覚めてるよ」
リンクはそう言ってふたりを送りだした。出るときにそばにいたトリをカインはちらりと見たが、トリは一瞬目を合わせたあと目をそらせて何も言わなかった。
トリと一緒に何かを見たような気がする。なんだっただろう……。
カインは問いたい気持ちを押さえつつコミュニティをあとにした。
「すでに指示を与えてある」
ジュナはふたりの前に平たい銀色のケースを開いてみせた。細いガラス管がずらりと並んでいる。
ジュナは前のような白衣ではなく、ごく普通の普段着に顔を隠すように帽子を目深に被っていた。
「ちょうど、ぼくの患者で遺伝子治療が必要な子供がいた。その子の治療と偽ってRt9を入手したけれど、彼はしばらくしたら『ホライズン』に引き取られるだろうな」
「ホライズンに? なぜ?。」
カインは目を細めた。それを見てジュナはかすかに笑みを浮かべた。
「Rt9レベルの治療が必要な症状だったら、もう『ホライズン』の管轄だよ。そんな治療は必要ないじゃないかとせっつかれる前にぼくは父のいるアライドに行くつもりだ。患者たちを見捨てていくのは辛いけれど、医者はぼくひとりじゃないし」
カインは言葉をなくしてジュナを見つめた。
「なぜそんな顔をする。こうなることは分かっていただろう」
呆れたように言うジュナからカインは目をそらせた。
「すみません……。 あなたの言うとおりだ。ぼくは何も分かっていない」
ジュナはケースの蓋を閉じるとカインに差し出した。
「父はね、察していたんだろう。ケイナ・カートの早急な治療法を考えていたみたいだ。その途中で倒れた。彼の病状についてぼくはあまり詳しくは分からないが、父が特に脳に与える影響を除去する治療計画書を作っていたから、それに基づいてこれを作った。もしかしたらほかに治療が必要な部分があるのかもしれないが、たぶん脳が与える影響のほうが一番の優先課題だったんだろうね。だけど、ぼくはもうそれ以外は協力できない。段階を追って治療していくしかないから、この治療が完結したあとのことは早い目に手を打っておいたほうがいい。まあ、そうは言っても半年後だから……」
「半年すればケイナは何とかなるんですか?」
カインのすがるような目をジュナは見つめた。
「ケイナ・カートってどんなやつなんだい?」
カインはジュナの質問の意図が分からず黙って彼を見つめ返した。
「世の中にはどんなに助けてと言っても手を差し伸べられない人がたくさんいるというのに、彼だけはいろんな人間が必死になって手を掴んでやろうとするんだな」
重い言葉だった。カインだけでなく、アシュアも目を伏せた。
「責めてるわけじゃないよ」
ジュナはなかなか受け取ろうとしないケースをカインに押しつけて言った。カインは手を伸ばしてケースを受け取った。
「月2回の投与だ。糖液か生食液で点滴静注する。うまくいけば2ヶ月程度で効果は見えるだろう。効果が出れば月1度でいい。その後は少しずつ投与期間を伸ばす。詳しくは中のディスクに入れてる。ただし、今すでに脳に異常が出ていれば、その部分は手術して除去するしかないよ。スキャンできれば一番いいんだろうけれど、そういう設備はないんだろうね……」
カインの無言の表情を肯定と見たジュナはふたりに背を向けた。
「じゃあ、さようなら」
「ジュナ!」
カインは思わず叫んだが、ジュナは振り返らなかった。
「アライドに行きます! レイを…… あなたを迎えに行くから……!」
ジュナは振り向いた。後ろ向きに歩きながら彼は笑った。
「連絡はするなとぼくは言ったはずだ」
ジュナは手をあげた。
「『ご子息さま』のご訪問はお断り」
カインは抱えたケースの冷たさを感じながらジュナを見送った。