耳が完全に癒着するまでピアスをつけることができないという理由で、ケイナはテントから一歩も外に出ることを許されなかった。
 もとより、リンクが薬を打ったのか、ケイナはずっとまどろんだ状態で起き上がることは不可能だった。
 誰を見ても眠そうな顔をして反応が鈍い。ちゃんと見ているのかどうかさえも定かではなかった。半分は夢の中にいるのだろう。
「もっと話したいと思うけど、ピアスをつけられない以上こうするしかないんです。許してください」
 リンクは苦しそうにカインとアシュアに言った。
 アシュアはぼうっと突っ立ったままのセレスを気づかわしげに見た。
 問題はこいつだ。あれからずっとこんな調子だ。心ここにあらずといったふうで虚空を見つめている。
 カインの顔を見ると、彼も少し眉をひそめてセレスを見つめていた。
 そんなセレスのことを気づかったのは意外にもリアだった。
 彼女はリンクの言いつけなど全く無視して一日横になっただけで起き上がっていたが、自分はまだちゃんと動けないからという理由で、セレスを子供たちの中に放り込んだ。
 セレスはだいたい子供の中に入るといつも放してはもらえないので、否が応にも彼らの相手をするしかなくなる。荒療治でもそれでしっかりさせようと思ったのかもしれない。
「子供の力ってすごいわよ」
 リアは気乗りのしない様子で子供たちに本を開いて読んで聞かせているセレスを見てアシュアとカインに言った。
「絶対ひとりにはしてくれないわ。絶対に容赦しないわ。疲れを知らないし、わがままよ」
 リアはふたりを見てにっこり笑った。
「どうしてか分かる?」
 カインとアシュアは顔を見合わせた。
「わかんないの? おばかさんたちね」
 リアは呆れたように手を振り上げた。
「命のかたまりだからよ! 生きてることしか考えてないからよ!」
「命のかたまり……?」
 アシュアがつぶやいた。リアは笑った。
「そうよ。見えない? トリは見えるらしいわよ。子供たちのまわりがいつも明るいって」
 カインは子供に目を向けた。自分には分からない。そんなことは見えないのかもしれない。
「あたしは子供の頃、ケイナが殺気を出すようになってから本能的に近寄らなくなってた。子供の嗅覚は鋭いわ。死を願う人のそばには近づかないわ」
 リアはそこで言葉を切った。
「……だから、セレスは大丈夫よ。……だから…… ケイナのそばにもっとあの子たちが自分から来るようになれば、大丈夫よ……」
「気づいてたのか」
 アシュアはびっくりしてリアを見つめて言った。
「うん。……ずっとあの子たちといるんだもん…… 分かるわよ……」
 カインは目を伏せた。
 ケイナ、死なないと言っているくせに、やっぱりきみはまだ心のどこかで死を願っているのか。
 次の瞬間、カインは足元で起こった衝撃に思わずはっとして身構えた。
 そして自分の目が捉えたものに面喰らった。
「にいちゃ、あそぼ!」
 小さな手がしがみつき、大きな黒い眼が真正面から自分の顔を見上げていた。
 カインは膝をつき、子供の顔の高さに自分の目線を合わせた。
「名前、なんて……」
 そう言おうとして、カインはひっくり返った。
 どかどかとほかの子供たちが押し寄せてカインに襲いかかったからだ。
 アシュアはあんぐりと口をあけてそれを見た。
 カインって…… 子供ウケするんだったのか……?
 しばらくして押さえようのない笑いがこみあげてきた。リアもくすくす笑っている。
「わ、笑ってないで……」
 カインは怒鳴ったが、アシュアはしだいに大きくなる笑いを止めることができず背を向けた。
「痛いって……!」
 何人も上にのしかかられてカインは呻いた。
「おめでと」
 リアがカインを見下ろして言った。
 冗談じゃない……。そう思って、ふとセレスが自分を見つめているのにカインは気づいた。
 大きな緑色の目が、ゆっくりとほころんだ。
 リアの顔を見ると、彼女はすばやくウィンクしてみせた。

「効いた!!」
 翌日の朝はやく、リンクの叫び声に全員が起こされた。
「起きて! 効いたんだ! 効いたんだよ!! ケイナの中のウィルスが消えた!!」
 セレスが眠そうな顔をあげてリンクを見た。
「セレス! 血を取るよ。ああ、その前に食事をしたほうがいいな。一回で200ccは取るし。いいかい、2日置きに続けるから、必ず三食取るんだよ。水分もしっかり。睡眠も。栄養価の高い食事を用意してもらおう」
 興奮してまくしたてるリンクをカインとアシュアも眠気のとれない顔で呆然として見た。
「なにいつまでも寝てるんですか! 早く起きて準備して!」
「なんでおれたちまで準備しなきゃならねえの……」
 アシュアがつぶやいて枕に顔を押しつけた。
「あなたはいいよ」
 リンクがそう言ったので、アシュアはむっとして顔をあげた。
「カイン、あのデータ分析を手伝ってください。それと相談したいことがある」
 カインは髪をかきあげると無言で立ち上がった。

「セレスの血液を直接入れて、彼の中のウィルス自体はケイナの遺伝子に干渉しないんですか」
 カインはトリが持って来てくれたあの甘い香りのするお茶を口に運びながら コンピューターの画面を見つめてリンクに言った。
 別のテントではぼんやりしてまどろんだままのケイナに並んでセレスが横たわり、すでに輸血を始めていた。
「セレスの持つ干渉ウィルスは最終的にはケイナの白血球に破壊されるよ。そのへんはぬかりない」
 リンクは答えた。
「その速度があるから続けて輸血しなきゃならないんだ。1リットルか2リットルを入れ替えするようなもんだね」
「そんなに取ってセレスは大丈夫なんですか?」
「成分輸血で赤血球と白血球はセレスの体内に戻すから。でも、終わるまではあんまり無理しないほうがいいな……」
 カインは画面を見つめた。数百個の立方体が並んでいる。
 じっと見つめているとひとつひとつの立方体がうごめいているようで気持ちが悪い。セレスの計画書とおぼしきものをリンクが選別したものだ。
 彼はしばらく寝ないで作業していたらしい。
「『グリーン・アイズ』の遺伝子が記載されているのはこれなんです。そのうち最終的にセレスの遺伝子と一致したものは……」
 リンクはカインの後ろから手を伸ばしてキイを叩いた。
 数百の立方体からひとつがクローズアップして展開された。
「あと十いくつか同じのがあるんだけどね。でも、変なんだ。このときのセレスの性染色体にはXXしかない。XYは存在していないんだ」
 カインは画面を見つめた。どこを見ればそれが分かるのか、さっぱり分からない。
「『グリーン・アイズ』は両性です。だけど、両性なのは純粋な『グリーン.アイズ』種だけで、どちらか片親がそうでない場合はそれが消えてしまうんじゃないかと思うんです」
「じゃあ、あとで無理矢理両性にした……?」
 カインはリンクの顔を見た。リンクはうなずいた。
「『グリーン・アイズ』自体、どうやってできた種なのかが分からないんだけど、個体数は限られてます。両性の特性を残すためには近親者同士で増やしていくしかないんだと思うんです。だけど、それが結局彼らの場合は途絶える運命を辿ることになる。だから、無理矢理近親交配でない方法で改良して作ったんですよ」
 リンクはため息をついてカインの隣に腰かけた。
「間違いなくこれがセレスの計画書だという保証は100%ではないし、XYの情報が出て来ないということは、『トイ・チャイルド・プロジェクト』のデータはもしかしたらこれだけじゃあないのかもしれない。でも、遺伝子治療を始めたら、これを見る限りではセレスはあっという間に女性になるだろうね」
 カインは頬杖をついて画面を見つめた。リンクはその横顔を見つめてさらに言った。
「それで、ややこしいんだけど、セレスの血液型はOO型で、遺髪からわかる『グリーン・アイズ』はBO型なんです。OO型のセレスが生まれるためにはもう片親はAOかBOかOOです。このデータではBOになっている。つまり、セレスはこのデータ上で分岐したと仮定できます。それでね、さっき、セレスに聞いてきたけれど、お兄さんはB型だったそうですね」
 カインは目を細めた。リンクが言いたいことがなんとなく分かったような気がした。
「つまり、OとBしかいない中でのケイナのAB型が解せないんですよ」
「ルートにAかABの人間がひとりいる……?」
「ひとりかどうかは分からないけれど……」
 カインのつぶやいた言葉にリンクは言った。
「だけど、トリは昔のケイナに『グリーン・アイズ』の姿を見ているから、全く別ルートであるはずがないんです。これはひとつの仮説ですけど……」
「『グリーン・アイズ』の娘……」
 カインのつぶやいた言葉にリンクは大きくうなずいた。
「さすが。飲み込みが速いね」
 誉められても嬉しくも何ともなかった。こんなごちゃごちゃした話は聞いているだけでも胸が悪くなる。
「『グリーン・アイズ』は途中で死んでしまったものもあったでしょう。それがいったいどれだけあるのかは分からない。ただ、今のところ分かっているのは成長した『グリーン・アイズ』は『ノマド』に来たひとり、彼と結婚した相手の遺髪も調べてそれがAもしくはABなら娘である可能性は大きい。でもその娘は行方不明だ」
「もしかしたらカンパニーが捉えたとでも?」
 カインはリンクの顔を見た。
「その可能性は十分にあるでしょう?」
 リンクは答えた。カインは画面に目を移して口を引き結んだ。そして手で額を押さえて俯いた。
「カイン・リィ。あなたをカンパニーの次期社長として、そしてぼくらの味方と思って」
 トリの声がしたので、ふたりは振り向いた。トリは厳しい表情でカインを見下ろしていた。