夢の中でセレスは誰かが歩いている後ろ姿を見ていた。
 あたりは薄暗くてよく見えない。それでも、背が高く真っ黒な髪であることは分かった。
 訓練生の濃い灰色の制服を着ているからラインの生徒なのだろう。
 黒い髪の少年はゆっくりとした足取りで、まるで動きがスローモーションのようだ。
(誰だろう……)
 セレスは思ったが、前に回ってその顔を確かめることができなかった。
 まるでその少年のすぐ後ろの肩のあたりをふわふわと浮遊してあとをついていく感じだ。
 やがてその少年がひとつの部屋の前で立ち止まった。そして緩慢にロボットじみた動きでその中に入っていった。
 セレスも少年の肩の後ろあたりを浮遊するようにしてそれに続く。
 中はトレーニングルームだった。マシンの中で誰かが腕を動かしていた。
(ケイナ……)
 少年の肩越しに見覚えのある金色の髪を見て、セレスはそれがケイナ・カートであることを確信した。
「これで最後だから」
 後ろ姿の少年がつぶやくのが聞こえた。低いかすれた声だった。
 いったい何が最後なんだ……。
 そう思った途端、その少年が右腕を肩の高さに上げるのを見た。そしてその腕の先のものを見てセレスは混乱した。
 彼は銃を持っていたのだ。それも訓練用のものではない。銃身も長い。
 れっきとした兵士用の本物だった。
 その銃口がマシンの中のケイナにぴたりと照準を合わされているのを見てさらに混乱した。
「ケイナ! 逃げろ!」
 思わず叫んでいた。しかし、全然声が出ていない。
 ふわふわとした体のように声もふわふわと頼り無く、ケイナは気づく気配もなかった。
「これで最後だから」
 再び黒髪の少年がつぶやいた。セレスは自分の髪が逆立つのを感じた。
 その直後、銃は発射されたのだった。

 はっとして目を開けた。
 冷や汗で額がじっとり濡れていた。まだ心臓がどきどきしている。
「夢かぁ……」
 そうつぶやいて、そのあと自分の目の前にいる人物に気づいて思わずぎょっとした。もしかしてまだ目が覚めていないのではないかとパニックに陥りそうになった。
「……気分でも悪いのか」
 さっきまで見ていたケイナ・カートがすぐ近くで自分を見下ろしていた。
 どっちが夢なんだろう。
 さっきのが夢だよな? それともこの目の前のケイナが夢?
 どうしたらいいか分からず呆然としたまま彼の顔を見つめた。ケイナの顔は不審に満ちている。
「たいしたもんだな。新入生のぶんざいでエスケープか」
「ち、違うよ」
 かけられた言葉にやっと現実感を覚えながら、セレスはようようの思いで答えて肩にかけていたタオルで顔をごしごし拭いた。
「トレーニング、時間が伸びたんだ。休んでたら知らないうちに寝てた」
 ケイナは何も言わずにセレスの向かいの椅子を引くと座った。
 食事のトレイをテーブルの上に置くのを見て、セレスは彼が今ここで食事を取るつもりなのだと知って仰天した。
 目を丸くしているセレスをケイナはちらりと見たあとフォークを取り上げた。
 食事をひとくち口に運ぶと再びセレスをちらりと見た。
「新入生のひとりが辞めたらしいな」
 その言葉にセレスは顔を背けて再びタオルで顔を拭いた。
「いちいち感傷にひたってんじゃねえよ」
 ケイナはセレスがショックを受けているのだと思ったらしい。 しかし、セレスはそれを聞いて少しむっとした。
 もとはといえばあんたたちのことが原因なんじゃないか。
 そう思ったが口に出す勇気はなかった。ケイナは黙々とフォークを口に運んでいる。
「どうしてこんな時間に食事を?」
 セレスは横目でケイナの顔を見ながら言った。ケイナはセレスに目を向けず少し肩をすくめた。
「おれのカリキュラムは、ほかの奴よりズレるから」
「毎日そうしてひとりで食事をとってるの?」
 返事はなかった。セレスは口をへの字に歪めてそっぽを向いた。
 妙に気まずい空気が流れる。
 ケイナは食事を終えるとミネラルウォーターの入ったカップを取り上げた。
 セレスはさっき見た夢のことを思い出していた。
 あの夢はいったいなんだったんだろう。
 ケイナが誰かに撃たれるなんて。
 殺したい程ケイナを憎んでいるやつ…… ユージー・カート……?
「どうして……」
 セレスは自分でも気づかないうちにつぶやいていた。
「どうしてユージー・カートはあんたを憎むの?」
 ケイナはじろりとセレスを見た。しまった、と思ったがもう遅かった。
「おまえには関係ないだろ」
 ケイナは目をそらせて髪をかきあげた。
「そうかもしれないけど…… 関係ない人があんたたちふたりの問題に巻き込まれてるよ」
 セレスはケイナを見つめて言った。口に出してしまったものはしようがない。
 口調に少し非難めいた感じが出てしまったので彼が怒るのではないかと内心不安ではあったが……。
「嫌になって辞めるのはそいつの責任だ」
 ケイナはそっぽを向いたまま冷たく言い放った。
「それはおれもそう思ったよ。でも、納得できないんだ」
 セレスはその冷ややかな横顔を見つめた。何の感情も現れていない冷たい表情だ。
「おれがどうかすれば納得できるわけ?」
 ケイナは椅子の背に体重を預けて挑みかけるようにセレスを見た。
「そ、そういうわけじゃ……」
 冷たい瞳に射抜かれて思わず顔を伏せた。
「おれは誰も助けないし、守らない」
 ケイナはそう言い捨てて顔をそらせた。
「おまえも辞めたくなかったら自分でなんとかしろ」
「ケイナに守ってもらおうなんて思ってないよ」
 セレスは心外だというようにケイナを見た。
「おれがケイナを守るんだ」
 ケイナの顔がこわばった。セレスは自分の言った言葉に自分でぎょっとした。
 よもやこんなことを自分が言うとは思っていなかった。
 ケイナの表情も明らかに混乱していた。予想をはるかに超える言葉だったらしい。
 フォークが飛んで来るかも、と思ったが、やがてケイナは肩を震わせてくすくす笑い始めた。笑いはだんだん大きくなっていくようだ。
 セレスは逃げ出したいほどの恥ずかしさに襲われた。
 そんなに…… 笑わなくったっていいじゃないか。
 ケイナはおかしそうに体を折り曲げて笑いながらセレスを見た。
「ふざけんな」
(ふざけてないよ。なんであんなこと言ったのかわかんないけど)
 セレスは心の中でつぶやいた。
「ケイナ、普通に笑えるんだね……」
 恥ずかしさをごまかすつもりで言ったが、それを聞いたケイナの笑みがみるみるかき消えた。
 戸惑ったように髪をかきあげ、彼は長い足を曲げて椅子に乗せると靴ひもを結び直し始めた。
「冗談じゃない……」
 ケイナはつぶやいた。
「おまえのそばにいると調子が狂っちまう……」
「おれもだよ」
 セレスはため息をついた。
「あんたの顔を見ると、言おうとしてないことまで言っちゃうんだ」
「『あんた』はやめろ。むかつく」
 ケイナは靴ひもを結び直すと素っ気無く言った。
「ご、ごめん……」
 セレスは頭をがしがし掻いた。その髪にケイナは目を向けた。
「おまえ、ハーフか」
「違うよ」
 セレスは答えた。
「よく言われるけど」
「…………」
 ケイナはしばらくセレスの顔を見つめた。
 なんでそんなに見るのさ。
 セレスは真正面から自分を見るケイナの視線から逃れるように顔を背けた。
 さっきまでのような冷たい光が彼の目から消えていた。普通の視線で彼に見つめられると妙にどきまぎしてしまう。
「おまえにとってユージーとおれの関係なんか問題じゃないよ。 だけど、『黒髪』と『赤毛』には気をつけたほうがいいかもな」
「黒髪と赤毛? 何、それ……? なんで……?」
 思わず問い返したが、ケイナはうっすらと笑みを浮かべただけだった。
「おまえなら分かってんだろ」
 ケイナはそう言うと皿の乗ったトレイを持ち上げて立ち上がった。そして背を向けた。
「なんで!」
 セレスはケイナの後ろ姿に向かって叫んだが、ケイナは何も答えずトレイを返却用のカウンターに置くとダイニングを出ていってしまった。
「もう…… ケイナっていつも訳わかんねえ……」
 セレスは窓の外に目を向けながらつぶやいた。

「勝手なことを言ってくれるよ……」
 カインは呆れ返ったようにつぶやいて自室のベッドの端に仏頂面で座り込んだ。
「こっちの気も知らないで。ケイナはぼくらに気をつけろとあの子に?」
「セレスってやつがおれたちだってことはわかってないだろうけど、ケイナがおれたちのことを気づいていることくらいはとっくの昔におまえもわかってただろ?」
 アシュアは肩をすくめて言った。強烈に縮れた赤毛は部屋の中でも燃えるようだ。
 セレス・クレイを初めて実際に見た時、カインは全身が総毛立つような気がした。
 彼のことは見学会のあとすぐに調べた。写真を見る限りではとりたてて何の特徴もない少年に思えた。
 あの深い緑色の髪と目を除けば。
 まるで深緑の森のようなの髪と目を見たとき見学会でケイナを取り巻いた緑色の霧はこいつだ、と確信した。
 しかし、異星人との混血でもなく色素異常でもなく遺伝子に損傷もなく、あえて言うならばそれが今の時代では希有なくらいで、あとは知能指数も普通、運動神経が人並み外れているくらいのもので、これがどうしてケイナを惹きつけたのか分からなかった。
 ケイナが異常なくらい彼に興味を示していることはカインとアシュアには分かり過ぎるほど分かった。
 彼がそもそも必要以外に自分から他人に話しかけることなどこれまで皆無だったからだ。
「トウには…… どうする」
 アシュアが聞くと、カインは大きく息を吐いた。
「彼と同じ部屋になっただけで精神状態が安定レベルを維持してるんだ。うまくいけば暴走するようなこともなくなるかもしれない」
 カインはメガネをとって目をこすった。
「トウの目をごまかせるかな」
 アシュアの言葉にカインは息を吐いて両手に顔をうずめた。アシュアは目を細めた。
「さあな。でも、彼だって友だちのひとりやふたり作ったっていいだろ」
「見つかったらもう次はないぞ」
「アシュアのことはぼくが守るよ。心配すんな」
 カインは切れ長の目をじろりとアシュアに向けた。
 そんなこと言ってないってのに……
 アシュアは思ったが口には出さなかった。
 ケイナがここまで人に興味を示すことなどなかったから、カイン自身も混乱して苛ついている。
 何でもそつなくこなせてきた彼にとって、今まででもケイナの存在は自分のこれまでの経験を大きく覆す存在だっただろう。
 ケイナはまったく一筋縄では扱えない。
 カインはふいに顔をしかめると両手で目を押さえた。
「またか?」
 アシュアが気づかわしげにカインを見た。
カインは口を歪めた。
「消えるわけないだろ。こっちのほうが『抑制装置』をつけて欲しいくらいだ」
「『見える』能力があるというのも辛いもんだな……」
 アシュアはため息をついてカインのそばの一脚しかない椅子に腰をおろし、いたわるように彼の顔を覗き込んだ。
「ぼくの能力は滅茶苦茶だ。『見え』ないといけないときには何も見えない。『見え』て欲しくないものはいつまでも突然目の前に現れる。 あの時だって、もっと早く『見え』てれば、ケイナもあんなことにはならなかった」
 カインは声を震わせて言った。目に焼きついた『残像』が現れると気が狂いそうになる。
「あの時はおれだって悪かったんだ。自分だけを責めんなよ」
 アシュアは気づかわしげに言った。
 カインの目は真っ赤に充血している。切れ長の二重の目が苦悩に満ちていた。
「ずっといやな感じがしてる。だけど、セレス・クレイをもうケイナからは引き離せっこないよ。 なんだかそんな気がするんだ。その方がリスクが大きいように思える」
「うん、そうだな。おれはおまえの判断に従うよ」
 アシュアは頷いた。
「おれたちはもしかしてケイナにいいように扱われてんのかもしれねえな。 あれだけ愛想悪くてこんな気持ちになるとは最初とても思えなかったけど、なんかほっとけねぇ。情でもうつったかな。『ビート』は失格だな」
 アシュアは冗談めかして言うと、肩をすくめて笑った。
 しかしカインはアシュアから目をそらせて部屋の壁を見つめた。
 情、なのだろうか。同情ではなく、友情や愛情? 彼自身がそんなものを一度も示してくれていないのに?
 カインは息を吐いて目を伏せた。