アシュアは気持ち悪そうに腕をさすりながらテントに入った。
「どうしたの?」
 リアはベッドに横たわったまま、アシュアに顔を向けて尋ねた。
「ケイナにちょっと血を分けてきた。血ィ抜かれるのなんか初めてで気色悪い」
 アシュアは顔をしかめながらリアのベッド脇に腰をおろした。
「輸血が必要なほど出血したの?」
 リアは仰天した。
「首から上っていうのは出血量が多くなるんだ。トリのテントで耳を切って、テントの床、大変だったみたいだぜ。それにケイナは出血してんの2回目だしな……」
「耳を……」
 リアはつぶやいた。
「ピアスを取ろうとして?」
 アシュアは腕をさすったまま顔をしかめてうなずいた。
「ケイナは危うい…… あいつ、自分を傷つけることに何の抵抗もないことがあるんだ…… それが自分以外のほかに向いていないだけマシだよ」
「あの、カインて人、すごいわね」
 リアはふいに話題を変えた。ケイナの話は辛くなったのだろう。
「ここに戻ってくるとき、あたしのほんのちょっとの説明ですぐに道を判断できるの。 びっくりしたわ。それで、全然余計なことは言わないの」
「カインはちょっとトリに似た能力があるんだ……。けっこう人の言うことを先読みすることがある。ま、もともと頭のいい奴だけど……」
「でも…… なんだかすごく寂しそうな顔をしてるわ。切ないくらい……」
 リアはつぶやいた。アシュアはそれを聞いて少し目を伏せた。
「ねえ。アシュアは自分でいくつか決めてることがあるって言ってたわよね。そのうちのひとつは彼に関することなの?」
 リアの探るような視線にアシュアは笑みを浮かべた。
「そうだよ」
「なに?」
「あいつがカンパニーのトップの座についたとき、雇ってもらおうかなと思って。おれは体を使うことしか能力ねえからたいしたことはできないけど、ボディガードでもなんでもあいつのそばにいてやりたいんだ」
「カンパニーに?」
 リアは目を丸くした。アシュアは笑った。
「今のカンパニーじゃねえよ。あいつが社長になったときのカンパニーだ。そんときはたぶん、『ノマド』だとか、『ノマド』じゃないとかいう世の中にはなってねえよ。社長のボディガードは給料いいぜ」
 冗談ぽく言うアシュアの顔をリアはじっと見つめた。
「アシュア…… あんたの口から出ることは人のことばっかり。お人好し過ぎるわよ」
「そんなことねえよ」
 アシュアは答えた。
「おまえのことだけはおまえがどう思ってようと強引にこっち向かせるつもりだった。マジで最初はケイナが恋仇かと思ってた。今だから正直に言うけど、おまえがケイナのことを話すたんびにイライラしてた」
 リアはくすくす笑った。
「ケイナだったら、勝ち目はないわよねえ」
「ああ、ほんと。良かった」
 アシュアは身をかがめてリアにキスをした。
「ケイナとセレスは助かるよね?」
 リアはアシュアの顔を見上げて言った。
「助かるよ。あいつらそんなすぐに死ぬようなやつじゃないよ」
 アシュアは答えた。
「そうよね」
 リアはうなずいた。
 彼女の顔を見ながらアシュアはまだ迷っていた。
 カインとセレスにレジーに会ったときのことを話さないと……。
 黙ってれば黙ってるほど言うのが辛くなりそうだ。でも、いったいいつ話せばいいだろう。
 アシュアは口を引き結んだ。

「コンピューターはどこで?」
 リンクは機関銃のような勢いでマシンを操作すカインを見て目を丸くした。
 横にいたセレスもびっくりした顔をしている。『ライン』にいた頃カインがコンピューターを操る姿は見たことがなかったからだ。表情を変えなかったのはトリとアシュアだ。
 アシュアは昔から見て知っているからだが、トリはどちらかといえばそういうことにはあまり興味がない、と言ったほうがよさそうだった。
「小さいときからこういう訓練は受けてきたんです」
 カインは画面から目をそらさずに答えた。
「どんなに最新式のものでも少しいじれば分かりますよ」
 そしてリンクにちらりと目を向けた。
「訓練受けなくても操作できるのはケイナくらいです」
 リンクはうなずいた。
「そうかもしれないな……」
「だめだ……」
 カインはつぶやいて悔しそうな顔で画面を睨みつけた。
「感染してるウィルスのことまではデータにない。レイはやっぱりそのことには気づいていなかったんだ……」
「さっき、セレスの血液を取ったんだ。ケイナの血液と合わせてみてる」
 リンクはカインに膨大な数字が記入された紙束を見せた。
「きみはこれ、読めるのかな」
 カインはちらりと見て肩をすくめた。
「すみません。ぼくはコンピューターだけ。遺伝子学や医学はさっぱりです」
「ケイナが変なことをつぶやいたんだ。水と木、螺旋の相性って」
「螺旋の相性?」
 カインは目を細めた。それを聞いて、今まで自分の出番はないと息を潜めるようにして黙っていたセレスが口を開いた。
「ピアスのせいではっきりしたことは言ってくれなかったんだけど、そんなことをケイナがつぶやいたんだ。でも、何のことか分からなくって……」
「本人が抗体を持っているものを入れたって、白血球に殺されてしまうからDNAに干渉できないんです。だけど、威力を発揮し過ぎて病気として発症してもいけない。だから微妙な力加減を持ったものを選んで入れているんだと思うんだ。それはまさに相性だよ。螺旋との相性」
 リンクは少し興奮したように、分からないと言っているカインに紙を示した。
 なんとなく自分と話ができそうな人間という意識をカインに持っているらしい。
「ケイナのDNAに干渉してみたんだけどね、だいたい60時間以内くらいに元に戻されてしまう。今、これにセレスの血液を合わせてみてるんだ。どっちがどうなるかは結果を見ないと分からない。最終的に残ったほうも消えてしまわないといけないんだ」
「水と木ってこと? どっちが水でどっちが木?」
 セレスが不安そうにリンクの顔を見た。
「どっちも必要な存在だからね。ケイナの血液型がAB型だったってことは天の助けだとぼくは思ってるよ。血液型が合わなければそもそも輸血はできない」
「ケイナはそれでうまくいったとして、セレスは?」
 カインの言葉にリンクはぐっと詰まった。
「セレスの血液型は同じAB型?」
「おれ、O型……」
 セレスはカインの顔を見た。
「きみはO型の人間からしか輸血してもらえないよ」
「おれがO型だけど?」
 アシュアが口を挟んだ。
「きみの血液にウィルスが入ってるわけではないでしょう」
 リンクが呆れたように言ったので、アシュアは思わず口を開きかけて思いとどまった。こんなところでレジーから聞いた話をぶちまけたら混乱しそうだ。
 しかし、そもそも安定した遺伝子ルートだったアシュアがセレスやケイナと同じ状況であるはずはなかった。
「3日待ちますか?」
 カインはトリの顔を見た。
「ダメだった時のこともあるし、セレスの問題もある。双方向で進めたほうがいいと思う」
 トリは答えた。カインはうなずいてリンクを見た。
「レイの渡してくれた、治療計画書、使えそうですか」
「使えないことはないけれど、できればもう少し威力のあるベクターを使いたいですね」
 リンクは答えた。
 カインが目を細めて何も言わない代わりにセレスが大きな目をリンクに向けた。
「ベクターってなに?」
「物質を体内に送り込むための運び屋ウィルスです。計画書にあるベクターは比較的多く使用されてるものだと思うけれど、5年とか10年で経過を見る感じです。ケイナの場合はそこまで時間がない。多少リスクはあっても速く動いてくれるベクターのほうがいい。それと、特に脳障害についての治療計画だけど、もう少し本質的な治療が必要かもしれない。なんにしても干渉してくるウィルスが消えてくれないことにはどうしようもないよ」
 当たりだ……。やっぱり今のケイナでは治療は遅すぎるのかもしれない……。カインは思った。
「いま、ふっと思ったんだけど……」
 セレスが口を開いた。
「ウィルスって必ずどこかにあったからその存在を知ってるってことでしょう? どこかでそれに感染した病気とかがあってさ。あ、これをこっちで使ってみよう、っていうかさ。だから、その……」
 リンクとカインは顔を見合わせた。
「きみはたまにすごく面白いこと言うな」
 カインはかすかに笑うと、再びすさまじい勢いでマシンを操作した。
「え?」
 セレスが怪訝そうな顔をしたとき、すでに目の前の画面にはずらりと文字が並んでいた。
「ふうん……」
 リンクは覗き込んでつぶやいた。
「こうやってみると、ウィルス感染症というのは途方もなくあるもんだ……。感染症のほうからウィルスを見ようとは思っていなかったな……」
「外星往来が始まってから検疫してても知らないものがどんどん入ってくるんでしょうね」
 カインは画面を見て頬杖をついてつぶやいた。
「あ、これ」
 リンクが画面の一点を指した。
「大きな問題になったやつですよ」
 カインはリンクが指したところを見た。
『ターミナル・クラッシュ』と書いてある。
「アライドから来た、遺伝子に影響が強いウィルスでね、特に女性が感染すると不妊症になってしまうんだ。同じアライド系のハーブから抽出したものがワクチンになったんだけど、翌年また同じ時期に流行した。インフルエンザみたいなもんだね。そのとき注射と飲み薬とが使われたけれど飲み薬のほうに薬害が出た。原料となったハーブにだけ影響するウイルスだったみたいだ」
「薬害……」
 カインの目が細くなった。ふと、レイの息子のジュナの顔が浮んだ。
(カンパニーはTA-601の保障を終えていないですよ)
 彼はそんなことを言っていなかっただろうか。
「それって、TAー601ですか?」
「知ってるんですか?」
 リンクがびっくりしたように言った。
「もう、50年以上も前の話だよ」
「おれも薬学かじったけど、そんな話は聞いたことなかったぜ」
 アシュアが不審そうに口を挟んだ。
「TA-601ってどこかで聞いたような……」
 セレスは首をかしげた。そしてはっとした。
「ジュディが飲んでた薬だ…… あ、でも、あれは中身は違うんだっけ……」
 カインはキイを叩いた。
「製造XXX8年…… 52年前か……。2年間医療用として使用されたのち製造停止。5年後に再販」
 カインは再びキイを叩いた。
「原材料アライド星、ハウリングハーブ、薬品ナンバー0082の浄化システムにより蒸留したのち希釈粉末状にし、糖成分とともに静脈注射……。もしくは薬品ナンバー0092、0052、0001……」
 カインはつぶやいた。
「リィ・メディケイティドの製品なんだけど、このとき使われたロットのハウリングハーブに問題があったんです。この薬を飲んだ患者の7割以上が遺伝子に損傷を受けてしまった」
 リンクは言った。
「遺伝子に傷?」
 セレスが目を丸くした。リンクはうなずいた。
「次世代かその次あたりにね、生殖機能が全くないか、癌因子を持っているか、あるいは後世に残すと変異を起こす可能性のある遺伝子を持って生まれるか……。なんにしてもピリオドをうつしかない世代になってしまったんですよ。でも、この薬が原因かどうかを判断するのはかなり難しかったと思います」
 カインは厳しい顔でリンクの話に耳を傾けていた。50年もたっているからと闇に葬られ、忘れさられようとしているのではないかという思いが強くなる。
「カンパニーは告発され、多大な賠償請求を引き受けるはめになりましたよ。約5万人が被害にあったということだったと思います。28年前にハウリング・ハーブはまた病気になっているけれど、そのときは既知のことだし事前調査があったので被害は出なかった。たぶん今はもう使ってはいないでしょう。突発的ではあってもウイルス感染する原料はさすがにね」
「なんだか、気になる……」
 カインはつぶやいた。そしてキイを叩いた。
 ハウリングハーブのキイワードとともにハーブの映像とデータが映し出された。灰色の紙のような質感の植物だ。
「アライド星、南部湿地帯に植生するツタ科植物……。花は食用、葉は薬効がある……。地球のミント系植物に似た芳香がある。茎に毒性があるので、適正な利用法に基づき……」
「こんなの食おうとは思わねえなあ……」
 無言でふたりのやることを見ていたアシュアが画面を覗き込んでぽつりとつぶやいた。
「ミント系……」
 セレスはつぶやいた。
「……こんなことをしても無駄だ……」
 カインは首を振った。
「そうですね」
 リンクも言った。
「どうして?」
 セレスは訳が分からない顔をしてふたりを交互に見た。
「異常のないハーブの遺伝子を調べて何をするんだよ」
 カインが答えた。
「あ、そうか……」
「異常のあったハウリングハーブの分析書……」
 カインはキイを叩いた。
 しばらくして画面に出てきたのは『Input a password.』の文字だった。
「まずい。『ホライズン』のサーバに入る。合言葉を入れなさいということか……」
 カインはつぶやいた。
「そりゃ、いくらなんでもオープン情報にはなってないでしょうね」
 リンクは言った。
「ここから最初のフィルタだけはぼくの持っているパスワードで入ることができるけれど、次はだめかもしれない。別のルートで入ろうとしてみたけれど、だめだったんだ」
 カインはトリを振り向いた。
「それに、アクセスすると痕跡が残ります」
「試してもらってもいいよ。そのアクセスが終わればそいつは壊してしまっていいから」
 トリはカインに言った。
「コンピューターを壊すんですか?」
 カインはびっくりしてトリを見た。
「壊さないと追跡される」
 トリは答えた。
「それはそうだけど…… こんな先進機器を……」
「コンピューターの一台や二台、どうということはないよ」
 トリは笑みを浮かべた。
 カインは納得いかない様子だったが、画面に顔を向けるといくつかのキイを叩いていった。
 カインの言ったように、最初のセキュリティはクリアしたが、そのあとの画面は何をしても『パスワードを入れろ』の要求だった。
「カンパニーの特定のパスワードかな……」
 カインはさらにキイを叩いた。
「さすがご子息のことだけはありますね。いくつもパスワードが出てくる」
 リンクが言ったが、カインはそれには答えなかった。
「『警告』?」
 ふいに画面が変わったのでカインは思わず声を出した。
「なに?」
 セレスは画面を見た。
「どういうこと?」
「特定の人間でなきゃ、ファイルが開けないって怒ってるんだよ。追跡が始まった。やばいかな……」
 カインは答えた。