トリはふとケイナが何かをつぶいやいたような気がして振り向いた。
「どうし……」
 そう口にした最後の言葉は吸い込んだ息で消えた。
 ケイナの手に剣があった。
 剣…… どうして…… 抑制装置がついているのに……。
 ケイナは剣を振り上げるとあっという間にそれを自分の耳にあてていた。
「や、やめ……!」
 トリが手を伸ばして掴みかかる前にケイナの耳から鮮血が飛び散った。
 トリは床にぽとりと落ちた赤いピアスがついたままのケイナの耳たぶを見た。
 そしてそのまま床にへたりこんだ。悲鳴をあげそうになる自分を必死になってこらえるのがやっとだった。
「トリ、ごめん、驚かせて」
 ケイナは手早くベッドのシーツを裂くと頭に巻いた。
「自分じゃ取ってと言えないからこうするしかなかった」
「なんで……」
 トリはケイナを見上げた。
「セレスを呼んで」
 ケイナは言った。
 トリは呆然として目を見開いた。
「来る。アシュアとリアが危ない」
「ケイナ……」
 トリはかすれた声でつぶやいた。
 ケイナの全身からほとばしる殺気がトリを竦ませた。幼い頃遭遇したような強い殺気だった。
「あんた、感じてたはずだ。何も見えない、そのことこそが危険なのだと」
 ケイナは剣の柄を握った。
「森へ行く。セレスの力が必要だ。彼に剣を持たせて」
 トリは何も言えずに絶句した。ケイナはトリの腕を取ると彼を立たせた。
「しっかりしろよ、トリらしくもない」
「きみの脳はいったいどうなっているんだ……」
「そんなのは帰ってから考えて。耳、大事にとっといてくれよ。あとでつけなきゃならないだろ」
 ケイナは口を歪めて笑うとテントを出ていった。

「え?」
 セレスは仰天してトリを見つめた。
「そんなはずはないですよ。ケイナは自分の意思では動けないはずで……」
 リンクもかすれた声で言った。
「でも、動いているんだよ」
 トリはめずらしく声を震わせた。そして、セレスに柄だけの剣をさしだした。
「これ……」
 セレスは訝し気にトリを見た。
「ケイナがこれを持って来いと言ってます。もう森の入り口で待っています」
 セレスはためらいがちに柄を手にとるとしばらく躊躇していたが、やがて意を決したようにテントを飛び出した。
 トリはそれを見送ったあとふらふらと床の上に崩れ込んだ。リンクが慌ててトリに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「なんて力だ……」
 トリは震える声でつぶやいた。
「封印できない……。あんな…… あんな恐ろしい力…… あれじゃあ、もう人間じゃない……」
 トリは顔を覆った。
「青い目をしたモンスターだ……」
 リンクは背筋にぞっと悪寒が走るのを感じた。

 トリの言った通り、ケイナはコミュニティの外れの森へ続く道の前に立っていた。
「ケイナ!」
 呼ぶとケイナは笑みを浮かべた。
 頭に巻いた布に血が滲んでいる。彼の右肩は真っ赤に染まっていた。
「耳を切り落としたの?」
 セレスは呆然としてケイナを見つめた。
「心配ないよ。すっぱり切り落としたからあとでリンクが接合してくれるさ。片方は残ってるし」
「そ、そんなことじゃなくて……」
「なぜおれの中にいくつもの人格が存在したのかがなんとなく分かった」
 ケイナは言った。目が違う、とセレスは思った。いつものケイナと少し違う気がする。だが、前のような別のふたりのケイナではない。今までに会ったことのないケイナだ。
「別の人格を作って、おれを外から制御できないようにする遺伝子があるのかもしれない。 自分で自分が制御できなきゃ、いずれどこかでおれは死ぬことになったかもしれないけど、おれはコントロールするよ。必要な時に必要な人格が出てくれりゃあいい。耳の痛みなんか感じてない。たぶん、今このときだけのおれだ。すべてが終われば消えてなくなる」
「ケイナ……」
 セレスはこともなげに言うケイナを見て震えた。
「剣を持て」
 ケイナはセレスを見据えた。
「でも、おれ、これを持ったら……」
「使える。剣を自分で制御しろ」
「でも……」
「アシュアとリアの命があぶないんだよ!」
 ケイナは怒鳴った。セレスは雷に打たれたように立ちすくんだ。
「分かった」
 セレスは柄を握った。光る刃を意識した。