アル・コンプトンは放課後にグラウンドでほかの子たちと遊んだことが数えるほどしかなかった。
 授業が終わったあとの予定といえば図書館に寄るくらいのものだ。
 ありえっこないと思いつつ誰かが誘ってくれる期待を胸に30分ばかり教室の窓からグラウンドを眺め、 結局がっかりしながら図書館に向かう。それが日課だった。

 勉強は好きだと思う。
「あんたは頭のいい子だから」
というのが母親の口癖で、アルは口にこそ出さないけれど自分でもそう思っていた。
3歳で『ジュニア・スクール』に入って以来11歳になる今までずっと学年で一位もしくは二位の成績をキープしている。
『コリュボス』に3つある『ジュニア・スクール』で見てもアルの成績はきっと群を抜いていただろう。
これはきっと何代も前から優秀な学識者を輩出している父親の家系からの遺伝のせいだ。

 でも優秀な成績は尊敬されこそすれそれだけでは友だちはできない。
 アルはクラスで一目おかれていたが、どうも敬遠されているといったほうがよさそうだった。
 すぐに理屈を口にしてしまう癖が災いしているに違いない。
 いや、それとも見た目がちょっと暗い感じがするからか……。
 少し太り気味でもあるし……。
 ため息が出る。体型まで遺伝してくれなくてもいいのに。
 アルは父と祖父と曾祖父と、歴代の先祖の顔を思い出して憂鬱な思いになる。
 揃いも揃ってみな巨漢だった。
 貧相とも言えるほど痩せこけたセレス・クレイに惹かれたのはそのせいだろうかと思った。


 アルがセレス・クレイと出会ったのは、いつもと同じように誰もいなくなった教室の窓辺に立つという日課をこなしたのち、今日も図書館に行こうと考えていた時だった。
 窓辺から離れようとしたその刹那、「彼」の姿が目に入ったのだ。
 校舎から走って出てきたばかりの彼は転びでもしたらすぐに骨折してしまいそうな細い手足に、だぼだぼの革のジャケットをはおっていた。
 ひょろひょろと走る姿はみっともないほど滑稽な感じにも見えた。
 しかし、アルは彼の髪の色に興味を持った。
 一見黒髪に見えるが、よく見ると一本一本の髪が深い緑色に光っている。
 何とも不思議な色だった。
「遅せえよ、セレス!」
 バスケットボールに興じていた少年たちのうちのひとりが彼の姿を見つけて怒鳴った。
「補習だったんだ!」
 セレスと呼ばれた少年は叫び返し、背負っていた鞄を投げ捨てた。
「おまえいい加減授業中居眠りすんの……」
(やめなよ)と相手が言い終わらないうちにコートに滑り込んだ彼は、ボールをすばやく自分の手に奪いとってあっという間にシュートしていた。
 歓声があがる。
 アルはその姿に呆然とした。
 羽でもついてるんじゃないか?
 一瞬そう思った。
 スポーツをろくにやったことがなくてもほかの子供たちのやることを見ていれば、だいたいこんなもの、という部分はアルも理解していた。
 鞄を放り投げてから何秒だった?  ゴールまでどれくらいの時間だった?
 この少年の動きはアルが自分の頭で築いた「常識」をはるかに越えていた。
 目を丸くしたまま少年を見つめていたアルは次の瞬間ぎょっとして身を凍りつかせた。
 ふいに彼がアルのいる校舎を振り向いたからだ。
 だが彼がアルの視線を感じるにはあまりにもふたりの距離は離れすぎていた。
 彼は単に気まぐれで校舎に目を向けただけかもしれない。
 しかしアルは性能のいい角膜レンズで、この少年の瞳が深い深い緑色をしていることをはっきりと見てとった。 
 アルにもしいつも一緒にいる友だちがいたならば、たぶん驚嘆されただろう。
『すごいよ、きみ。この場所から相手の髪の色や目の色や、着ている服とか走り方まで。観察力があるってきみのことじゃない?』
 残念ながらそんなふうに言ってくれる友人はいない。
 ただ、一刻も早く教室から逃げ出したかった
 妙な恐ろしさを感じた。それでいて惹きつけられてしまうことにアルは混乱し、後ずさりして窓に背を向けた。
『変なやつ、変なやつ…… バカみたいに細くってそれでいて…… 緑色の目』

 その日のアルは図書館に行っても全然勉強に身が入らなかった。
 家に帰って自分のベッドに潜り込み寝入ってしまうまで 緑色の少年の姿はアルのまぶたの裏に焼きついていて彼を苦悩に陥れた。
 そしてきっちり夢を見た。
 夢の中で彼はアルの目の前で何回も何回も空中を舞うようなシュートを見せる。
 何十回も飛んだあとに、彼はついっとアルに顔を向けた。
 そしてその目を見たとたんにアルは「わっ!」と叫び、同時に目が醒めた。
 体中びっしょり汗まみれで心臓はどきどきと脈打っていた。
 怖いんじゃない。違う。怖いんじゃない……。
 必死に自分に言い聞かせつつ、アルは頭のどこかで悟っていた。
 自分はあの少年に囚われてしまったのだ。


 数週間が過ぎ、アルは放課後になるごとにセレスの姿を目で追いかけた。
 気持ちは少し治まって、最初の頃の衝撃は徐々に薄れた。
 彼のことを少し客観的に考えられるようになったからだ。
 彼が自分と同じ学年であることはすぐに分かった。地球から『コリュボス』に来たのはちょうどアルが彼の姿を見た一週間前くらいらしいが、授業中は「いつも居眠りしている」と評判だったからだ。
 寝てばかりいるからもちろん成績は芳しくないし、年齢のわりには幼く見えるからだつきで、奇異な緑色の目と髪は周囲からは浮いて見えた。
 その彼が唯一賞賛の声を浴びせられるのが放課後のバスケットボールであったようだ。
 だが、いつもみごとなシュートを決めてはみんなに喜ばれ、肩を叩かれていた彼がだんだん周囲と衝突を起こすようになっていることにアルは気づいた。
 校舎から眺めるアルには何をもめているのか分からなかったが、いさかいの原因が彼だということはなんとなく察しがついた。
 そしてひとしきりもめたあと、悔しさと苛立ちで赤くなった顔で彼はコートを出ていった。
 そんな彼を引き止める者は誰もいなかった。

 さらに二ヶ月ほどたった頃、セレスの姿はコートからは完全に消えていた。
 代わりに図書館からの帰りに誰もいなくなったグラウンドの片隅でひとりボールを地面に打ちつけては走り、シュートをしては再び走り出す彼の姿をアルは見るようになった。
 どうして彼はチームから外れてしまったのだろう。
 あんなにすばらしいシュートを決める彼がチームにいれば負け知らずじゃないか。
 いったいどうして……。
 そこでアルはふと思い当たった。
 負け知らずでは困るのだ。
 彼がいることでチームは絶対に負けない。ゲームをしなくても勝敗が分かってしまう。これではゲームにならない。
(でも、だからって……)
 アルはやるせない気分でひとりボールにたわむれる彼の姿を見つめた。

 その日、アルは図書館の帰りになんとなく彼がまだいるような気がしてまたグラウンドを覗いた。
 そして予想通り彼の姿を見つけた。
 アルは薄暗くなって誰もいなくなったグラウンドに入ると、そっと近づいた。
 話しかけるつもりは全くなかったし、彼もアルが来たことに気づかないようだった。
 ボールを地面に叩きつけてはみごとなシュートを決め、そして再びボールをキャッチしてはゴールから離れる。
 何度も何度も彼はシュートした。そしてそのたびにボールはネットに入った。
 アルは身がすくむようなデジャヴに陥った。
 僕は知らないうちに夢の中に迷い込んでしまったのかも。
 アルは本気でそう思った。
 夢の中と違ったのは、何回目かにシュートしたあとボールを手に持った彼が振り向いて自分を見た時に「目が醒めなかった」ことだ。
 それでもアルは小さく「わっ!」と叫んだ。
「なにか用?」
 彼は言った。とりたてて何の特徴もないごく普通の「少年」の声だった。
 訝しそうな目をして近づいて来る少年にアルは思わずあとずさりしていた。
「なにか用?」
 再び彼が言った。
「い、いや、あの…… もう、ここには誰もいないはずなのに、どうしたのかなって思って……」
 しどろもどろになって答えた。頬が熱くなったので、きっと自分の顔が真っ赤になっているんだろうと思った。
(何をおどおどする必要がある? アル・コンプトン。落ち着け)
 アルは必死に自分に言い聞かせた。しかし彼が自分のほんの1メートル先まで近づいた時には逃げ出したい衝動に駆られた。もちろんそんなブザマなまねはできない。
 アルはぐいっと顔をあげて少年を見据え、少しも動揺していないことを分からせるために笑みを浮かべてみせた。
「さ、最近はバスケットのチームに入らないんだね。もも、も、もったいないな」
 ちくしょうめ! どもっちまった……!
 心の中で舌打ちするアルの顔を彼はまじまじと眺め、アルも負けじとその顔を見つめ返した。
 よく整った顔だ。 少し強情そうな感じがするが、きれいで、それでいて精悍だった。
 何よりもなんて美しい色の瞳だろう……!
 緑色の瞳は遠くから見たよりもはるかに透明で深い光をたたえていた。
 ふうっと空中に浮かびあがりそうな錯覚に陥りそうだ。
 しかしその感覚も彼の言葉であっという間に現実に呼び戻された。
「どこかで会ったっけ?」
 アルが必死の思いで浮かべた笑みはみるみるかき消えた。
「あ、ええと……」
 せわしなくまばたきをしながら答えたが、視線は知らず知らずのうちに自分の足元を見ていた。
 彼は、たん! と一回ボールを地面に打ちつけた。
 たん! たん! たん! 続けざまにボールを打ちつける。
 それはアルを恐怖に近い感覚に陥れたが、勇気を振り絞って顔をぐいっとあげるとき然として答えた。
「シュートがカッコよかったから、いつも見てたのさ!」
 そしてふん!と鼻から息を吹き出した。
 緑色の目が微かにほころんだ。
「そう。ありがとう。でも、もうゲームはあんまりしないかも」
悪いことを言ったのかもしれない。うつむいたアルの耳に飛び込んで来たのは全く予想していなかった言葉だった。
「これから帰るの? 一緒に帰ろう」
「え?」
 仰天して彼に目を向けた時にはすでに彼は地面にほうり出していたカバンを持ち上げていた。
「おれ、セレス・クレイっていうんだ。よろしく」
 アルはしばらく呆然として差し出された彼の手を見つめていた。
 男の子にしては長く細い指だった。
 セレスの顔に視線を移すと、彼はかすかにどうしたの? というように小首をかしげた。
「ぼ、ぼくはアル・コンプトン……」
 アルはどぎまぎしなかが彼の手を握り返した。
「アルって呼んでもいいよね?」
「もちろん! 本当はアルトンだけど、アルで通してるんだ!」
 不思議なほど言葉がすらすらと出た。
 ぎゅっと自分の手を握り返してくれる彼の手の感触が嬉しかった。