それからもずっと、私はなにも感じない毎日が続いた。
ただただ単調に過ぎていく毎日と、それとは逆に増していく胸の重み。
お母さんたちとは、今までとは少し違っている。
だけど、悪いほうの意味で、だ。

それはむしろ家族より毎日顔を合わす他人と言われたほうがしっくりくる状態で、ご飯は相変わらず作っているけど、全くかかわらない状態がずっと続いている。
なぜなら、できるだけ帰る時間や起きる時間、ご飯を食べる時間さえもずらし、顔を一瞬合わせることはあっても、しゃべる時間は作らないようにしているから。

凪とも喋らないようにして、徹底的に避けている。
弟は何も悪くないのに、責めてしまいそうだった。
話しかけられそうになっても、急いで自分の部屋に篭り、母の手伝いも両親が帰ってくる前に終わらせている。

お陰で、最近喋るのはほとんど伊吹くんと朱莉たちだけだし、メールの履歴はしばらくの間空っぽになっている。
もう少し関わろうとしてくれてもいいんじゃないかと思ったりもしたが、前とは違い何も感じない心が、私の諦めを表していた。

そして、気がかりなのは朱莉たちのほうだった。
朱莉や遥たちといるときも何も感じない罪悪感が、私のすべてを否定しているような気がして、息がしづらくて。
かといって、家の事情や準モザイク症候群についても言えるはずがない。
そんな学校が嫌だったけれど。

だけど、伊吹くんと一緒にいる昼休みと放課後が私が人間として、唯一温かさを感じられる時間で、何も感じない私が、楽しさや嬉しさを感じて、素直になれる時間だったから。
その時間が無くなるのが怖くて、結局私は毎日学校に通い続けていた。

そして毎日伊吹くんと一緒にお昼ご飯を食べる日は続き、時には「味付けが違う」「焼き加減が違う」などの感想を言いつつも、私たちの交流が途切れることはなかった。
彼のそばは、とても心地がいい。

そうして2ヶ月ほど経ち、文化祭の出し物などを決める時期が近づいている。

だけど、去年の文化祭では、私は欠席していた。
夏休み序盤、何度も出席しようとしたが、十年前の出来事が蘇って何度も欠席していたら、いつのまにか入りにくい空気になってしまっていたからだ。
結局当日も休み、文化祭には一切関わっていなかった。

あまり思い出したくないことに思いを馳せながら、今日もモザイクがかかっている男の子を見る。
立派な桜の木を背景に、お弁当というものが全く似合わない目の前の男子は、いつも通りお気に入りの卵焼きを口に放り込んでいた。

「ねえ伊吹くん」
「ん?」

ご馳走様、ときちんと手を合わせ、箸を戻す伊吹くんに問いかける。
ご飯ついてるよ、と指摘しながら私も箸を戻した。

「文化祭って、どんな感じだった?」
「知らん」

考える間も無く一瞬で帰ってきた言葉に固まる。
それをどう思ったのか、伊吹くんは頬についたご飯を拭いながら続けた。

「俺、去年の文化祭休んでたんだよ。だから知らん」
「なるほど」

さっきよりも丁寧に解説された解答に頷き、お弁当箱を袋に入れる。
そんな私に、伊吹くんが訝しげな顔をして私をみた。

「…………お前は?」
「私?わ、私はちょっと、その、家の用事で……」

しどろもどろになりながらそう答えると、伊吹くんが私と校舎を見比べた。

「それ、そんなに楽しいの?」

胡散臭げに言い放つ伊吹くん。
といっても、ほかの人には無感情で声を出しているように聞こえるのだろうが。いつも声で人を判別している私だからわかる違いだ。
それに最近分かってきたのだが、彼は最初は無表情だけど、私や宮野先生などの比較的多く話す人に対しては、少しだけ表情を変化させる。
まあ、上半分にモザイクがかかっている私には、口元しかわからないけれど。

そんな少しだけ表情を変える彼に向かって私はぼんやりと返す。

「そうなんじゃないかな。みんな楽しみそうにしてるし」
「お前は?」
「……え?」
「お前は、楽しみじゃないの?」

予想外の質問に詰まる。
だが、いつものように笑顔を作り、伊吹くんに向けた。

「わかんないよー。だって私、出席してないって言ったじゃん」

声をあげて笑うと、伊吹くんはチッと舌打ちをする。
舌打ちされたことを気にして笑顔を引っ込めると、伊吹くんの歪んだ口元が元に戻る。

「え、なに」
「『桜まつり』だっけ?それ」
「ちょっと。……はあ。そうそう、そんな名前だよ」

私の質問がスルーされたことはいつものことなので、淡々と返された声に頷く。
そして、そのあと直ぐにぐるりと伊吹くんの方を向いた。

「何で知ってるの?」
「行ったことあるから。十年くらい前だっけ。」

さらりと言われた言葉に私は目を見開く。
だけど、その喋り方で、あまりいい思い出はないのだなと悟った。

「そっか」

そういって何も聞かずにお弁当をしまう。
伊吹くんは、驚いたのか少し口を開けていた。

「お前、何も聞かないの?」
「聞いて欲しいの?」
「……いや」

切り返された言葉に伊吹くんが答える。

その勢いのままずいっと顔を寄せると、目元のモザイクがより鮮明に映った。
私が近づくと、伊吹くんはその分少し離れる。が、そのまま私は更に顔を近づけた。

さっき戻ったはずの距離がまた縮まる。
固まる伊吹くんには構いもせず、私は目があるだろう位置に目を合わせた。

「じゃあ、いい思い出はないの?」

そういうと、伊吹くんは少しだけ目を伏せた後、ポツリと言った。

「あんまり、記憶はないけど。……知らない女の子と、遊んだ気が、する」
「女の子」

伊吹くんにはおおよそ似つかない言葉にリピートする。
私の驚きがわかったのか、伊吹くんは少し不機嫌そうに言った。

「なんだよ、悪いか」
「いや、ううん、全然悪くないんだけど。女の子、女の子か」

少しだけもやもやする胸の内を悟られないようにする。
そんな私を一瞥した後、伊吹くんは伸びをしながら私に聞いた。

「お前はなんかそういうのないの?」
「え?私?私は……。うん、そうだね。」

あたたかな日差しを思い出す。それだけではない、風の優しさも、花の香りも。
言葉に詰まった後、小さく微笑みを浮かべた私を見た伊吹くんの動きが止まる。
ぴしり、と効果音が鳴りそうなほどに見事に固まった彼は、口を大きく開けていた。

詳しく説明しようと顔を上げたところ、思ったよりも近い場所に伊吹くんの顔があり、私たちは向き合う形になる。
異性の子がこんなにも近くにいるという事実に驚き、同じように固まってまじまじと見てしまった私のバカ。

見つめあってしまう形になった私たちで、先に目をそらしたのは伊吹くんだった。
プイと私から顔をそらし、視界に入るのは色素の薄い綺麗な茶色の髪だけとなる。

「え、」
「こっち見んな」
「えっ」
「喋りかけんな」
「ええっ」

話しかけようとすると、間髪入れずにさえぎられた。
怒ってしまったのだろうかと慌てていると、伊吹くんが後ろを向く。

その耳は、ほんのりと赤い。

(あああ、やっぱり怒ってる!)

心の中で絶叫し、私は伊吹くんに何とかこっちを向いてもらおうと必死になる。
だが、やればやるほど伊吹くんの耳は赤くなっていった。

明らかに悪化しているのが目に見えてわかる。
これ以上怒らせてはたまらないと断念したところで、昼放課終了の予鈴がなった。
慌てた立ち上がった私に、伊吹くんはやっとこっちをみる。

「じゃ、じゃあ私授業行ってくるね」

お弁当をつかんで走りだそうとすると、なぜか後ろからぐいと腕が引っ張られた。
一人しかいないだろう犯人に、意外と力が強いなどとどうでもいいことを考えながら後ろを振り返る。

すると、なぜか伊吹くんも私と一緒に立ち上がっていた。

「俺も行く」
「………へ?」

たっぷり十秒ためてから私は伊吹くんへと聞き返す。
そんな私の答えに少しイラついたように伊吹くんがもう一度言った。

「俺も行く」
「ちょ、ちょっと待って。もう一回言って」

伊吹くんの声がよく聞こえなくてそうお願いする。いや、聞こえてるは聞こえているのだが、脳の理解が追い付いていなかった。
伊吹くんが今度こそというように一文字一文字句切りながら言う。

「だから。俺も行くって言ってんの」
「え………ええええ!!!」

脳の理解が追い付いた瞬間、私の絶叫が校舎裏に轟いた。