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 019_ダークネス・ガラクシャ・ナクア
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 昨夜はまんじりともせずに、俺は色々考えた。
 俺が名誉伯爵でリーン様を娶る。

「なんでこうなったんだろうか……?」
 いや、分かっているんだ。俺が持つ知識や多くの特許。
 俺が貴族ならこの国のために働かせられるが、平民だと他国に逃げるかもしれない。
 家族がこの国に居たとしても、俺が国を離れない保証にはならない。俺は奇人変人だと思われているから、そういったことが抜けていると思われているんだろう。

「俺、リーン様と結婚するのかぁ……?」
 彼女は美しい。
 成人する頃には美しさに磨きがかかっていることだろう。容姿は申し分ない。

 では、性格はどうか。
 思い込みは激しそうだが、それは純粋だからだと言えるだろう。ちょっと性格がキツい面もあるが、基本は善人だと思われる。

 とは言え、誰かに言われて婚約や結婚などしたくない。貴族の生まれなのに、勝手なことを言うなと言う奴もいるだろう。
 でもな、そんな奴ほど貴族の本質を分かっていない。貴族が貴族で居られるのは、平民と言われる人たちが居るからだ。

 俺は貴族として生きたくないから、平民になることを望んだ。そうだ、忘れそうになっていたが、俺は誰かに行動を縛られることが嫌で平民になることを望んだんじゃないか。
 名誉伯爵だろうがなんだろうが関係ない。パパともう一度話し合おう。
 もしパパが俺の話を聞かないのなら、今すぐ他国に逃げてやろう。

 気分を変えよう。
 机の上に1カ月分の課題が山積みにされている。
 簡単な課題ばかりだから、1つ1つは大したものではない。
 昨夜はまんじりともせずにリーン様のことを考えていたが、徹夜は慣れている。このくらいで集中力を欠くようなことはない。

 半日もかからずに課題をやっつけ、ベランダに出て庭の林を見つめているとミネルバが俺の影から出て来た。
「キュ~」
「ちょっと考え事をしていただけだから、大丈夫だ」
 ミネルバが心配して声をかけてくれた。可愛いやつだ。
「そうだ、ミネルバの種族を調べないとな」

 自室を出て書庫へと向かう。当家の書庫はうす暗い。直射日光が書物に悪いから、光が入らないように工夫されているのだ。

「おお、スピナー様ではないですか。ここのところおいでにならなかったので、家出したと思ってましたぞ」
 1万冊以上の蔵書を抱えるウチの書庫を管理する司書。藍色の髪を腰下まで伸ばした20前に見える女性だが、実際には数百歳。

「家出していたのは間違いないぞ。ミッテ」
 本名はミッテリアルム・ゲルミアン・バーム・オ・セムニエス。長ったらしい名前だからミッテと呼んでいる。

「ほほほ。スピナー様も年頃ですな~」
 かき上げた髪から長く先が尖った耳が見える。そう、彼女はエルフなのだ。
 ヒューマンと言われる俺たちが100歳生きたら長生きなのに対して、エルフの寿命は軽く1000年を超える。
 羨ましいものだ。1000年あったらどれほど面白い発明ができるだろうか。残念ながら俺にはその寿命がない。

「魔物の種族を調べたい。クモの魔物だ」
「お待ちあれ」
 老人のような喋り方をするのは、数百年を生きているからではない。これがミッテ特有の喋り方で、物心ついた時からこんなんだったらしい。

 たまに風を通すためだけの窓に近い机を選んで座ると、すぐにミッテが本を持ってきた。
 18歳くらいにしか見えないミッテは、本にしか興味がない。この書庫で好きな本に囲まれて長い時間を過ごす。それが彼女の幸せなんだとか。
 彼女の仕事は司書であり、研究者である。公爵家では毎年ミッテのために予算を組んでいる。予算の範囲内で数十冊の書物を購入し、それを読む傍らで本の修復やエルフのミッテさえ知らない文字の解読に従事しているのだ。
 俺に色々な知識を与えてくれたのは、このミッテである。奇人変人の師匠といったところだ。

「汚したり、破損させたら出禁だからの」
「分かっているって」
 ミッテにとって本は我が子同然だ。大事に扱わないと、主家の者でも容赦せずにぶちのめす。

 ミッテから本を受け取り、ぱらぱらとページをめくっていく。
「お、これだ」

 ダークネス・ガラクシャ・ナクア。クモ型の危険度Sランクの魔物だ。
 毒を使うだけではなく、物理攻撃力も極めて高い。しかも、闇空間を操るため神出鬼没の暗殺者のような魔物だとある。
「限りなく災害級に……近いか」
 ドラゴンゾンビの魔臓器を食ったことで、危険度Sランクの魔物に進化したか。

 ミネルバが影から出て来た。
「お前の種族はダークネス・ガラクシャ・ナクアだそうだ」

 下位(Aランク)のドラゴンの鱗を易々と切り裂く鎌と猛毒、中位(Sランク)のドラゴンを拘束する糸。神出鬼没の闇使い、そして非常に素早く、捕まえることが難しい魔物だ。
 さらにドラゴンの鱗を切り刻むほど丈夫なものから、絹のように美しく艶やかなものまで変幻自在な糸を作り出すか。

 ダークネスは闇属性を表し、ガラクシャは邪神の名を表し、ナクアはクモの魔物を表すそうだ。
 邪神の名とか物騒だが、さすがはSランクの魔物というべきか。

「ほう、ダークネス・ガラクシャ・ナクアだね」
 ミッテがミネルバを見つめている。

「驚かないのか?」
「ほほほ。スピナー様が【クモ使い】の加護を得たと聞いておりますからのぅ」
 俺の加護を知っていても、普通はSランクの魔物を見たら逃げ出すと思うけどな。さすがはミッテ、伊達に数百年も生きていないな。

「ミネルバと言うんだ、よろしく頼む」
「キューキュー」
「おお、ミネルバちゃんか。可愛いのぅ」
 大きなクモなので、一般的には可愛いという奴は居ないと思う。どういう思考回路をしているか分からん人物だ。それを言ったら俺もそうなんだけどね。
 まあ、国王すら恐れない俺が唯一恐れる人物なだけはあるということだな。

「ダークネス・ガラクシャ・ナクアの糸で作った服は丈夫ですぞ」
「服か……。ミネルバ、作れるか?」
「キュッ!」
 任せろと言っている。

「だったら俺の制服を作ってくれ」
「キュッキュッ!」
 どんと来いと言っている。

 ミネルバの種族が分かったから、訓練場へ向かう。
 木剣を手にして、素振りをする。

「スピナー様。お久しぶりです」
「ベルトナイトか」
 ボルフェウス公爵家には騎士団がある。
 騎士団を持つ貴族は伯爵以上に限られる。
 このベルトナイトはボルフェウス騎士団の副団長だ。

 こいつは強い。俺など赤子同様にあしらわれる。ただし、総合力だと俺のほうが上だ。
 身体能力を上げるフィジカルアップやその他の魔法を使うと、俺のほうが手加減をすることになる。これでも俺は災害級のドラゴンゾンビを倒せるだけの魔法使いと剣士―――魔法剣士でもあるからな。

「手合わせを頼む」
「いいでしょう」
 木剣を構えベルトナイトを見据える。
 サラサラの紫色の髪がそよ風に揺れる。ああ、イケメンは見ていてムカつく。

 一瞬で間合いが詰まる。共に踏み込んで打ち合うと、木剣が悲鳴をあげているように聞こえた。
「はっ」
「ふんっ」

 鍔迫り合い。力は互角。と言いたいところだが、これは手加減されている。ムカつくぜ。
 距離を取って一瞬で縮める。フェイントを入れて逆を突くが、予測していたかのように対応される。
 逆にフェイントを入れられた攻撃につられて動いた俺は、右腕を打たれた。

 右腕がジンジンと痛み痺れる。骨が折れないギリギリの手加減がされている。そういった技量も素晴らしい。
 左手で落とした木剣を拾い、ベルトナイトに一礼する。

「腕は鈍っておりませんな」
「あっさりやり込められたのに、そう言われると自信をなくすぞ」
「スピナー様の剣の実力は上級騎士には届きません。されど、スピナー様の本領は魔法と剣の融合にございます。フィジカルアップ以外の魔法を使わないのに、中級騎士の上位と互角に打ち合えるのですから誇ってください」

 ボルフェウス騎士団の騎士には従者、下級騎士、中級騎士、上級騎士の四段階の位階がある。
 多くは従者で騎士ではないが、実力次第で家柄など関係なく昇格できる。
 俺の剣の実力は中級騎士程度。自分のことは自分で身を護るつもりで始めた剣だが、そこそこの実力になっている。