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 017_王女リーンの気持ち
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 座り心地の良いシートに座り、リーン様の言葉を待つ。
「………」

 いつまで経ってもリーン様は口を開かない。近衛騎士パルマーが耳打ちすると、屋敷まで送ってくれるとリーン様が言った。

「リーン様はどこかへお出かけになるところだったとお見受けいたします。私のことは気にしないでください」
「いえ、わたくしはどこにも行く予定はありません」
 プラットホームに居たのだから出かけるものだと思ったんだが、違うようだ。

 それならなんであそこに居たのか?
 もしかして、列車オタク? 分かる、分かるよ、その気持ち。列車のあの重厚なフォルムは筆舌しがたいものがあるよね。
 おっといけない。リーン様がそんなことに興味があるわけないよな。

「わたくし……スピナー様に謝りたいのです」
 ん? 謝る? どういうこと?

「何をと仰りたいようですね」
「失礼ながら、他の方とお間違いでは? 私にはまったく心当たりがありませんので」
「いいえ、スピナー様で間違いありません」
 リーン様が身を乗り出してきた。胸元がもう少し開いたドレスなら良かったのに……。

「ゴホンッ。私には心当たりがありませんが、どういったことに謝罪をとお考えなのでしょうか」
 リーン様は座り直して、両手を胸の前で結んだ。美少女がそういった仕草をすると、とても可愛らしいね。

「入学試験の日に、わたくしはスピナー様にとても失礼なことをしてしまいました」
「入学試験……あぁ、あのことですか。リーン様がそんなに気にすることはありません。そもそも私は公爵家の者ではありますが、四男ですから成人したら平民になる身なのです。その私に王女殿下であるリーン様が降嫁するという話自体がおかしいのです。リーン様が仰るように、あの話はなかったことにしてもらうように私からも父に頼んでいますので、大丈夫ですよ」
「いえ、違うのです!」
「はい?」
 リーン様は目を潤ませている。何か気に障ることを言っただろうか?

「わたくしはスピナー様のことを何もしらずに、失礼なことを申しました」
 俺のことを知らないって、面識もないのだから当然だと思うよ。そもそも一面識もないのに、知っているほうが怖いんですけど。

「あの後、父からスピナー様のことをお聞きしました。噂されていたような人ではないのに、私はとても失礼な態度をとってしまいました。スピナー様に不快な思いをさせてしまったことを、深く反省しています」
 国王から何を聞いたか知らないけど、噂って何かな? リーン様の反応からしてろくな噂じゃないんだろうな。

「あの、噂というのはどういったことでしょうか」
「それは……」
 リーン様は申しわけなさそうに、噂について教えてくれた。
 変人なのは否定しないけど、癇癪持ちというのは反論があるところだ。誰が使用人を殺したって? その噂を流した奴を探し出して謝罪を要求したろか。

「なるほど……。そういった噂を聞けば、リーン様が私を毛嫌いするのも無理もないことです。ですが、私は気にしていませんので、気に病むことはありません」
「では、わたくしを許していただけるのですか」
「許すも何も、私は怒っていません。それに謝るのは私のほうです」
「スピナー様は何も悪くありません」
「そうではないのです。私は将来は平民になって冒険者になろうと思っています。その考えは今も変わりありません。ですから、王族であるリーン様との縁談を迷惑に思っていたのです」
「スピナー様! それはリーン様に対して失礼ですぞ」
 近衛騎士パルマーが目くじらを立てた。俺も少し失礼なことを言っている自覚はあるからこの反応は予想の範疇だ。

「お止めなさい」
「し、しかし……」
「メリルは黙っていてください」
「承知しました」
 近衛騎士パルマーを黙らせたリーン様は、俺をまっすぐ見つめてきた。
 なんの濁りもない澄んだ瞳は、まだ世情に汚れてないのだと思わせるものだ。
 そんな澄んだ目で見つめられたら、惚れてしまうだろ。

「近衛騎士パルマー様の仰ることは、当然のことです。ですが、平民になりたいと思っている私にとって、リーン様との縁談は大きな障害でしかないのです。だから、リーン様があのように仰ってくださったことが、とてもありがたく嬉しかったのです」
 俺は自重することなく、言葉を続ける。

「ですから、私に謝る必要はありません。リーン様は他の貴族と婚約し、私は平民になる。これで万事丸く収まるというものです」
 リーン様と俺の婚約話は、お互いの合意の上でなくなるのだ。

「うふふふ」
 リーン様が手で口を押えて笑い出した。笑い話ではないのだが?

「わたくし、決めました」
「何をでしょうか?」
「スピナー様との縁談のことです」
「はい。私も父にお断りの念を押しておきます」
「いえ、そうではありませんの」
「???」
 リーン様は何が言いたいんだ?

「わたくし、スピナー様と婚約させていただきたいのです」
「へ?」
「今のスピナー様の言葉に嘘はないと思っています」
「……はい、ありません」
「スピナー様の人となりは、父から聞きました。そして今、スピナー様とお話させていただき、この方であれば信じられると思いました」
 リーン様の勢いに俺はタジタジになる。

「えーっと……今の話のどこがそのような話になるのでしょうか?」
「貴族というのは見栄を張り、自分を大きく見せようとするものです。ですが、スピナー様は正直な方です。わたくしは、そんなスピナー様に好意を持ちました」
 えぇぇぇ……。

「あ、あの。俺は平民になるんですよ」
 あっ、しまった。つい、地が出てしまった。

「わたくしも平民の妻になる覚悟を決めました」
「いやいやいや、それは軽率です! 王族が平民の暮らしなんてできませんよ!」
 こうなったら地が出ようが構わない。諦めさせなければ、大変なことになる。

「それはスピナー様も同じことだと思いますが?」
「いや、俺の場合は、ずっと平民になると言っていましたし、そう考えて行動してきました」
「わたくしも、これからそうします」
 なんてこったーっ!

「パルマー様! リーン様をお諫めしてください!」
「私の役目はリーン様の護衛ですから」
「えぇぇ……」
 なんだよ、その生暖かな目は!? あんたの主が平民になると言っているんだぞ。
 頭を抱えたところで、屋敷に到着。

「スピナー様が本日戻られると、ボルフェウス公爵に教えていただきました。今日はこれで帰りますが、改めてお礼にお伺いさせていただきますとお伝えください」
 パパにハメられた!?

「それでは、失礼します」
 リーン様を乗せた黒塗り王族仕様車は軽快な音を響かせて走り去っていった。
 このもやもやした気持ちをどうしてくれようか?

「スピナー坊ちゃま。お帰りなさいませ」
「「「お帰りなさいませ」」」
 使用人たちが玄関前に並んで、俺を待ち構えていた。

「早速ですが、ご当主様がお待ちにございます」
「……分かった」
 俺はパパの部屋に向かった。俺をハメたパパと戦争だ!