クモ使いだとバカにしているようだけど、俺はクモを使わなくても強いよ?【連載版】

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 009_リーンの場合2
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「このバカ者がっ!」
 お父様に呼ばれ執務室に入った瞬間に、わたくしは怒鳴られました。

「リーン! 余はお前に失望した。しばらく謹慎しておれ!」
「お待ちください、お父様。なぜわたくしが謹慎しなければいけないのですか」
「そんなことも分からぬのか! この痴れ者が!」
 お父様は顔を真っ赤にして怒っています。こんなお父様は、初めて見ました。

「陛下、落ちついてください」
「これが落ちついていられるか! 断り続けるボルフェウス公爵に無理を言って、やっと婚約できそうだったんだぞ。それなのに、このバカ娘が台無しにしてくれたわっ」
 え? 無理を言ってきたのはボルフェウス公爵のほうでは……?

「姫様。何故にスピナー殿にあのようなことを申したのでしょうか?」
「丞相は彼の噂を耳にしたことがありますか?」
「なるほど、噂を聞いたわけですね。どのようなものでしたか?」
 丞相は厳しい顔をして、問いただしてきた。

「どんなって───」
 性格がかなり歪んでいて、癇癪持ち。ちょっと気に入らないことがあったらメイドなどの使用人を鞭打ち、時にはやり過ぎて使用人を殺してしまうこともあると教えてあげました。
 これで彼の評価は下がるでしょう。お父様もお怒りを収めてくれますわ。

「まさかそんなデマを信じるとは……」
 お父様が頭を抱えて、丞相に何かを取るように命じました。
 丞相が書類を持ってきて、お父様が受け取ります。

「これを見よ。我が手の者が調査を行った報告書だ」
「調査……ですか?」
「可愛い娘を嫁に出すのだ。相手を徹底的に調べるのが当然であろう」
「………」
 その報告書を手にして目を通します。
 なんですか、これは?

 1歳の時に読み書き算術を覚え、2歳の時には古代魔法文字を解読。4歳の時に古代魔法文字解読書を著して、賢者マグワニス殿がスピナーに弟子入り? 賢者殿がそんなことするわけがない……。

 5歳の時に……え、シャンプーを開発した? わたくしも使っているものだわ。あれを使い出してから、髪に艶が出て張りがあるとお母様が仰っていました。

 9歳の最近まで色々なものを開発し、それらの商業特許を得ていることから資産は国家予算の2年分を上回る。え、国家予算の2倍以上? 本当なの?

 性格は温厚で誰もがスピナーの専属使用人になりたいと言うほど……わたくしが聞いていたことと反対です。

 武術の稽古は3歳の時に始め、6歳の時には騎士と互角に打ち合う。あの小さな体でどうやって騎士と互角に打ち合うのでしょうか?

 この報告書はおかしいです。信じられないことばかり記載されています。

「それは余の手の者が丁寧に調査し、事実に基づいて書かれた報告書だ。未確認なことは記載されてない」
「これが全部確認されていることなのですか?」
「そうだ」
 もしこれが本当なら……いえ、お父様がそこまで仰るのですから本当のことなのでしょう。
 つまり、わたくしが聞いていた話のほとんどは嘘。わたくしは嘘に踊らされて、彼にあのようなことを言ってしまった。

「分かったであろう。スピナーはこの国に必要な人材だ。本人は成人したら冒険者になると言っておるようだが、できれば国の中枢で働いてほしい。それがかなわず冒険者になったとしても、この国に繋ぎとめなければならない」
「………」
「天才故か、突飛もない言動があるようだが、その結果はそこに書かれている通りだ。変人かもしれないが、他者を蔑んだり貶めるようなことはない」
 わたくしが軽率だったということですね。

「公爵には余から謝罪をしておく。少し冷却期間を置く。リーンはしばらく謹慎していろ。だが、学園が始まったらすぐにスピナーに謝罪するのだ。いいな」
「……はい。申しわけございませんでした」
 わたくしは力なく謝罪するのが精一杯でした。

 
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 010_列車の旅
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「子供1枚」
 セントラルステーションに入り、切符を購入した。
 このセントラルステーションは、国内外へと線路が伸びる巨大ターミナルだ。

 切符を購入し、駅員がパチンッと小気味良く穴を開ける。
 南部へ向かうホームへと入り、そこに停まっている列車に乗り込む。
 先頭の機関車は漆黒ボディで、いかにも力がありそうだ。煙突からは湯気が出ていてもうすぐ発車するぞとスタンバイしている。

「しまった……」
 個室に入って、席に座って思い出した。だが、すぐにそれが解消できると思い至る。
「おい、君」
 窓を開けて、少女を呼ぶ。少女と言っても、俺より年上の13歳くらいの子だ。ボブカットの茶髪がとても似合い、ソバカスが特徴的な少女が近づいて来た。

「まいどー。シャケ弁ですか、それともバークレイマスの刺身丼ですか?」
 駅弁を買い忘れていたのだが、売り子が居てくれて助かった。

「シャケ弁とバークレイマスの刺身丼を1個ずつ、それとミント水を1つだ」
「はーい。って、ここ特等車っ!?」
「ん、特等車だと駅弁は買えないのか?」
「でも、特等車の人はレストランで食べますから」
「ああ、そういうことか。俺は駅弁派だから大丈夫だ」
 特等車に乗るのは金持ちばかり。だから、駅弁など買わずに高級な料理を出すレストラン車で食事をする。彼女はそれを言っているのだ。

 代金を払って駅弁を受け取る。少女は「まいどありー」と元気な声を残して立ち去っていく。
「やっぱり列車の旅は駅弁だよ!」
 まずは生もののバークレイマスの刺身丼からいただこう。

「ミネルバも食べるか」
 基本的に小さな虫を食べるミネルバだが、バークレイマスの刺身を小さく切ってわけてやると食べた。
「美味しいか」
 足を上げて美味しいと返事する。ういやつだ。

 俺は一緒についている醤油をかけて、ワサビを広げて口に運ぶ。
「うん、美味い!」
 駅弁は列車の旅の前でも美味しかった。

 汽笛が鳴り、発車の時間を知らせる。
 時々車輪が空回りする音が聞こえ、徐々に動き出す。
 空回りはすぐになくなり、車輪は線路を力強く走り出した。

 列車に揺られ、流れゆく景色を眺める。
 俺が目指すのはグレディス大森林。この森を隔てて8カ国が国境を接する場所だ。

 ・
 ・
 ・

 グレディス大森林に到着した。ここは多くの魔物が闊歩する魔境。
 この森ならミネルバをもっと存在進化させることが可能だ。今から楽しみで仕方がない。

「俺は野営の準備をしているから、好きなだけ狩りをしておいで」
 ミネルバは嬉々として狩りに向かった。

「石生成」
 コの字型に石を生成して、薪を集めて立体的に組む。

「着火」
 ボワッと薪に火が移り、パチッと薪が爆ぜる。
 湿気っていた薪があったようで、煙がちょっと多い。
 背嚢から鍋を出して火にかける。

「清水」
 鍋に水を溜めたら、この森に入って採取した薬草を千切って入れる。
 次は干し肉をサバイバルナイフで細かく切って煮込む。
 ことこと煮込んで、いい感じに出汁が出たところで味噌を加える。
「この味噌が決め手なんだよね。これがあるとないとでは、美味さが全然違うからね」

 醤油も持ってきているが、今回は味噌スープだ。
 具がごろごろ入った……薬草と干し肉だけだが、味噌スープは美味いんだよ。

「ん、ミネルバがまた存在進化に達したか」
 そんな感覚が伝わって来て、すぐにミネルバが戻って来た。

「1日で3回も存在進化するとか、ミネルバは天才か」
 俺の肩の上で糸に包まる。
 その間に味噌スープをいただくとするか。

「ふーふー、はふはふ。美味い!」
 干し肉がいい具合に柔らかくなっている。
 芳醇な味噌の香りもいいし、薬草のアクセントもいい。
 数百キロの長旅をしてきた疲れが、薬草の効果で癒されていく。

「ふー、満腹だ」
 そのタイミングでミネルバが繭から出て来た。相変わらずしわくちゃな体だ。
 ちょっと待つとクモの体がはっきりしてくる。色は変わらず黒に赤と青の斑点があって、大きさは2センチプラスの6センチくらいだ。
 存在進化が嬉しいようで、ミネルバはあっちこっち跳ねている。

 周囲に結界のマジックアイテムを設置した。
 この結界の中に居れば、魔物に気づかれることはない。
 臭い、音、姿、熱、振動、魔力の全てを隠してくれる。
 それでも進入されたら、警告音が鳴るようになっている。

 焚火の前で外套に包まって、木の根を枕にする。
 森の奥からは魔物と思われる鳴き声が聞こえてくるが、俺はその魔物を狩りに来たのだから不安はない。
 木々の枝葉の間から見える夜空には、満天の星が輝いている。

 ある学者はあの星は死者の魂だと言うが、俺は違うと思っている。
 あの輝きは天体のものだ。この考え方を支持する学者はあまりいない。
 星は1年周期で見える場所が移り変わったり見えなくなるが、1年経つと同じ場所にまた現れる。
 規則正しく、まったく同じ場所にだ。

 死者の魂の輝きなら、星の数に変化が見られないことに矛盾が生まれる。
 1年周期で同じ場所に現れる理由も明確になってない。
 ロマンティストたちはそれらを無視して、魂だと強く主張する。
「星のことはどうでもいいな」
 俺はゆっくりと目を閉じる。胸の上に居る大きくなったミネルバの重さを感じつつ、眠りについた。

 
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 011_魔物のミネルバ
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「今日もいい天気だ」
 俺の声にミネルバが跳ねて同意する。
 朝食を摂り、火の後始末をして、背嚢に外套や食器などをしまう。

 代わりにノートを出す。
 ミネルバの観察及び考察を記録するためだ。

 これまでに3回の存在進化を繰り返したミネルバ。
 最初、俺が眷属にした時の種族は、アカマダラクモ。これは学術書にあった。
 1回目の存在進化後は、アカマダラクモよりも体が大きくなったが、それ以外の特徴は同じだ。アカマダラクモ亜種と言ったところだろう。
 2回目の存在進化後に、大きさ以外で青い斑点が増えた。ミドルアカマダラクモ亜種と仮に名づける。
 そして3回目の存在進化を経て今の体になっている。ビックアカマダラクモ亜種と仮に名づけた。
 つらつらと記載して、ノートを閉じる。

「ミネルバ、今日は魔物を狩るからな」
 おーっといった感じで、ミネルバは足を挙げた。

 ミネルバだけ強くなっても、俺が未熟だといけない。
 俺は魔力を効率的に循環させ、身体能力を上げる。
 ミネルバがあっちだとジェスチャーしたほうに速足で進みながら剣を抜く。

 視界に魔物の姿が入った。カマキリ型の魔物だ。
 大きさは50センチほどで、木の枝に擬態している。手の鎌が鋭い。
「ソードマンティスか。肩慣らしに丁度いい」

 魔物には危険度によってランクがつけられている。
 下からG、F、E、D、C、B、A、Sランク。さらにSランクの上に災害級というものがある。

 ソードマンティスは危険度Eランクの魔物だ。
 擬態して不意打ちするのが戦い方だが、先に発見すればそれほど危険な魔物ではない。
 俺は日々の研鑽によって気配を感じることができるから、不意打ち特化のソードマンティスと相性がいい。

 音を抑えて一気に距離を詰めると、剣を振り切った。
 まさか不意打ちを喰らうとは思っていなかったソードマンティスは、何が起きたのかも分からずに首が地面に落ちる。

 さて、ソードマンティスを解体しようか。
 魔物には魔力を多く含む臓器がある。昆虫型でも獣型でも関係なく、その臓器は等しく魔物にはあるのだ。
 それは魔臓器と呼ばれているのだが、それを回収しないとゾンビになって復活してしまう。

 ソードマンティスの細い体をナイフで切り開く。
「あったぞ、これだ」
 透明で5ミリにも満たない小さなクリスタルのようなものが魔臓器だ。
 とても臓器には見えないが、この魔臓器がないと魔物とは認められない。
 魔臓器に付着した体液を拭き革袋に入れようとすると、ミネルバが俺の手の上に下りてきた。

 魔臓器を足で突っつき、何か物欲しそうな感情が流れてきた。
「この魔臓器が欲しいのか?」
 頭を上下して肯定した。
「食べ物ではないぞ」
 大丈夫だと言っているように感じた。
「分かった。あげるよ」
 動物が魔臓器を食べるという知見や書物はなかったと思う。
 ミネルバが魔臓器を食べたら、世界で初めてのことかもしれない。

 俺の手の上で魔臓器をカリッカリッカリッカリッと鋭い顎で砕きながら食べるミネルバを見つめる。
 魔臓器が美味しいと、歓喜の感情が流れ込んでくる。
「美味しいみたいで良かった」
 魔臓器をぺろりと平らげたミネルバは、ピョンピョン跳ねて美味しかったと主張する。
 ひと際大きく跳ねたと思ったら、俺の肩に乗って糸で繭を作った。

「ほう、魔臓器を食っても存在進化するのか」
 俺はノートを出して、そのことを書き込んだ。
 さて、魔臓器を食ったミネルバは、どうなるのか。

 今回はやや長く繭の中に閉じこもっていたミネルバだが、1時間ほどで出て来た。
「むっ、お前……魔物になったのか」
 ミネルバから発せられる魔力が、動物の域を超えている。
 よく見ると一番前の左右の足が、鎌のようになっている。
「キュキュー」
 しかも鳴き声を発するようになった。
 体長は10センチ。真っ黒で斑点はなくなった。

「たしか……思い出した。スモールスパイダーか」
 俺の記憶が確かなら、今のミネルバの姿は危険度Fランクのスモールスパイダーだ。
「魔臓器を食ったら魔物に存在進化するのか? これはテイムされているクモだからか? それともどんな動物でも、魔臓器を食ったら魔物になるのだろうか? 人間が魔臓器を食ったらどうなるんだ?」
 考えだしたら疑問が尽きない。

 
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 012_好き嫌い
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「ミネルバはもっと魔臓器を食べたいか?」
「キューキュー」
 食べたいと言っている。
「よし、もっと魔物を狩るぞ!」
「キュー」
 鎌になった2本の前足を上げて、俺の言葉に応えるミネルバの仕草が可愛い。

 次の魔物を探して進むと、今度はブラックリザードを発見した。
 体長1メートルほどのトカゲ型の魔物で牙に毒がある。危険度はEランク。
 地面を蹴ってジャンプして、頭部に剣を突き刺す。
 ビクッと体が跳ねたが、反撃されずに死亡を確認。
 解体して魔臓器を抜き取る。今度は黒いクリスタルのような魔臓器だ。

「黒の魔臓器だが、食うか?」
「キュー!」
 俺の手の上で黒の魔臓器に食らいついた。

 魔臓器はその魔物が持つ属性によって色が変わる。
 無属性なら透明、火属性は赤、水属性は青、風属性は緑、土属性は茶といった感じだ。
 今ミネルバが食べている黒は闇属性になる。
 また、強い魔物ほど魔臓器の重量が重くなる。体積ではなく重量で、魔物の強さが測られるのがスタンダードだ。

 真っ黒なミネルバだが、スモールスパイダーは無属性の魔物だ。
 無属性の透明ではなく、黒の魔臓器でも食えるようだな。自身の属性でなくてもいいということだろうか。

「キュ~」
 美味しかったと言っている。
 存在進化は起きないか。さすがに、連続で発生するものではないようだ。

 次に発見した魔物はマーブルホッパー。
 体長2メートルのバッタ型の魔物で、体中に毒々しい斑模様がある。こんな毒々しい模様なのに毒はなく、頭の先端にある角で敵を突き刺す硬派な戦い方だ。
 10メートルを一瞬で移動する脚力から繰り出される刺突攻撃はかなり危険だが、直線的な攻撃しかしないので対処は簡単だ。

「ほいっと」
 スガン。
 俺を突き刺そうと一気に距離を詰めてきたマーブルホッパーを躱したら、後ろにあった大木にその角が刺さって、身動きが取れなくなった。
 これを狙ってわざと大木を背にしたわけだが、こんなに簡単にハマってくれるとは思いもしなかった。

「キュー!」
「ん、ミネルバが()るのか?」
「キュッキュ!」
「よし、行け」

 俺の肩からマーブルホッパーに向かって飛び出したミネルバは、その鎌のような前足で切りつけた。
「浅い」
「キューッ」
 マーブルホッパーの上に乗って、鎌で切るがパワーが足りない。
 マーブルホッパーは足でミネルバを蹴ろうとしたが、それを巧みに躱す。

「キュッキュッキューッ」
 怒ったぞと言っているようだ。
 糸でぐるぐる巻きにし、マーブルホッパーの動きを封じると、傷口に何度も鎌を叩きつけて傷を深くさせていく。
 同じところを切りつけるとか、ミネルバは賢いな。

 マーブルホッパーは藻掻くが、糸が邪魔して思うように動けない。
 やがてマーブルホッパーは動かなくなり、死亡した。

 木に角が刺さらなかったら、ミネルバに勝ち目はなかっただろう。
 なんとも間抜けな死に方だが、このちょろい魔物が危険度Dランクなんだよ。
 解体して透明の魔臓器を回収すると、ミネルバはそれも食らった。
「キューッ!」
 存在進化だ。俺の肩に乗って繭を作った。

 存在進化したミネルバの種族は、ポイズンスパイダーになった。
 危険度Eランクのポイズンスパイダーは、体長15センチ程で毒を使う。前足の鎌も体に比べ大きくなっている。
「毒ということは、闇属性がついたか。黒の魔臓器を食ったからだろうな」
 黒の魔臓器を食ったら闇属性になった。他の属性ならどうなるのかな?
 メモを忘れずに書いておこう。

「面白くなって来たぞ! ミネルバ、どんどん狩るぞ!」
「キューッ」
 俺とミネルバは、グレディス大森林の奥へと向かった。

 グレディス大森林は外周部こそ危険度EやDランクが生息するが、ちょっと奥へ入っただけでCランクやBランクが出て来るような場所だ。

「はっけーん」
 危険度Cランクのビッグマウス。体長5メートル程のミミズの魔物だ。
 その名の通り、体の太さ以上に口が開いて人間を丸飲みにする。
 しかも、数万本の歯がかえしのように何層もあって、一度食らいつかれたら離れない。

「エンチャントウオーター」
 剣に水属性を纏わせる。

「キューキューッ」
「ん、ミネルバがやるのか? うーん。あいつCランクだから、強いぞ」
「キュキュッ」
 鎌をカチンッカチンッと打ち鳴らして、やる気満々だ。

「分かった。それじゃあ、エンチャントフィジカルアップ」
 ミネルバの身体能力を上げる。
 Cランクのビッグマウスを相手にするんだ。これくらいは良いだろう。
「行ってこい!」
「キューッ!」

 ピッシュンッと飛び出したミネルバは、その鎌でビッグマウスの分厚い皮を切った。
「切れ味はいいが、鎌が小さいから浅傷(あさで)だな。こればかりは厳しいか」
 15センチのミネルバの鎌の長さは3から4センチ。それに対してビッグマウスの胴体は50センチで、皮の厚さは10センチくらいあるはずだ。

 動きはミネルバのほうが圧倒的に速く、ビッグマウスはミネルバの動きに翻弄されている。
「ジリ貧だな」
 動きが速くてもビッグマウスの分厚い皮に阻まれて致命傷は与えられない。

「ん? ビッグマウスの動きが……。ああ、毒か」
 ポイズンスパイダーであるミネルバには毒があった。
 毒なら小さな体のミネルバでも勝ち筋がありそうだ。
 ビッグマウスの動きがどんどん緩慢になっていき、やがて動きが止まった。

「よくやった、ミネルバ!」
 俺はミネルバを持ち上げて、褒め称えた。
「すぐに解体するから、ちょっと待ってろよ」
「キュー」
 分厚い皮に短剣を突き刺して、縦に斬り裂いていく。皮の下にはピンクの肉があり、これは豚肉のように美味しいらしい。

「こいつの肉は美味いというからな」
 本来は肉が美味しい魔物なんだけど、毒で殺したから少し不安がある。だが、毒抜きすればいいだろう。
 1キロほどを切り取って、ガルスの葉に包む。ガルスの葉は抗菌作用がある成分を含んでいるから、生物を包むのにいいんだ。干し肉を包んでいたものを再利用だ。

「魔臓器があったぞ」
 土属性の茶の魔臓器を取り出す。

「食うか?」
「キュイー……」
「茶の魔臓器は要らないのか。もしかして、透明と黒が好きなのか?」
「キュイキュイッ!」
 魔臓器の好みがあるらしい。この魔臓器は革袋に入れて、後日研究に使うとしよう。

 
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 013_ドラゴンゾンビ
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「うりゃっ」
 エンチャントフレイムによって炎を纏った剣でドラゴンゾンビを斬りつけると、追加効果として傷口が燃え上がる。
「ギャオォォォォォォォッ」
 ドラゴンゾンビは炎に半身が包まれて絶叫する。

 俺は絶賛戦闘中だ。相手は天災級の魔物のドラゴンゾンビ。ヤバいやつだ。

「キューッ」
 存在進化を繰り返したミネルバは40センチまで大きくなり、アトラク・タランという危険度がAランクの魔物に進化している。
 ミネルバの超高速立体機動にドラゴンゾンビはまったくついていけず、その腐肉は切り刻まれていく。

「グラァァァァァァァァァァァッ」
 大きな口を開く。4重に並ぶ鋭い歯が数百本も見える。それだけで噛まれたらただでは済まないのが分かる。
 喉の奥から黒紫の粒子がこみ上げてきて、ドラゴンゾンビの口内を禍々しいものに彩る。

 ───腐食ブレス。
 触れたくもないどす黒いブレスが、吐き出される。
「マナシールド」
 魔力を物理的なシールドに変え、俺自身を包み込むように展開する。
 木々や草花が枯れていき、朽ち果てる。
 生命溢れる大地が、腐食ブレスによって死の大地へと変貌していく。
 ドラゴンゾンビを中心に、弧状に腐臭漂う毒の沼地へと変わってしまった。

「ミネルバは大丈夫だな」
「キューッ」
 ドラゴンゾンビの後方に居たミネルバは、腐食ブレスの影響なく元気一杯だ。
 俺もマナシールドで自分の身を護ったから、ダメージはない。ただ、俺の周囲は酷い状態だ。

「この大地を元の緑溢れるものに再生するのに、何百年かかることか」
 変貌した大地を見渡してため息を吐く。
 俺との戦いでこの大地が汚染されたように見えるが、ドラゴンゾンビが存在するだけで大地は腐っていく。
 だから、ドラゴンゾンビ(こいつ)を放っておくわけにはいかないんだ。

「エンチャントホーリー」
 聖属性を剣に付与する。
 ゾンビ系の魔物は、総じて聖属性が弱点になる。

「皆の迷惑になるような死に方をしやがって!」
 ジャンプしてドラゴンゾンビの首を斬る。傷口から浄化されて、腐肉が消滅していく。

「ギャオォォォォォォォッ」
「うるさいんだよ!」
 背中に剣を突き立てて、尻尾に向かって走る。
 腐肉が浄化されていき、その下にある骨や腐った内臓が見える。

 ドラゴンゾンビは尻尾を振って俺を叩き潰そうとするが、ミネルバの糸によって絡み取られる。
 ミネルバの糸は絹のような手触りの良いものから、鋼鉄よりも高い強度を持つものまで色々と出せる。

 糸が腐肉にめり込む。腐った体液が飛び散る。
「ギャオォォォォォォォッ」
「キューッ!」
 ドラゴンゾンビに糸が絡みついていく。グルグル巻きにされたドラゴンゾンビだが、咆哮一発で糸をちぎった。

「さすがは最強種のドラゴンだ。ミネルバではやや力不足か」
「キュー……」
「落ち込むな。相手は災害級だ。ミネルバが弱いわけではなく、ドラゴンゾンビが強過ぎるんだよ」
 これ以上時間をかけていると、俺たちのほうが負ける。ここで一気にケリをつけるか。

「エンチャントセイクリッド」
 剣に強力な聖属性を付与し、大上段に振り上げる。

「いぃぃぃっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ、セイクリッドスラッシュ!」
 渾身の力を込めた、セイクリッドスラッシュを放つ。
 腐った大地を斬り裂きながら、聖なる斬撃が飛翔する。

 ゴゴゴゴッ。スバンッ。
 ドラゴンゾンビを真っ二つに斬り裂き、その切り口から一気に浄化する。
 眩い浄化光を放ち、ドラゴンゾンビの腐肉が消滅していく。

「ふー。俺、魔力はそこまで多くないんだよ」
【クモ使い】の加護を得た俺の魔力は、【神威の儀】前後で変化はない。俺の魔力は【魔女】を得たリーン様の2割もない。
 魔法を効率的に使うために自分自身に付与したり、剣などの防具に付与するのが戦い方になる。
 魔力を出来る限り省エネ仕様で使わないと、すぐに魔力切れになってしまう。

 ドラゴンゾンビの腐肉と内臓は消え去った。残ったのは骨と魔臓器だけ。
「キューッ!」
 ミネルバが魔臓器を持ってきた。ズシリと重たいどころのものではない。
 拳大の大きさなのに、その重さは50キロくらいありそうだ。
「キュッキュッ」
 元はアースドラゴンだったためか、魔臓器は黒色に少しだけ茶が混ざっている。

「アースドラゴンは大地の守護者だと言うが、ゾンビになってしまったら森を腐らせる害獣でしかないか」
 なんとも皮肉な結末だ。

 アースドラゴンだけじゃなく、ドラゴンには寿命がないと聞く。
 誰かがアースドラゴンを倒さない限り死なないのに、なんでゾンビ化したんだろうか?
 人間が倒したら、その素材を持ち帰るのが普通だ。30メートル級の巨体だから、全部持ち帰ることができなくても魔臓器くらいは持って帰るだろ。

「他の魔物と縄張り争いでもしたか?」
 ドラゴン同士は滅多なことでは争わないから、他の災害級の種族と戦い負けた可能性は否めない。だがその場合は勝った魔物がアースドラゴンを食ってゾンビ化しないはずだ。

「分からん。この森で何が起きているんだ?」
「キュウキュウ」
「ん、この魔臓器を食べるのか? 茶が混ざっているが、いいのか?」
「キュー」
 いいと言うので、魔臓器をミネルバにあげた。

 災害級の魔臓器を食ったミネルバは、近くの木に繭を作った。さすがに40センチにもなると、俺の肩の上では厳しい。

 孵化したミネルバは、体長50センチの黒地に赤色の縞がある大きなクモになった。
 俺と出逢った頃の色合いだが、大きさはまったく違う。
 鎌の足は健在だが、以前よりも小さくなった感じがする。いや、鎌の大きさは変わらずに、体が大きくなったからそう見えるのか。

「何はともあれ、そろそろ帰ろうか」
「キュー」
 今のミネルバの種族名は不明。危険度ランクも不明。ただし、元がAランクだったから、最低でもSランクになっていると思う。

 
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 014_人助け
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 グレディス大森林に入って1カ月近くが経った。
 この1カ月、クモ型の魔物には出逢えてない。
 この森は広大だから、1カ月で探索できる場所などほんの一部でしかない。
 残念ながら今回は一度家に戻ることにしたのだが、もうすぐ森を抜けるという所で、悲鳴が聞こえた。
 どうやら誰かが魔物に襲われているようだ。
「ミネルバ、行くぞ」
「キュッ」

 その悲鳴のほうへ走り出す。
 森の中で4人の男女が、8体のフォレストウルフに囲まれているのが見えた。
 魔法使いと思われる女が、倒れている。

「ミネルバ、行け!」
「キューッ」
 ミネルバの姿が木々の陰の中に消えていく。
 ミネルバは闇属性のクモ型魔物だ。しかも推定Sランクの魔物である。
 闇を操ることなどお手の物で、闇の中に入って移動することもできる。

 再び姿を現したミネルバは、一瞬で3体のフォレストウルフを切り刻んだ。
 間髪入れずに残りの5体を糸で絡めとって、細切れにした。

「ななななな、なんだ、あのクモは!?」
「Dランクのフォレストウルフを一瞬で無力化したぞ!?」
「あああ、私たち……クモに食べられちゃうのね」
「嫌だ、死にたくない……」
 戦士系の男、剣士系の女、魔法使い系の女、僧侶系の男がミネルバを見て腰を抜かした。多分、冒険者だろう。
 4人とも若く見える。おそらく15歳くらいだ。

「大丈夫か」
「「「「え?」」」」
 俺とミネルバを交互に見る4人の動きがシンクロしている。

「ミネルバは俺が使役している。攻撃されない限り攻撃はしないから安心しろ」
 そう言うと、魔法使いの女の傷を癒す。
「あ……ありがとう」
「おう」

 4人が自己紹介できるまでに少し時間がかかった。
「助かったよ。俺は冒険者のサンダースだ」
 戦士系の男はボサボサの赤毛で、体が大きい。

「ありがとう。私はカミラよ」
 剣士系の女はショートの茶髪で、活発な感じを受ける。

「私はエンビー。助けてくれて感謝するわ」
 魔法使い系の女はロングの黒髪で、とても胸が大きい。

「神とあなたに感謝します。僕はニドと言います」
 僧侶系の男は短い金髪に、修道服。

「俺はスピナー。旅の途中だ」
「「「「旅!?」」」」
「なぜ驚く?」
「このグレディス大森林内を旅する意味が分からんのだけど!」
 サンダースがそういうと、他の3人も激しく頷いた。

「俺とミネルバなら、問題ない」
「Dランクのフォレストウルフを瞬殺できるなんて、そのクモちゃんはかなり強いよね?」
「多分Aランクかな」
 本当はSランクか災害級なんだけど、調べてみないと分からないからね。

「「「「はぁっ?」」」」
「そこまで驚かなくていいだろ」
「驚くに決まっているだろ。Aランクの魔物なんて、簡単に使役できないんだぞ」
「サンダースは大げさだな。そんなことより、フォレストウルフを解体しなくていいのか?」
「いや、これはスピナーのだから」
「Dランクの魔物の素材なんて必要ない。4人で分ければいい」
「本当にいいのか?」
「文句言わないし、怒ったりもしないから」
「助かる」
 4人は解体を始めた。もっとも、5体はバラバラになっているので、魔臓器くらいしか回収できないだろう。
 3体は首を切り落としているので、解体すれば毛皮が使えるはずだ。

 解体が終わると、森を出た。
「私たちはゴーザを拠点にしているんだけど、スピナー君はどこへ行くの?」
 傷を癒してやったせいか、エンビーが距離を縮めてくる。
 大きな胸が時々当たってますよ。嫌じゃないけど、気持ちいいから止めてほしい。

「俺もゴーザだよ。列車に乗ってセントラルに行くつもりだ」
「セントラルかー。私もいつか行ってみたいわ」
 ボインッと胸が肩に当たる。いい柔らかさだ。

 話をしながら歩いていると、ゴーザが見えてきた。
 危険なグレディス大森林の近くにあるため、重厚な防壁に守られた町だ。
「それじゃあ、俺はこれで」
「あ、待って。お礼がしたいんだけど」
「そんなことはいい。それよりも、身の丈に合った狩りをするようにするんだぞ。命は1つしかないんだから」
「むー。スピナー君のいけずー」
「いけずとかじゃなく、本気で命を大事にしろよ。それじゃあ」
 エンビーが何かを言いたそうだが、それを振り切って駅へと急いだ。
 あのまま一緒にいたら、食われそうな感じがしたから早めに別れるに限る。

 駅でセントラル行きの列車の時刻表を確認したら、最終便が出てしまった後だった。
 仕方ないので駅の近くの宿に泊まることにした。
「申しわけございません。当ホテルでは未成年者の方だけの宿泊はできません」
「金ならあるぞ」
「お金の問題ではなく、そういう決まりなのです。申しわけありません」
 コンシェルジュが決まりだからと取り付く島もない。

 貴族の権力を振りかざすことはできるが、そんなことをするつもりはない。
 他のホテルを当たることにしたが、どこも同じだった。
「仕方ない。野宿するか」
 この1カ月、森の中で野宿していたのだから、今日1日野宿したって変わらない。

「飯でも食いに行くか」
 町中を歩き、最初に良い匂いがした店に入った。
「1人だが大丈夫か?」
「はーい。お1人様、ご案内ー」
 ウエイトレスについて店の奥へ向かう。

「あっれー、スピナー君じゃない」
「ん。ああ、エンビーさんか」
 先程分かれたエンビーとカミラが食事していた。
「一緒に食べようよ」
「いいのか?」
 俺も男だ。美人の2人と食事するのは、望むところだ。

「いいよ、いいよ。ねぇ~カミラ」
「もちろんだ。命の恩人に食事を奢らせてくれ」
 エンビーが自分の横の席に座れと、ポンポンと椅子を叩いた。

「それじゃあ、失礼する」
「スピナー君。何を食べる?」
「ここのファイアボアのステーキは絶品だよ」
「カミラさんが勧めてくれた、ファイアボアのステーキをもらおうか」
 ウエイトレスに注文する。

「サンダースとニドは居ないのか?」
「あの2人なら、大人の店に行ったわ」
 男女4人のパーティーだから2対2で付き合っているのかと思ったが、どうやら単なるパーティーメンバーのようだ。
 てか、サンダースはともかく、僧侶のニドはそんなところに行っていいのか?

「スピナー君は列車に乗らなかったの?」
「最終便が丁度出た後だったんだ」
「ああ、なるほど~。それじゃあ、今日はゴーザで泊まるんだ」
「そう思ったんだけど、未成年1人ではホテルに泊まれないらしい。おかげで、野宿だ」
「それなら、私とカミラの部屋においでよ。泊めてあげるよ」
「いや、女性の部屋に転がり込むのはさすがに良くないだろ」
「そんなこと構わないよ。ねえ、カミラ」
「うん、構わないよ。スピナー君は命の恩人なんだし、おいでよ」
 そんなに簡単に男を泊まらせたらダメだぞ。
 だが、今日は雨が降りそうだから、助かる。情けは人の為ならずと言うが、本当だな。
「それじゃあ、お言葉に甘えるよ。ありがとう」
 その後、ファイアボアのステーキを食べて満腹になった俺は、2人の家についていった。

 
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 015_帰郷
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 チュンチュン。小鳥が囀る声で目を覚ました。
 昨夜は雨が激しく降ったから、エンビーとカミラの家に泊まらせてもらえて助かった。ただ―――。

「………」
 左を向けばエンビー、右を向けばカミラ。
 2人は全裸で寝ている。目のやり場に困る。
 昨夜は激しかった。マジでヤバいぞ、この2人。

「幼いとは言え俺も男だ。しっかり脳裏に焼きつけておこう」
 エンビーは肉欲溢れた体つきをしている。
 豊満で、たわわで、埋まりたいという欲望を掻き立てる。

 カミラはスリムなモデルのような体形をしている。
 背が高く、スラッとした体形だ。

 この2人、滅茶苦茶酒乱だった。
 おかげで、夜遅くまで飲んで騒いで大変な目に合った。

 一軒家を借りているため苦情はなかったが、アパートなら苦情ものの騒ぎだったぞ。
 最後には全裸になって、どっちが痩せているだとか、エンビーの胸が大きいとか、カミラのお尻が引き締まっているとか言い合った。
 俺としては巨乳もちっぱいも大好きだ。女性の胸というのは大きさじゃないと思う。
 お尻だって歩くたびに揺れるのもいいし、引き締まっていてもいい。

 俺って、節操ないのかな?

 とにかくだ、そういったことを俺に聞いてくるんだ。
 まだ10歳の俺に、何を聞くんだと思いながら2人の裸をしっかり見させてもらった。

 若い女性の全裸、しかも2人とも美人。
 野性味溢れるカミラと、母性溢れるエンビー。俺は2人の寝姿を目に焼きつける。

「さて、そろそろ行くか」
 朝一で列車が出るから、そそくさと着替える。

 高級ホテルのスイートルームに泊まれるくらいのお金と、お酒はほどほどにと書置きを残して家を出る。
 玄関ドアの前ではサンダースとニドが背中合わせで寝込んでいた。昨晩はハッスルしすぎてここで力尽きたようだ。

「夜半に雨は上がったが、こんなところで寝ていると風邪を引くぞ」
「うーん……もうだめ、許して、ああぁぁぁ……」
 サンダースは意外とだらしないようだ。

「うへへへ。これがいいのか? ぐへへへ」
 欲望丸出しの寝顔をするのはニド。4人の中で一番大人しそうなんだが、ムッツリのようだ。

 2階のエンビーとカミラの部屋に向かって手を合わせる。
「良いものを拝見させてもらった。ありがとう」
 踵を返して駅へ向かう。

 朝早いというのに、駅は多くの人で混雑していた。皆はこんなに朝早くからどこへいくんだろうか?
 それはさておき、家に電信するか。電信ボックスに入って、お金をチャージする。
 受話器を取って12桁の番号をプッシュ。
「あ、俺。スピナーだけど、今ゴーザの駅。今日の夕方にはセントラルに到着すると思うから、パパにそう言っておいてくれ。ああ、よろしくな」
 執事が出たからパパに伝言を頼んだ。

「さて、今回は駅弁を買い忘れないぞ」
 込み合うプラットホームの中を売店に向かう。

「お姉さん。フォレストクラブ丼を1つと、ミント茶を1つね」
「はーい」
 駅弁を買って、背嚢に入れる。これで準備良し。

 ・
 ・
 ・

 高速列車にまる1日。特等車は個室でベッドもあるから快適な旅だ。
 セントラルステーションに到着した列車から降り、凝り固まった体を伸ばす。

「うーん、久しぶりのセントラルの匂いだ」
 ゴーザやグレディス大森林に比べると、空気は悪い。それでも俺の生まれ育った場所の匂いだ。

 プラットホームを歩いていると、前方に知った顔があった。
 こんなところで知り合いに出会うとは思わなかった。
 立ち止まってその人物を観察していると、向こうも俺のことに気づいたようだ。

「うーん、どうするか?」
 考えていると、後ろから誰かがぶつかってきた。

「ギャッ」
 俺は倒れることなくその場に立ったままだが、ぶつかってきた奴は尻餅をついた。
 身長135センチ、体重36キロの俺は、50キロ以上ある背嚢を背負っている。

 90キロ近い重量の俺にぶつかってきた奴は、細身の30代の男だった。
「こ、小僧! よくもやってくれたな」
「はぁ?」
 いやいやいや、ぶつかってきたのはあんたなんだけど。

「ご当主様。お怪我はありませんか」
 俺にぶつかってきたのは、貴族のようだ。服についている貴族バッチは子爵だ。
 貴族バッチは貴族位ごとにデザインが違う。騎士は盾、男爵は剣、子爵は槍、伯爵はウマ、侯爵はトラ、公爵はワシ、王族はドラゴンだから、従者に手を借りて立ち上がった奴のバッチは槍だった。

「おい小僧。ガールデン子爵様に無礼を働くとはいい度胸だ!」
 従者が息巻いている。

「ぶつかってきたのはそっちだぞ。言いがかりなら、他でやってくれ」
「なんだと! 下手に出ていればつけ上がりおってからに!」
 従者が剣を抜いて、俺の鼻先に剣を向けた。

「無礼討ちにしてくるわっ!」
 従者が剣を抜いたから、周囲で悲鳴が聞こえた。これ、どう収拾をつけるつもりなんだろうか。
 まさか、本気で俺を殺そうと言うのか? いくらなんでも無理があるぞ。

「何をしているのですか!」
 プラットホームに凛とした声が響く。
 これ、どうなるんだろうか?

 
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 016_憂さ晴らし
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 凛とした声の主は、ザルグアーム・デ・キルラ国第四王女であるリーン様だ。
 彼女がここに居る理由は不明だが、俺が性質の悪い貴族に絡まれているのを見かねたようだ。

「小娘が出しゃばるな」
 従者がリーン様に剣を向ける。こいつ、あとから泣きながら謝るんじゃないか。
 しかし、このなんちゃら子爵は大丈夫か? 相手は俺と違ってなんちゃって貴族じゃないんだぞ。
 護衛の騎士だって、近衛騎士団の紋章つきの鎧を着ているのに。俺、しーらない。

「無礼者!」
 入学試験の時に見たメリル・パルマーという女騎士が出てきた。

「第四王女リーン殿下に剣を向けるとは、謀反人として捕縛されたいようだな!」
「「へっ?」」
 なんとか子爵と従者が呆けた顔をした。
 そりゃぁそうだよな、こんなところに王女が居るとは思わないもんな。
 ただ、護衛の近衛騎士は貴族なら知っていて当然だ。どこの田舎貴族だよ。

「あわわわ」
「ふへふふへ……」
 貴族と従者が変な声を出して後ずさった。

「無礼者ども! リーン様のご前であるぞ!」
「「へっ、へへー」」
 土下座したよ。正式な貴族の礼儀作法というものを知らないのか、こいつ。

「貴様の姓名身分を明らかにしろ!」
「は、はい。わたくしめは、ゴルディアス地方に領地を持ちますウッドスティック・ガールデン子爵と申します。従者が大変失礼いたしましたぁぁぁ」
 子爵は従者が悪いことにして、自分はなんとか罪を免れようと弁明する。その足搔きようと言ったら、見ていて気分のいいものではない。

 しかし、ゴルディアス地方とはまた田舎だな。
 俺の記憶が確かなら、列車を何度も乗り換えて3日以上かかるはずだ。
 このセントラルから最も遠い場所と言っても過言ではない。

「このような人が多いところで、剣を抜くなど正気の沙汰ではない。そちらの少年に怨恨でもあるのか」
「そのようなことはありません。この者がわたくしめを突き飛ばした故、謝罪を求めたのです。しかし、謝罪するどころか開き直りまして、それで従者が剣を抜いた次第にございます」
 よくもまあ、そんな嘘をスラスラと言えるものだ。
 この子爵は口から生まれてきたのか?

「ほう、こちらのスピナー様が貴様を突き飛ばしただと?」
「はい。そのスピ……ん? この者の名をなぜ知っているのでしょうか?」
「そなた、まさかこちらの方がボルフェウス公爵家のスピナー様だと知らないのか?」
「「えっ!?」」
 知っていて俺に剣を向けたんなら、パパにかなりの恨みを持っていたんだろう。
 もしくは、俺が知らないところで、こいつに恨みを持たれた?

「スピナー様。こちらのガールデン子爵が仰ったことは、本当のことですか?」
「近衛騎士パルマー様。私がここで立っていたら、こちらの子爵様に後ろからぶつかられたのです。突き飛ばすどころか、こちらの子爵様が後ろに居ることさえ知りませんでした」
「わたくしも見ていました。その者はスピナー様の背後から近寄り体当たりをしました」
 あら、リーン様が俺の肩を持つなんて、どんな風の吹き回しなんだろうか?

「つまり、ガールデン子爵はボルフェウス公爵家に何か含むところがおありのようだな。このことはボルフェウス公爵に報告させてもらう」
「そ、そのようなことは!」
「黙れ! この痴れ者が!」
 近衛騎士パルマーに一喝されて、子爵はうな垂れた。

「ねえ、なんで俺にぶつかったわけ? ウチか俺に恨みでもあるの?」
「……ただ長旅の憂さを晴らしたいと思っただけで……知らなかったんだ」
 貴族にまったく見えない俺がボーっと突っ立っていたから、憂さ晴らしに丁度いいと思ったわけか。
 そんなことで人生を棒に振るなんて、バカなことをしたものだ。

 近衛騎士パルマーは子爵の身分証をしっかりとチェックして、子爵を解放した。
 いずれウチから何かしらのアクションがあるだろう。俺はどうでもいいけど、貴族社会では面子が重要だからね。これを放置したら、パパや家が舐められる。

「リーン様。近衛騎士パルマー様。この度はありがとうございました」
 後から文句言われないように、丁寧にお礼を言った。

「いずれ、父を通して今回のお礼をしたく思いますが、本日はこれで失礼いたします」
「お待ちください」
 さっさと立ち去ろうとしたら、リーン様に呼び止められてしまった。
 王族とはあまり関わり合いになりたくないので、すぐに立ち去りたかったんだけど。

「はい。何か」
「あの……場所を移して、少しお話をさせていただけないでしょうか」
 むぅ……。こんな美少女に上目遣いされたら断りにくい。王族でなければ、お付き合いしてくださいと申し込むところだ。

「私はこのような恰好ですが、よろしいでしょうか?」
「構いません」
「分かりました」
 場所を移すため、セントラルステーションから出る。
 黒塗りの超高級魔動車にリーン様、近衛騎士パルマー、俺の3人が乗り込んだ。

 広い車内に3人。
 外装は最高級のアダマン合金の防魔法仕様だったが、内装もさすがは王族といったしつらえだ。
 このシートに使われている革は、危険度Bランクのグレーターバッファローか。手触りが良くて丈夫なんだよな、これ。防具にも使われる素材だけど、危険度Bランクの魔物の皮が素材だから高級革として知られている。

 
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 017_王女リーンの気持ち
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 座り心地の良いシートに座り、リーン様の言葉を待つ。
「………」

 いつまで経ってもリーン様は口を開かない。近衛騎士パルマーが耳打ちすると、屋敷まで送ってくれるとリーン様が言った。

「リーン様はどこかへお出かけになるところだったとお見受けいたします。私のことは気にしないでください」
「いえ、わたくしはどこにも行く予定はありません」
 プラットホームに居たのだから出かけるものだと思ったんだが、違うようだ。

 それならなんであそこに居たのか?
 もしかして、列車オタク? 分かる、分かるよ、その気持ち。列車のあの重厚なフォルムは筆舌しがたいものがあるよね。
 おっといけない。リーン様がそんなことに興味があるわけないよな。

「わたくし……スピナー様に謝りたいのです」
 ん? 謝る? どういうこと?

「何をと仰りたいようですね」
「失礼ながら、他の方とお間違いでは? 私にはまったく心当たりがありませんので」
「いいえ、スピナー様で間違いありません」
 リーン様が身を乗り出してきた。胸元がもう少し開いたドレスなら良かったのに……。

「ゴホンッ。私には心当たりがありませんが、どういったことに謝罪をとお考えなのでしょうか」
 リーン様は座り直して、両手を胸の前で結んだ。美少女がそういった仕草をすると、とても可愛らしいね。

「入学試験の日に、わたくしはスピナー様にとても失礼なことをしてしまいました」
「入学試験……あぁ、あのことですか。リーン様がそんなに気にすることはありません。そもそも私は公爵家の者ではありますが、四男ですから成人したら平民になる身なのです。その私に王女殿下であるリーン様が降嫁するという話自体がおかしいのです。リーン様が仰るように、あの話はなかったことにしてもらうように私からも父に頼んでいますので、大丈夫ですよ」
「いえ、違うのです!」
「はい?」
 リーン様は目を潤ませている。何か気に障ることを言っただろうか?

「わたくしはスピナー様のことを何もしらずに、失礼なことを申しました」
 俺のことを知らないって、面識もないのだから当然だと思うよ。そもそも一面識もないのに、知っているほうが怖いんですけど。

「あの後、父からスピナー様のことをお聞きしました。噂されていたような人ではないのに、私はとても失礼な態度をとってしまいました。スピナー様に不快な思いをさせてしまったことを、深く反省しています」
 国王から何を聞いたか知らないけど、噂って何かな? リーン様の反応からしてろくな噂じゃないんだろうな。

「あの、噂というのはどういったことでしょうか」
「それは……」
 リーン様は申しわけなさそうに、噂について教えてくれた。
 変人なのは否定しないけど、癇癪持ちというのは反論があるところだ。誰が使用人を殺したって? その噂を流した奴を探し出して謝罪を要求したろか。

「なるほど……。そういった噂を聞けば、リーン様が私を毛嫌いするのも無理もないことです。ですが、私は気にしていませんので、気に病むことはありません」
「では、わたくしを許していただけるのですか」
「許すも何も、私は怒っていません。それに謝るのは私のほうです」
「スピナー様は何も悪くありません」
「そうではないのです。私は将来は平民になって冒険者になろうと思っています。その考えは今も変わりありません。ですから、王族であるリーン様との縁談を迷惑に思っていたのです」
「スピナー様! それはリーン様に対して失礼ですぞ」
 近衛騎士パルマーが目くじらを立てた。俺も少し失礼なことを言っている自覚はあるからこの反応は予想の範疇だ。

「お止めなさい」
「し、しかし……」
「メリルは黙っていてください」
「承知しました」
 近衛騎士パルマーを黙らせたリーン様は、俺をまっすぐ見つめてきた。
 なんの濁りもない澄んだ瞳は、まだ世情に汚れてないのだと思わせるものだ。
 そんな澄んだ目で見つめられたら、惚れてしまうだろ。

「近衛騎士パルマー様の仰ることは、当然のことです。ですが、平民になりたいと思っている私にとって、リーン様との縁談は大きな障害でしかないのです。だから、リーン様があのように仰ってくださったことが、とてもありがたく嬉しかったのです」
 俺は自重することなく、言葉を続ける。

「ですから、私に謝る必要はありません。リーン様は他の貴族と婚約し、私は平民になる。これで万事丸く収まるというものです」
 リーン様と俺の婚約話は、お互いの合意の上でなくなるのだ。

「うふふふ」
 リーン様が手で口を押えて笑い出した。笑い話ではないのだが?

「わたくし、決めました」
「何をでしょうか?」
「スピナー様との縁談のことです」
「はい。私も父にお断りの念を押しておきます」
「いえ、そうではありませんの」
「???」
 リーン様は何が言いたいんだ?

「わたくし、スピナー様と婚約させていただきたいのです」
「へ?」
「今のスピナー様の言葉に嘘はないと思っています」
「……はい、ありません」
「スピナー様の人となりは、父から聞きました。そして今、スピナー様とお話させていただき、この方であれば信じられると思いました」
 リーン様の勢いに俺はタジタジになる。

「えーっと……今の話のどこがそのような話になるのでしょうか?」
「貴族というのは見栄を張り、自分を大きく見せようとするものです。ですが、スピナー様は正直な方です。わたくしは、そんなスピナー様に好意を持ちました」
 えぇぇぇ……。

「あ、あの。俺は平民になるんですよ」
 あっ、しまった。つい、地が出てしまった。

「わたくしも平民の妻になる覚悟を決めました」
「いやいやいや、それは軽率です! 王族が平民の暮らしなんてできませんよ!」
 こうなったら地が出ようが構わない。諦めさせなければ、大変なことになる。

「それはスピナー様も同じことだと思いますが?」
「いや、俺の場合は、ずっと平民になると言っていましたし、そう考えて行動してきました」
「わたくしも、これからそうします」
 なんてこったーっ!

「パルマー様! リーン様をお諫めしてください!」
「私の役目はリーン様の護衛ですから」
「えぇぇ……」
 なんだよ、その生暖かな目は!? あんたの主が平民になると言っているんだぞ。
 頭を抱えたところで、屋敷に到着。

「スピナー様が本日戻られると、ボルフェウス公爵に教えていただきました。今日はこれで帰りますが、改めてお礼にお伺いさせていただきますとお伝えください」
 パパにハメられた!?

「それでは、失礼します」
 リーン様を乗せた黒塗り王族仕様車は軽快な音を響かせて走り去っていった。
 このもやもやした気持ちをどうしてくれようか?

「スピナー坊ちゃま。お帰りなさいませ」
「「「お帰りなさいませ」」」
 使用人たちが玄関前に並んで、俺を待ち構えていた。

「早速ですが、ご当主様がお待ちにございます」
「……分かった」
 俺はパパの部屋に向かった。俺をハメたパパと戦争だ!