わたしがその日、荷馬車に人を乗せたのは気まぐれだったのかもしれない。
「あの、良ければ山向こうの村まで、乗せてくれませんか?」
 と上目遣いに聞いてきた少年が、思いの外幼かったからか。
 あるいは。
 その少年から、何かを感じとったからなのか。



「んっ。ふう」
 わたしは最後の荷物を荷馬車に担ぎ入れると、一息吐いた。
 空を見上げると、どんよりした雲に覆われていた。
 このままだと、雨に降られるかもしれない。
「お嬢ちゃん、もうちょっとゆっくりしていったらいいよ」
「そ、そうだよ。これから一雨ありそうだし、無理することないよ」
「それより、何か欲しいものとかないのかい? やりたいこととか」
 と、村のご老人は口々に引き止めてくれた。
 老人たちは、皆一様に質素な服装だ。
 それも仕方ない。こんな田舎の村で、手に入るものなど、たかが知れている。
 そんな人達の助けをしたくて、行商人を始めたのだ。
 だけど、本当は留めて置きたくなどないに違いない。
 その証拠に、顔が少し引き攣っている。
「大丈夫ですよ! わたし、こう見えても風邪なんて滅多に引かないんです」
 わたしはなるべく気丈に笑って、腕を上げて力こぶを作ってみせる。
 こんな細い腕じゃ、力こぶなんてできないんだけどね。
 それに、風邪を引かないのは本当だ。
 昔はよく引いていたんだけど、十年ほど前から体調を崩すことが一切なくなった。
 行商人生活が板に付いてきたのかな、と思って、少し嬉しくなる。
「そ、そうかい」
 お婆さんは、それでもまだ心配そうに私を見つめる。
「大丈夫ですよ。荷物はきちんと、息子さんまで届けますから」
 安心させるためにそう言って、わたしは笑いかけた。
 村から村へと旅をする行商人は、手紙の配達にも重宝される。
 それでも尚不満げな顔をしていたが、やがて観念したのか「気をつけてね」と私の腰を叩いた。
「はい。行ってきます!」
 わたしは元気に手を振ると、荷馬車に乗り込んだ。
 そして、馬を駆ろうと手綱を握る。
「あの」
 その時、荷馬車の下から声を掛ける人がいた。
 見ると、全身をマントで包みフードを目深で被った、いかにも怪しい人物だ。
 誰だろうか。
 この村の行商を始めて長いこと経つけど、見たことがない。
「なに?」
 わたしは少し訝しげに、首を傾げた。
 声からして、結構若い。私と同じくらいの年齢だろうか。
 こんな辺鄙なところに、外から人が来るとは珍しい。
「あ、すみません」
 わたしの視線に気づいたのか、その人はフードを外した。
 フードに引っ張られて、髪が靡く。
「え?」
 わたしが驚いたのは、その人が予想より幼かったからだ。
 今年二十五歳になるわたしよりも、十五は下に見える。
 そして、ふわりと広がった無造作な金髪の下には、愛嬌のある整った顔があった。
「えっと、村の人から聞いたのですが、あなたは山向こうの村に行くんですよね?」
 少年が、上目遣いにわたしを見上げた。
 不覚にも、少しドキッとしてしまった。
 わたしは荷馬車の上にいるのだから、地面にいる少年が上目遣いになるのは当たり前なんだけどね。
「うん、そうだよ」
 わたしは赤面した頬を隠すように、そっぽを向いて答えた。
「よければ、乗せて行ってもらえませんか?」
 少年は勢いよく頭を下げて、懇願する。
 わたしは基本、荷馬車に他の人を乗せない。
 そもそも頼まれることがない、ということもあるし、何より一度乗せた中年の男性に不評だったからだ。その男性は、まさに顔面蒼白といった様で、理由を聞くと魔道を通ったせいだと言った。
 魔道とは、魔力の密度が異常に高いところらしい。そこには獣道のように開けた道が通っているのだが、大型の魔物が出て危険だとか。
 普通は魔道を避けて迂回するらしいのだけど、どうしてかわたしは平気なのだ。魔物に襲われることもない。
 それはわたしの荷馬車を引く相棒のおかげだと思ってるのは秘密だ。相棒は体が大きくて力強く、わたしとは正反対の体型だ。頼れる相棒で、魔物の方が恐れているに違いない。
「魔道を通るけど、大丈夫?」
 わたしは気づくと、そう尋ねていた。
 これでは、少年の顔にほだされたみたいではないか。
 でも、乗せることにはならないだろう。
 魔道を通るなんて言ったら、大抵の人は嫌がる。
「あ、はい。大丈夫です」
 しかし、少年は事も無げに肯定した。
「ふうん。じゃあ、いいよ」
 そう言われては断るわけにも行かず、乗せてあげた。
 どうなっても知らないよ、と思いながら。
 だけど、少し楽しみでもあった。
 一人じゃない旅なんて久しぶりだし、同年代の知り合いなんていない。
 村の若者は皆、町に行ってしまって、残されているのはご老人だけだ。
 どんな子かな、と荷馬車を進めながら後ろの荷台を盗み見ると、既に船を漕いでいた。
「なんだ。やっぱり子供じゃん」
 寝顔にまた胸がときめいてしまった自分に、声を出して言い聞かせた。
 マントを脱いだ少年は、革の鎧で華奢な体を包んでいた。
 傭兵のように全身を守るものではなく、普通の服の上に、要所だけ付けるものだ。鎧は何やら綺麗な装飾が施されており、神秘的にも見る。
 そして腰には、鮮やかな朱色の柄があった。
 それらは、田舎育ちの私からしたら想像できない程高価だろう。
 どこかの貴族の子供だろうか。
 髪は羨ましくなるくらいさらさらで、手入れされているのがわかる。
 荷馬車の後ろに手を伸ばして、髪を手櫛で整えてあげる。
「髪長いなー」
 少年がむず痒そうに顔を顰(しか)めたので、大人しくやめて、毛布をかけてあげる。
 そして、前を向いて荷馬車を進めた。
 しばらくして、少年が目を覚ました。
 重たい空からは、大粒の雨が降り注いでいる。
 雨音が周囲を掻き回す。
 わたしと少年は荷馬車の屋根の下だから、雨に当たることはないけど、相棒が心配だ。
 大丈夫、と声を掛けるとくしゃみのように鼻を鳴らして、相棒は答えた。まだ大丈夫そうだ。
「驚いた。本当に魔道を通るのですか」
 起きるなりそう呟いた少年は、荷馬車の隙間から見える風景に目を丸くした。
 魔道は、常に黒い霧のようなものに覆われている。
 周囲には大きな木々が見られるが、それも霧によってはっきりしない。森のはずなのに鳥の囀(さえず)りすら響かず、不気味だ。道の隅には大破したと思われる、わたしのものと似た荷馬車が転がっていた。結構古いもののようで、薄汚れている。ここで息絶えた人がいたのかもしれない。少年はその荷車をちらっと見ると、そのあどけない表情に影を落とした。
 わたしとしても、道なんて見えやしない。初めて魔道に踏み入った時は、体の震えが止まらなかった。手綱を手が痛くなるくらい強く握り、必死で荷馬車を走らせてたっけ。ただ道を間違えただけで、魔道だと気がついた時にはもう手遅れだったから。
 だけど、相棒には道がわかるらしく、何も言わなくても村まで連れて行ってくれる。あの時も途中から記憶がないが、気がついたら町にいた。荷物はどこかに落としてきちゃったけど。
「今更後悔しても遅いよー」
 わたしがいたずらっぽく笑うと、むっとした少年が「大丈夫です」と言った。
「僕は魔力が濃いところに慣れてますから」
「魔物だっているよ。怖いでしょ」
「怖くなんてありません!」
 少年は語尾を強めて主張した。
 そして、すぐにはっと気づくと、照れるように下を向いた。
 わたしは、そんな姿を見て哄笑する。
 少年は視線を逸らしてはにかんだ。
「そういえば君、何歳?」
「十八です」
「へえ。十八かー。って十八!?」
 次はわたしが驚く番だった。
 荷馬車の上で体を丸める少年は、とても十八歳には見えない。
 背は女のわたしよりも低くて、大きな目に白い肌。どれを取っても幼い印象だ。
「やっぱり、見えないですよね」
 少年は肩を落として、苦笑した。
「だ、大丈夫だよ。わたしだって、二十五歳には見えないってよく言われるよ。胸だって全然ないし」
 わたしは目線を下に移動させる。
 なんだろう。自分で言ったのに悲しくなってきた。
 力とか、経験とか、そういった成長は感じてるんだけどね。肉体的には行商人を始めたころと変わらないまま若いころを過ぎてしまった。
「女性の若いと男性の幼いは違いますよ」
「んんー、そうだけど」
 少年はわかり易く落ち込んでいる。
 そんなにコンプレックスなのかな。
「わたしは、可愛くて好きだけどな」
 思わず、口に出して言ってしまった。
「す、好きって」
 少年は顔を真っ赤にして、俯いた。
 そんな初心な反応も、可愛らしい。
 だが、それをからかうことはできない。
 何故なら、きっとわたしの顔も同じようになっているだろうから。
 男性との接点といえば村のおじいさんくらいしかないわたしが、よくもこんなことを言えたものだ。いや、ないからこそ、特に意識せず言ってしまったのか。
 お互い、何となく気恥しくなって、視線を逸らした。
 気まずい雰囲気が続いて、村までの道程は半分を過ぎた。
「そうだ!」
 わたしは荷馬車を止め、小物入れの袋を漁る。
 不思議そうに見ている少年に、取り出した料理用の短剣を見せた。
「髪、切ってあげようか?」
「……いいですよ。自分で切るので」
 少年は右手で前髪を引っ張った。
 その長さは、少年の大きな目を半分隠す程だ。前髪が目に入ると痛い。きっと邪魔だと思っているはずだ。
「まあまあ、そんなこと言わずに」
 わたしは、無理矢理少年を荷馬車から降ろす。
「ちょっと待っててね」
 相棒に声を掛け、少し離れたところにあった木の根に少年を座らせた。
 自分の髪は切ったことがあるけれど、他人の髪は初体験だ。
 自分のそれも無造作に切りそろえるだけで、上手く切ることなんて出来ない。
 けど、こういうのは気持ちが大事だと思う。
 わたしは、少年の背に掛かる髪にナイフを当てた。
 髪はわたしの手を滑り落ちるようにして逃れるが、しっかり掴んで切っていく。
 ナイフが移動する度に、まるで天使の羽のように金色が舞う。
「本当はこんなナイフじゃなくて、ハサミがあれば良かったんだけど」
 生憎、ハサミは持っていなかった。
 使い道が限られる上に、手入れが大変で割高だ。
「いえ、大丈夫です。とてもお上手なので」
 少年は振り返らずに言った。そして腰の剣にゆっくりと手を伸ばした。
「その腰の剣、綺麗だよね。儀礼用とか?」
 貴族は戦う目的以外で剣を持つことがあるらしい。それは儀礼用だったり、飾りだったり。
「これは歴とした斬るための剣ですよ。この柄の模様が僕の血液を吸い上げて、剣に巡らせるんです。僕の血は、ちょっと特殊なので」
 少年は、どこか誇らしげであった。
 大切な剣なのかな。わたしにとっても相棒と荷車は大切だ。
「あなたはなぜ、行商人になったのですか?」
 変わらぬ調子で、少年は問いかける。
「行商人になった理由、かー」
 わたしは空を仰いだ。いつもなら心を映してくれる空も、魔道から見上げれば深く閉じられる。
 行商人という職業は、女の身には辛いものだ。
 荷馬車に重い荷物を上げ、毎日のように走らせる。目的地に着くまではずっと座ったままだし、常に孤独だ。
 わたしが行商人になったのは、一重に父の影響だ。
 父は、今のわたしと同じルートで商いを行っていた。
 といっても、山中の村を往復し、時々町へ買い出しに行くだけ。人によっては、つまらない人生だと嘲笑うかもしれない。
 でも、わたしはそんな父の背中を追いかけた。
 だって、素晴らしいじゃない。
 辺境の貧しい村は、常に物資が不足している。
 そういうところに商品を運んで、喜ばれる。手紙を運んで感謝される。
 そういう温かい関わりが、なんだか羨ましかった。
 だから、ある日父が事故で急死した時も、残された馬と荷馬車を引き継ぐとすぐに決めた。
「お父上もきっと喜んでおられますよ」
 わたしの話を聞いた少年は、微笑を浮かべた。
 そして腰の剣に手を添え、ぐっと力を込める。手の甲には血管が浮かんでいた。
「え?」
 わたしが戸惑いの声を上げる時には、既に鞘は唸りを上げていた。鞘から引き抜かれた剣は、血で染めたような深紅の刃だった。わたしが目で追えたのはそこまで。
「僕の香りに誘われてきたか、獣。……やはり、魔道には魔獣が多いですね」
 少年の涼しい声が、わたしの後ろから聞こえた。
 驚いて振り返ると、そこには剣を肩に乗せた少年と、頭から二つに裂けた犬のような魔獣だった。魔獣は煙のように瘴気となって消えた。魔の物は死体を残さない。
「うそっ。今まで襲われたことなんてなかったのに」
「まだまだ来ますよ」
 少年は、その言葉を残してまた消えた。
 すると、辺りには絶命した魔獣たちが溢れていた。
「大丈夫です。僕が全て引き受けますので、あなたは馬車の中へ」
 先までのあどけない表情はどこへやら。凛とした横顔は、歴戦の戦士を思わせる。
 わたしは指示通りに荷馬車へ走る。
 そして中へ飛び込むと、両手で膝を抱えて頭を埋めた。相棒が私を守るように身を寄せてくる。
 怖かった。
 魔道に魔獣がいるのは知っていたけれど、実際に見たのは初めてだ。
 それも、あんなに沢山。その全てが、こちらを捕食しようとギラギラした目を向けていた。その時、わたしは命の危機を感じた。
 なにより、あの犬の魔獣を見た瞬間、全身に切り裂かれるような痛みが走った。実際には少年が助けてくれたけど、とてもリアルな感覚だった。
 なんで魔道なんて通ったんだろう。
 周りの人は危険だっていってくれたのにな。
 でも、襲われたのが今回で良かった。
 あの少年は、きっと凄く強い。
 魔道の魔獣なんて、問題にならないくらいだ。
 今だって聞こえてくるのは、魔獣の断末魔だけ。少年の呼吸音すらない。
 わたしは耳と目を固く閉じて、事が終わるのを待った。
「大丈夫ですか?」
 少年の声が響いて、わたしは恐る恐る面を上げた。
 そこには偽りのない優しい表情の少年と、差し出された手があった。女の子のように華奢な手だけど、それはとっても頼もしく見えた。
「うん、ありがと」
 わたしは手を握り、力を込める。
 しかし、腰が抜けていて、下半身に力が入らない。なのに、腕は力んでしまって少年を引っ張る形になった。
 つまり、どうなるかというと。
「わあっ」
「きゃっ」
 少年はバランスを崩して、わたしに向かって倒れた。
 なんとか衝突は免れたけど、少年は覆い被さるような体勢になっていて、互いの息が掛かるくらい顔が近い。わたしの太ももの間に少年の膝が割り込み、両手は肩を囲んでいた。
「ごごご、ご、ごめん!」
 少年は顔を真っ赤にして、慌てて謝ると、飛び退こうとする。それを、両手で顔を抱き寄せて阻止した。
「怖かった」
「はい」
「なんか、痛かった」
「はい」
「わたし食べられちゃうかも、って、考えたらとっても怖かった」
「すみません」
「けど、君が助けてくれた」
「ずっと、僕はあなたを助けますよ。いつだって」
 わたしたちは、少しの間そのまま過ごした。
 楽しい時間程早くすぎるもので、気がつけば目的の村にたどり着いていた。日が暮れる前だったので、予定通りだ。
「ここまで乗せて頂いて、ありがとうございます」
 少年は礼儀正しく腰を折った。
「楽しかったよ」
 わたしは、自分でも強がりとわかる笑みで返した。
「料金はいくらでしょうか」
「お金なんて貰えないよ。命を助けて貰ったんだから!」
「そういうわけにもいきません。気持ちだけですが、貰って下さい」
 少年は、わたしに銅貨を一枚握らせた。
 これくらいなら、運賃としては妥当だろう。
 ありがたく頂くことにした。
「それより、本当にあの山に行くの?」
「はい。山にいる竜退治が、村の人からの依頼なので」
 村を越えさらに行ったところに、魔道よりも危険な山がある。
 そこには竜が住んでいるという噂で、わたしも近づいた事はない。
 少年は確かに強かったけど、竜に勝てる程なのだろうか。
 心配そうなわたしを見かねてか、少年な言葉を紡いだ。
「僕が巷でなんて呼ばれているか知っていますか?」
 少年はくすっとおかしそうに笑った。
「魔王を倒した救世主、ですよ」
 彼なりに場を和ませようとしてくれたのかもしれない。
 その言葉に、わたしも声を出して笑った。
「それでも心配なら、これ」
 少年は懐から銅貨を取り出して、わたしに手渡した。
「帰りの分の運賃、先払いしても良いですか?」
「もちろん。絶対、帰って来てね」
「はい」
 わたしは、両手を振って少年を見送った。
 少年が山から降りてきたのは、それから三日が経った時だ。
 わたしはこの三日間、全然眠れず山が見える位置でずっと待っていた。少年の姿が目に入った瞬間、眠気なんて吹き飛んで、思わず飛び上がった。
「良かった、無事で」
 しかし、わたしが声を掛けてもどこか浮かない顔だ。
 どうしたんだろうか。
「実は、村人からもう一つ、依頼を受けていたんです」
 少年は苦虫をかみつぶしたように口を結び、そして意を決した様子でわたしに近づいた。
 次いでやってくる、唇に柔らかい感覚。
 少年が口付けをしているのだと気づいた時、わたしは口内に痛みを感じた。
 少年はゆっくりと離れた。
 全身が暖かい痛みに包まれていく。
「死して尚さ迷っている少女を助ける依頼。どうぞおやすみなさい……さようなら」
 視界が落ちていく中で見たものは、体の半分が瘴気となった相棒と荷車、同じく瘴気となったわたしの下半身。……そして少年の唇から滴る血だった。