弁当箱を開けると、人工的な匂いが鼻をついた。弁当の中身はおかずから白飯まですべてがレトルト食品や冷凍食品だ。まずくはないけど、特別美味しいわけでもない。それでも食べるしかない。人は食べなければ死んでしまうのだから。

「うおっ、翔の弁当、今日も旨そう。というかキレイ」

 飯田拓斗が俺の弁当を覗き込んだ。キレイもなにも冷凍食品なんだから形が整っているのは当然のこと。ただし、キレイな理由は他にもあって、これを作ってくれた叔母の恵子さんは美大出身の画家で、色合いや造形に関する意識が異常に高い。だからおのずと弁当も華やかになる。まあ、作ってくれたと言ってもレンジでチンして詰めただけだけど。
 俺は「まあな」と答えながら、ちらっと拓斗の弁当の中身を覗いた。少しだけ焦げて黒くなった卵焼きがやけに存在感を放っていた。それを見て胃がムカムカしてきた俺は、弁当から目を逸らした。
 すると、逸らした視線の先に、見覚えのない女子が一人で弁当を食べている姿が目に入った。
 色が白くて、おかっぱの黒髪がどこか日本人形のように見えた。この高校に入学して一か月ちょっと。このクラスは誰一人孤立することなく、それぞれが大なり小なりグループに所属している。そう思っていたけど、日本人形はポツンとしている。見ていて無性に寂しい気持ちになる。それよりもこれまでどこに隠れていたんだろう。

「なあ、あそこにいる子誰?」

 俺は小さな声で拓斗に訊いた。

「ああ、翔は今日遅刻してきたから知らないのか。なんか今日から登校し始めたんだよ。朝のホームルームで挨拶してたよ」

 口をもぐもぐさせながら拓斗が答えた。
 
 そうか遅刻した俺が悪かったのか。
 昨日、漫画の新刊を読んでいたら一巻から読みたくなって、気づいたら深夜二時を過ぎていた。そのおかげで朝寝坊してしまい、二時間目から教室に入った。

 それにしてもどうして今日から。これまでどうしていたのだろう。俺はちらっと日本人形を見た。

 すると、「ああ、あの子な」と隣の席で弁当を食べていた中野が口を開いた。

「バスケ部の先輩から聞いたんだけどタブってるらしいよ。しかも二回。つまり三回目の一年生。俺たちより二つ上なんだって」

「二つ上か。見えないな。でもなんで?」

 拓斗が目線を噂の女子に一瞬移した。

「なんか病気らしい。詳しくはわからないけど」

「病気……」

 俺は中野の言葉を繰り返した。たしかに痩せている。それに病気と聞いたからかもしれないが、色白ということもあって病弱に見える。

「まあ、でも、学校来てるってことは治ったんだよな?」

 拓斗が無理に明るい声で言った。

「多分」

 中野が小さくうなずいた。

 病気の話を聞いたせいで、なんとなく昼休みが暗い雰囲気になった。中野も拓斗も今日知ったばかりのクラスメイトを心配しているように見えた。みんなけっこういい奴らだ。

 放課後は拓斗と一緒に帰る。この学校はやたらと運動部の成績が良くて、当然熱も入っている。でも、俺たちは部活に入っていない。だからいつも暇だなあと言いあいつつ、カラオケに寄ったりファーストフード店に寄ったりして時間をつぶす。
 この日はカラオケに行くことが決まっていた。そのわけは、来週、進学科の女子と三対三でカラオケに行くことになっているからだ。進学科の澤山瑠璃と拓斗が中学時代の同級生という縁でセッティングしてくれた。それにそなえて特訓するのが目的だった。そんなわけで拓斗は学校でも「女子受けしそうな歌を覚えた」と鼻歌を歌っていた。

 拓斗は入学してから最初に話した相手だった。席が近かったわけでもない。それなのに休み時間に「やあ」と人懐っこい笑顔で近寄ってきた。当時は不思議だったけど今ならなんとなく理由がわかる。多分同じ匂いを感じたんだと思う。俺と拓斗は、この学校にいる多くの生徒のように熱くなるとかそういうことはない。拓斗は口数が多くて人から見れば明るく見えるかもしれない。だけどどこか冷めている。それは出会って一か月でなんとなく理解した。他にも俺たちの共通点として、どこでも適当に生きていけるところだと思う。勉強もスポーツも、友達付き合いも適当にうまくこなすことには長けているような気がした。

 カラオケで、拓斗は人気ランキングに入っているような流行りの曲を中心に歌った。ガチで女子受けを狙っているのがわかって笑える。拓斗の歌はあまりうまくはないが、かといって下手でもない。これで女子受けするかは微妙だが、とりあえず本人は気持ちよさそうだ。
 俺は流行りの曲などには一切興味はない。歌うのはアニメソング限定。選曲さえ間違えなければ今の時代これだって女子受けしないこともない。

 二時間くらい歌ってからカラオケ店を後にした。カラオケ店の前で「じゃあね」をしてから、四月から住むことになった叔母の恵子さんの家に向かう。歩きながら「あーっ」と声を出すとしゃがれていた。このいつもと違うハスキーボイスは新鮮で嫌いじゃない。
 恵子さんの家に住み始める前までは祖母の家に住んでいた。同じ長野県だけど祖母の家はコンビニもないほどの山奥。高校入学のことを考えると進学先の選択肢があまりにも少なすぎた。そういう理由で今度は母の妹である恵子さんの家に住まわせてもらうことになった。普通だったら新天地で不安が募るだろうが、住まいが変わるのはこれで三回目だからもうなんとも思わない。
 祖母をはじめ、俺を育ててくれた親戚はみんな俺をとても可愛がってくれた。だけどその分、気を使わせてしまっていることもひしひしを感じていて、時に居心地の悪さと申し訳なさを感じていたのは事実だった。
 しかし、その点、恵子さんは俺に対して一切気を使わない。一応、弁当は持たせてくれているし、夕飯も用意してくれているが、祖母と違い、学校での様子を聞いてくるでもなく、必要以上に優しい言葉をかけてくることもない。
 俺にかまうよりも、恵子さんは自分自身に時間と労力をかけていた。画家の恵子さんは毎日家にあるアトリエでキャンパスと向き合っている。何度か見させてもらったが、初めて見たときは驚いた。恵子さん絵の主人公はどれも田んぼにぽつんと佇むカカシだからだ。普通、絵画と言うと、山や海などの風景や、花や木のイメージだったからカカシにこだわる理由は疑問だった。淡い色使いで雰囲気のある絵だけど、カカシの絵を欲しがる人がいるのだろうか? 二重の疑問だった。
 もし、たいして絵が売れていないとしたら、こんな経済状況でどうやって生活をしているのかと思い、本人に訊いてみたところ、意外な事実が発覚した。
 恵子さんは美大を卒業後は銀座のクラブでホステスをしていてその時の貯金がたんまりあるらしい。たしかに恵子さんならホステスをしても人気が出そうなほどに美人だが、それよりも破天荒な恵子さんの生き方に思わず「かっけー」と思ってしまった。
 恵子さんが絵に集中しているおかげで、俺は自由気ままにやらせてもらっている。夜、酒に酔うと絡んでくるのが悪い癖だが、そこを差し引いてもここでの生活を気に入っている。

 カラオケからの帰り、小声で歌いながら家のカギを回してからドアを開ける。すると、玄関に小さなスニーカーがあった。子供か? この家で子供なんて見たことがない。もしかして恵子さんに隠し子がいるのかな。なくはなさそうだなと思いながら、恐る恐るリビングに入ると、キッチンの方からゴソゴソと音が聞こえた。見ると、キッチンで動き回っている影が見えた。それと音楽が聞こえる。激しめのロックだ。恵子さんにそんな趣味があったっけ。そもそも恵子さんが料理をするなんてめったにない。カップラーメンでも作っているのかな。キッチンの戸を開けると、そこには制服の上からエプロンをかけた小柄な女子がコンロの前に立っていた。

「えっ」と声を出したら、その女子が振り返った。その顔に見覚えがあった。

「あっ、日本人形」

 驚いた俺は日本人形を指さしていた。