彼が棲む病室は、海の底のようだ、といつも思う。
特に今日は雨だからだろうか。電気もつけないで窓の外を見ている彼は、昏く青い水底に潜り込んで動かない魚みたいだ。


回診に行くと、彼は病気のわりには血色の良い顔を上げる。


「真田先生」


私を呼ぶ声に軽く会釈をした。
30代半ば程の彼は、本来であれば仕事盛りの年齢のはずだ。それがこんな白い檻に閉じ込められているのは、ひとえに彼を蝕んでいる疾患のせいだった。


「南さん、何を見ていたんです?」

「ああ、銀杏(いちょう)の木です。見事でしょう。僕が思うに血液内科病棟のなかで、この角部屋からが一番良く見える」


少し誇らしげな声で彼は言う。
窓の外の大きな銀杏は、私がこの病院に来た数年前から変わらずそこにある。私もこの季節はいつもこの木を窓から見つめていたっけ、と思う。


ここの窓は大きな庇(ひさし)のおかげで雨粒が景色を邪魔しない。長く部屋にいる患者が景色を楽しめるようにとの配慮だった。


「そして、どうしたんです、先生。今日は浮かない顔をしていますね」


困ったように眉を下げて彼は微笑んだ。
私は、先ほどの骨髄検査結果を彼に告げなければいけなかった。天涯孤独の彼は、重大な話のICをする際に家族を呼ぶ必要がない。だから、彼への大事な話は、いつもこの水底のような仄昏い部屋で二人きりで行ってきた。


今日もひとつ、呼吸を止めてから。私は彼へあまりにも良くない結果を告げなければいけない。