過去回想。

 その日。
 女神ヶ丘女学院初等部に在籍していた捻百舌鳥(ひねもず) 逆示(すめし)は、衝撃を受けた。
 もう半月もすれば中等部に上がろうかという三月の頃。
 ソレは、起こった。

 学園の半分を塗り替える(・・・・・)出来事。
 異なる世界の侵食。
 異質で異常な異物の混入。
 フィクションのような目の前で巻き起こる光景は、しかし現実のことであると、そのときの彼女は思ったらしい。



「それが――――ダンジョン現象か」

 魔物除けを設置して、一息つく。
 すめしを落ち着かせるため、あえて戦闘以外の話題をしていたところ、彼女の過去話に着地した。
 そのまま花が咲きそうだったので、俺は話を聞いてみることに。
 当時を知る者からの話だ。
 歴史にさほど興味が無くとも、心は動かされる。

「目の前でそれを見たんだな」
「えぇ。びっくりしたわ」
「だったらもっと表情筋を動かせよ……」

 俺だったらびっくりどころか、あまりの衝撃で記憶を失っていてもおかしくない。
 というか実際に、そういう症状を訴えた生徒も少なくなかったのだとか。

「それからしばらくは、元・女神ヶ丘の生徒として、人間坂(にんげんざか)高校に通ってたの」
「あぁ、隣の市の?」
「そうよ。学園側の配慮で、一旦違う土地に行ったほうがいいんじゃないかって」
「なるほど……。
 で、その後。テニスを続けて一躍有名になって、この土地に戻って来たのか」
「名前はセピア丘に変わったけれどね。
 でもまぁ、土地に愛着ってあるじゃない?」
「へぇー」

 俺の相槌にすめしも頷き、ぐいっと豪快に水を飲みほして言う。

「丘側の校舎から見える海。その光景が、好きだったのよ」
「そっちって……、もろにダンジョン現象が起こった方角じゃん」
「そうよ」

 女神ヶ丘は、元々海に面したところに学園施設を設けていた。
 広い施設の半分ほどがダンジョン現象に侵食されたのだが、そのほとんどが、海側の部分なのである。
 綺麗な景観を誇っていたと、すめしは語る。
 俺はその光景は見たこと無いけれど、初等部で丸五年過ごした彼女が言うのだ。相当なものだったと見て間違いないだろう。

「だから、取り戻したいと思ったのよ」
「何を?」
「その景観を」

 は?
 それってつまり……。

「すめしがこの学園に戻ってきたのってさ。
 このダンジョン現象を、消滅させたいから……なのか?」
「そうよ」

 彼女は。
 変わらずクールな表情と、曇りなき眼で頷いた。

「何も世界中のダンジョン現象をどうこうしようという気は無いわ。
 けれど、私は私のために、この土地を元に戻したい。それだけよ」
「いやいやそれだけって! それでも壮大すぎるだろ!」

 何せ、世界中で研究がなされているにも関わらず、解決策が分かっていないのだ。
 強くなればいいってわけでもないだろうしなぁ。

「だから私は、プロの冒険者になって、研究も続けたいの」
「はぁ~……、なるほど……」

 すげえことを考えるもんだ。

「ってことはすめしは、もしもこの場所からダンジョンを切除することが出来たら、今度は世界中のダンジョンを消して回るのか?」
「いえ? 私はそこまでお人よしでは無いわ。
 協力要請があったら行くけれど……、それも、ギャラによるわね」
「しっかりしてんな」
「そりゃそうよ。
 だって私は、『プロテニスプレイヤー』ではなく、『プロ冒険者』を職業にすると決めたのだから」
「プロ……。職業、か……」

 そう口にされて、改めて実感しなおした。
 俺も、カルマさんも、ここに参加している奴らだって、みんなこの職業で食っていくために学んでいる。
 辛いことに耐えられたのも、そのゴールがあるからだ。

「だから……。カルマとダンジョンで一緒になったときは、ちょっと嬉しかったわ。
 何せ彼女、向上心の塊でしょ?」
「そうだな。あの向上心……というか挑戦心は、見ていて気持ちいいよな」

 その熱に引っ張られるというか。
 まぁ俺は、気持ち以外にはついて行けてないんだけど。

「というか、すめしとカルマさんってパーティ組んだりするんだ?」
「してないわよ。
 ほら、プロのダンジョンには、時間差で入れたりするじゃない。そのときにすれ違ったりね」
「あぁそういう……」

 二人とも高ランクだもんな。

「まぁすめしもカルマさんも、誰かとパーティを組んだことが無いわけではないんだよな?
 でも、それじゃあ尚更、二人でパーティ組んだことが無いっていうのは珍しいな」

 疑問に思い質問してみると、すめしは「そうね」と、やや苦い顔をして言った。

「私も彼女のも、『最後は自分で決めたくなる』のよね……」
「あー……、アタッカー故に……」
「そう。平たく言えば、事故るのよ」

 それは衝突するという意味では無く。
 むしろ考え方が合いすぎて、狙いどころがかぶるのだ。

「大型モンスターへの最後の一撃。それが例えば、ピンポイントで頭を狙うものだったとして……。
 そこへ共に駆け出していく私とカルマ。頭をぶつけて悶絶する私とカルマ。ぐだぐだになるパーティ。……どうかしら?」
「すげえ! ありありと想像できる!」

 悲しいかな。
 冒険者は、強い人だらけで集まったとしても、決して相乗効果が生まれるわけではないのです。

「うーん……。難しいな。
 仲が悪いわけではないからこその、ぶつかりか」
「えぇ。でも、言い合いとかはしたことないわ。戦術や戦闘方法については、よく意見を交わし合ってるけれど」
「そうなんだ」
「私と考え方は違うけれど、聞いていて参考になるもの。彼女も楽しそうに話しているし」
「まぁそうだよな」

 むしろあの人が、楽しく無さそうに人と話しているところの方が想像できない。

「私も同意だわ。
 そうね……。だから、不仲では無いと思う」
「そうなんだ……」
「さすがのカルマも、嫌いなやつと一緒にお風呂には入らないと思うし」
「そうなんだ!?」
「いや……、普通そうでしょ」
「いや、今の驚きはそこじゃなくてだな……」

 一緒に風呂に入るくらい仲が良いとは。
 それもう親友とする行為じゃん。

「だからあなたも好かれてるともうわよ、タマ」
「ん? あぁ……、聞いたんだっけ。あの人に風呂に入れられたこと」

 半ば強引だったけどな。
 俺の〇〇〇の話題を知っているということは、つまりそういうことなのだろう。

「羞恥心は無くなったけれど、常識を捨てているわけではないのよ私。
 だから異性と軽々しく入浴することは、私たちの年齢的に考えて、正直どうかと思うわ」
「だよな!」

 良かったよそこの感性がまともで!
 やっぱ俺がおかしいわけじゃ無かったんだよなァ!?

「あの人、ナチュラルに薄着になるからさ……。薄着っていうか、脱衣っていうか」
「ありありと想像出来るわね」

 さしものすめしも、苦い顔をして顎に手を当てていた。

「最初のパジャマパーティで、私の入浴に乱入してきたときもそうだったわ。
 せっかくお笑いライブDVDとタコパの余韻に浸りつつ、お気に入りのパジャマに着替えることに想いを馳せていたというのに。台無しよ」
「突っ込まないぞ」

 何だそのチョイス。
 クール美人キャラがやることじゃないだろ。

「ちなみにカルマのパジャマは『むーむーオウルくん』よ」
「それって対象年齢三歳くらいのやつだよなあ!?」

 百五十センチが小柄だとしても、それでもサイズはあるのか!?

「さぁ……? でも選手時代から、遠征や強化合宿のさいは、絶対持っていってたみたいだけど……」
「あんなバケモノみたいな動きしてた裏で、そんな衣装で寝てたのかよ」

 いや人の趣味に文句はつけないけどさ。
 そしてちょっと想像出来てしまうのが嫌だ……。
 全然お姉さんキャラじゃないじゃん。

「まあ話題をお風呂に戻すとして、カルマは意外とスタイルいいわよね。
 やせ形に見えても下着をつければちゃんと谷間はでき――――あ、流石にこれ以上は言えないことね」
「だいたい全部言ってるよ!
 そして意外と胸があることは、本人からも聞いてるし!」

 どうして双方から、カルマさんの胸の話題を耳にしなければならないのか。
 欲情させたいの? 浴場の話だけに。――――とはさすがに言わなかったけれど。

「彼女、天然でビッチなところがあるわよね。ビッチというか、ユルい?」
「まぁ、距離が近い女子っていうのは、思春期男子にとってそれだけで凶器だからね……」

 だから。すめしが普通の距離感で良かったよ。
 一瞬だけ近かったり、初手で手を握ってきたりはしてたけど。

「まぁ話がやや逸れたけれど。
 そんなカルマとは、仲良くさせてもらってるわ」
「なるほどね……」

 対等な関係というか。
 互いが互いを認め合ったうえでの、友情を育んでいるわけか。
 そう俺が納得していると、彼女はすっと言葉を滑り込ませる。

「だから私は、自分から彼女の元を訪れたし――――あなたにも声をかけたのよ、タマ」
「……は? お、俺? そこで、何で俺のハナシ?」

 突然焦点(スポットライト)を当てられて、動揺してしまう。

「向上心。あなたにもあるでしょ?」
「お、俺……、も……?」

 しどろもどろになっている俺へ、彼女は「えぇ」と頷いて続けた。
 その言葉は、言及するようではなく。むしろ「当然でしょ?」というニュアンスの、事実確認のような言葉尻だった。

「あなたもカルマと、本質は同じ。
 挑戦を見つけ、向上心を持ち、どんな環境でももがいていた」
「そ、そうか……?」
「普通は『玉突き事故野郎』なんて悪評で呼ばれてたら、早々にここから居なくなってるわよ」
「それは……」

 後が無かったし、金銭の問題もあった。
 けど……、まぁ確かに。それだけでも無かったかもな……。

「向上心とは、違うかもしれないけどなぁ」
「改善策を考えることは、使ってるエネルギーは同じだと思うわ」

 言うとすめしはじっと俺の目を見る。

「あなたはこれまで、『自分』を理解するのに時間がかかっていた」

 月見 球太郎という人間の持つ特性。強み。
 思考の癖や思い浮かぶ戦略。
 内側に眠っていた全体強化の常時発動(パッシブ)能力(スキル)さえ、理解出来ていなかったくらいだ。

「でもあなたは、自分自身を(・・・・・)理解した(・・・・)
「――――、」
「だからこれから先。あなたの土台には色々なものが乗っかっていくと思う」

 それは。カルマさんが俺に言った言葉と同種のものだった。
 強敵との経験。
 高ランク者との経験。
 俺の中にある、思考回路のアップデート。

「いい、タマ?」

 うすく柔らかく動く唇と共に、
 彼女は俺の肩に触れ、真っすぐに瞳を覗き込んだ。

「――――、」
「……、」

 紫がかった情熱の瞳が。
 俺の視線を離さない。

「あなたは頑張っているし、頑張ってきた。
 前に進もうともがくエネルギーはね。成功しようが失敗しようが、それを持っているだけで偉いのよ」
「すめし……」
「恩師の言葉の受け売りだけどね」
「……そうなのか」
「うーん……。『偉い』じゃ無くて、『強い』だったかしら」
「記憶曖昧じゃん」
「だって言われたの五歳の頃よ? 一言一句覚えてるなんて無理よ」

 台無しにもほどがあった。
 まぁ、ニュアンスは伝わったよ。

「それにね」
「ん?」

 彼女は立ち上がり、休憩は終わりと剣を腰に戻し。
 堂々と胸を張って言った。

「少なくともこのクエスト。
 私と一緒に居る限り、失敗はあり得ないわ」

 颯爽たる態度は、俺にも熱として伝播する。

「カルマも言っていたみたいだけど……。
 あなたに足りていないのは、結果としての成功体験よ。それを積み重ねるだけで――――、きっとあなたは、化ける」

 それは情熱でも決意でもなく、決定事項のような言い回しだった。

「私があなたを導いてあげる。
 だから、ついてきて」

 あまりにも強すぎる彼女は、この一時に限り。
 俺の、師となるのだった。