じゃばじゃばと水が流れる音が聞こえる。
すりガラス越しに見える人影は、スレンダーな肢体を惜しげも無く見せつけ、堂々たる声を風呂場から発した。
「お湯、イイ感じだよ~」
「あ……、はい。うっす」
きぃ……と、風呂場のドアを開ける。
そこには見慣れた、決して広くない一人用の浴室とバスタブと。
――――色のついたタオルで身体を包んだ、一人の女子がいた。
一人の女子というか、カルマさんだった。そんなこと、分かり切っている。
「こっちだよ」
「……っ」
はだがしろい。
浴室のライトに照らされているからか、それともこれまでに見たこと無い部位まで見えているからか。普段目にしている肌の色とは、全然違って見えた。
「というか……、どうして、タオルを上下に……?」
「ん、コレ? バスタオル一枚巻くよりも、二枚のほうが自由に動けると思ってね!」
頭良いでしょーと笑う彼女。
頭の良い女子は、決して思春期男子の前で、タオルのみで居ないと思うのだがどうか。
普通(?)なら大きなバスタオル一枚を、身体前面に巻き付けるところだが。
現在の彼女は、通常のタオルをまるでビキニタイプの水着のように、胸と腰に巻き付けるスタイルをとっていた。
透けさせないための、せめてもの配慮なのだろう。タオルは流石に色付きだった。深い青色なので、これなら水がかかっても大丈夫だと思われる。
が、それとはまた別の問題として――――
「こ、」
「こ?」
「い、いや……」
隠れている部位では無く、出ている部位のハナシ。
腰のくびれがエグすぎる。
あまりの細さに声が出そうになった。
細身だとは思っていたが……、こんなに引き締まり、そして艶めかしいラインになるのか……!
というかカルマさん、思った以上に着痩せタイプだ。
強く縛っているからという理由もあるだろうが、胸元にはしっかりと谷間が出来ている。
「おぉ……」
「ん? どうかした?」
「あっ! し、しまっ……! す、す、すみません……!」
ついぞ興味本位と意外性で、じろじろと谷間を見ていることに気づいてしまう。
イレギュラーなことが続きすぎて、脳が入ってくる情報を処理出来ていない。
「最近ようやくちょっと大きくなったんだよ! でぃー……おぉっと……! な、何でも無いよ!」
「でぃっ……!」
そ、それってどれくらいだ……!?
基準が分からんが、柔らかそうなことだけは確かだ。
「というか、足……!」
そう。
上半身のインパクトは、ある意味半分である。
いや、女子の柔肌を目の当たりにしたのは初めてだから、相当の衝撃もあったんだけど。
しかしカルマさんは元々、冒険者姿のときにも薄着だった。だから上半身の肌感は、俺の想像の中にはあったのである。
しかし足部分は、完全な未体験ゾーンだった。
銀の鎧に覆われていた、太腿及び脹脛の箇所が、外気に晒されている。
白く、滑らかな肌だった。
鍛え上げられた筋肉と、しなやかさを持つ柔肌が、バランスよく存在している。
上半身部分とは、また違った意味で目を惹かれる。
直接的なアダルトさではなく、芸術品の中に時折混ざってくるエロスというか――――
「あー、タマ……」
「は、はいっ!?」
「さ、さすがに……、見すぎ……かも」
「あっ!? い、いや、すみません!」
「いやいや、いいよ大丈夫!
恥じるべき箇所ではないし、恥ずべき箇所は、こうして隠してるからね!」
あはははは! と、元のテンションに戻りつつ、腰に手を当て笑う。
いくら見えないようにしているからと言って、足を開いて立たないでいただきたい。滑って転びでもしたら、色んな意味で大ケガだ。
「しっかり結んでるから心配ないさ!」
「そうじゃなくて、俺側の事情を考えてくださいって言ってるんです!」
「キミのじじょう? えー……、ん……。む……おぉ…………わ、わ、」
「?」
彼女の視線は俺の顔から、下のほうに移って行く。
大きな瞳が、僅かに更に大きくなった。その視線の意味を理解した後、俺は慌てて股を手で覆った。
カルマさんはまるで、これから強敵に挑むかのような目つきになる。……代わりに、さっきまでの笑顔は消えていた。
「な……、なかなかだと思う……よ?」
「そ、そうじゃねぇ……!」
好戦的な表情に反して、珍しく言葉はやや揺らいでいた。
「いやコレはその、アレがそういう感情では無いと言いますか! やましい事ではないと言っておくべき事案でございまして――――ぐぉっ!?」
わたわたと内股で狼狽する俺を、しかし彼女は無理やり右手だけで押さえつける。
小柄な身体のどこにそんな力があるのか。
もしくは、今の俺にはどうやっても力が入らないからか。
「いいから座ろう、タマ」
「……………………ハイ」
色んな意味で、身動きが取れなかった。
さて。
怒涛の、風呂回が幕を開ける。
右手。左手。
右足。左足と。
意外にも彼女は丁寧に洗っていく。
俺はずっと股を押さえている体勢だったのだが、様々な部位がどんどんと綺麗になっていくから不思議だ。
「よーっし……。こんなモンじゃないかな?」
言って彼女は、仕上げとばかりに俺の背中にシャワーの湯をかけた。
一日の汚れが綺麗に洗い流されていく。
「あ、お〇ん〇んは自分で洗ってね!」
「何のためらいも無くその単語を!?」
騎馬崎 駆馬、十九歳。
彼女の言葉は、思った以上にもパンクだった。
「というか、無理やり洗われるのかとひやひやしてました……」
「さすがにボクも、異性のお〇ん〇んは触ったりしないよ~」
「良かった……! そこだけは分かっていてくれて本当に良かった……!」
あははと彼女は面白そうに笑う。
そして。
俺の後ろにすとんと座った音がして。
「さてと。ボクも洗おうかな」
「おいおいおいおいおいおいおいおい」
背中越しに不穏な言葉が聞こえましたが。
「ん? どうしたの?」
「いやいやいやいやいやいやいやいや!」
「壊れたラジオみたい。もしくは、本当に壊れちゃった?」
「壊れたくもなります」
言っている間にも、カルマさんは完全に上下のタオルを外し終えたようだった。
先ほどのボディーラインから逆算し、彼女の全裸が脳内に再生されそうになってしまう。
俺は慌てて頭を振って、彼女に注意を施すことにした。勿論声だけを、背中越しに飛ばしてだ。振り返るような愚策は決して行わない。
「あなた、この状況で、本気で身体を洗おうとしてるんですか?」
「お風呂だからね」
「そうだけど……」
「あ、大丈夫だよ! 後でボディソープ代とかは支払うし! パーセンテージでいい?」
「そういうことではないです!」
だめだ。めっちゃ単純な単語しか浮かんでこない。
元より。一度こうと決めたこの人への説得など、試みるだけ無駄なのだ。ダンジョン三階層分だが、理解できている。
「…………」
しゅこしゅこと、タオルと泡が肌を滑る音がする。
先ほど俺へ行われた洗浄を、彼女は今、自分の体へと行っているのだ――――
「…………はぁ」
「ん?」
「いや……。諦めました」
「なぁにそれ?」
ため息をつきつつ、俺は彼女に言葉を投げる。
「これから先、あなたとパーティを組んで行くにあたって。こんな突拍子もないことが起こるのかなと思うと、慣れておかないとなと思いまして」
「よく分かんないけど、ありがとう……でいいのかな?」
「まぁ……、イイんじゃないですかね?」
「…………」
「…………」
再び、タオルが滑る音が響く。
背中合わせの二人。
互いに全く性格が違うのに、こうして裸になって、やることは同じだから不思議だ。
「えへへ……。ありがとね、タマ」
「こちらこそです」
何がとは、言及しなかった。
パーティを組んだことに関しては、最終的に俺が決めたことだし。
破天荒に付き合って受け入れたのも、納得済みのことだし。
彼女のパーソナリティと付き合っていくと割り切ったのも、感謝される謂われはない。
だから俺の返事も、的を射ていないのかもしれない。
それでも、一先ずはこのコミュニケーションで、いい。
俺とカルマさんは、こういうので良いと思ったのだ。
「あ、ところでタマ?」
「何ですカルマさん?」
「これ……、身体拭くときどうしようか?」
「どうして考えなしに行動するかな……」
一瞬の沈黙の後。
先に口を開いたのはカルマさんだった。
「が……、」
「が……?」
「頑張るね!」
「くそう……!」
その後彼女は、赤面しながらも、決して目を逸らすことは無かった。
両手が不自由でどうしようもない俺は。
ただただ、赤子のように。
――――拭いてもらったのだった。
「……そこは、目を逸らしてもいいところなんですよっ!」
「で、でもほら、ボクが頑張るしか、ない……、……ごくり」
「生唾を飲み込まないでくださいよ生々しい……」
そんな俺は顔を覆うしか無くて。
こんな風に。
俺たちのファーストインプレッションは、終わったのだった。
学園寮
全寮制というわけではないが、学園外への持ち出し禁止物品も多いため、入寮することを推奨されている。
風呂場
異性と入るのはえっちだと思います。
同性でも距離が近ければえっちだと思いますけどね。
さて。
俺たちは本格的にパーティを組むに当たり、とりあえず手ごろなダンジョンへと潜ることにした。
ランクは、見習いEランク。
「とりあえず互いのやれることを把握しよー」という提案のもと、身体を動かしつつ作戦会議中である。
ちなみにランクは俺が提案させてもらった。
正直このレベルでも、低ランク付与術士である俺一人では、クリアは困難だ。
「カルマさん的にはつまらないかもしれませんが……」
「え? なんで?」
「いや、プロCランクと見習いEランクでは、天と地ほどの差があるでしょ? 出てくるモンスターも弱いですし」
「そんなことないさ」
ドカン! という炸裂音と共にスケルトンを蹴り飛ばしながら、彼女は振り向いて言う。
「ボクはキミと一緒にいれば、どこでだって楽しいよ!」
「おぅっふ……」
ハートを打ち抜かれそうである。
この天然人たらしめ……。
「そもそも、パーティで行動したことなんてほとんどないからね! 未体験は楽しいに決まってる!」
「あぁそういう意味ですか……」
まぁそれでも。
悪い気はしてない、単純な俺がいるんですが。
「しかし……、パーティ。パーティですよね……」
改めて、ふと思う。
「俺、何をする係ですか?」
「ん?」
ズガン! という打撃音と共にゴブリンを蹴り飛ばしながら、彼女は言った。
「俺とパーティを組んだってことは、俺にも何か役割があるってことですよね?」
「まぁそうだねー」
「でも改めて考えると。
これまでの俺の生命線だった魔法――――『防御上昇:C』は書き換わっているんですよね」
今では『ボール出し』とかいう、よくわかんないスキルだ。
分類としては攻撃魔法になるのだろうが……、分類が不明過ぎる。
「既に俺、付与術士でも無くなってるんですが」
「じゃあボール出しだね」
「ボール出しが職業って何なんです!?」
「あはは。でもすごい威力だったじゃない」
バコン! という快音と共にオーガを蹴り飛ばしながら、彼女は言った。
いや……。さっきから一人でこの破壊力を出せている人物が言っても、まるで説得力が無い。
「そもそもタマはさ。付与術士って言っておきながら、バフ魔法は防御上昇くらいしか無かったじゃん?」
「い、痛いところを……」
一応魔法上昇や攻撃上昇もあるにはあるけど。でもこれも、Eランクだし、効果時間もかなり短い。
「カルマさんって、魔法耐久は低いですけど、魔力値はCだからある程度は高いんですね」
「そうだよー」
「物理攻撃も高いし……。
なら、魔法上昇とか攻撃上昇で、一瞬パラメーター上げるのはアリなのか……な?」
「うん。アリだね」
あのキックには、物理攻撃だけではなく、魔法攻撃も含まれている。
通常のAランクだけでも強いほうなのに、そこに魔法値まで加わってくると、実質A+ランク以上の威力が出ているのではないだろうか。
「強いわけだ」
「あはは! 攻撃全振り女と呼んでくれたまえ!」
彼女の性格がそのまま反映されているパラメーターだと思う。
それぞれのステータスは、本人の気質や元々の身体能力にも左右される。
職業ごとに育ちやすいパラメーターがありはすれど、それも千差万別だ。けっこう個人差も出る。
「そういえばカルマさんって、何の職業でしたっけ?」
物理攻撃と魔力値が高いから、魔法騎士とかかな?
職業適性でその職に就いていて、武器を使わないスタイルの人もいるらしいし。
そう予想しつつ聞いてみると。帰ってきた答えは驚きの単語だった。
「ボク? 斥候だけど?」
「斥候の出す火力じゃねぇ!?」
あまりの答えについぞ叫んでしまった。
階段内にきーんと俺の声がこだまする。
いつもあっけらかんとしているカルマさんも流石にうるさいと思ったのか、やや顔をしかめている。
「あ、いや、大声を出したのは謝りますけど……。
でも、やっぱ驚きますって」
斥候職とは本来、ダンジョン内に仕掛けられた罠の発見や解除、扉の解錠や地形の把握など、戦闘以外で役に立つような職業である。
戦闘手段や攻撃方法もあるにはあるが、最低限の自衛スキルみたいなものであり、本来ならば最前線に立つ職種ではない。
「魔法騎士じゃなければ、せめて武闘士あたりなのかと……」
「それじゃあソロで潜りづらいからねぇ」
「あー、確かに」
俺たち『冒険者』は、自分に合った職業の勉強を行ったりもする。
勿論個々人によって身体能力も違うため、自分に合った職種に就いたりするのだが……、なるほど。カルマさんは『一人でも活動出来るため』の職業を選んだのか。
「回復や攻撃は、アイテムを駆使すればどうにかなるけどさ。
フィールドの罠察知や気配察知は、どうにもならないときがあるじゃない?」
「まぁ……、気づく能力があるかどうかですもんねぇ……」
「ボクは割と雑だからね!」
「あ、はい。それはもう、痛い程に……」
先日の風呂場騒動を思い出す。
見切り発車とかその場のノリで決定とか。
雑というか、考えなしに突っ走る部分が見られるのだ。
しっかり者のお姉さんキャラは、まだ遠そうである。
「斥候の能力があれば、多少は冒険の補助になるかと思ったんだよね」
「多少、ですか……」
斥候職は、けっこう几帳面だったりマメだったりする人が適任とされている。何故なら、知らず罠にかかってしまったら、モンスターに襲われるよりも致命傷を受けることもあるからだ。
だからこそ斥候職は、常にフィールドやダンジョンの状態に気を配れる人が良いとされているのだが……、今の発言から察するに、おそらく彼女は違うっぽいですね。
「うん。前に逆さづりのトラップ食らってね。そこまでならまだ良かったんだけど、その後近くに居たローパーに触手攻めされちゃった」
「フルコースじゃないですか」
「目覚めなくて良かったと思う」
「目覚めるって何にですか。新たなる能力ですか」
「ある意味新たなる扉だね。いやあ、半開きで良かったよ!」
「目覚めかかってるじゃないですか」
ともかく。
「ボクは斥候に向いてない!」
「言い切った!」
「でもこの素早さはありがたい! だからボクは、前衛専用の斥候になることに決めた!」
「潔い!」
……まぁでもこんな風に。
自分の能力をはっきり話すことが、俺には必要だったんだろうな。
「まぁ、とにかくさ。ボクはスピードで敵を翻弄しないと、敵と戦えない」
「えっと……?」
「さっき倒してたモンスターもそうじゃない? やつらが攻撃モーションに入る前には、既にこちらが攻撃を終えている」
「あぁ確かに」
それもスピード、か。
移動や回避だけでなく、攻撃のスピード。攻撃に移るスピード。思考の速さとも言える。
「だからその分、ボクは軽めの服に身を包んでいる。
防御で使う鉄鋼も、軽鎧もつけてない」
「なるほど……。そうですね」
「装備してるのは……、コレだけだよ」
カルマさんはコンコンと、自分の装備である脛当てを小突く。
確かに。
彼女はかなりの軽装で、肩出しへそ出し太腿出しと、布面積だけでいえばかなり少なめな格好をしているのだが――――膝から下だけは違う。
そこだけ西洋の鎧である、脛当て及び鉄靴を装備している。
そのためだろう。彼女に薄着のイメージが無いのは。
流線を描く鉄の脚は、おそらく彼女の足の形にぴったりとフィットしているのだろう。
地肌でもないのに、どこか艶めかしささえ感じさせる。そんなカーブと色合いだった。
「遠縁の親戚の家にあったらしくてね。譲ってもらって、軽量化した」
「そうなんですね」
「せっかくならオーダーメイドしてみたいじゃん!」
「まぁ憧れますけども」
「サッカー選手の時の取材費とかを、全部投げ打ったからね!」
「そんなことを!」
まさかメディア関係者も、鎧の改造費にギャランティが消えることになったとは夢にも思っていないだろう。
「まぁ話は逸れたけど、ボクの能力はそんなところ」
「俺は結局、『ボール出し』という新たな職業になるワケですか……」
職業自体はそのまま付与術士だけれども。
「まぁまぁ、タマは切り札だよ」
「切り札ですか……」
「あの濃いの出しちゃうと、しばらくぐったりして立たなくなっちゃうもんね」
「立てなくなるんです! 変な言い方しないでください!」
「変な?」
どうやらわざとではなさそうで、それはそれで問題である。
「何だか疲れちゃったね」
「俺は主に、見たことも無い光景を目にしているのと、ツッコミ疲れですけどね……」
何せ、これまでは逃げ惑うしか出来なかった上級モンスターたちが、紙屑のように散っていくのだ。
心が休まらない。
それに……、
「休憩にしようか」
「分かりました」
「じゃあ魔物除け、向こうにセットしてきて」
「はい」
「こーやって開けるんだよ?」
「……ッ! は、はい……」
なんかこう。
距離が近い。
元々ずかずかとパーソナルスペースに入ってくるような近さがあった彼女だったが、パーティを組むと決まって以降、更に物理的な距離は近まっていた。
今なんて完全に彼女の肩と俺の腕が触れ合ってたぞ。
ゼロ距離・真横である。
薄着なのが、この間の風呂での光景をフラッシュバックさせ、更に煩悩を刺激した。
「イっていいよ?」
「え!?」
「ん? 使い方分かっただろうから、持って行っていいよ~ってこと」
「あ、あぁはい……。い、イッてきます……!」
俺はカルマさんから魔法筒を受け取り、フィールドの四方へと設置していく。
向こうもどうやら終わったみたいだ。
これでこの四方には結界が張られ、一定時間魔物は近寄れない。
「さて、何か食べよっか。持ってる?」
「多少は持ってきてます」
俺は掌をアイテムボックスと呼ばれる異次元に突っ込んで、アイテムを取り出した。
魔力が通ったアイテムなら、何でも収納できる空間魔法だ。
冒険者見習いになるとき、最初に魔力を身体に馴染ませる行程がある。
俺たちはダンジョン内(というか魔力のある場所)では、魔力を全身に行きわたらせて身体能力を上げている。
それと同時に、このアイテムボックスの魔法を使えなければ、冒険者見習いにすらなれないのだ。
「ランク低いと、アイテムボックスの量も少なくて大変でしょ?」
「余計なもの入れられないですからね……」
このアイテムボックスの魔法は、自分の冒険者ランクで変わってくる。
ランクが上がっていけば多くのアイテムを持ち歩けるようになるのだが、先はまだまだ長そうだ。
「この間Eランクに昇級し、最底辺のランクは脱出しましたけど。
それでもFからEって、ほとんどやれること変わらないですね」
パラメーターも、上限が上がるだけで、いきなり身体能力が爆上がりするわけではない。
アイテムを持ち運べる数も、ほとんど同じだ。
「でも、けっこう効率イイアイテム選びをしてると見たね!」
「まぁそうですね……。状態異常回復と、魔力回復の薬を何本か。
魔力さえ回復出来れば、自分で回復魔法が使えますから」
「だよね~。全体回復もあるし、サポート役としてはとても良いスキル構成だと思うなぁ」
座っておいしそうに簡易食を食べつつ、カルマさんは言う。
それを受けて、ふと思った。
「カルマさんは、俺の事けっこう知ってるんですね」
休憩を始めた彼女に習って、俺も近くの手ごろな岩へと腰掛ける。
四方の空間はやや狭いから(本来ならば一人用の魔物除け範囲なのだ)、足が当たりそうになるな。
そう考えた矢先、食べ終えた彼女は脚の鎧を外しながら、嬉しそうに返事をした。
「うん。さっきも言ったけど、けっこう調べたよ」
「マメですね……」
「引いた?」
「最初は、ちょっとだけ。でも、嬉しくもあります」
「えへへー♪」
にへらと可愛らしく笑うカルマさん。
戦闘時と、時折見せる狂気的なまでの真っすぐさからは、想像できない愛嬌があった。
ますます小動物めいてるな……。
「キミは、ボクのこと全然知らなかった?」
「素性は知ってましたけど、戦闘スタイルや性格まではあまり……」
俺が知る騎馬崎 駆馬は、
一歳上で、同期で、高校一年の時にサッカー部を優勝に導いていて。
光飛び交う記者会見で、冒険者を目指すことを宣言して――――学園内で、『素行不良』の生徒をやっていると。
「こんな感じですかね……」
「あはは! だいたい正解だよ!」
前にもちらりと説明したが、俺と彼女は時を同じくしてここへ編入した。
つまり、まだ一年しか冒険者見習いをやっていないのだ。
それでも。
俺はようやく最低から一歩だけ出た見習いEランク。
彼女は、トップ一歩手前の見習いBだ。
一年間でランクが上がらないのも珍しいらしいが、一年間でそんなところまで行けるのもまた、聞いたことが無いとの話である。
「しかも噂によると、素行不良でランクが上がってないだけ……らしいですが」
実は彼女。
こんなにイイコのように見えて、素行不良の烙印を捺されているのだ。
その理由はとても簡単。
ダンジョンの実習や攻略には赴くが、それとセットになっていたり、必修科目の座学に、一切出ていないのである。
「うん。だって授業に出ても効率悪いからね! ボクはほぼ独学だよ!」
「純粋に嫌味にしか聞こえないんですが」
「あはは! 嫌がらないでよ。パーティじゃん」
「嫌がることと仲良くすることは別ですけどね」
「じゃあ仲良しだね! やったー!」
カルマさんは笑って、完全に量の足から鎧を外し切っていた。
「おぅふ……」
「ん? どうかした?」
「いえ」
あの風呂場では、肌面積が多すぎて気づかなかったが。
改めて彼女の、『脚』のディティールを目の当たりにする。
親指ってあんなにエロいの……?
え、女子だから!? 女子の親指だからエロく感じるのか!?
「うぉ、ぉぉんん……」
「何の嘶き?」
「いえその……。心臓を落ち着けているのです」
「あはは。
……タマはときどきエッチになるな~」
見ていたのはバレバレだったようです。
だって綺麗なんだもん……!
ちなみに表に出さないよう気を付けてるだけで、基本煩悩は高めなほうですよ?
俺はそんな、沸き上がってくる煩悩を退散させるため、無理やり話題を変えることにした。
「そ……、そういえば。カルマさんこの間のテスト、また掲示板に載ってましたよね」
「あはは。あんなのどうでもいいよー」
彼女はぐっぐっと座ったまま柔軟運動をしながら、朗らかに笑う。
「ランク評価に関係なかったら、絶対テキトーにしかやらない自信があるよ」
「そんな自信あっても」
「自分のことは自分が一番よく分かってるさ。
やらなくて良いことは手を抜く女だよ、ボク」
「自信満々すぎる……」
「台所とか汚いし」
「そうなんですか?」
「家の中にゴーストタイプのモンスターが出たと思ったら、食器の汚れの塊だったよ」
「それはもう掃除を一切してない人の台所ですね!」
ツッコミを入れる俺を見て、カルマさんはあははと笑う。
しかし本当によく笑う人だなあ……。
「ボクはボクの生きたいように生きる」
「何だろう……。当たり前の主張なのに、この人が言うと危険思想みたいに思えてしまう……」
「別に危険思想でも何でもいいよー。
どうあっても変えられないし、この性格」
「うーん、なるほど……」
人当たりがよくて人懐っこい。
太陽のような笑顔を持っている小さい美少女お姉さん――――なのだが、だからと言って、イイコであるかと言われるとノーだ。
「なんだこの美少女。罠すぎるだろ」
「誉め言葉かな?」
「まぁ……、半分くらいは褒めてます」
「いつでも褒めてくれていいよ!
ボクは褒めるのも好きだけど、褒められるのも好きだから!」
ではどうして学園では褒められる行動をとらないのか。
ほとほと謎だった。
ため息をつきつつ、そういえばと思い浮かぶ。
「カルマさんの一人称って、『ボク』ですよね?」
「ん? そうだね」
「もしかして男の人扱いして欲しかったりとか、女扱いして欲しく無かったりとかします?」
「え? いや、ボクはどっからどう見ても頼れるお姉さんだけど?」
「最近では男性でもお姉さんやママになりえるみたいですが」
「そうなの?」
「メス男子なるジャンルがあるとか」
「ほうほう。オネエ的な?」
「それとはまた別みたいですね。ここで言う『オス・メス』という単語は、どうやら『男性・女性』という区切りではないようです」
「ふうん……? じゃあ、オスオネエみたいなのも成立する?」
「そうですね。してますしてます。
メスオネエなるジャンルもあるみたいですから」
「メスでオネエって……、それはもうお姉さんなのでは?」
「男性なんですって」
「日本語って難しい言語だよね……」
若干話は逸れたけれど。
「まぁうん、ボクは女の子だよ? 頼れるお姉さんキャラさ!」
「はぁなるほど……」
ふふんと鼻をならすカルマさん。
ドヤった顔はお姉さんというよりも背伸びしている妹といった感じでかわいくはあるのだが。
なんにせよ。彼女は女性ということで良さそうだった(とても頭の悪い日本語)。
「あはは。一人称の件かぁ」
言ってカルマさんは、素足をぱたぱたさせながら、邪気の無い顔で笑う。
「一人称だけじゃないさ。ボクは、今この瞬間に口に出したいことを、ただ出してるだけだよ」
「口に出したいことですか……」
「次の瞬間には『アタシ』になってるかもしれないけど、それだってボクなんだよ。
それに、どっちかというと、やりたいこと優先って感じかな?」
「やりたいこと?」
そう。と彼女は頷いて言葉を続ける。
「今は冒険者やってるけど、もしかしたら次の瞬間には違うことをやりたくなってるかもしれない」
「また、次の瞬間には、ですか」
「冒険者以外の生き方を見つけるかもしれないじゃん?」
「はぁ……、例えば?」
「お嫁さん?」
「どの面下げて言ってるんですソレ」
あなた確かさっき、台所にゴーストタイプのモンスターを飼ってるとか言ってませんでした?
確かに、明るく朗らかで、笑顔の似合うお嫁さんはイイかもしれないが。
しかし残念ながら、そこから飛び出す料理には、狂気が混じっているかもしれないのだ。
「そうだね、何故かボクの料理は壊滅的なんだよ」
「何故かも何も、台所のせいじゃないですかね」
「でもボク、意外と尽くすタイプなんだよ?」
「尽くすって何をですか? 焼き尽くすタイプですか?」
「あはは! タマは意地悪だね~。じゃあキミと結婚したら、毎晩鉄くずを食べさせるよ! そして体を縛って蝋を背中に置いて、一生ベッドの上で四つん這いで過ごさせるね!」
「猟奇的!」
ギャグにしても、発想が恐ろしかった。
明るく朗らかに、笑いながら言うセリフではない……。
それも、言いたいから言っただけなんだろうけど。
「閑話休題です」
「休めるかな?」
とにかく。
だいぶ話が逸れたけれど。
天真爛漫で笑顔が可愛くて、でも時に狂気的で超戦闘能力を有する、サッカー界の元スターは。
この一年間で、トップクラスに上り詰めたのだった。
もしかしたら、実力だけならプロの中でも上の方かもしれない。
「改めて、よく俺と組んでくれましたよね……」
「組みたかったからね!」
えへんと小さな胸――――じゃないんだった。身長の割には意外とある胸を張り、彼女は言う。
「それも、やりたいからやったことさ!
ボクはキミと冒険がしたかった! だからよろしく!」
言って彼女は素早い動きで、四隅の魔法筒を取っ払った。
「ちょ!?」
途端、周囲のモンスターが一斉にこちらを向く。
魔物除けは完全に機能しなくなっているので、当然である。
「戦いたくなっちゃったから休憩終わり!」
「そこはパーティメンバーに相談してくれませんかね!?」
「いっくぞー! あはははは!」
そうして。
ダンジョンには快音が響き渡る。
騎馬崎 駆馬の生態に。
とても気分屋という情報を、追加しておいた。
プロフィール・2
名前:騎馬崎 駆馬(カルマ)
身長/体重:149センチ/40キロ
職業:斥候
物理攻撃:A 魔法攻撃:C
物理耐久:F 魔法耐久:E
敏捷:A+++ 思考力:B
魔力値:A 魔吸値:B+
常時発動能力
攻撃上昇:B、敏捷上昇:A、全体敏捷上昇:A
任意発動能力
白い足:A+、罠解除:E、罠感知:E
回復術:E、状態異常回復術:E、
そういえばではあるけれど。
この学園では年齢も編入歴もばらばらなため、学年の変わる『進級』ではなく冒険者ランクの上がる『昇級』が使用されている。
二十歳までにCランクまで行けなければ、見込み無しとされ強制的に途中退学となってしまう。けっこうシビアな世界である。
学費の払い戻しが無い以上、経歴的にもきつい。
冒険者はプロになれなければ、なかなか潰しがきかないのだ。
「しかもキミ、確か両親の反対を押し切って通ってるクチでしょ? 奨学金の支払いは大丈夫なの?」
「な、なんでそれを……!」
「『仲間』のことだからね! 調べたよ!」
「そんなところまで……」
まだ仲間になるかどうかわからない段階から調べ尽くすのは、一種の恐怖を感じますカルマさん。
これから先、もしかしたら本人ですら知らない情報を彼女の口から聞くことになるかもしれない。そんなホラー展開を予想しつつ、余談は終わりを告げた。
「今日のクエストはどんなところなんですか?」
先日は俺がクエスト内容を決めさせてもらったので、本日は彼女の提案に従うことにした。
まぁ突拍子もない彼女でも、流石に俺を連れて無茶はしないだろうと思ったのだ。――――が、それが間違いだった。
「今日はとても単純なクエストだよ!」
「そうなんですか」
この会話が嘘だったことが、一分後に判明する。
あぁ俺の馬鹿野郎。
彼女の性格くらい把握していればいいものの。
仲間想いではあるものの、一番は自分の感情優先。
やってみたい! してみたい! そんな挑戦心が先行することくらい、分かりそうなものだったのに。
「ワンフロアにボスモンスターがいるタイプのクエストだね。
ターゲットを倒せばクエストクリアさ!」
「なるほど」
「なあに。ボクらの力があれば、余裕だと思うランクだから安心していいよ!」
俺を連れていても問題無いということか。
ならランクは、高くても見習いCランクくらいだろう。
この間の見習いEは、やっぱり簡単すぎたからなぁ。
「お、始まるね」
クエストの扉が開く。
光が差し込むと同時、俺の目に入ってきたものは。
神殿を模した汎用ダンジョンの壁と――――
大量の、明らかに上級と思われるモンスターが目に入ってきた。
「嘘つき!」
「心外だよ!」
ついぞ彼女の肩を掴んで揺さぶってしまう。
って、……全然体感ブレねえ。どうなってんだこの人の身体。
「ワンフロアにボスモンスターとは!?」
「あぁ、あのモンスターたちは肩慣らしだよ。
コレ系のクエストにはつきものでしょ?」
「いや、そもそもボス討伐系のクエストも初めてなんで……って、うわあ!?」
こちらのことなどお構いなしに、襲い掛かってくるモンスター。
そりゃそうだ。扉が開かれたということは、既にクエストは開始されている。
「うひゃー! イイ相手だね!」
言いながらも、明らかに上級であるモンスター……フライドラゴンを蹴り倒す。
細めの身体に獰猛な牙と爪を持ち、大きな翼で素早く飛び回るモンスターだ。
それが。
「ご覧の有様に!?」
「一丁あがり!」
おそらく見習いランクBレベルはあったであろうモンスターたちが、たちどころに瞬殺されていた。
蹂躙である。
これが平和な村なら彼女は魔王だ。
このまま町娘を攫ってしまいそうなほど、このダンジョンという村を蹂躙しまくっていた。
「今日も絶好調!」
「不調のときってあるんだろうか……」
改めて。
目で追うのが困難だと、思った。
小柄な体からは想像できない蹂躙力。
それを可能にしているのは、恐ろしいまでの、速度。
透過の魔法のように。
幻惑の魔法のように。
影すら踏ませない速さを持ってして、敵を殲滅し、誰よりも撃墜数を叩き出す。
縦横無尽の点取り屋。
それが冒険者、騎馬崎 駆馬の能力だ。
彼女の駆け抜けた足跡は、戦闘が終わった今も尚、凶悪にダンジョンのいたるところに残っている。
これではどちらがモンスターか分からない。
「でもさっきも言ったでしょ? ココはまだ、肩慣らし」
「そうでしたね……」
頷きつつ、俺は彼女の後に続く。
「ここからが、本番だよ」
「……っ」
そう言い捨てる彼女の目は。
とても真っすぐに、次の扉を見つめていた。
いる。
あの扉の奥に。
今蹂躙せしめた上級モンスター以上の。
ナニカが。
重く閉ざされた石の扉を。
ゴゴゴンと、両手で開く。
「――――へへ」
珍しく彼女は声を潜めつつ笑う。
「……?」
違和感だ。
普段の大きく口を開けての笑いではなく、こぼす様な嗤い。
こちらを振り返る様子もない。
と、いうよりも。
振り返る余裕が無い程に、眼前から目が逸らせないということなのか。
「え……」
おそるおそる、俺も彼女の視線の先へと目をやると――――
「……うぉ」
つい、後ずさる。
身体が、本能が、撤退行動を求めていた。
「あ、あ……、」
そこには。
一匹の悪魔がいた。
あまりの威圧感に、冷たい息が漏れてしまう。
眼光は鋭く。息は荒々しく。
ひと際大きな空洞の部屋に、四メートルほどの巨体が、どんと構えて立っている。
「あれ、は……」
デーモン。
その名の通り悪魔を冠するモンスターで。
邪悪な角のついた、髑髏を連想させる顔。
筋骨隆々の身体に大きな翼と尻尾を持つその生物は、これまで見てきた中で、一番の危険度だと理解できた。
扉を開けただけで、まだこのフロアに入っていないせいなのか。
ヤツの顔はこちらを向いているが、全く攻撃のアクションを取らない。
プロが潜る本来のダンジョンならばとっくに開戦しているだろうが、ここはあくまでも調整された学園用のダンジョン。
ここから一歩踏み込まない限りは、戦闘は開始されないということなのだろう。
それが分かった俺はやや冷静さを取り戻し、彼女に話しかける。
「あの魔力の纏い方は、確実に『プロの』Cランク以上ですよね……?」
「そうだねぇ」
敵の強さは、纏っている魔力の濃度でも測ることが出来る。
先ほどのフロアでカルマさんが倒したモンスターも、俺にとっては十分未知の強さだと計測出来た。
けれど、あのデーモンは未知すぎるしレベルが違いすぎる。
この大部屋の隅々にまで広がる魔力。
それがヤツの危険さを表していた。
「よし。行こう」
「は!? いやいや何言ってるんですか」
ここは、試験官に異を唱えるのが正解だ。
何たって、あまりにもランクが合っていない。
この間潜ってきたダンジョンのモンスター。そいつらから漂っていた魔力でさえ、こんなことにはなっていないのだ。
「これは試験官の調整ミスです。あんなランクのモンスター、学生に戦わせるには危険すぎます」
「へぇそうなんだ」
「過去にも何度かあったみたいです。試験官がうっかり、『冒険者B』と『見習いB』を間違えて設定して、試験を開始してしまったことが」
この学園はプロも訓練として使用する。
なのでレベルは、上げようと思えばかなり上げることが出来るのだ。
「だからここは中止を申し出て――――」
「いるのに?」
「……は?」
彼女は、
ずっと目を逸らさない。
明るい笑顔でこちらを見かえしてくることは、無かった。
「いる。そこに、いる。いるんだよ。いるいる。たおすべき敵が。いどむべき敵が、いる」
「カル……、」
「いるいるいるいるいるいるいるいるいる、居るッ!」
それは。
これまでの彼女と、空気が違っていた。
わちゃわちゃやって止められる空気。
笑い話で済む空気。
もしくは、ギャグの空気。
すでにそんなものは、彼女から消え失せていて。
「はは――――はははははははッッッ!」
「……ッ!」
俺の抑止は間に合わず。
彼女は銀の足を持ってして、ロケットのように吹っ飛んで行った。
「ッ!?」
「ははッ!」
モンスターは邪悪だし、ダンジョン内にしか生息しないが。
そこには意志もあり、意識もある。そんな風にプログラムされている。
だからあんな風に――――不意を突かれるということも発生する。
「そこ――――」
「……ッ!」
カルマさんによる、意識外からの攻撃が炸裂する。
ガゴン! と、鈍器と鈍器がぶつかるような音がした。
天井の高い部屋に、重低音が響き渡る。
「うわ、角を……、」
見るとカルマさんの放った一撃は、デーモンが有する邪悪な角を、根っこからへし折っていた。
どくどくと頭蓋あたりから紫色の瘴気を垂れ流すデーモンと、攻撃を終え、着地して振り返るカルマさんは睨み合う。
達人同士の真剣勝負。
ひりひりとした空気が、静寂の中に萌芽していく。
「ああ……、あ、」
――――もう、逃げられない。
どちらかが息絶えるまで、この戦いは終わらない。
ここ一週間くらいの俺と彼女は。まだ、『冒険者』だった。
ダンジョンのことを話したり。
スキルのことを語ったり。
色気づいたり、げんなりとしたり、けれどどこか和気あいあいとして。
冒険者として、生きてきた。
けれど。
俺と彼女には決定的に異なる部分があった。
どちらが上とか下とかでは無く、違っている部分。
俺は、スキルもステータスも、これから知っていく知識も全て、『冒険』のためのものだと思っていたけれど。
騎馬崎 駆馬は、違う。
彼女の本質は――――
「戦闘狂、だ……!」
俺は瞬間。
あの記者会見の映像を、思い出していた。
彼女がサッカーに分かれを告げたとき。
各方面からは、かなりのバッシングがあったことも事実である。
マイクを向けられフラッシュがたかれる中。
聞くに堪えない質問が飛び交ったのを、たまたまテレビで見ていた俺ですらも、覚えていた。
『サッカーには飽きたということですか!?』
『サッカーは本気では無かったんですか!?』
ひどい質問だが。確かにこれまでの彼女のキャラクター性を見てみれば、そんな嫌味を言いたくなるのも頷ける。
天真爛漫。されど、猪突猛進。
鬼神が宿るほどの両足で、フィールド全てを制圧する、圧倒的プレイヤー。
それほどまでに騎馬崎 駆馬は、当時の女子サッカー界を蹂躙し尽くしていた。
妬みや嫉みが飛び交うのも当然だと、俺も思っていた。
けれど彼女が残した言葉は。
たったの一言だけだった。
『ボクは、挑戦を諦めたわけじゃあ、無い』
それ以外の言葉は、彼女から出ることは無かった。
色々と波紋を呼んだ記者会見だったが。
組んでみて、そして彼女に触れてみて、分かった。
騎馬崎 駆馬は、常に全力で挑み続けているだけなのだ。
サッカーに出会い、サッカーで挑戦し、サッカーをむさぼりつくし。
頂に登る途中であっても。
より強い挑戦が見つかったら、これまでの経歴を投げうってでもそちらへ向かう。
だからきっと、お嫁さんだって。
軽口から本気に変わった瞬間。彼女は全力でソレを全うするのだろう。
たとえ台所が汚いところからの、スタートだったとしても。
だから、騎馬崎 駆馬は。
そもそも飽きたわけでも手を抜いていたわけでもない。
ただ目の前の『事象』と。
己に振りかかる『挑戦』と。
全力で戦いたいだけ。
根本の部分で、彼女は争うのが好きなのだ。
「……ッ!」
この身震いは。恐ろしい体躯を持つデーモンに対してか。
それとも彼女の本質に対してか。
少なくともこの状況で、あんなに狂った笑顔が出来る学園生を、俺は知らない。
「DhhhhhhLLL……!」
「あはっ、はははははははっ!」
音にもしがたいデーモンの嘶きを聞いて、彼女は尚も笑う。
切りそろえられた前髪の奥。
その大きな瞳が。眼光鋭くターゲットを見据える。
ぐっと身体に力を入れたのは、両者同時。
魔力が膨らんでいくのも、両者同時。
そして、動き出したのも。
両者同時だった――――
それは。このクエストに入る少し前。
こんな展開を目の当たりにするとは、露程も思っていなかった俺と、カルマさんとの会話である。
「ねぇタマ?」
「なんですカルマさん?」
「キミ、ボクの身体についてどう思う?」
「はぁ!?」
唐突な質問だった。
彼女の身体についてどう思うかと問われれば、それはもう答える単語は決まっている。
「ホラー映画です」
「なるほど! 怖いとエロい、だね!」
「よくわかったなアンタ!」
理解の仕方がすさまじかった。
絶対伝わらないだろう表現を使ったのに……。
「まぁありがたい評価だと受け取っておくけれど、ボクが聞きたいのはそういうことじゃなくてね」
「どういうことです?」
「ボクの、身体能力のことだよ。思ったことを、しょーじきに」
「あぁそういうことですか……」
言って俺は、彼女のステータスを改めて見やる。
物理攻撃:A 魔法攻撃:C
物理耐久:F 魔法耐久:E
敏捷:A+++ 思考力:A+
魔力値:A 魔吸値:B+
「そうですね……。
スピードと攻撃力全振り。その代わり防御がかなり薄い」
「正解!」
言って、いつものように頭を撫でられる。
今日はちょっと柑橘系の香りがした。
「何というか、極限まで薄くした剣……ってイメージですかね」
切れ味は鋭いが、その分身を薄くしているので、脆く折れやすい。
外見通りというか何と言うか、ステータス表記上でも、物理耐久:F、魔法耐久:Eと表示されていた。
「装備で防御力を上げることも出来るんだけどさ。それだと、肝心のスピードが死んじゃうんだよねー」
「確かに」
そもそも彼女の動きは、サッカーで培った動きを基本に据えている。
だから武器や盾など、手に何かを掴んで動くことを前提に出来ていない。防御力を上げる上げない以前の問題なのだ。
故に――――彼女の戦い方は、常に綱渡りとも言える。
回避できなければ。
もしくは、やられる前にやらなければ、ゲームオーバーだ。
特に物理耐久:Fなんて、下手をしたら学園の汎用ダンジョンにいる雑魚モンスターの攻撃でも、致命傷になってしまうほどだろう。
プロ冒険者が潜るこのダンジョンとあってはなおさらだ。
どんなモンスターの攻撃を受けても、一撃で死につながる。
「楽しいよね!」
「イカれてますね」
ギャグのツッコミではない。
本当の意味で、ネジが外れていなければ、そんな戦闘方法を取ろうとは思わないだろう。
「まぁだから、ボクはずっと探してたんだよ」
「え?」
「ボクだって人並みに、死にたくない気持ちはあるからね!
万が一攻撃を受けそうになったとき、ボクを守れる人を探してた」
そう、言い切って。
カルマさんは小さな指先ですっと俺をさした。
「――――、」
数ある冒険者の中で、どうして俺なのか。
彼女の日ごろの行いに問題があるとは言え、それでもBランクだ。声をかければもっと高ランクの冒険者だって集まるだろう。将来性を考えれば、プロだって来てくれるかもしれない。
「まぁ、今は防御魔法を使えなくなってるかもしれないけどさ」
「そ……、そうですよ。今の俺は……」
「それでもね」
言って彼女は、柔らかく笑う。
「ボクの手綱を握るのは、キミだと思ってるよ」
最強の矛と盾ということ――――とは、また違うのか。
これはきっと、相性の問題なのだろう。
「月見 球太郎が考える、戦場での最適解。
それがきっと、ボクの助けになる日が来る。そう思った」
だからこその、パーティのお誘いだった。
だからこそ、彼女はずっと俺を探してた。
あの映像を、見たときから。
「その熱意に……、俺は答えられますかね?」
だから。
俺も一歩、踏み込んでみることにした。
いつまでも言い訳がましく、『低ランク』だからと俯いていたって仕方がない。
俺の実力がどうこうは、今既に、関係ないのだ。
もうパーティは組まれてある。前に進むとも決めている。
ならばあとは――――意志だ。
「カルマさんは、自由に戦ってください」
彼女はそんな俺を、とても嬉しそうに見返してくれていた。
「俺の考える最適解で、あなたを絶対助けてみせます」
――――そんな思い出が、刹那の間によぎる。
戦闘は行われようとしている。
エンジンはすでに温まっていて。
後は誰かが。もしくは何かが、チェッカーフラッグを降ろすだけ。
それだけで、時間は一気に動き出すだろう。
「DhhhhhhLLL……!」
「あはっ、はははははははっ!」
音にもしがたいデーモンの嘶きを聞いて、彼女は尚も笑う。
切りそろえられた前髪の奥。
その大きな瞳が。眼光鋭くターゲットを見据える。
ぐっと身体に力を入れたのは、両者同時。
魔力が膨らんでいくのも、両者同時。
そして、動き出したのも。
両者同時だった――――否、
三者同時だった。
「やあああああああああぁぁぁぁッッ!!」
「LLLLLLrrrr――――!」
「――――、」
カルマさんは、デーモンを中心に周囲を駆け回る。
中空へと魔力による壁を、一瞬だけ生成できる。それによって彼女は、中空でもお構いなしに方向転換できるのだ。
「あはは、ははっ、はははッッ!」
縦横無尽な三角飛びの連続。
遠目から見ていると二段ジャンプをしているようにも見える彼女は。一筋の閃光となって、力任せに投げたスーパーボールのように部屋の中を跳ね回っていた。
対するデーモンは、打たれ強さを利用して魔力を貯めている。
カルマさんの一撃一撃は、既にもう何発も炸裂している。
しかし致命的な部分への攻撃以外は気にも留めず、己の身体の『中』へと魔力を収束させていた。
「オオオオオオッッ!」
ラッシュは身を襲う。
カルマさんの一撃一撃は、冒険者の中でも高ランクの、Aランク物理攻撃だ。
しかし――――、それでもデーモンの外皮は破れない。
頑丈な肉体以上に、魔力による防護障壁が、ダメージを軽減させていた。
「くっ……!」
思わしくない展開だ。
珍しく苦い顔をしながら、一度カルマさんは着地した。
彼女のスタミナは、スポーツで鍛えていただけあって十分なものだ。しかし魔力の壁をずっと出し続けながらとなると、話は違ってくるのだろう。
「まだまだ……」
魔力回復アイテムを取り出し、一気に飲み干し回復を行う。
一瞬の魔力壁。
あれはおそらく連続で使い続けると、消費量がどんどん上がっていくようなものなのだろう。
任意発動能力欄には載っていなかったから、もしかすると正規の魔力の使い方では無いのかもしれない。
「これからだよッ!」
彼女は再び立ち向かう。
だから――――三者目の。俺の行動だ。
「………………、…………、」
呼吸音が聞こえる。
彼女はすでにトップスピードで、目で追えるものではない。
デーモンも同じだ。次にどんな行動をとってくるか分からない以上、迂闊に行動を予測するのは危険行為である。
だから。
俺も彼女に、運命を託すことにした。
「……ッ!」
走り出す。
とある地点へ。
俺は俺の最適解を持って、二者の世界へと割り込んでいく。
「――――、」
時折見える彼女の残滓の一つと、目が合ったような気がした。
一刹那の邂逅。一瞬のアイコンタクト。
だけど、俺たちにはそれだけで十分だ。
詳しい作戦など伝わらない。
伝えなければならないのは。――――そこに迷いはないということだけ。
「うあああああっっっ!」
俺の走りは当然遅い。
何のスキルも使っていない、凡人以下の速度である。
だから勿論、デーモンにも簡単に捕捉される。
悪魔の身体がこちらへぐるりと向き、邪悪な腕がこちらへと向いた。
「――――、」
俺は、思い出す。
彼女の言葉を。
『例えば、サッカーのゴール前。
毎回ボクが華麗にゴールを決めてるかのように思われるけど、そうじゃないときも当然あった』
視線は、人も、モンスターも、雄弁だ。
『他のメンバーがディフェンスを引き付けてくれているから。一瞬でも自分がシュートを打つと見せかけてくれるから、ボクへのマークが甘くなるんだ』
そう。
他のメンバーが。
ディフェンスを、引きつけた。
「さぁ、カルマさん」
俺の役目は、ただ一握りのスパイス。
一手だけ、デーモンの手数を誘導できればそれで良い。
何せこの場には、その一瞬時間の隙間をつける――――悪魔以上の、魔人がいるのだから。
「――――マークは、甘くなりましたよ」
魔力は収束され、そこからは波動が繰り出される。
ことは、無かった。
「Dhhhhhh……ッ!?」
「遅い」
デーモンから見て右側。
完全なる視界外から。速度の魔人がやってくる。
「『白い――――」
振りかぶられる鉄靴。
その瞬間だけが、スローモーに見えて。
「――――足』ッッ!!」
そして、再び高速で時間は動き出す。
振りぬかれる右足。
吹き飛ばされる右腕。
デーモンの収束した魔力は、ついぞ放たれることは無く。
きりもみ回転しながら飛んで行く腕と共に、雲散霧消していった。
「Gh、LLLrrrrrrッ」
「無駄だよ」
着地と同時。
彼女は小さく、笑った。
「もうキミの、蹂躙時間は終わっている」
速度。
速度速度速度速度速度。
俺の目の前を様々な速度行為が、縦横無尽に展開されていく。
攻撃が速い。攻撃に移るのが速い。次の攻撃を思いつくのが速い。
走るのが速い。移動の判断が速い。身体の動きが速い。周りの動きが、遅い。
「あは、あははははは!」
「Dh、Dllr……」
「あはははははははッッ!!」
一つの行動の遅れは、
更に遅れを呼び、
誘発させる。
二秒、三秒、五秒、十秒……。
致命的なダメージは、留まることを知らない。
一ヵ所を防御すればもう一ヵ所が。次のダメージに意識が行けば新たなる傷口が。
既にフィールドはあの魔人の掌中だ。
こうなってしまえば、もう状況は覆らない。
「Rrr――――!」
残った左腕で何とか彼女を振り払おうとするデーモン。
しかし、その一手も悪手である。
「ははッ!」
「HLrrrrッッ!」
カルマさんの一撃は、首の大きな血管を抉り取ったようだった。
あふれ出る瘴気は、まるで返り血のように、彼女の顔に降り注ぐ。
そんな中、楽しそうに。
悪魔以上の魔人は舞い踊る。
中空で魔力壁を生成し、最後の一撃に飛び掛かろうとしていた。
「だけど、」
舐めてはいけない。
ここからもう一粘りが、きっとある。
カルマさんは強い。
今はもう、余裕で制圧しきろうとしている。
けれど忘れてはいけない。あのデーモンを見たとき、彼女は最初に、警戒していたのだ。
あのカルマさんが、そう思った。
つまり、デーモンはまだ力を振り絞ってくると思って良いだろう。
「カルマさん!」
「ッ!」
想像通り。
デーモンはその身を崩壊させながらも、残った左腕に強大な魔力を収束させていく。
先ほど俺に放ち損ねた魔力砲。
それと同種のものが、超至近距離でカルマさんへと放たれる。
「だけど――――!」
だからこそ、この一手だ。
デーモンが魔力を収束する頃には、既に俺の行動は完了している。
「タマ……」
ひゅーんと。
間抜けな軌道と共に、俺の魔力球が宙を舞う。
ゆるやかに弧を描くそのボールは。
サッカーボールと同じような大きさで。
それでいて、高密度。
彼女の動きから、プレイスタイルから、蹴りやすさから、俺が投げたらどれくらいでそこへ到達するのかから。
全て逆算した、ベストな位置だ。
「――――あは」
瞬間。
彼女の笑顔は先ほどまでの狂気ではなく、太陽のような笑顔に戻った。
放たれる、デーモンからの魔力砲。
フロアを破壊するのではないかと思う程の一撃が、彼女の居る宙へと迫り来る。
その、一瞬の後。
こちらの魔力砲も、放たれる。
「いっ――――けぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!」
流星が落ちる。
プリズムのような。それともオーロラのような。
彼女の魔力と俺の魔力。その両方が最大限に混じった魔力の色は、神秘的な色をまき散らしながら、邪悪な砲撃へと衝突する。
割れていく魔力砲。
貫く俺たちの、サッカーボール。
とんでもない膂力を纏った直径二十二センチの球体は。
こうして、恐怖纏う悪魔を。黒塵へと帰したのであった。
クエスト情報の誤判定
プロのダンジョンは基本的に、ダンジョン外から観測班によって、魔力量や推定深度などによってランク付けされる。
そのためしばしば、観測結果とは違うランクに入る機会も訪れる。
学園の汎用ダンジョンは、ランダム設定にしない限りは教員及び教官が操作し、ランクやモンスターの種類、ダンジョン深度などを決定する。
そのため誤判定などは起こる確率が少なく、かつ、すぐに停止できるはずなのだが……。
「たのもうここが教官室!」
「ヒッ!?」
クエスト終了後。
夕暮れ時。
カルマさんは俺を連れて、今回のダンジョンを調整した教官が滞在している部屋を訪れた。
まぁ訪れたというよりも。
襲撃に近いのだが。
「逃げようとしてたってことは、後ろめたいことがあるってことだね?」
「ぐっ……!」
「逃げても無駄ですよ。カルマさんはダンジョン内じゃなくても、足が速いですから」
まぁ尤も、知っているだろうけれど。
それくらい有名人だ。
この一年の内に冒険者見習いとしてのイメージで上書きされつつあるが、彼女が女子サッカー界に残した功績は、あまりにも大きすぎる。
「さてそれでは、話してください教官さん。
どうして――――あんな難易度にしたんですか?」
窓から逃げ出そうとしている、四十代くらいの教官をじっと見つめ、俺たちは問い詰める。
今回俺たちが戦ったデーモン。アレは、明らかに強すぎた。
カルマさんが受けた難易度は、見習いランクB相当。しかしあのデーモンは、プロランクのBか、それ以上の力を秘めていたと思われる。
「一歩間違えば死んでいました。
そもそもこの試験、他の教員たちへも公開になっていませんよね?」
「それは……! わ、私は……!」
しどろもどろになっている教官は。
やがて白状した。
彼は高ランクの教官で、プロの冒険者も兼任で行っている。
優秀で博識。経験も積んでいて、学園内でも冒険者としても、確固たる地位を築いていた。
しかしそんな折。
一人の異端が現れる。
太陽のような笑顔。
才気あふれる身体。
驚くべき速さで成長していくソレは、篤実に経験値を積み上げていた彼にとって、衝撃だった。
「それでいて貴様は、一切座学を受けないだろう! そんな、そんな存在など……!」
居てはいけないと。そう思った。
自身が真面目だからではない。
異端の才能が。未来ある超人が。彗星のごとく現れた新人が。
階段飛ばしで冒険者道を駆けあがっていく姿を、直視出来なかったのだ。
「異常なまでの才能の塊。それが、これまでの私を否定していく……!」
六年間。
ダンジョン現象が発生してから、彼はずっとこの仕事に没頭し続けていたらしい。
四十代くらいということは、冒険者を目指したのは、早くても三十代後半から。
きっと学べる場所も少なかっただろう。
そうしてコツコツと真面目に『冒険者』として積み重ね。
ようやくプロCランクに上がり。
教鞭を振るうようになった矢先、――――カルマさんは現れた。
「そんなこと、言ったってねえ」
「いや……」
困った顔をするカルマさんを置いて。
俺は、教官の元へと駆け寄っていた。
「分かります、その気持ち!」
「ええ!?」
「タマ!?」
驚く二人に、俺は力説する。
「この際だから言わせてもらいますけど! カルマさん! あなた座学くらい普通に出ましょう!」
「キミ、どっちの味方なんだよ! ボクはまだしも、キミ、一歩間違えれば死んでたんだよ!?」
「それはそれ、これはこれです!」
ぽかんとする教官を差し置いて。
俺は、彼女と言い合いをする。
「才能あるからって、好き勝手にしていいわけではないです!」
「いや、だってさ……」
カルマさんは珍しく、俺の言葉に圧倒されていた。
戦闘中は思考速度が速い彼女も、突然の言い合いで混乱をさせれば、その速度を封じれるんだなと、俺はちょっとだけほくそ笑んだ。
ともかく。
「俺は才能の無い人の気持ちも分かるし、成功者になりたい気持ちも、痛い程分かります」
「――――、」
嫉妬するのは当たり前で。
足を引っ張りたくなる気持ちも分かる。……やらないけど。
俺と同じ一年を過ごしてきた人たちは、大抵ランクを上げている。上がらない方が珍しいのだ。
「上がらなかったやつは、才能に見切りをつけて去って行きました。
でも俺は、奨学金のことは置いておいても、諦めきれなかった」
「…………、」
俺も。特別になりたかったから。
そして俺は彼女のお陰で、少しだけ特別になれた気もする。けど……。
「けど、それとこれとは話が別です」
言って俺は、真っすぐに彼女を見て言う。
「俺たちはパーティですよね? なら、言わせていただきます」
「うっ……!」
「座学に出て、少しでも教員からの見られ方を改善してください」
「うぐぐ……」
などとうめきながらも。
決して目は逸らさないカルマさんだった。
「それは……」
困ったようなハの字眉が、少しずつ目を曇らせていく。
きっと彼女にも。
何かあるんだとは思う。
カルマさんは馬鹿ではない。だから、自分で読んだ方が早いとか、効率が悪いとか、それ以外にもきっと、授業に出たくない理由を抱えているのだろう。
「……その、すぐじゃ無くて、良いんで」
力強く言いはしたものの、自分の中の気持ちに引きずられ、少し尻すぼみしてしまった。
「恨みを買った教官に嫌がらせを受けた。
これがこの先続くようなら、――――いいんですか?」
「い、いいって……、何が?」
たじろぐ彼女に、俺ははっきりと言葉を投げる。
「育って一人前になる前に――――俺、死にますよ!!!???」
「…………は、」
ぶっちゃけ。
今日みたいなことが続くと、生きていられる自信が無いです!
生き残ったのはたまたまだ。
この教官がもうワンランクでもレベルを上げていたら、今こうして口を開いていることは無かっただろう。
「…………、」
「……ど、どうですか」
「……ぷふっ」
沈黙。後。噴き出し。
彼女は一気に感情のダムを崩壊させ、大笑いをした。
「あはははははッ! あはははははははッ! 馬鹿だなー、タマは!
ひっ、ひー……! 自分が死んじゃうって宣言を、交渉材料にするヤツ、いる!?」
「うるさいですね……。事実なんだから仕方ないでしょう」
見ると、若干教官も口元を抑えていた。
でもそうだよな! アンタだけは笑っていい立場じゃ無いもんなァ!? そこわきまえてくれてて良かったよ! ちゃんと大人で良かったよ!
「だっ、だいたいさぁタマ。そうなる前に、パーティ抜けるって考えはないの?」
「え、無いですよ。俺だって、このパーティ気に入ったんですから」
「ぅ――――、」
笑いながら言葉を紡いでいた彼女の顔が、ぴたりと止まった。
「そのことば、は……」
ずるいよと。
カルマさんは静かにこぼした。
教官室の窓から入る夕日が。俺たちを穏やかに照らす。
ここは西日が強い。
だからきっと、太陽の光が目に入ったんだろう。
そうじゃないと、こんな理由で、彼女の瞳に涙なんてたまらないだろうから。
「…………ボク、は」
カルマさんが何かを言おうと口を開いた直後だった。
脇でずっと立っていた教官は、途端に土下座をして、深々と頭を下げた。
「すまなかった……!」
「…………、」
「一瞬の気の迷いで、私は……、私は……! きみたちに、なんてことを……!」
震えているのは。これから下る処分のことを思ってか、それとも自分の矮小さを知ったからか。
きっと冒険者になる前からも、こつこつ何かを積み上げて、ここまで来たのだろう。
だから。
「――――だから」
俺は呟いて。
背中越しにカルマさんへ言葉を飛ばす。
「ねぇ、カルマさん」
「なに、タマ?」
「俺……、今日って何してましたっけ?」
「え……? 何言ってんの?」
俺は座り込み、土下座する教官の肩を叩いて。出来るだけ柔らかく口を開く。
「せっかく用意してくれた汎用ダンジョン――――、すっぽかしてすみませんでした」
「…………は?」
「いやあ……、ど、どうしてもサボりたくなっちゃって……。
真面目さだけが取り柄の俺も、こうして、魔が差しちゃうことってあるんですよねぇ」
「何……、言ってんの、タマ?」
「そ、そうだきみ。きみは、この汎用ダンジョンで……」
混乱する二人に対して、俺は右手を上げて言葉を制した。
ぴたりとやんだ言葉の隙間。
俺は自分の考えを口にする。
「一度魔が差すくらい。失敗することくらい。凡人にはあります」
俺の強い言葉尻に圧倒されたのか。
二人は黙って、顔をぽかんとさせていた。
教官にとって。
騎馬崎 駆馬という太陽は、直視するには熱すぎた。
きっと彼が嫉妬に狂ったのは、彼が向上心を持ち続けていたが故だ。
そうじゃなきゃ。とっくに自分とは別の生き物だと割り切って、嫉妬なんて感情はもたないだろうから。
「こんな向上心のある先生が、たかが俺に行った不祥事くらいでいなくなるの、学園の損失ですよ」
「タマ……」
半分本音。半分は嘘だ。
出来ることなら、俺だってこの不祥事を公に発表して、プロBランクをクリアしたという功績を残したい。
けれど。
じゃあ、一度失敗してしまった教官は、どうなる?
一度でもこけてしまったら。
もうやりなおせないのか?
失敗してしまった人間は。
立ち上がるチャンスすら与えられないのか?
そこを奪うのが、俺が目指す冒険者像なのか?
――――そうじゃ、無いだろ。
静寂を割って、俺は言葉を落とす。
「心を入れ替えてください、教官」
「…………、」
「そして今度は、ちゃんと俺たちを導いてください」
失敗続きの日々だった。
それでも俺は、立ち上がろうとした。
けれど、躓いて躓いて躓いて。立ち上がることすら困難で。
才能に踏み抜かされ、才覚に蹂躙され、凡人にもなれない最底辺で。
俺は才能の無い人の気持ちも分かるし、成功者になりたい気持ちも分かるし、
やり直したい人の気持ちも、存分に分かる。
だからこれは、正義感や善人ぶりや、ましてや自己犠牲なんかではない。
俺のため。
自分自身を重ね合わせてしまった、今立ち上がろうとしている、俺のための言葉だ。
「だから。もう一度」
「私、は……!」
がくりと再び顔を地面へつけて。
教員は泣き崩れた。
そんな彼を。俺は、ただ柔らかく見守っていた。
その嗚咽が、鳴りやむ頃には。
すっかり日が落ち切ろうとしていた。
こうして俺たちは、今日のクエストをすっぽかしたのであった。
カルマさんは昇級がかかっていたというのに、とても残念である。
「なるほどこういうことかぁ。最後の最後に、キミが『変な動き』をするせいで、クエストは失敗に終わる。
身をもって実感したよ」
「すみません……」
「謝る気無いくせに、このこの!」
俺の隣を歩くカルマさんは、笑いながら肩にパンチを食らわせてくる。
勿論本気ではない。が、けっこう痛い。
彼女は主に足を鍛えているとはいえ、アスリートはそもそも、全身の力が鍛えられているので、基本的な力が強いのだ。
「キミは鍛えてなさすぎだよ。付与術士とはいえ、そこはどうなんだろうねー?」
「そこはマジですみません」
「お、今度は謝る気の謝罪だ」
あははと、これまでと同じように笑うカルマさん。
あの後。
教官は今日のことを、全て無かったことにした。
『本当にいいのかい? 私は今でも、全ての罪をかぶる気でいるが』
『良いんです。けど、一つお願いが』
『なんだい?』
『今度授業外でも、俺に魔法の事を教えてもらっていいですか?
ほら、上級魔法系の授業って、ランク上がってからじゃないとカリキュラムに無くて……』
『……分かった。
きみのため―――いや、きみたちのために、尽力しよう』
そんなやりとりの後、俺たちは教官室を後にしたのだった。
「まぁその、ボクも恨みを買っちゃうまでになるとは思ってなかったからさ。そこは反省だよ」
「聞きにくいことなんですけど、これまでこういうことって無かったんですか?」
「無かったよ」
「冒険者になる前も?」
「無かった。……その、運がいいことに、ね。
ボクの周りは、みんな努力家でね。ボクがどんな頂に行ってたとしても、全力で追いかけてきてくれた」
それは本当に運がイイ環境だったんだろう。
そうじゃなければ。きっと周囲は、嫉妬の嵐だ。
世間やマスコミの反応を見ていれば分かる。
少しだけ間を空けて。
彼女はぽつりとつぶやいた。
「――――ボクが座学に出ない理由、ね」
「はい?」
「……怖いんだよ。人からものを教わるっていう環境が」
「環境が……、怖い……?」
「うん」
それは。またしても初めて見せる笑い方。
狂気でも、太陽でもなく、
困ったように、眉を下げた笑い方だった。
「小学校の頃。ボクにも指導者と呼べるコーチが居たんだ。
けれどそのコーチは、とにかくチームプレーを優先する人でね。みんなを平等に育てようと必死だった」
「平等に……。つまり、才能のあるカルマさんを、『並レベル』にしようとした……、とか?」
俺の質問に対して。
しかしカルマさんは、「ううん」と首を振った。
「逆さ。
全員を全員、天才プレイヤーにしようとしたんだ」
「――――、」
その言葉は。
俺の血の気を引かせるのに、十分だった。
全員を天才に育て上げる。
全員を、騎馬崎 駆馬と同じように、育てようとする。
そんなの、下手をすれば虐待どころの騒ぎじゃない。
仮にそれがもし、この学園で行われたとすると。
そのカリキュラムを受けたほとんどの人間は、命を落とすだろう。
だってそれは。
あのデーモンとの一対一や、
そもそも一撃でも攻撃を受けたら死んでしまうというプレイスタイルを、
平凡な身の上で行わなければならないのと同義だ。
彼女の才覚は、彼女の身体能力や思考力があってこそ、実現している現象だ。
同種の才能を持っている人間であっても、真似することなど出来やしない。
「当然チームは崩壊するし、そもそもみんなクラブをやめてしまったんだ」
「そりゃ……、そうでしょう。
子供側が残ろうとしても、その前に親が辞めさせるでしょ」
「あはは、正解」
だから。
笑ってないんだって、カルマさん。
「自分で言うのもなんだけど。そのコーチは、ボクの持つ『才能』に中てられた。
あまりにも違いすぎる才能を見たとき。人は、あぁも変わってしまうんだと実感したよ」
「それは……」
それは先ほども目の当たりにした現象だ。
こつこつ真面目にやってきた教官も、嫉妬の炎に狂ってしまった。
彼は自分を取り戻すことが出来たが、きっと最初のコーチは……。
目を伏せ首を振り、そのままカルマさんは言葉を続けた。
「だからそれ以降のチームでは、『ボクにコーチングすることを禁止する』って条件で、チームに入ってやっていた状態だった」
思い出話をするテンションではない。
明るく天真爛漫な、天才の成功の裏に。こんなエピソードが隠れていたなんて思いもしなかった。
「言い方めっちゃ悪いんだけどねー!」
「でもまぁ……、そうなりますよね……」
これは彼女自身を守るだけではなく、彼女の周りをも守るやり方だ。
また誰かがおかしくなったら。
一人のスポーツ少女が抱えるには、あまりにも重すぎる。
「でも、高校で入ったサッカー部。
そこでも同じようにして入部したんだけど、そんなボクにも、みんな普通に接してくれたんだ」
「あぁ、さっきの。向上心を持ってたっていうチームメイト……」
「そう! 『いっぱいヌく』を教えてくれた子だよ!」
「あぁ……、その人たちか……」
でもまぁなるほど。
高校でようやく、愉快な仲間たちと出会えたわけだ。
たぶんチームだけではなく、理解あるコーチにも、かな?
「ボクはそこで自分を変えたくて、コーチの指導を受けようと思ったんだけどね。そしたらコーチが言うんだよ。
お前は無理にスタイルを変えなくていい。これまで通り、挑戦を見つけて生きろって」
「それは勿論……、」
「うん! いい意味での言葉だね!」
そう。
彼女は決して、向上心と挑戦心を失うことはないのだ。
その根幹がブレない限り、無理にこれまでのスタイルを変えずとも、成長すると思ったのだろう。
段々と声の調子が戻って行く彼女を見て、俺は口を開く。
「あぁ、だからサッカーから冒険者に転身したときも、周りは色々言っていましたけど、チームメイトだけは何も言わなかったんですね」
「うん! みんな快く送り出してくれたよ!」
カルマさんの本分を理解していたからか。
確かにそれは、あまりにも運が良すぎる。
いいチームメイトがすぎるというものだ。
「しかし、なるほど……」
これまでの彼女の行動で。どこか整合性が取れないところがあったのだが、ようやく腑に落ちた気がする。
最初の出会いの時。
挑戦心溢れる彼女が、しかし俺の『引き返したい』という言葉に素直に頷いたこと。
次に。
俺の提案通り、低ランクのダンジョンに付き合ってくれたこと。
そして最後。
強引に、高ランクのボス戦に連れて行ったこと。
最初と最後で矛盾しているようにも感じるが、違う。
彼女は次第に、俺を信用していったのだ。
ボス戦はイレギュラーが起こってしまったが故に分かりにくいが、彼女の中では、俺を導こうとした結果なのだ。
騎馬崎 駆馬は、ワンマンプレイヤーのように見えて。
その実、常にチームのことを動いて考えている。
所属した学校を全国に導いたように。
俺の事も、高ランクに導こうとしてくれていたのだ。
ただ最後はイレギュラーが起きて、戦闘狂の部分が強く出てしまったけれど。
「強いですね、カルマさんは」
そう呟く俺の肩を、彼女は優しく掴んだ。
歩く足を止めて、俺は少し後ろになった彼女へと振り返る。
「強いのは、キミだよ」
「カルマさん……」
力強い瞳が。
太陽のような笑顔が。
目に入ってくる。
日の落ちた帰り道。夜桜が散る中。
彼女は俺に、ぎゅうっと抱きついた。
「ちょ――――、」
「強いよ、タマは。本当に……」
こちらを褒めるとき特有の、謎のタイミングだったりもするよしよしが、今回は無かった。
ただ、力強く、けれど柔らかく。
全身で俺の身体を掴んでいる。
「もう一度やり直せるなんて、なかなか言えないよ」
「そう……、ですかね?」
「そうだよ。強くて――――優しい。
両方持って無いと、そんなこととても言えない」
「俺に蓄積されてるのは、これくらいですから」
彼女含め、天才たちはみな、強さと向き合ってきた。
けれど俺は。
自分の中にある、いろいろな弱さと向き合ってきたのだ。
だからこそ、同じような弱さを持った人間に、言えることもある。
「ボクがパーティを組んだ人が、ただ強さに憧れるだけの人じゃなくて良かった」
「カルマさん……」
「弱さと強さを同時に併せ持つからこそ、見えるものもあるんだね」
「はい……。そうなんだと、思います」
俺の胸にうずめていた顔を上げて。
彼女は潤んだ瞳のまま、こちらへと顔を近づける。
綺麗なショートの黒髪が。大きな瞳が。
しっとりとした唇が、近づいている。
「カル……、」
「ん……、」
――――ところで。
日が落ちたとはいえ、ここは冒険者養成学校。
朝も夜もなく、学園は回り続けていて。
当然のごとく、この桜舞う通路には、まだまだぜんぜん人はいる。
なんなら、彼女が俺に抱きついてきたあたりから、人々の視線は感じていたわけで。
あ、キスに至る前に手で制しているので、そこは誤解無きよう。
「…………」
「…………えーと」
「弱さと強さを同時に併せ持つからこそ、見えるものもあるんだね……」
「いや、やり直そうとしないでくださいよ!?」
「えー? どさくさでどうにかなるかなって思ったんだけど」
「なりません! 学園内で不健全行為なんてしてるの見られたらヤバいですから!」
「でも失敗しても、もう一度立ち上がれるって言ってたじゃん?」
「場合によるだろ!?」
「あはは!」
言って彼女は、笑いながら俺の手を取り走り出す。
「まったくもう……! タマは変なところで真面目だなあ!
ええい、どけどけ観客たち! ボクと、ボクの自慢のパーティメンバーのお通りだよー!」
「う、うわわっ!? カルマさん、ど、どこ行くんですか!?」
「そりゃもう、今から次のクエストのミーティングさ! 今夜は寝かさないからね!」
人々を裂いて、俺たちは連れ立っていく。
「――――絶対に、強くしてあげるからね!」
「……はい!」
こうして。
今日から騎馬崎 駆馬の残す轍には、少しのオプションがつくこととなる。
落ちこぼれだった無能付与術士という、ちょっと歪なカタチの轍が。
聞くところによるとそいつは。
いきなり突飛な行動をして、クエストを台無しにして。
昇級クエストをすっぽかし。それどころかとある教員の弱みを握り、コネでランクを上げようと目論んでいた、禄でもないやつらしくて。
しかもそいつはどうやら。自分のことを付与術士とは呼んでないらしくて。
胸を張って堂々と、『ボール出し係』と、
名乗っているんだってさ。
第一試合
試合終了
冒険者プレート
冒険者及び冒険者見習いのための、身分証のようなもの
このプレートをかざして魔力を呼応させることで、ダンジョン内ではパーティを組むことが可能となる。
魔力の呼応は、任意でなくてはならない。
パーティ
冒険者プレートによって、ダンジョン内にて同行する者たちのこと。
また。
強き絆で結ばれた者たちを指すこともある。