「どうぞ」
「ありがとう」
蒸し上がったばかりの包子を三つ、熱さを微塵も感じない所作で取皿に乗せる。湯気の立つ熱々の包子が蒼琳へと手渡された。
この手慣れた料理の出し方には、彼女の家が関係していた。
廉 緋燕は皇妹・皇甫青藍の食事係として尚膳監に所属している宦官である。
末席に所属しているものの、彼女は青藍自ら市井より引き入れたとして紫微城内で名を知らぬ者は居ない。しかしその知名度とは裏腹に、その姿を知る者はごくわずかだった。
なぜなら彼……もとい彼女は性別を偽り、この後宮に身を寄せているのだ。
きっかけは青藍の出自にあった。
青藍は今でこそ宮城内に溶け込んでいるが、つい三年前までは城下町で平民として生活していた。
先代の皇帝である青藍と蒼琳の叔父は彼女たちの父を殺めて帝位を簒奪した。そして民を苦しめる圧政を続けた結果、宮城内からも暴動が起き、叔父は失脚。次の皇帝として従者たちから信頼の厚い蒼琳が即位することになった。
即位の際、父の記録を辿っているうちに腹違いの妹が居るとわかり、市井で青藍を見つけ出したのだった。
一方、青藍は兄の存在を知り、喜んだのもつかの間。城下町に居る育ての親や友人から引き離され、後宮の瑛青宮へと居を移した。
城下町で育った青藍には、紫微城での暮らしは娯楽も無ければ食事も口に合わず、全くもって退屈な日々を過ごしていた。何よりも宮廷料理は薄味で、しつこいほどの濃い味を知る青藍には食事が苦痛なほどであった。
そこで「味が薄いなら料理人を呼べばいいじゃない!」と青藍は考えた。彼女の無茶振りで白羽の矢が立ったのが料理屋「廉廉」の娘にして親友の緋燕だった。
しかし、後宮の食事は宦官の統括であり、女性を雇うことは難しかった。ゆえに緋燕は青藍の図らいで性別を偽り、青藍専属の料理人として膳房に立つこととなったのだ。
「これは、菜包かと思えば肉が入っているんだね」
包子は種類も多く、中身によって通称が異なる。菜包とは字のごとく野菜を包んだ包子のことである。
枠に当てはまらない庶民の料理では、中の餡に様々な物を入れて味付けに脚色を入れる創作包子も存在する。「廉廉」でも決まった食材を入れる包子以外にもたくさんの包子を出していた。
「ええ。ひき肉には大蒜を混ぜています」
「大蒜……。確か西方の香辛料だったかな?」
「はい。使い方次第では調味料や食材にもなりますし、何より滋養強壮によく効きます」
大蒜は西域からやってきた比較的新しい食材である。
城下町の料理でも見かけることは多くなったが、体には良いものの匂いが歓迎されていないのか、宮廷料理では未だに使われている品目は少なかった。
「この包子、公主様の好物なんです」
幼い頃、緋燕の父が作った包子を食べすぎて青藍が喉をつまらせかけた話をすると、蒼琳は「彼女はその頃からお転婆だったんだね」と笑った。
誰かが食べているのを見ると青藍がたかりに行くので、いつの間にか「廉廉」の品書きからは消えてしまった。今となっては青藍のためだけの一品である。彼女も大人になったとは言え、朝餉を勝手に譲ったと知られたらどうなるかわからない。緋燕は念押しで人差し指を立てて蒼琳に忠告した。
「なので陛下にお出ししたことは公主様には内緒ですよ?」
「もちろん! 口が裂けても妹妹には言わないさ」
胸元を押さえていた手を拳にし、背筋を伸ばして胸を叩く。「大船に乗ったつもりで居てくれ」と冗談じみて言う蒼琳を見て、緋燕が口元に手を当てて笑う。
「それはそれで、大げさですね」
くすくすと笑う緋燕を見つめたまま、蒼琳はぽかんと口を開けたまま動かなくなった。動かない蒼琳に緋燕が首をかしげると我に返ったのか、ごまかすように頬を掻いた。両頬は先程よりも随分色を帯びているが、緋燕は温かい料理のおかげだろうと推測した。
「今日の包子もおいしかったよ」
「ありがとうございます」
蒼琳から労いの言葉を頂戴し、緋燕はようやく体に馴染んだ拝手をなめらかにこなした。顔を上げると蒼琳は何かを言いたげに口を開閉させている。
そんな様子を気にすることもなく、緋燕は包子作りに戻ろうと立ち上がった。しかし蒸した時間も含めるといつもより長居をさせてしまったのではないかと気づき、再度蒼琳を見た。
「陛下、そろそろお休みにならなければ明日のご公務に支障をきたしますよ?」
「ん? ああ、そうだね。そろそろお暇しようかな」
重い腰を上げた蒼琳は、包子の乗っていた小皿を緋燕へと渡す。数分前まであった包子はものの見事に残っていなかった。
「君との時間はありのままの自分で居られるからつい長居をしてしまうよ」
「居るのは結構ですけど、閨でもその本を読まれるんでしょう? 勤勉なのは結構ですが、本当に睡眠不足で倒れますよ?」
何気ない会話のつもりで緋燕は言ったのだが、蒼琳は包子を食べ終えているにも関わらずせき込んだ。
「ねっ……! そ、そうだな! では部屋に戻るとしよう」
「はい。お気をつけて」
こほんと咳払いをし、ゆっくりと蒼琳は膳房の出入り口へと足を進める。膳房に入ってきた時の軽快さは今の彼には無い。緋燕が蒼琳の後ろを歩いていると、扉の前で振り返った。
「緋燕もあまり遅くまで根を詰めないように」
「ありがとうございます。この仕込みが終われば寝ます」
一礼すると、緋燕は包子ではなく鍋の方を指さした。
「そうか。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
いつものように緋燕の頭を撫でると、蒼琳は私室へと去っていった。
彼が執務の景心殿ではなく、自室の方へと向かったのを確認すると、緋燕も仕込みに戻った。
翌日。定刻通りに朝議を終えた蒼琳が後宮へ挨拶にやって来た。
「おはようございます、兄上」
「おはよう、妹妹」
青藍の連れる従者の中には、もちろん緋燕も控えている。
伏せる緋燕の横をまるで昨日のことなどなかったように素知らぬ様子で蒼琳は通り過ぎていく。
今日も青藍と一言二言会話をし、足早に後宮を去る。
蒼琳が去った後は毎日顔を合わせている瑛青宮の従者たちでさえも色めきだっていた。
凛とした佇まいに意思の強そうな目元、真一文字に引き締められた薄い唇。服の上からでもわかるがっしりとした体躯に加え結い上げられた濃紺の髪は光が当たって青みがかった独特の色をしている。何処を切り取っても眉目秀麗としか形容しがたい。
そのうえ学もあり、色に溺れず、君主として民を慮る心も持ち合わせている。まさに誰が見てもお手本通りの皇帝の姿が存在していた。
「はぁ……。今日も陛下はお美しい」
「あの方のお相手になれる方が羨ましいわぁ」
そんな立派な皇帝陛下だが、未だ正妻の座は空席である。異国の王族や辺境の有力者、後宮で働く侍女もまた、その空席を虎視眈々と狙っているのだ。
惚ける侍女たちをよそに、宦官として列席している緋燕は首をかしげていた。
(私が会ってる陛下って本当に陛下なんだろうか)
緋燕の知る蒼琳と日中に見かける蒼琳の差が激しすぎて、彼女には名君の蒼琳はいつまでも定着しそうになかった
「ありがとう」
蒸し上がったばかりの包子を三つ、熱さを微塵も感じない所作で取皿に乗せる。湯気の立つ熱々の包子が蒼琳へと手渡された。
この手慣れた料理の出し方には、彼女の家が関係していた。
廉 緋燕は皇妹・皇甫青藍の食事係として尚膳監に所属している宦官である。
末席に所属しているものの、彼女は青藍自ら市井より引き入れたとして紫微城内で名を知らぬ者は居ない。しかしその知名度とは裏腹に、その姿を知る者はごくわずかだった。
なぜなら彼……もとい彼女は性別を偽り、この後宮に身を寄せているのだ。
きっかけは青藍の出自にあった。
青藍は今でこそ宮城内に溶け込んでいるが、つい三年前までは城下町で平民として生活していた。
先代の皇帝である青藍と蒼琳の叔父は彼女たちの父を殺めて帝位を簒奪した。そして民を苦しめる圧政を続けた結果、宮城内からも暴動が起き、叔父は失脚。次の皇帝として従者たちから信頼の厚い蒼琳が即位することになった。
即位の際、父の記録を辿っているうちに腹違いの妹が居るとわかり、市井で青藍を見つけ出したのだった。
一方、青藍は兄の存在を知り、喜んだのもつかの間。城下町に居る育ての親や友人から引き離され、後宮の瑛青宮へと居を移した。
城下町で育った青藍には、紫微城での暮らしは娯楽も無ければ食事も口に合わず、全くもって退屈な日々を過ごしていた。何よりも宮廷料理は薄味で、しつこいほどの濃い味を知る青藍には食事が苦痛なほどであった。
そこで「味が薄いなら料理人を呼べばいいじゃない!」と青藍は考えた。彼女の無茶振りで白羽の矢が立ったのが料理屋「廉廉」の娘にして親友の緋燕だった。
しかし、後宮の食事は宦官の統括であり、女性を雇うことは難しかった。ゆえに緋燕は青藍の図らいで性別を偽り、青藍専属の料理人として膳房に立つこととなったのだ。
「これは、菜包かと思えば肉が入っているんだね」
包子は種類も多く、中身によって通称が異なる。菜包とは字のごとく野菜を包んだ包子のことである。
枠に当てはまらない庶民の料理では、中の餡に様々な物を入れて味付けに脚色を入れる創作包子も存在する。「廉廉」でも決まった食材を入れる包子以外にもたくさんの包子を出していた。
「ええ。ひき肉には大蒜を混ぜています」
「大蒜……。確か西方の香辛料だったかな?」
「はい。使い方次第では調味料や食材にもなりますし、何より滋養強壮によく効きます」
大蒜は西域からやってきた比較的新しい食材である。
城下町の料理でも見かけることは多くなったが、体には良いものの匂いが歓迎されていないのか、宮廷料理では未だに使われている品目は少なかった。
「この包子、公主様の好物なんです」
幼い頃、緋燕の父が作った包子を食べすぎて青藍が喉をつまらせかけた話をすると、蒼琳は「彼女はその頃からお転婆だったんだね」と笑った。
誰かが食べているのを見ると青藍がたかりに行くので、いつの間にか「廉廉」の品書きからは消えてしまった。今となっては青藍のためだけの一品である。彼女も大人になったとは言え、朝餉を勝手に譲ったと知られたらどうなるかわからない。緋燕は念押しで人差し指を立てて蒼琳に忠告した。
「なので陛下にお出ししたことは公主様には内緒ですよ?」
「もちろん! 口が裂けても妹妹には言わないさ」
胸元を押さえていた手を拳にし、背筋を伸ばして胸を叩く。「大船に乗ったつもりで居てくれ」と冗談じみて言う蒼琳を見て、緋燕が口元に手を当てて笑う。
「それはそれで、大げさですね」
くすくすと笑う緋燕を見つめたまま、蒼琳はぽかんと口を開けたまま動かなくなった。動かない蒼琳に緋燕が首をかしげると我に返ったのか、ごまかすように頬を掻いた。両頬は先程よりも随分色を帯びているが、緋燕は温かい料理のおかげだろうと推測した。
「今日の包子もおいしかったよ」
「ありがとうございます」
蒼琳から労いの言葉を頂戴し、緋燕はようやく体に馴染んだ拝手をなめらかにこなした。顔を上げると蒼琳は何かを言いたげに口を開閉させている。
そんな様子を気にすることもなく、緋燕は包子作りに戻ろうと立ち上がった。しかし蒸した時間も含めるといつもより長居をさせてしまったのではないかと気づき、再度蒼琳を見た。
「陛下、そろそろお休みにならなければ明日のご公務に支障をきたしますよ?」
「ん? ああ、そうだね。そろそろお暇しようかな」
重い腰を上げた蒼琳は、包子の乗っていた小皿を緋燕へと渡す。数分前まであった包子はものの見事に残っていなかった。
「君との時間はありのままの自分で居られるからつい長居をしてしまうよ」
「居るのは結構ですけど、閨でもその本を読まれるんでしょう? 勤勉なのは結構ですが、本当に睡眠不足で倒れますよ?」
何気ない会話のつもりで緋燕は言ったのだが、蒼琳は包子を食べ終えているにも関わらずせき込んだ。
「ねっ……! そ、そうだな! では部屋に戻るとしよう」
「はい。お気をつけて」
こほんと咳払いをし、ゆっくりと蒼琳は膳房の出入り口へと足を進める。膳房に入ってきた時の軽快さは今の彼には無い。緋燕が蒼琳の後ろを歩いていると、扉の前で振り返った。
「緋燕もあまり遅くまで根を詰めないように」
「ありがとうございます。この仕込みが終われば寝ます」
一礼すると、緋燕は包子ではなく鍋の方を指さした。
「そうか。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
いつものように緋燕の頭を撫でると、蒼琳は私室へと去っていった。
彼が執務の景心殿ではなく、自室の方へと向かったのを確認すると、緋燕も仕込みに戻った。
翌日。定刻通りに朝議を終えた蒼琳が後宮へ挨拶にやって来た。
「おはようございます、兄上」
「おはよう、妹妹」
青藍の連れる従者の中には、もちろん緋燕も控えている。
伏せる緋燕の横をまるで昨日のことなどなかったように素知らぬ様子で蒼琳は通り過ぎていく。
今日も青藍と一言二言会話をし、足早に後宮を去る。
蒼琳が去った後は毎日顔を合わせている瑛青宮の従者たちでさえも色めきだっていた。
凛とした佇まいに意思の強そうな目元、真一文字に引き締められた薄い唇。服の上からでもわかるがっしりとした体躯に加え結い上げられた濃紺の髪は光が当たって青みがかった独特の色をしている。何処を切り取っても眉目秀麗としか形容しがたい。
そのうえ学もあり、色に溺れず、君主として民を慮る心も持ち合わせている。まさに誰が見てもお手本通りの皇帝の姿が存在していた。
「はぁ……。今日も陛下はお美しい」
「あの方のお相手になれる方が羨ましいわぁ」
そんな立派な皇帝陛下だが、未だ正妻の座は空席である。異国の王族や辺境の有力者、後宮で働く侍女もまた、その空席を虎視眈々と狙っているのだ。
惚ける侍女たちをよそに、宦官として列席している緋燕は首をかしげていた。
(私が会ってる陛下って本当に陛下なんだろうか)
緋燕の知る蒼琳と日中に見かける蒼琳の差が激しすぎて、彼女には名君の蒼琳はいつまでも定着しそうになかった