「ちぃちゃん、ありがとうね……」

 出産に向けて、いろいろなケーブルや点滴のチューブを付けられた結花があたしの手を握ってくれる。

「なにを今さら言うかなぁ。あたしたちに遠慮なしって決めたでしょ?」

 本当の分娩室には家族でないと入れない。結花がお願いしてくれて、その手前の陣痛の経過をみる部屋までならあたしも入れてもらえた。

「ごめんね、こんな顔しかできなくて……」

 少しずつだけど、結花が顔をしかめる間隔が短くなってきた。その度にあたしの手をギュッと握る。そのたびに頑張れと背中を擦ったり、頭を撫でた。

「先生、遅いよ……」

「ううん、これは私が頑張るお仕事だから、怒っちゃダメ」

 あたし、自分が同じ事になったら耐えられるんだろうか?

「ちぃちゃん、その機械のボリューム少し上げてもらえる?」

 それまで小さい音だった機械から、雑音の中に速いテンポのリズム音が聞こえてきた。

「これ、赤ちゃんの心臓の音なんだよ。私と違って元気そうでしょ?」

 つい先日までと違う。結花の顔はもうお母さんだった。早く楽にしてあげたい。早く抱きしめたい。そのためならどんなに辛くても頑張れると。

 夕食もあたしが陣痛の間隔を縫って口まで運んだ。

「うっ……、痛いよぉ……」

「がんばれ結花」

 これまで一度も言わなかった結花が初めて口に出した苦痛の言葉。

 小学校の6年生で、結花に付き添って救急車に乗ったときのことが思い出された。

 当時と同じように右手をぎゅっと握って、「一人じゃないんだよ」って。

「私、最後までいけるかな……」

「何言ってんの、赤ちゃん抱っこするのを楽しみにしているんでしょ?」

 額に浮かんだ汗をタオルでそっと拭ってあげる。

「結花、あんたはいつだって一人じゃない。きっと栞ちゃんも来て応援してるよ。あんたは天使を味方に付けているママでしょ?」

「栞……」

 こんな場で出す名前ではなかったかも知れない。でもあたしには確信がある。

 空の上にいたとしても、妹の誕生を喜ばないはずはない。なにより母親の結花を悲しませることはしないと。

「うん、頑張る……」

 繋がれた手に再び力が入った。そう、それでいい。

「小島さん、もうすぐ。赤ちゃんも頑張ってる。そろそろ分娩室行きましょうか?」

「はぃ……」

 痛みの間隔を見計らって立ち上がったとき、ドタバタと物音がした。

「結花!」

「陽人さん……」

「先生! 来るの遅い!」

 あたしは握っていた結花の手を先生の手に託した。

「あとはお願いします。結花、いってらっしゃい!」

「うん」

 頷いた先生と結花を見送って廊下に出ると、結花のご両親も到着していた。

「千佳ちゃん、本当にありがとうね。結花も心強かったでしょう」

「大丈夫ですよね、結花……」

「大丈夫。結花なら出来るから」

 以前の時と違う。結花のお母さんの声にも自信がある。


 時計の進みが酷く遅く感じた。早く、早く楽にしてあげて……。

 いつの間にか自分の手が白くなるほど握りしめていたことに気付いたときだった。

 部屋の中から、元気な産声が聞こえた。