【外伝】あなたが教えてくれたこと(改稿版)




「なんか、一日疲れたなぁ」

「そうだね。でも、いろいろ嬉しかったよ」

 壁に背中を付けて並んで座る。

「和人の気持ち、嬉しかった。あたし、邪魔じゃなかったんだって」

 本当にそれが聞けただけでも、あたしの今日一日は大収穫だった。就職も心配だけど、あたしの居場所がどこになるかが全てのベースだから。

「冗談じゃない。千佳がいるから俺だって頑張れる。千佳さえよければこのままずっと二人で生きていきたい」

「もぉ、そういう大事なセリフは、もっと大事な時に使ってよね」

 彼の唇にそっと合わせる。

 あたしたちは人生の約束をどこで交わすのだろう。

 あの結花と先生の話にはとても敵わない。

 いろんなプロポーズも話だけは聞くけど、和人に言われれば、どんなシーンだってその場でOKしちゃうとは思うから。

「それより、千佳、この服……」

 和人と結花が部屋に入ってきたとき、二人の顔が驚きに変わったんだ。

「うん、結花も高校の頃のワンピ着てくるって言うし、あたしもと思ったんだけど、これが一番可愛かったし。それにもう和人がいるんだもん。大丈夫」

 和人と交際を始めるきっかけになったあの夜に着ていたもの。

 あの当時は汚されたことに悔しくて、またその当時をフラッシュバックしてしまって、この服を着ることは出来なかった。

 あの当時、結花と一緒に買いに行った思い出がある。そして、あたしに似合うと選んでくれた一着。

 だから、今日は髪形もいつものボブではなく、左右の両上でシュシュを使って短いツインテールにしてみた。

 結花くらいの長髪だと髪型も自由自在だけど、これはあたしの中で一番幼く見える髪型かもしれない。これもあの子が最初にあたしの髪を結ってくれたのが始まり。

 そんな二人にもう大丈夫だと伝えたくて。和人が気付いたくらいだから、結花にも伝わっただろう。

「似合わなかったかな……」

「いや……、その逆で……」

 顔が赤い。もう、先生たちがいる時じゃなくてよかった。分かってるよ、あたしだってこの先に起こるだろう展開は想定していた。

「そんなに可愛い格好されたら、俺も抑えきれなくなっちまうかも……」

 そうだよね。普段の生活では、どうしても着回しができるようなシンプルなのが多いから、おしゃれ着あまり着ないもんね。

「今日ね、和人の気持ち知れた。もう恐くない。和人の気持ち、抑えなくてもいいよ?」

 腰に回されていた和人の腕をそっと一度外してもらう。

「和人、あたしのこと……放さないでいてくれる?」

「もちろん! それでもいい?」

 あたしは軽く笑顔になって、ベストを脱いでから襟のリボンを解いて、ブラウスの第2ボタンまでを外した。横に座っている彼からは、下着とその下の膨らみだって直に見えてしまうと思う。でも、それでいい。

「あとは、和人やって? あたしも和人と一緒に歩いていくから」

「千佳……」

「うん。これからも守ってくれなきゃ、怒っちゃうぞ?」

 テーブルの上にあった照明のリモコンで部屋の明かりを落として、あたしは和人の瞳に頷いた。
<夏休みと就職活動>



「そうかぁ、ちぃちゃんが私の代わりになってくれるんだぁ」

「うん、昨日決まった。茜音さんが結花にもよろしくって」

「そうかぁ。なら安心かな。でも、戻った頃に私の居場所ないかもなぁ」

「大丈夫、その頃にはあたしもきっと妊婦になっちゃうかも」

「そんなにタイミング良くなっちゃう?」

 二人で笑うと、テーブルの上のグラスから氷がコロンと鳴った。


 季節は回って、夏休みに入っていた。

 実は夏休みに入ってから、アルバイト先の児童園には顔を出せていない。

 その代わり、あたしは時間があるときは、こうやって結花と一緒に過ごしている。

 結花のお腹の赤ちゃんは順調に大きくなって、今ではもうすっかり臨月だ。

 いつ生まれても問題ないところまで来た。赤ちゃんも元気な女の子だと知らされていた。

 でも、夏休みは旦那さんである小島先生も夏期講習の真っ只中。

 アメリカから帰国した先生は、それまでの経歴や頑張りを評価されて、夏休みの午前中は大きなクラスの授業、午後は夜まで個人クラスの予定がギッシリの大人気講師になっている。

 本当はこういう時、実家に帰省するのも一つの手だと思う。でも、結花は先生を一人にするのを嫌がったし、ご両親を横須賀から呼び寄せるのもお互いに気を使ってしまうと考えたみたい。

 そこで、結花に何かあったときのために、平日の話し相手として目を付けられたのがあたしで、先生から結花のそばにいてあげて欲しいと頼まれた。

 交通費だけじゃなく「バイト代より少なくて申し訳ない」と日当もくれている。

 でもね、相手をしてくれるのが他の誰でもない結花だし、体を動かしにくくなってしまった結花と家事を分担したり、一緒に散歩したりの毎日。

 通院も臨月になると1週間ごとになるから、夏場の外出は大変だ。そんなときも「二人で行けば楽しい散歩」と言ってくれる。

 それだけじゃなく、結花から料理とか家事のコツまで教わっている。

 あたしが結花に「プレ花嫁レッスン」とでも題して授業料を払わなくちゃならないほどの裏技満載の内容盛りだくさん。

 本当にこの実態でお金を貰っていいのかと思うほどだよ。

「私も一人だといろいろ考えちゃう。ちぃちゃんが一緒にいてくれるから心強いんだぁ」

 それだけじゃなく、ちゃんと二人は「その時の」用意もちゃんとしてあって、入院の用意だけじゃなく、タクシーや先生の連絡先なども全て大きく書き出してある。

「結花には、本当に世話になりっぱなしだよね。あんなに就職活動に悩んだり苦労していたのが嘘みたいだった」

「ううん、私はただ頑張っている子がいるから、会ってお話を聞いて欲しいと言っただけ。ちぃちゃんが頑張ったんだよ。何か困ったことがあったら、すぐに連絡してね。私からすぐにお願いできることになっているから」

 さすがにこの時期になると、結花も少し動くと足が浮腫んでしまう。先生に教わったり、結花に言われるとおりに揉んであげると、気持ちよさそうに目を細めている。

 顔写真だけ見れば、彼女は今でも十分に女子高生で通りそう。

 こんなお母さんから生まれてくる女の子は、きっと可愛いんだろうな。

「今日も暑くなりそうだねぇ……」

 結花がカーテンを開けて、外に広がる抜けるような青空を見上げた。




 あたしが春先に先生と結花に打ち明けたあの日からしばらくして、それが口約束だけではなかったことを知った。

 学生向けの就職活動が解禁になってすぐ、あたしのスマホに1本の連絡が入った。

 松木茜音さんと名乗った優しそうな声。そして、「小島結花さんからお話を伺いました」と切り出してくれた。

 仕事としてやりたいこと、今だけでなくその先の不安なども全て話して欲しいという。

 親友はあたしのことをその施設の所長さんたちにきちんと伝えてくれていた。

 アポイントをお願いして、あたしは結花と一緒に珠実園という施設を訪れた。

 そこで待ち構えていたのは驚きの構図だった。

「やっぱり千佳ちゃんだったのね。よかった。健君、茜音も?」

 結花に連れられて施設内を進むと、そこにいたのは、結花のお母さんだった。同じ部屋には、所長さんの松木健さんと茜音さんのお二人が待っていてくれた。

 元々は私設の児童福祉施設だったこの園が、今では子ども園も併設した市の公認児童センターとして、運営されていること。

 結花は主にカウンセラーとして、彼女のお母さんはここの顧問弁護士と親子で携わっていることを聞いて驚いた。

「いま、学業の合間で秦野(はだの)の児童館でお仕事をされているそうですね? あちらの館長さんが誉めておられましたよ。よく頑張ってくれる子ですとね」

 所長の健さんが笑ってくれた。もうそんなところまで話を進めてくれていたんだ。

 あたしは、お二人とたくさん話をした。

 結婚を約束してくれている和人のこと。仕事と家庭との両立、結婚や出産など将来の不安なども話題はたくさんあったし、茜音さんも健さんも、巧みにあたしからどんどん本音を引き出してくれた。

 話し終わって、ふと気がついた。これは就職の面接ではなかったのか? 普通なら、将来の自分や職場に不利になることは話題にならないように進路指導でも言われてきたのに。

 そんな不安にあたしが気付いたのを茜音さんは感じたらしい。

「所長、いいんですよね?」

「そうだね。他に理由無いよ」

 お二人が頷いて、茜音さんがあたしに告げてくれた。

「佐伯千佳さん、次の春からわたしたちに貴女の力を是非貸していただけませんか?」

 普通面接といえば長くても15分程度と先輩たちからの経験談で聞いていた。

 えっ? この部屋に入った時がお昼過ぎで、茜音さんがあたしに最後の言葉をくれて、お二人と部屋を出たとき、帰り支度をした結花がちょうどエレベーターを降りてきた。

 時間にして約3時間。こんな就職面接は他には例がないだろう。

「秦野の館長に言っておかないとな。いよいよ困っていたら面倒見るなんて話もしていたんだけど、悔しがるかもな」

 施設の正規職員として、そして市の嘱託職員という肩書きも付く。専攻でもあった児童福祉やリハビリテーション、心理学などの分野も全て活かすことが出来る。

 帰りがてら聞いて、それだけでもありがたいと思った。試用期間が終わった頃、ちょうど産休から明けてくる結花をあたしに付けてくれる予定だという。

 妊婦でありながら、結花は病気や学校中退、海外で過ごした自身の体験を活かしながら、今は生活相談カウンセラーとして右に出る者はいないんだって。

 あたしは、持ち帰った書類を和人と見直した。

「千佳が一番やりたかったことがこれなんじゃないか?」

「うん。これから先の結婚とか出産のことも全部話しちゃった。所長さんから『それは当たり前のことだから心配する必要はない』って言ってくれた。結花も一緒だもん。あたしは不安もない」

「分かった。俺も頑張る。先に決められちゃったな。内定おめでとう」

 あたしの就職活動はこうして思いもよらない形で終わったんだ。

<予定していた『その日』>



「結花……」

「うん、なぁに?

「なんか、あたし昔は結花を守るんだなんて思っていた時期もあったんだけど、いつの間にかすっかり逆になっちゃったね」

「ううん。私もちぃちゃんがいてくれたから頑張れた。お礼を言わなくちゃならないのは私だよ……」

 そこまで言ったとき、結花の顔がぐっと歪んでお腹を押さえた。額から一筋汗が流れる。

「結花! 大丈夫?」

「うん……。近いのかも……。昨日くらいからあんまり動かなくなってたから」

 あたしも結花と一緒にいろいろ勉強した。生まれる直前になると、あまり胎動がなくなって、ときどき陣痛の練習のようなことが始まると。

 結花は初産(ういざん)だから、陣痛やお産の経過が予測できない。

 それに体の負担も考えて、普通の妊婦さんよりも早めに連絡するように言われている。

「……ちぃちゃん、ごめん。お洗濯ものの取り込みと窓の戸締まりをお願いしていい? 心配は要らないよ」

 痛みが少し退いたらしく、立ち上がった結花は、それでも笑顔であたしに声をかけてくれた。




『……はい、今から病院に向かうと主人に伝えていただけますか? えぇ、もちろん授業の合間で結構です』

 結花が電話を切る。

「ごめんね、ちぃちゃん。あとは私が一人で行けるよ」

「何言ってんの。あたしがついて行くに決まってるでしょ?」

 産婦人科に連絡をしたら、やはり結花には早めに来て欲しいとのことで、入院の準備をしたバッグを取り出して玄関に置く。

 タクシーも予定どおりに連絡して、すぐに来てくれると返してくれた。

 夕食も作ってあったけれど、それは冷蔵庫に入れて。最後に結花から先生が勤める職場に連絡も完了。

「結花、靴履ける? ゆっくり足上げて?」

 妊婦さんの大きなお腹で靴を履くのも一苦労だ。片足ずつ上げてもらって、スニーカーをはめ込んだ。

 荷物を持ち鍵を閉めて、結花の手を引いてエレベーターに向かう。

「どう? きつい?」

「まだ、間隔が長いから大丈夫かな」

 待っていてくれたタクシーに乗り込んで病院に向かった。

「しばらくこの景色ともお別れだなぁ」

「まったく、何を言ってるんだか?」

 本当に……。今度帰ってくるときは赤ちゃんを抱っこしているはずなんだから。

「これからお産ですか?」

「そうなんですよぉ」

 女性の運転手さんは負担にならないように道を選んでくれた。

「頑張ってくださいね」

「ありがとうございました」

 病院の受付で名前を告げると、待合順番を飛ばしてすぐに呼んでくれた。

 あたしが一人で待合室で待っていると、結花が車いすで出てきた。

「どうだって?」

「うん、まだ間隔が長いんだけど、もう子宮口が少し開いてるんだって。帰ったら経過が分からないから、このままお産にしちゃうみたい。今から入院だぁ。荷物も持ってきたからちぃちゃんは帰ってもらって大丈夫だよ?」

「何言ってるの。先生が来るまで帰らないからね!」

「ちぃちゃん……」

「今回は救急車で運ばれたんじゃないんだからいいでしょ?」

「もぉ。これでまた借りを作っちゃったなぁ」

「そんなの気にしない!」

 結花が診察室に入っていた間、あたしは自分に出来る連絡先に電話をしていた。

 結花の両親やあたしの実家はもちろん、和人にもだ。先生がまだ到着していないから、付き添うことも。

 みんなが到着するまでしばらくかかる。それまであの子を一人にはさせないと心に決めていた。




「ちぃちゃん、ありがとうね……」

 出産に向けて、いろいろなケーブルや点滴のチューブを付けられた結花があたしの手を握ってくれる。

「なにを今さら言うかなぁ。あたしたちに遠慮なしって決めたでしょ?」

 本当の分娩室には家族でないと入れない。結花がお願いしてくれて、その手前の陣痛の経過をみる部屋までならあたしも入れてもらえた。

「ごめんね、こんな顔しかできなくて……」

 少しずつだけど、結花が顔をしかめる間隔が短くなってきた。その度にあたしの手をギュッと握る。そのたびに頑張れと背中を擦ったり、頭を撫でた。

「先生、遅いよ……」

「ううん、これは私が頑張るお仕事だから、怒っちゃダメ」

 あたし、自分が同じ事になったら耐えられるんだろうか?

「ちぃちゃん、その機械のボリューム少し上げてもらえる?」

 それまで小さい音だった機械から、雑音の中に速いテンポのリズム音が聞こえてきた。

「これ、赤ちゃんの心臓の音なんだよ。私と違って元気そうでしょ?」

 つい先日までと違う。結花の顔はもうお母さんだった。早く楽にしてあげたい。早く抱きしめたい。そのためならどんなに辛くても頑張れると。

 夕食もあたしが陣痛の間隔を縫って口まで運んだ。

「うっ……、痛いよぉ……」

「がんばれ結花」

 これまで一度も言わなかった結花が初めて口に出した苦痛の言葉。

 小学校の6年生で、結花に付き添って救急車に乗ったときのことが思い出された。

 当時と同じように右手をぎゅっと握って、「一人じゃないんだよ」って。

「私、最後までいけるかな……」

「何言ってんの、赤ちゃん抱っこするのを楽しみにしているんでしょ?」

 額に浮かんだ汗をタオルでそっと拭ってあげる。

「結花、あんたはいつだって一人じゃない。きっと栞ちゃんも来て応援してるよ。あんたは天使を味方に付けているママでしょ?」

「栞……」

 こんな場で出す名前ではなかったかも知れない。でもあたしには確信がある。

 空の上にいたとしても、妹の誕生を喜ばないはずはない。なにより母親の結花を悲しませることはしないと。

「うん、頑張る……」

 繋がれた手に再び力が入った。そう、それでいい。

「小島さん、もうすぐ。赤ちゃんも頑張ってる。そろそろ分娩室行きましょうか?」

「はぃ……」

 痛みの間隔を見計らって立ち上がったとき、ドタバタと物音がした。

「結花!」

「陽人さん……」

「先生! 来るの遅い!」

 あたしは握っていた結花の手を先生の手に託した。

「あとはお願いします。結花、いってらっしゃい!」

「うん」

 頷いた先生と結花を見送って廊下に出ると、結花のご両親も到着していた。

「千佳ちゃん、本当にありがとうね。結花も心強かったでしょう」

「大丈夫ですよね、結花……」

「大丈夫。結花なら出来るから」

 以前の時と違う。結花のお母さんの声にも自信がある。


 時計の進みが酷く遅く感じた。早く、早く楽にしてあげて……。

 いつの間にか自分の手が白くなるほど握りしめていたことに気付いたときだった。

 部屋の中から、元気な産声が聞こえた。




「先生!」

 先に分娩室を出てきた小島先生がホッとした顔で頷いた。

「母子ともに元気ですよ。もう産湯も浸かって抱っこもしましたし」

 先生はスマートフォンで撮影したばかりの画像を見せてくれた。

「結花……、凄いよぉ、頑張ったよぉ……」

 ご両親の前だったけど、涙が止まらなくなってしまう。


 疲れているだろう。でも、タオルに包まった赤ちゃんを抱いて微笑む結花は間違いなく役目を果たした母親の顔だった。

「佐伯……。ありがとうな」

 先生はポケットの中に手を入れて何かを取り出す。

「結花は最後までこれを握っていた。佐伯と一緒に毎日の散歩の時にお百度参りしてくれたんだってな。そのときに貰ったと言っていた」

 そう。結花との散歩をしていた道の途中に地元の小さな神社がある。そこに毎回訪れては二人でお祈りをしていたし、前に安産祈願をしてくれる神社でお守りを手に入れて渡していたっけ。

 タクシーの中でカバンから何かを外しているように見えたのはこれだったのね。


「どっちに似てる?」

「見ていただければ分かりますが、結花そっくりです」

 顔の写真は、確かに目元や口元は結花だ。でも高い鼻筋は先生から貰っているようにみえる。

「名前は決めてあるの?」

「はい。今夜もう一度結花と確認して決めます」

 そこまで言ったとき、結花が車椅子に乗って出てきた。本来なら歩いて部屋まで行くらしい。

 お産で体力を使い果たした結花にはきついと、点滴を入れながらの移動になったようだ。

「結花ぁ、頑張ったねぇ」

「ありがとう。ちぃちゃんがいてくれたから……。私……。ありがと……ほんとに……」

 声を詰まらせて涙を見せる。

「結花。あとでゆっくり話そうね」

「……うん」

 あとはご両親と先生がお部屋に同行して、あたしは一人で暗くなった待合室に降りながら和人にも結花がお母さんになったことを連絡した。



 その日の夜は先生と結花のお部屋に、結花のご両親と一緒に泊めてもらった。

 前から結花に言われて、1日分だけ着替えを置かせてもらっていたものを使う。明日持ち帰ればいい。

「先生、結花を誉めてあげてくださいね」

 部屋の隅であたしは先生に話した。

「何度も繰り返しになってしまうけれど、本当に佐伯がいてくれて助かった。結花も佐伯に礼を言ってたよ」

 その夜、みんなが寝静まった頃、あたしのスマホのアプリに通知が入った。結花からのメッセージには、みんなが帰ったあとベッドまで連れてきてくれた赤ちゃんと一緒に写った彼女の顔を見て、同じ顔を結婚式で見たことを思い出す。

 学生時代の同級生たちは結花がこんな表情をするなんて知らない。限られた人しか見たことがない彼女の柔らかい笑顔。

 そして、最後に赤ちゃんの名前が書いてあった。

 女の子と分かってから、夫婦で話し合って前から決めていたのだという。

『新しい家族の彩花(あやか)が仲間入りして、三人で頑張ります』

 明日、帰る前に結花と彩花ちゃんに会っていこう。

 あたしはその画面をいつまでも抱きしめて眠りについた。




「ちぃちゃん、結婚おめでとう!」

「いろいろ心配かけちゃって、ごめんね」

 晴れて、私の名前が()()千佳になったのが昨日。秋晴れの休日だった。

「これから、もっと忙しくなるよぉ」

「本当にそうだね。でも、結花には迷惑かけちゃうよ」

「ううん。私の産後にプライベートでもちぃちゃんが一番頑張ってくれたって。だから、私の復帰も早くできたし」

 結花は彩花ちゃんを産んだあと、僅か半年で仕事に復帰してきた。珠実園に併設の子ども園という母子共に絶好の条件で預かれることになったからだ。

 だから、あたしが就職した初日から指導役として結花がついてくれた。

 緊張していながらも、こんな安心に包まれた新社会人もいないよねって初日から二人で笑ったっけ。

 その彩花ちゃんも先月1歳の誕生日を迎えた。

 ハイハイから今では掴まり立ちと伝い歩きの練習中らしい。家の中でも危ないよと結花は苦笑している。

 そして、それとほぼ同時に、あたしは自分の身体の変化に気付いた。

「結花、あたしね……」

 何も言わずに手を握ってくれた親友。

「おめでとう。体を大事にするんだよ?」

 そして、結花と先生にお願いをした。あたしたちの結婚の証人になって欲しいと。

 あの宣言をしてくれたときから、その準備はずっとしてきた。学校を卒業して、和人はメーカーのエンジニアに、あたしも結花の後輩として二人とも社会人1年生。



 和人は大学の卒業式が終わった夜、あたしに結婚のプロポーズをしてきた。

 夕ご飯はホテルのレストランだったし、その後もイルミネーションを見ながら散歩もした。

 でも、和人らしかった。

 いつもの部屋に二人で帰ってきて、あたしは和人の腕に抱き寄せられた。

『千佳、俺と結婚してくれないか?』

 本当に、さっきまでのは何だったのだろう? 自分たちの部屋で、言葉もたったそれだけ。でも、それが彼のやり方なんだとも思っている。

『うん、あたしも和人とならしたい』

 断る理由なんかなかった。もちろん喜んで泣きながら受け取ったし、落ち着いたらなるべく早く籍を入れることも約束した。プロポーズを受けて承諾したこともオープンにしたし、両親や親戚にも報告した。遅すぎると半分怒られながらだったけど、みんなお祝いしてくれた。

 そして、職場の関係から二人で探した新居は、結花と同じ団地。別の棟だったけれど、入居者の条件が緩和されていたから、婚約者というあたしたち二人でも入ることが出来た。だから、結花とあたしは今は一緒に通勤することが出来ている。

「今からだと、来年の初夏だねぇ。ちょうどいい時期だよ」

 就職前の面接で話していたとおり、まだ半人前のあたしなのに仕事の内容を調整するように結花に伝えてくれた。

「ごめんね。まだ1年目なのに……」

「えぇ? おめでたい話だもん。みんな歓声だったでしょ? 私の時はもっとみんな気を遣ってくれてね。今はその恩返し中ってところかな」

 そんなふうに笑ってくれる彼女の存在はどれだけ心強かったか。



 順番が前後してしまったので、挙式は結花たちと同じように身内で済まそうとなって、今はお休みの日にブライダルサロンにも通っている。

 彩花ちゃんを抱っこした結花とドレスやブーケなどの相談をしている時間が本当に楽しい。

「そろそろお夕飯の支度しないと。和人くん今日は早いんじゃないの? うちからおかず持っていく?」

「やべっ! こんな時間? うん、悪いけどお願いできる?」

 パックに結花の煮物を詰めてもらう。結花の料理の腕は今でも上がる一方だ。これも教えてもらわなくちゃなぁ。

「転んだり冷やしたらダメだよ? 気をつけて帰ってね」

「ありがとう。また明日ね」

 窓から見送ってくれる結花に手を振って、あたしたちの部屋がある棟に歩き出す。

「来年の春かぁ。あっという間なんだろうな」

 でも、あたしは一人じゃない。結花はあの日からあたしの「親友」で、「同僚」が加わり、今度は「ママ友」にもなる。

 生まれてくる子には、彩花ちゃんにお姉さんになってもらおう。男の子だったら、お嫁さんになってもらいたいなんて勝手な空想だけは広がる。


 西の空に輝く光を見つけて足を止める。まだ目立たないお腹に手を当てて話しかけた。

「ほら、一番星。お母さん待ってるよ。春になったらお父さんと三人、ううん、みんなで一緒に見ようね」

 冷たい秋風に変わり始めていることに気がついた。体を冷やしちゃいけない。

 茜色の光の中、あたしは再び一歩を踏み出した。

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