通勤時間が終わってしまえば、ニューヨークの道の渋滞も酷くはない。1時間を予定していたけれど、それよりも早く目的地にした空港前のホテルに到着していた。
「これから授業なのに悪かったね。帰国したらいつでも遊びに来てくれよ」
「そのときにはまたお世話になります」
小池さんは私たちが使っていた車に乗って帰って行った。
これで私たちが持っているのは自分たちの身の回りの荷物だけ。滞在者というより旅行者みたい。
まだホテルのチェックイン時間には早かったけれど、予約を入れていたおかげで荷物は先にお部屋に入れておいてくれるという。
手続きを済ませてしまい、渡されたカードキーは午後4時から使えると説明してもらった。
貴重品と本当に身の回りの品が入った、先生はウエストポーチ、私は小さなリュックだけを持って、空港行きのシャトルバスに乗せてもらう。
ダウンタウンに向かうには、明日も乗ることになるシャトルバスで一度空港に行き、そこから電車に乗った方が早い。
1時間後、私たちは二人で3年の間に何度も歩き回った街に到着していた。
「もうすぐ昼か。腹減ったな。なにか買ってセントラルパークで食うか」
「賛成です」
途中のサンドイッチ屋さんで二人分と飲み物を買って再び歩き出す。
頭の中に地図は入っているから、二人で手をつないで最後のニューヨーカー気分を味わうことにした。
次にここに来るのはいつだろう。
そして、そのときは何人で来られるのだろう。
「懐かしいなぁ。最初の頃は地図を見ながらでも迷っちまったのに、それが嘘みたいだ」
「お巡りさんにも聞きましたよね」
当時はまだたどたどしい英語で、よくこの街を歩いていたものだと思うよ。
「陽人さん、ごめんなさい。昨日までお仕事でお疲れなのにお願いしてしまって」
「気にするな。俺も結花に用意を全部押しつけちまっていたからな。結花がいてくれて助かったよ」
「そのくらいしか、私が出来ることないですから」
ベンチに座って、一緒に包みを開く。
「やっぱり、私にはサンドイッチって特別なんですよね」
「そうか?」
「だって、私が初めて先生に作ったお弁当でしたから」
「そうだな。あのメニューは結花そのものだったな。シンプルで素朴なのにあれだけ美味いのを作れて、笑った顔は可愛くて、泣くとボロボロだし。絶対に他の奴に取られたくないし、守ってやらなきゃと思った。だから、ちょっとフライングしちまったがな」
「その真ん中あたりって褒めてます?」
「泣いたところも結花の魅力だ」
私と陽人さんが初めて気持ちを確かめ合った日、初めてのデートに眠れなくて、夜が明ける数時間前からサンドイッチをメインにしたお弁当を作った。
それを二人で食べ終わった後、陽人さんは私にお付き合いを申し込んでくれたよ。
それ以来、いろいろなお弁当を作ってきたけれど、あの時のクラブサンドは作っていない。あのメニューは私の中で特別なものだから。
「フライングなんかじゃなかったです。今でもあの時のことははっきり覚えてますから」
「そうだよな。本当に遅すぎたくらいだ。いろんな人に迷惑かけたな。佐伯とは今でも連絡取り合ってるのか?」
「もちろんです。ちぃちゃんには帰国のことは一番最初に伝えました」
「そうか、本当にいい友達を作れたよな。それだけでも結花の成長だ」
陽人さんは、今でも「高校2年生で私の担任の先生だった」あの頃と同じように頷いてくれた。
そう、これが他の人の前では話せない、私たち夫婦の出会いの秘密なの。