「佐伯……、俺は自分が教師であることを初めて後悔するかもしれない……」
病院から住宅街への道を歩きながら、先生がそう呟いた。
「先生?」
「いや、たいしたことじゃない」
その後はあたしたちに会話は無かった。
でも、その時のあたしは本当に感激していた。
あの結花が、この先生を夢中にさせた。どんな手紙を書いたのかは知らないけれど、先生の気持ちを思い切り振り向かせることができたというだけでも結花が大きく成長した証拠だ。
「先生、結花はね、誰かを傷つけたくないと、いつも自分が傷ついてきたんです。その結花が、初めて先生を動かしたのだとしたら、あたしは結花を誉めたいと思ってます。もし、結花の気持を受け取れないなら、素直に伝えてあげてください。あたしは結花と一緒に泣きます。そういう経験も必要なものですから」
「佐伯……。俺は……」
「先生が悩んでいること、結花はちゃんと分かっていると思います。それと、先生を悩ませてしまっていることに、後悔しているかもしれません」
「そうだよな。あの原田だもんな。他の高校2年生と同じレベルと考えちゃ失敗するだけだし、原田にも失礼だ」
そこであたしたちの分かれ道になった。
「また、月曜日に学校でお願いします」
「佐伯も、遅くまで悪かったな」
先生を見送って、あたしは星空を見上げた。
どうやって、結花の傷を受け止めてやればいいのだろうと。でもその時、あたしは重要な言葉に気づいていなかったんだ。
そう、先生は「他の子と同じレベルに考えたら失敗するだけ」と言ったことを……。
次の週、結花は意外にも崩れたりはしていなかった。
恐る恐る聞いてみたら、意外にもあっさり答えが返ってきた。
結花が無事に卒業していくことが、先生の望みならば、それを精いっぱい頑張ると。
「それでよかったの?」
「うん。だって、私は先生の生徒だもん。先生と生徒の恋は叶っちゃいけないって、そのくらいは私も分かるよ」
「結花……」
「先生はちゃんとお返事をくれたから。私はそれで十分」
「小島先生、返事くれたんだ」
「うん」
あたしには、返事の中身よりも先生が結花に返事を書いたという方が驚きだった。
それなら、あれだけ悩んでいても仕方ないと思う。そして、それを冷静に受け止められる関係。後退しているのじゃなくて、ちゃんとお互いの立場をわきまえている。
この二人なら、卒業して禁断の関係でなくなったときに、きちんとハードルを乗り越えられるようになるだろう。
それまでは、そっと静かに見守っていたい。
そこはもう長年一緒に過ごしてきた結花とあたしの信頼関係だ。
「3年はクラス替えあるかな」
「うん、文理に分かれるからね。でも、結花はどっち?」
「理系は無理かなぁ……。もうずいぶん遅れちゃったし」
「そっか。学部は違っても同じ学校に行けたらいいな」
「その手があったんだね」
春休み、新年度に向けて学校が忙しくなって、先生が毎日来られなくなってしまい、あたしがその代わりを務めていた。
「ちぃちゃんも大丈夫だよ。私も4月からまた学校に行くし」
春休みも最後の頃、退院して家への道を歩きながら入院の荷物を持っているあたしに結花が笑った。
「でも、無理しちゃダメだよ? 結花はいつも頑張りすぎちゃうんだから」
「あはは、私の悪い癖だねぇ」
そんなふうに、笑顔で別れたはずだった……。