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「はい・・・これ」
 ぎこちない仕草で空人君は一冊の本を差し出してきた。
 その表紙には、一輪の花を手に持った一人の女の子の絵が描かれていた。
 とても特徴的な絵で、目が合うと中に取り込まれそうな、そんな目をした女の子の絵だった。
「ん?なにこれ?」
「ほら、冬野・・・さんが前に言ってたじゃん。
僕が気に入ってる本が読んでみたいって」
 私の名前を呼ぶ度に小さく“さん”をつけるのが、なんだか可愛く思えた。
 初めて空人君に話しかけて以来、一周目の私は気まぐれに空人君にちょっかいを出すようになっていた。
 もちろん空人君から話しかけてくることはなかったが、私から話しかけても嫌がることはなかったので、周りにクラスメイトが居ようとお構いなしにグイグイと距離を詰めていった。
 まあ、その度に注目を浴びて困り果てる空人君を見るのが面白かったというのも、そうした理由の一つだけど。
「へぇ~。
じゃあ、“私の為”に持ってきてくれたんだぁ~」
 私があえて大きな声で言ってみんなの注目を集めると、
「そ、そんなんじゃない・・・よ」
と空人君は尻すぼみする声で言った。
「ごめんごめん。
冗談だよっ。
それで?どんな物語なの?」
「この本はね――――――・・・」
 でも、本の話をするときはまるで別人になったかのように生き生きとする。
 この時の私は既にそんな空人君に恋をしていたのかもしれない。
「ふーん。
空人君ってさ、・・・本の話をするときだけは別人になるよね」
「え・・そうかな」
「うん。
普段からそうしてればいいのに。
すごくいい感じだよ」
 私が頬杖を突きながら見つめると、空人君は急いで目を逸らして
「そ、そんなことどうでもいいって。
とにかくこれ貸すから気が向いたら読んでみて」
と言い、その小説を押し付けるように渡してきた。
 照れ隠し、下手だなぁ。
「・・・うんっ。ありがと」
「・・・ん」

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「おーい。
ここ重要だから覚えとけよー」
 チョークで黒板をカンカンと叩く音により現実に引き戻された。
 ほんとに懐かしい。
 でも時間軸で言うと、まさに今と同じくらいの時期の出来事なんだよね。
 なんか不思議な感じ。
 ・・・今からでも一周目と同じように話しかければ、もう一回同じような会話ができるのかな。
 隙あらば忍び寄る誘惑を振り払うようにペンを握り、授業に集中しようと試みる。
 でも内容は全く頭に入ってこないし、黒板に書いてある文はまるで象形文字のように見えた。
 このままじゃだめ。
 これでは、我慢できず空人君に声を掛けるのは時間の問題だ。
 皆に気付かれないように小さなため息を漏らした。
 空人君の命を救うことは、別に難しいことじゃない。
 だって“疫病神”は私な訳だから、近づかないだけでいいのに。
 それさえ守れれば、空人君が巻き込まれることはないのに。
 頭が理解しても、心がどうしても理解してくれない。
 こんな無限ループ、一年も続けられる自信ないな。
 またいつの間にか空人君の方を見つめて、そんな何回繰り返したか分からないような葛藤を相も変わらずしていると、その日の最終授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、皆が一斉に各々の準備をし始めた。
「ねぇ、未羅―。
今日寄り道していかなーい?」
 気を紛らわせるにはうってつけの提案が耳に飛び込んできた。
 そして、そんな救いの手とも呼べる提案に「うん。いいよー」と返そうとした私の目には、あまりにも強烈な誘惑が飛び込んできた。
 それは帰るために席を立ちあがった空人君の姿だった。
 今の今までずっと様子を見てた私には分かる。
 今、机の中に小説置きっぱなしだったよね?
 だからってそれを空人君との接触に利用しようだとか、そんなことは考えていない。
 ただ純粋に、もう一度あの本を手に取ってみたい。
 空人君に関わるものに少しでもいいから触れたい。
 そんな誘惑と友達からの提案を天秤にかけた結果、私はその友達に対して、
「今日はこの後用事がある」と嘘をついた。
 きっと大丈夫。
 みんなが帰った後、ちょっと手に取ってみるだけだ。
 ・・そのくらいなら許してもらえるよね。
 そんな出来心とも呼べるような誘惑に付け込まれた私は、一度教室から離れて皆が学校からいなくなるを待った。