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長い長い冬が終わり、少しずつ雪が溶け、蕗の花が咲き始めた頃。
人里に移り住んだはずの治が再び、山中の小屋を訪れた。
彼の足音を忘れるものですか。ずっと小屋の中で帰りを待っていた私は、いそいそと彼を出迎えようとした。
「………。」
しかし、目にした光景に、私は思わず足を止めてしまった。
治は傍らに、見知らぬ一人の女を連れていた。人間の美醜はよく分からないけれど、利発そうで、所作の美しい女だった。
恐らくあれが、治の言っていた“淑やかな女”なのだろう。
私は小屋の裏口から逃げるように外に出て、息を殺して様子を伺う。
しばらく見ない間に、治はすっかり様変わりしていた。小屋暮らしの頃に着ていた襤褸より遥かに上等そうな着物を着て、まともな食べ物のおかげか肌艶良く、髪もきちんと整えている。それでも、屈託のないつぶらな目は相変わらず。
「白雪、ここにいるのかい。」
治が私を呼んでいる。懐かしいあの声を忘れるものですか。
今すぐ飛び出して、その膝に頭を擦り寄せることが出来たらどんなに良いか。冬の終わりをどれだけ待ち侘びたことか。
けれど、治の目的は別にあろう。あの口約束を果たしに来たのだろう。良い仲になった娘を、私に紹介しにやって来たのだろう。
私は顔を出さなかった。
小屋の裏手の茂みの奥に身を潜ませたまま、姿を現せようはずもなかった。
しばらく小屋とその周囲を見回していた治だけれど、私が居ないと知るや、残念そうに肩を落とした。
「…また出直すよ。
次は、僕の妻となる人を、君に紹介させておくれ。」
元来た残雪の道を戻って行く、二人分の人影を見送り、しばらく時が経ってから、私はやっとお天道様の下へ姿を現した。
“人間の女”に変化するのは初めてだった。里の女達と唯一違うのは、治が「好ましい」と褒めてくれた白髪。それだけは、私本来の白色を活かしていた。
髪が映えるようにと化粧も覚えたし、白色が最も美しく見える、黒い着物にも身を包んだ。
治が言ったのよ。淑やかな女が好きだと。だから私は、兄譲りの無骨な言葉遣いは一切やめて、白雪の名に似つかわしく…“女らしく”なったというのに。
「治…。おまえにもっと早く、私が女だと明かせば良かったの…?」
それから私が、治の前に姿を見せることはなくなった。



