星羅は、ここが夢か現実かなんてことはすっかりと忘れて、目の前の幻想的な光景の中を歩いた。
 青の草原を踏み締め、果てのない青い深い海を進む。咲き乱れる花に触れるたび、誰かの思い出が宝箱からころんと転がるように溢れ出して溶けていく。
 一歩、また一歩と進むたび、いろんな人たちの思い出が溢れていく。
「きれい……」
「人の思い出を見るのって、楽しいよね。親友とインターハイを目指した思い出。ずっと憧れていたプロ野球選手になった日のこと。歌手を目指して路上ライブをする女の子の記憶。いろんな青春があるんだなって」
「……本当、こんなにたくさん」
 数分歩くと、駅はすぐに見えた。銀色の煌めく線路と、小さな小屋がある。小屋の屋根には、七色に光る尾を持った大きな鳥が止まっている。鳥は首を傾げるような仕草をしながら、星羅を見ている。
「あれは、コウノトリ。きれいでしょ」
「コウノトリ? それって、赤ちゃんを運ぶってやつ?」
「そう。星の命を運ぶ鳥」
「星の命を運ぶ?」
「ここではみんな星だから、旅を終えた星は、コウノトリが咥えて地上に落とすの。そしてまた生き直すの。よく知ってたね、星羅ちゃん」
 千花に優しげな眼差しを向けられ、星羅は少しだけ恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
「……本で読んだことあるから」
「あれ、食べると美味しいのよ」
「えっ!? 嘘!」
 思わず驚きの声を上げると、千花はくすくすと笑う。
「嘘」
「なんだぁ……」
 当たり前だ。鳥がチョコ味だなんて馬鹿げている。いろいろと現実離れした状況のせいで、すっかり騙された。
 そんな夢のようなことが起こるのは、物語の中だけだ。では、だったらこれは、いったいなんなのだろう。
 二人ホームに並んで立っていると、木琴を叩いたような、ころころとしたメロディが流れ出した。
『まもなく、銀河鉄道がまいります。ご乗車の方は、そのまましばらくお待ちください』
 やってきたのは、古い機関車だった。乗り込むと、少し埃っぽい匂いがする。
 二人は、向かい合う形の青いビロード張の座席に腰を下ろした。車内は静かだった。車掌はおらず、乗客も二人以外には見当たらない。
 ガタン、と音がした。ゆっくりと列車が動き出す。
 テレビで見たことしかない大きな黒塗りの鉄の塊が、黒煙を上げながらガタンゴトンとレールの上を滑っていく。

 星の海を流れる景色は、まさに夢のようだった。車窓の下を覗き込むと、青い花たちがふわりと揺れる。前方部分の煙突から噴き出した黒煙は、見るまにきらきらと星屑に変わって消えていく。
 汽車はごとごとと揺れながら、白銀に光る十字架を越え、白鳥の湖を越え、宝石の天の川を越えていく。
 どこまでも続く紺色と青色が混じり合った景色を眺めていると、ふと、遥か向こうにぽうっと青く煌めくものがあることに気付いた。
「あれ!」
 思わず青い光を指で指し示すと、千花がその視線を辿るように車窓へ顔を向けた。
「あ、星羅ちゃんの花だね。次の駅で降りよう」
 どきどきする胸を押さえ、星羅はこくりと頷く。

 かくして二人は次の駅で降りると、雨が降っていた。雨はしとしとと草原を濡らし、星羅たちを濡らしていく。
「雨……」
 星羅は手をそっと前へ差し出した。星羅の手のひらに、ぽとりと透明の雫が落ちる。顔を上げると、雫が頬に落ち、そしてそれは、ゆっくりと顎先まで滑って地面へ還っていく。
「私、雨の中に出るの初めて」
 星羅はこれまで、雨の日に外に出たことは一度もなかった。濡れたら身体に負担がかかるからと言われ、窓をつたい落ちる雫を見ることしかなかった。
「雨って、冷たいんだ。当たると結構分かるんだね。なんか、楽しい」
 二人は、濡れた青い草原を進む。
 星羅は心を弾ませていた。不思議な汽車に乗ったことよりも、銀河の川床の中にいることよりも、ただ雨に打たれる感覚を知れたことが嬉しかった。
 そして、ぽうぽうと光る青い花の前にやってきた。
「これが私の思い出の花」
 星羅はそっと、優しくその花を摘み取る。
 どきどきする胸をそっと押さえ、そのときを待つ。
 けれど。それは星羅が触れた途端、すうっと枯れたように光を失ってしまった。
「枯れちゃった。どうして?」
 星羅は思わず、がっかりとした声を出してしまう。
「おかしいなぁ。思い出が違ったのかな?」
 少女も眉を寄せて、首を傾げる。
 そのときだった。枯れたはずの青い花が、ぱっと花火のように弾けた。蘇った花びらが露に揺れ、淡く光る。同時に銀色の風が激しく二人を包み込んだ。
「なにっ!?」
 星羅は驚きに声を上げる。すると、千花が星羅の手を掴んで叫んだ。
「大丈夫! 私の手を離さないで」
 強く目を瞑る。銀色の光の波は、星羅の全身をさわさわと優しく撫でた。