ショッピングモールは、本来なら平日でも休日でも人でごった返しているはずだった。だけどそれは少し前の話。今は若者の姿すらまばらだ。
 なんで盲目病は、若い人にだけ蔓延するんだろう。神様はやっぱり、一番恋をしたがる人間たちを、罰したかったのだろうか。
「ひさしぶりだなぁ。助かるよ、志崎」
 先輩は私の手首を掴んで、こちらの歩みについてきていた。脈が早くなるのが、伝わっていないといいんだけど。
 香坂先輩が不意に立ち止まった。
「クレープの匂い」
 言われて、私も気づいた。噴水を隔てた先にクレープの移動販売車がある。
「食べます?」
 先輩は尻ポケットから財布を引っこ抜いて私に渡した。
「悪いな」
 私のクレープは私が払うため自分の財布を出した時、初めて気づいた。いまなら、香坂先輩の財布からお金やカードを引き抜いても、相手には気づく術がない。
 自分の貴重品を人にポンと預ける無神経さに、無性に腹が立ってきた。
 テラスに座って二人でクレープを食べる。先輩はクレープさえ手に持てれば、あとは自力で食べることができるみたいだ。
「あんま見んなよ」
 香坂先輩が低く言って、私は初めて先輩の顔をずっと凝視していることに気づいた。顔が火照るのがわかった。収まれ。早く収まれ。
 先輩も先輩だ。本当は失明なんて、していないんじゃないか──。
 その後、香坂先輩は、絵本のキャラクターのセレクトショップに連れてってほしいと言った。テラス席から立ち上がると先輩は、今度は私の手を掴んできた──手首じゃなくて、手のひらを。
 赤くなって、うつむいて、黙って、私は先輩の手を引いた。
 デートの練習……。これは、練習だ。
 だったら私は、誰の本番のための練習をしているのだろう。
「キーホルダーがあるなら買おうぜ」
 セレクトショップの陳列棚の前で、香坂先輩は無邪気な顔をした。
「先輩、キーホルダーなんて買うんですか」
「志崎の好きなの選べよ」
 そのセレクトショップでは、あまりピンとくるようなかわいいキーホルダーはなかった。適当に手に取ったキャラクターのものは……ワカメみたい。
 可愛いとは思えない。むしろセンスない。
 でも先輩は、そもそもキーホルダーの柄を見ることができないから、どれも同じだろうと思い直した。
 会計を済ませて、キーホルダーを香坂先輩の手に持たせる。すると先輩は、握った手の中のものをそのまま私に突き出した。
「やるよ」
「え……」
「志崎のデートの練習だからね」
「あ、ありがとうございます……」
 手を引いてセレクトショップを出ると、先輩は伸びをした。
「何にも変わらないだろ」
「え?」
「失明したって、デートはできるんだよ。たとえ世界が暗闇になっても、人は意外とうまくすんなり暮らせる」
「だから先輩は、告白したんですか」
「自分に嘘をつくよりは、よっぽどいい」
 ……薄々勘付いてはいた。このデートの練習は、香坂先輩が、私の背中を押すためにやっているんだってこと。
 私に好きな人がいるなら、遠慮するなと言外に言っている。盲目病がなかった今までのように。私に、怖がるなって。臆病にならなくてもいいって言っている。
 暗闇を恐れるなって。自分に嘘をつくなって言う。でも──。
 私が誰を好きになりたくないのかを、香坂先輩は知らない。
 誰とショッピングモールへ行って、誰とクレープを食べて、誰とグッズを買って、手を繋いで、キスをして、付き合って──たとえお互いが見えなくてもそんな触れ合いを、誰としたいかなんて、先輩は知らない。
 香坂先輩は、サッカーをやめざるを得なくて。他の人を好きになって。失明して。恋を失って。なのに底抜けに明るくて……それでも、私が誰に好意を持つのを我慢しているのかを、彼は知らない。
 もしもこの世界に盲目病がなかったとして、私は『好きな人』に告白をしていただろうかと怖くなる。
 盲目病以外のことで、何かと理由をつけて……例えば、受験があるとか、タイミングが合わないとか、今までの関係が壊れたらどうしようとか、そんなことを考えて、告白をズルズルと先延ばしにしていたんじゃないか。
 数十年後、盲目病そのものがそんなリスクたちと同じラインにまで落ち着いた時。結局私は何歳になっても、好きな人に告白できないまま終わるんじゃないか。
 そう思うと、無性に泣きたくなってくる。
 ねえ、私はやっぱり臆病だよ、先輩。