「あのさ、志崎。もうとっくに裏口の校門、過ぎてるよね?」
 ゆっくりと私の隣を歩いていた香坂先輩は、光を失った目を正面に向けて、静かに、穏やかに指摘した。
「……わかるんですね」
「意外とわかるんだよな、これが。空気(・・)が変わった。学校の空気じゃなくて、駅に続く坂の空気だ。通りに近づけば、もっと匂いと音が増えるだろうな。蕎麦屋の匂いとかね。ジェットコースターの音が聞こえれば、駅はすぐそこ」
 私たちの高校がある最寄り駅の横には、ジェットコースターやアトラクションが併設されたショッピングモールがある。
「都内のど真ん中、駅の真横にジェットコースターがあるのは、この区くらいなもんだな」
「……校門で別れるって、いくら何でも薄情じゃないですか。どうせ駅に行くんですよね。方向は一緒なんで、送っていきますよ」
「助かる。でも先に言って欲しかったな。どこに連れていかれるかわからないのって、けっこう怖いんだ」
 先輩は笑って言った。
 なんで笑うの? むしろ怒ってほしかったよ。
「先輩」
「ん」
「なんで安藤先輩に告白したんですか?」
 安藤先輩は卒業して、今はもういない。
「よく聞かれる」
「玉砕するって、わかってましたよね。先輩、今までは見えてたじゃないですか。盲目病が流行った後も」
「もし盲目病がない時だったら、同じ質問した?」
 叶わない恋だってわかっていても、玉砕せずにはいられない──そうだ、そんなシチュエーションや青春は、これまでだったら腐ってしまうほどにありふれていたものだ。
 暗闇をもたらす病が、ぜんぶをぐちゃぐちゃにしてしまった。
「すいません。失礼なこと聞いて」
 私はうつむくしかなかった。いまの無礼な質問で、いっそ私をきらいになってほしい。
「志崎はさ、恋とかしないの?」
「しません」
「へえ、なんで?」
「なんでって。先輩は、怖くないんですか? 恋をしたら失明するんですよ。実るかどうかもわからない。実ったとしてもいつ別れるかわからない。一日で終わっちゃうかもしれない恋のために一生目が見えなくなるなんて、こわいですよ。それに一生添い遂げる運命の相手が現れたとしてですよ? 恋をしたら相手の顔すら見えなくなっちゃう」
「本当に好きな人だったら、目が見えなくったって好きだろ」
「そんなこと思えませんよ。私は臆病だから……」
「好きな人いるんなら、気持ち伝えたほうがいいよ」
 先輩は唐突に言った。
 泣きそうだ。だって、私が好きなのは……。
「なんで私が好きな人がいるって前提なんですか!」
 いたたまれなくなって抗議すると、香坂先輩はきょとんとした顔になる。
「そうじゃなきゃ『臆病』なんて単語、出てこないだろ」
 ジェットコースターの音が、かすかに聞こえてきた。

 私たちの学校近くにある交差点は、渋谷のスクランブル交差点さながらの大きさで、交通事故率は都内でもワースト三位以内に入るという。先輩が私と校門で別れたあと一人でここを渡ろうとしたのかと思うとゾッとしなかった。
 地下駅に降りる階段の前で、私は自転車のスタンドを立てた。
「着きましたよ」
 ゴッ、とジェットコースターの音が私の声をかき消した。
「うるせー」
 香坂先輩が天に向かって叫んだ。そして、何かを思い浮かんだかのような表情になり、私を見た。正確には私の肩の後ろあたりを。
「志崎、この後時間ある?」
「え、ああ……はい」
「デートの練習、しよう」
「は?」
「ショッピングモール、行こうぜ。今から」
「え、今?」
「志崎の勇気の第一歩!」
 意味がわからない。
「自転車置いてきなよ」
「ほ、本当に行くんですか」
「いやならいいけど?」
 いやなんかじゃない。ただ、心の準備がまるでできていないだけだ。
 私は諦めて自転車を駐輪場に駐めた。