恋をすると失明する。
 十代後半から二十代前半、いわゆる青春時代の人たちがそんな馬鹿げた病にかかって、初めての春が来た。
 治しかたはまだ解明されていない。いや、病気かどうかすらわかっておらず、神様の天罰なんじゃないかって嘆く人も最近では多い。
 私が盲目病のことを知ったのはニュースの臨時速報だった。局所的に原因不明の失明者が現れた。最初は数十人だったそれは瞬く間に全国に広まった。
 原因不明の病ですが、失明するきっかけは俗に言う『恋をすること』とのことです──まるで災害速報のようなニュースキャスターの言い表しに、他人事みたいにおかしくなったのをよく覚えている。
 それが四ヶ月前の十二月のことだ。

「来年の全国大会は……中止になった」
 サッカー部のプレハブ小屋で、キャプテンが喉を引き絞って言った。あたりは沈黙に包まれていて、部員のうちの大半は、キャプテンの声を頼りにしていながら視線は明後日の方向を向いていた。キャプテンが滂沱(ぼうだ)していたのを知れたのは、もうすぐ定年になる監督と、私と、そのときはまだ目が見えていた香坂先輩だけだったかもしれない。
 でも、その後のキャプテンの震えた声で、彼の泣き顔は目の見えないみんなにも想像はできただろう。
「悔しいよな。たくさん練習してきて、誰一人として不正をしたわけじゃないのに。なんだかよくわからない病気のせいで」
 サッカーチームはもうチームとして機能せず、大会を棄権するしか道はなかった。だが幸か不幸か、それはどの高校でも同じようだった。全国大会自体が消滅するなんて、数ヶ月前だったら誰が想像しただろうか。
「部活自体も、これ以上続けられない。明日からサッカー部は無期限の活動休止になる。みんな、いままでよく付いてきてくれた」
 キャプテンの最後の言葉で、部内ミーティングは締めくくられた。
 私はマネージャーとしての最後の仕事をするため、サッカーボールの入ったワゴンを引いて、校庭裏の倉庫へ向かった。
 茜色の校庭はがらんどうで、その中にぽつりと、ゴールキーパーのいないゴールネットにシュートを叩き込む香坂先輩の姿があった。
 香坂先輩は、まだ見えている。
 これまでにいろんな人から告白された香坂先輩は、それでも部活一筋で……。
 本当なら試合に出ることができたはずなのに、周りが失明したせいで試合に出られなくなった今、彼はいったいどんな気持ちだろう。
 ドッ、と、遥か遠く校庭のすみにまで聞こえるボールキックの音は、まるで先輩の無言の怒りのように聞こえた。
 それからしばらく経った後──あれは確か、卒業式の前日だった──同じクラスの清水(しみず)が、血相を変えて教室に駆け込んできた。
「香坂センパイ、失明したって!」
 清水の声は、目の見える見えないを関係なしに、全員の注意を引きつけた。
 教室がざわりとして、目が見えている何人かが清水に寄ってたかる。私は端っこの席で、絵画を鑑賞するような、俯瞰するような、そんな心持ちで様子を見ていた。
「誰? 誰だったの?」
「安藤センパイ……ほら、三年の、バレー部の……校舎裏に呼び出して、告白したのを見たって。五組のやつが……」
「安藤先輩、彼氏いるって有名じゃん!」
「えぇ、失恋ってこと……?」
「きっつ」
 言葉を最後に、教室は再び静かになった。その場にいないはずの香坂先輩は、あの時だけ、教室の中の誰よりも憐れな存在だった。
 誰かを好きになったのに、好きになった人には彼氏がいて、断られることをわかっていて、告白して玉砕して。
 その代償は、暗闇だ。叶わない恋をして、一生暗闇の中に閉じ込められた。あまりにも大きすぎる代償。
 私たちが恋をするというのは、とどのつまりそういうことだ。
 自分の心に正直になれば、私たちは盲目になってしまう。
「大っ嫌い……」
 盲目病は人の心のすべてを見透かしてしまう。
 好きな人に断られたら、自分ではない誰かを好きになったと知ったら、私たちはすべてを失ってしまう。
「……先輩なんて、大っ嫌い」
 恋なんて、してはいけないんだ。