高校の校舎は静かだ。渡り廊下も、教室も、どこもかしこも。
 放課後は部活動で騒がしかった運動場は、今はまるで、人だけがこの世から蒸発してしまったみたいだ。駐輪場から自転車が消えた代わりに、登下校を迎えに来る親の姿が校門に増えた。盲目の我が子たちを迎えに来るためだ。校門の正面口は、視界が暗闇に囚われた人間たちのためにごったがえしている。目が見える生徒は必然、校門の裏口に追いやられた。
「……いまさら、か」
 私はぼんやりと、がらんどうの駐輪場から自転車を取り出し、裏口に向かうためにハンドルを切ろうとした。
「お、その声は志崎(しざき)か?」
 背後から声がかかったので振り返ると、香坂(こうさか)先輩が立っている。カバンを持っていないほうの手には白杖を握りしめていた。
「はい、志崎ですけど」
「おぉ、大正解」
 香坂先輩は歯を見せて笑った。
 目が見えないのに、よく笑えますね──そんなことは、口が裂けても言えない。
 香坂先輩の引き締まった身体は制服の上からでもよくわかる。サッカー部のエースを辞めざる得なくなった後も、たぶん家で筋トレは続けているんだろう。少し日焼けした肌の色は、最後に見かけた時からまったく変わっていない。
「『いまさら』ってなにが?」
 先輩が無邪気に聞いてきた。
「なんでもないです」
「志崎、今帰り? 悪いんだけど、裏口の外まで連れてってよ」
「正門じゃなくて? 今日はご両親、迎えに来ないんですか?」
「毎日来てもらって悪いなと思ってさ。いつかは一人で帰れるようにしなきゃあね。白杖を使う練習もしなきゃだし」
「危ないなぁ」
 香坂先輩の手をとって私の腕に掴ませた。自転車を引いて歩き出すと、つられて先輩も歩き出す。
「志崎さ、まだ見えてる(・・・・)んだ?」
 優しい声に、むしろどきりと胸が変に鼓動する。必然こちらも、ついトゲのある返答になる。
「悪いですか?」
「ごめんごめん、怒るなって」
 だけど香坂先輩は笑って私のトゲを削いでしまった。
「志崎はさ、好きな人とかいないの」
 とっさに答えられなかった。
 もしも誰かを好きになっていたら……私はとっくに失明している。──香坂先輩や、校門正面にいる同級生たちみたいに。