家に帰ると、弟と妹のかしましさにいつもうんざりする。


 弟の朔(さく)は高校二年生に、妹の琴(こと)菜(な)は中学二年生になった。どちらも家では相変わらず無駄な喧嘩ばっかりしていて、その仲(ちゅう)裁(さい)をするのは必然的に長女の私になる。


「わたしの部屋に勝手に入らないでって、何度言ったらわかるの、お兄ちゃん!」
「漢和辞典借りに行っただけじゃん。別に部屋の中のものとかいじくってないし。そこまで怒るお前は異常だよ! 俺に見られたくないものでも隠してんのかよ!!」
「二人とも、そのへんにしといて。あと、これ以上遅くまで起きてたらお母さんに怒られるよ」


 私がたしなめると二人ともバツのわるそうな顔をして、自分の部屋に戻っていく。はあ、とため息をつき、ダイニングテーブルに座ってココアで一息入れる。塾の日は遅くなるので、夕飯は塾の休憩スペースでコンビニで買ってきたものを榊と一緒に食べるのが、いつのまにかスタンダードになっていた。ケチなお母さんも、ちゃんと千円の夕食代を渡してくれる。


「あんた、授業にはちゃんとついていけてるんでしょうね?」
 いつのまにか背後に現れたお母さんに、一瞬ぎょっとしながらもぴんと姿勢を正して言葉を返した。


「大丈夫だよ、ちゃんと自分のレベルにあったクラスで受けてるから」
「英語がいつまで経っても、Bクラスじゃない。Aクラスに上げてもらうための試験を受けてみたら?」
「それは、チューターさんと相談してみないと」
「稜(いつ)歩(ほ)、自分は頑張ってる、なんて思ってちゃ駄目よ。頑張ってる、って思っていいのは、それ相応の成果を出せた人だけ。自分はまだまだだな、って思ってるくらいがちょうどいいんだからね」
「……わかってるよ」


 お母さんの言ってることは間違ってるわけじゃないし、理解できなくもないのに、なぜか責められてるような気分になってしまう。受験が近付いてきた今、お母さんの前で息苦しさを感じる。要は、お母さんがウザいのだ。

 高校三年生になっても親がウザいなんて、馬鹿みたい。そういう反抗期的なことは中学生ぐらいから経験して、遅くても高校二年生くらいまでには卒業しておくべきだ。十八歳になった私はまだまだひよっこだけど、親をウザがるような未熟な人間からは卒業しなくてはいけないのに。


「部屋で、もうちょっと勉強してから寝る。お風呂は明日の朝入るから」


 お母さんとそれ以上向き合っていたくなくて、私は素早く自分の部屋に逃げてしまった。机について単語帳を捲(めく)っていると、さっきのお母さんの言葉がしつこく耳奥でリピートされる。


『自分は頑張ってる、なんて思ってちゃ駄目よ。頑張ってる、って思っていいのは、それ相応の成果を出せた人だけ。自分はまだまだだな、って思ってるくらいがちょうどいいんだからね』――。


「ああもう、うるさい!!」
 何も聞こえていないはずなのに、思わず耳を塞(ふさ)いだ。

 夜遅くまで勉強して、朝起きてからも学校に着くまでの電車の中で勉強して、授業中は神経を集中させ、昼休みも勉強、放課後も塾。

 そんな娘に、「頑張ってるね、受験、上手くいくといいわね」とか、そういう優しい言葉をかけてほしいと思うのは、甘えだろうか。

 うちは私大に入れるお金がないし、ただでさえ理系だから国立に行ってほしいと思っているのはわかるけれど、プレッシャーが私を息苦しくさせている。

 勉強しようとしても全然集中できなくて、その日は早めにベッドに潜ることにした。

 でも、なかなか眠れなかった。