「ーってことがあったんだけど」
風花と仲直りした次の日。僕はまた、理玖に相談ごとをしていた。
それは、風花の笑顔を見たときに、心臓が跳ね上がったことについて。
「はぁ?そんなの恋に決まってんじゃねぇか」
「……え」
「お前最近奇声多いなぁ」
いつもならツッコミ返すが、今はそれどころではなかった。
僕が、恋?しかも、風花に?
「いやいや、ありえない」
「大事な人は、好きな人だって言ったじゃねぇか」
「それは理玖の持論だろ」
こうして風花のことを考えているだけでも、心臓はどくどくと音を立てる。
まさか。でも、僕が?
「でも、颯人が普通の高校生で安心した」
僕らの間を、さぁっと風が通り抜ける。
理玖は、こっちを向いてとびっきりの笑顔を見せた。
「お前、モテるくせにさ、女子から告られてもすっげぇ冷たく断ってたから」
「それは……やんわり断られたら相手が可哀想だからさ」
確かに、僕はなぜかよく告白される。それも、高校に進学してから。
「そう言う理玖だって、告られても断ってるじゃん」
「俺は運命の人に出会ったからさ」
「……はぁ?」
本日二度目の奇声。もう少し抑えないと、僕が積み上げたイメージが崩れてしまう。
「……あ、まさか」
理玖の運命の人。理玖が一目惚れした人。
そんな人、僕の知っている範囲では一人しかいない。
「陽菜さん?」
「ビンゴ」
僕が帰ろうと風花の病室を出たとき、まだ理玖と陽菜さんは話をしていた。
それほど仲良くなったんだなと思ったけれど、まさか。
「陽菜、マジで可愛いじゃん?性格いいし、明るいし、俺のことうるさいって言わなかったし」
もう下の名前で呼び捨てするのか、と驚く。
理玖と、恋愛の話をするのは久しぶりのことだった。
「しかも今絶賛彼氏募集中」
「あぁ。確かに言ってたな」
ーあーぁ、私も彼氏つーくろっと。
陽菜さんと初めて会ったときに言われた言葉が、ふと蘇った。
「俺、アタックしようかなぁ」
上を見ると、五月晴れの真っ青な空が広がっていた。
この爽やかな景色を、風花も見ていたらいいな。

「陽菜ちゃん?あー、って言うか、颯人来るなって言ったのに、あの日も来てたんでしょ?病室の前まで」
部活終わり。三十分くらいしか滞在できないけれど、僕と理玖はまた見舞いに来ていた。
理玖は見舞い、と言うよりかは陽菜さんに会いに。
「ごめんごめん」
あの日、と言うのは僕らが再会した日のことを指しているのだろう。
「陽菜ちゃん、一ヶ月ぐらい入院して、退院して、また入院してって、繰り返してるんだよね」
「そうなんだ」
「命に別状はないみたいなんだけど。なんせ陽菜ちゃんのご両親がこの病院の院長だから」
「マジ?」
理玖は大変な相手に恋してしまったな、と僕は他人事のように感じる。
僕だって、今恋しているのかもしれないし。
「あの子、私が入院したばっかりのときに、すっごく話しかけてくれて、助かったんだよね」
「へぇ」
風花は、僕が買ってきたコンビニの桃ゼリーを食べながら話す。
「ま、私はずっと病院暮らしだけど」
「……部屋から出れるんだったらちょっと散歩する?」
「んー……今日はいいかな。また頼む」
「任せろ」
風花は、昔から活発で、家の中で遊ぶと言うより、僕らと一緒に野球をしているような子だった。だから、ずっと部屋の中というのはテンションが上がらないはずだ。
「私、マネージャーになりたかったな」
「ん?」
「烏城高校野球部の」
遠い目をする風花。
言葉の温度が、どことなく冷たい気がする。
「だって、女子って甲子園出れないじゃん?それだったらマネージャーとして、甲子園に行きたかったんだよね」
「そうなのか」
「一応、烏城高校受けたんだよ?入試。しかも受かってたけど、もうそのときにはね」
病気が発覚してたということか。
もしかしたら、風花は、僕に病気のことを隠したかったのかもしれない。だから、入院することになったときに引っ越しをした。
「そっか」
「何が?」
「なんでも」
でもこのことは、本人に聞かないでおこう。
風花が隠したいと思っていたものに、勝手に足を踏み入れたのは僕だから。
「おーい、颯人ー!そろそろ帰らないとまずいぞー」
ドアの外から颯人に呼ばれる。どうせならドアを開ければいいのに。
「じゃあね、風花」
「うん。ばいばい」
よし、帰ろう。
そしてまた明日から、部活に打ち込もう。
風花の夢を、叶えるために。

烏城高校野球部は、神奈川県で有数の、野球名門校として有名だ。
向田高校、という私立校と、毎年甲子園出場を争い、去年は甲子園に出ることができなかった。
今は向田高校の方が強い、という声もあることにはあるが、僕が烏城高校を選んだ理由。それは、父さんの出身校だったからだ。
その理由もあり、烏城高校には、父さんに憧れる球児たちが入学して来る。
「颯人、理玖、来い」
部長はサードを守り、高校ナンバーワンバッターとも名高い人。
ただ、僕らは部長の方へ行ったとき、気がついた。
「部長……その足」
「靭帯損傷……県大会には、間に合わない」
「……え」
正直言って、今の烏城高校は部長なくして語れない。裏を返すと、部長がいないと得点が取れなくなってしまうのだ。
「え……このタイミングで、三年が二人も抜けるなんて」
実は先日、我が部のエース、如月先輩も肩を壊し、甲子園はおろか、プロ野球選手への道も絶たれた。
甲子園まで後三ヶ月。主力二人が抜けてはどうにもならない。
「だから、お前らに、頼んだ」
「……何を、ですか」
あらかた予想はついている。だけど。
「次のエースは颯人だ」
「……」
「理玖はリーダーシップがあるからな。次の部長を任せる」
「……」
二人で顔を見合わせる。
エースと、部長。遠く感じていたもの。ずっと憧れていたもの。
その名を背負って、甲子園に出たい。
「お前らが、引っ張ってくんだ、この部を。それをするのが早まっただけだと思って、引き受けて欲しい」
エースとキャプテンを。
部長はそう言って頭を下げた。上級生が下級生に頭を下げるのは珍しい。
部長は、それほどまで本気になって僕らに向かってくれている。
隣を見ると理玖と目が合った。そして頷き合う。
「やります。やらせてください。県大会は絶対勝ち残ります。甲子園で、一緒にやりましょう」
「ありがとな」
部長は何かから解放されたような、清々しい笑顔をしていた。

だめだ。最近、ふとしたときに、風花のことを考えてしまう。
彼女の笑顔や、仕草や、言葉を思い出すだけで胸がきゅっと熱くなる。
この気持ちがなんなのか分からないまま、毎日が過ぎていく。
「……はぁ」
「おぉ、珍しい。颯人がため息なんて」
僕ははっ、と我に帰る。
「大丈夫か?最近。ぼーっとしてる気がする」
「あ……大丈夫、だと思う」
トンボ、と他の部員に声をかけられ、僕はトンボを動かす自分の手が止まっていたことに気がついた。
「いや、大丈夫じゃないだろ、それ」
理玖は心配そうな声を出す。
「なんて言うんだろ……なんか最近、やけに風花のこと考えてる気がして」
すると、はぁっ、と大きな声を出された。
周りにいた後輩たちも、驚きからかびくりと肩を振るわせる。
「恋してるって何回言ったら」
「……僕がさ」
ずっと考えていた。
自分が恋をしているのか。風花のことが好きなのか。
「恋して、いいのかなぁ」
「……はぁ?」
理玖は首を傾げる。
「風花は、もうすぐ死ぬって分かってる。そんな人に、この世に未練を残して、いいのかな」
風花が、ずっと寂しそうな表情をしている理由。
それはきっと、この世に未練を残すのが怖いんだと思う。
風花のお母さんが亡くなったとき、風花は泣きながら僕の元にやって来た。そして、言ったのだ。
「お母さん、未練……あったん、だって……未練あったら、死ねないん、だって」
その影響なのか、風花はそれ以降、何にも執着しなくなった。友達に裏切られても、平気なふり。大事な人には、何も言わない。
それを知っている僕が、風花に思いを伝えて、この関係を言葉にするのが怖い。
「東雲のことが大事なのは分かるけど、お前は?颯人はどうしたいんだよ?」
僕が、どうしたいか。
僕は、僕はー。
「風花が……好きだ」
その瞬間、理玖が優しく笑った。
この地球に生きている女子が、この彼の笑顔を見たら、みんな惚れてしまうような、そんな破壊力のある笑顔。
「風花と一緒に、過ごしたい」
言葉にすると、ずっと目を背けていた自分の気持ちに、やっと正直になれた気がした。
「気持ち、伝えてこい。後悔する前にさ」
また背中を押される。でも今の僕は、前のように足がすくんだりしない。
だから、練習終わりに自転車をいつもの倍飛ばして病院へと向かい、息を切らしながら病室に入った。
「何?病院なんだから静かにしてよ」
風花は、笑っていた。
今から僕の言うことを、見透かしているような気がした。
「……風花、好きだよ」
「…………」
何も言わないのが怖くて、僕は目を逸らす。
「僕は、ずっとこの気持ちに気づかなかったのかもしれない。風花との関係に、名前がつくのが、怖かった。だけど」
だけど今は。今なら。
「胸を張って、恋人って言いたい。これからもずっと、僕のそばにいてください」
口を開け、驚いた表情を隠さない風花。
そして流れた沈黙の後に、ぽつりと、言った。
「なにそれ……プロポーズみたい」
泣きながら、優しく笑ってくれた。
「私も……ずっと、ずーっと、大好きだよ」
この瞬間が、永遠に続いて欲しいと願った。
でも、風花は儚げに笑った後、あからさまに顔色を悪くした。
「……え」
苦しそうに息をする。それを見るのが辛い。
だけど、僕は、風花が好きだから。恋人だから。
「看護師、呼んでくる」
ただ風花は、僕のその呼びかけにも応答しない。
心配になって顔を覗き込むと、彼女はベッドの上で気を失っていた。