ホテルの部屋に戻り、茜音はオートロックだけでなく、内側からの鍵もかけた。

 ベッドサイドの灯りだけの薄暗い部屋。カーテンを二人で閉めて再び唇からひとつに溶け合う。

「健ちゃん……」

「茜音ちゃん……」

 呼びかけに応えるように、背中に回していた手を徐々にずらしていく。

 菜都実と一緒に買いに行った上下セットアップのセーラーワンピース。膝丈のスカートを吊っているサスペンダーを肩から外し、ホックを外して床に落とす。

 七分袖ブラウスのボタンを外してこれも立ったまま腕から外した。

 自分のポロシャツとジーンズを脱ぎ、茜音を抱きしめたままベッドに倒れ込んだ。

「ごめん、痛かった?」

「ううん。今日の健ちゃん、積極的だね……ぁぅ」

 言い終わる前に今日何度目か分からないキスをする。

 これまでだって、お互いに一線を超えようと思ったことは何度もあって、いつもは話だけに終わってしまった。

 昨年夏、10年ぶりの再会の直後から、ファーストキスを渡せた茜音には、先の覚悟もあった。その時は自分が倒れてしまい、健にも心配をかけたことから先送りになったけれど。

 元からプロポーションのいい菜都実にも、高校の間に急成長した佳織にもかなわない自分の体型。

 自分ではそれでもいいと思っていたし、友人たちからも茜音らしいと言われたけど、健から魅力がないことを理由に断られても仕方ないと思っていた。

「ごめんね、まだ子供体型だから……」

 彼の両腕の中にすっぽりと収まって、背中を丸める


 これまで、自分の意識とは無関係に身体を弄ばれた時とは明らかに違った。

 自分でも分かる。呼吸が荒くなり、心臓の鼓動も経験したことが無いほど早鐘を打っている。

「茜音ちゃん……?」

 健も茜音の変化を見逃さなかった。

「いや……、やめないで……」

「そ、そう? 辛そうじゃない?」

「違うの……。いろいろ思い出しちゃって……」

 前の年、10年ぶりに茜音のもとにたどり着いたとき、彼女は川の中で冷え切っていた。

 夢中で抱き起こして息をしているのを確かめて全身から力が抜けた。温泉での介抱は友人たちに任せたが、そのあとにバスタオルのみで布団に寝かされた茜音の手を握り続けた。

 「起きてくれ」何度も呟いた。「絶対に失いたくない」。自分との約束のために来てくれた彼女。それが時間を経て「彼女を他の誰にも渡したくない」という感情だと確信するのに時間はかからなかった。

 薄暗い部屋の中、茜音が確かに生きている証。呼吸とともに微かに上下している緩やかなカーブの胸元。決してグラビアに載るようなものではないけれど、自分を男として揺さぶるには十分だった。

 その後も何度か着替えさせたり一緒に入浴もあった。それでも無理に急いで悲しませたくない。自分とひとつになることを許してくれるまではとこらえ続けた。

 茜音がそれを許してくれた今、一回の仕切り直しくらい、これまでの時間を考えればなんて事はない。

「ごめんね、落ちついたぁ」

「茜音ちゃん……、愛してる」

「あうぅ、ずるぅぃ……。反則だよぉ」

 目尻から涙がこぼれ落ちながら、茜音は笑顔を作る。

 それには答えずに、健は穏やかに微笑んで茜音の頭をなでた。

「もう、辛いこと忘れていいんだよ。よく頑張ったね」

「うん……、もう……いいんだよね。これ……、ほどいてくれる……?」

「茜音ちゃん……」

 茜音が差し出した、彼女の両サイドにある三つ編み。一番下で留めてあるヘアゴムとリボンに手をかけた時、彼女がギュッと目をつぶる。

 二人とも分かっている。この2本の三つ編みは茜音が幼い頃、母親から施してもらった最後の髪型。

 そして、健との10年間を忘れないために変えることはなかった。言わば彼女のアイデンティティそのものだ。

 嬉しいことも辛いことも一緒に乗り越えてきた。特にこの留めている部分は彼女以外、あの二人の親友や健でも外させたことはない。茜音の心の鍵でもある。

「健ちゃん、いいよ。外して……」

 ゆっくりと丁寧に、リボンを解いてから最後に下留めしてあるヘアゴムを外した。

 両方の作業が終わると、恥ずかしそうに頭を振る。ストッパーがなくなった艶のある黒髪は順にほどけていく。

「ありがとうね。もう、わたし、隠しているものないよ。体も心も全部、健ちゃんに渡せる」

 全ての防御を解いた茜音を両腕で抱き締める。直に密着している胸元から、茜音の心臓が早鐘を打っているのを感じた。

「緊張してる?」

「もぉ、わたしも初めてなんだからぁ……」

 安心したように微笑んで閉じられた茜音の瞼から光るものが溢れていた。