「やす、あたし、また弱くなってきちゃったよ」

「どうして?」

 唐突な告白。新しい環境でもあの時のように誰かが追いつめているのか。

「ううん。そうじゃなくてね、昼間に公園を通るのが辛い……。あの子が無事に生まれてれば、もう3歳だよ……」

「菜都実……」

 毎月の月命日にはお参りに行っている菜都実。まして自分の胎内に短い時間だったとはいえ、親子としての時間を過ごしたのだ。

「嫌かもしれない。だから、これっきりでもいい。この写真見てあげて」

 誰にも渡したことがないたった一枚の写真。保紀は菜都実以外で唯一それを手にする資格があるのだから。

「パパだよ……」

「やす……」

「忘れられるわけない。菜都実と俺の子だよ。今はニライカナイにいるね」

「なぁにそれ?」

「こっちで伝わる理想郷のこと。方角で言えば本当は東の方なんだけど、こんな夕陽だ、きっと見に来てるよ。人はニライカナイから来て、この世での役目が終わると再びそこに帰って行く。そして時間をかけて家の守り神になるって考えがあるんだ。この子はきっとまたこの世界に遊びに来る。その時には、今度こそ俺たちのところに来てもらって、一緒に生きていきたい」

 こんな信仰を最初から持っていたわけではない。しかし、横須賀で菜都実が償いを続けていることを知った保紀は自身も何か出来ることはと寺院に相談したところ、その子のことを忘れずにいてあげることが何よりの供養であり、自身の元気を取り戻すように教えられたという。

「菜都実、俺たちはこの子を忘れることはない。でも、先に進まなくちゃならない。もう一度、二人でやり直さないか?」

「やす、それって……」


 涙の筋をつけたまま、保紀を見上げる菜都実。

「いいの? こんなあたしで本当にいいの? こっちにいい子いないの?」

「大丈夫。昨日あんな紙もらっちゃったけど、今度はちゃんと菜都実と一歩一歩やっていきたいんだ」

 こちらに来てからも、誰とも浮いた話はないように気をつけてきた。

 小さな島だ。異性と歩いていただけでも話題になってしまいかねない。

 今回、菜都実を乗せて自分の(ゆかり)の場所を回ったことは、もしかすればもう学生時代の同級生の一部には知れているかもしれない。

 それでも、再び自分を訪ねてくれた菜都実を見捨てることは出来ない。あの当時と同じだ。元気そうにみせてはいるが、内面の傷が治りきっていない。こんな菜都実を泣かせたまま帰すわけにいかない。そして、一緒の空間にいた数時間だけで、保紀にも他の同級生の時とは違う安心感を覚えた。

「うん……」

「それとも、菜都実にはもう誰かいるの?」

「ううん。いないよ。あたしにはやすしかいない。こんなボロボロのあたしでもよかったら、手放さないで……。もう寂しいのは嫌だよ」

 もう隠す必要もない。たった一人、菜都実が体も心の全てを許せた人だから。

 若すぎた時の傷はあるけど、自分たち二人なら支え合って生きていける。

「分かった。菜都実は俺がもらう。約束したからな」

「うん。あたしこそ、よろしく」

 二人の陰が一つに溶け合ったとき、事の顛末を見届けた太陽は最後の光を放って海に溶けた。