「お疲れさま」
「うん、疲れたぁ。そういえば、今日は保紀君来てたけどよかったの?」
店内のお客を全て帰し終わり、茜音は冷蔵庫に残っていたアイスティーにガムシロップを2つとミルクを入れて飲みながらたずねる。
「大丈夫。だって会うのは明日の予定だったのに、早い飛行機に乗ってきたんだって言うからさ」
店の掃除をしていた菜都実は手を止め、外を見やる。
「そんなこと言って。お店の方はやっておくから、会いに行ってきなよ。あのとき以来なんでしょ?」
「……でも……。いいん……?」
全員が分かっている。仕事が終わるまでは彼は近くで時間をつぶしていて、そのあとは菜都実の部屋に泊まることになるのだろうということ。
数年前に法改正が行われ、健は夜間高校に在学中というため、満18歳となった今も珠実園を卒園しないでいるが、時期を見て一人暮らしをと以前から言っていて、その費用がもったいないと茜音と同居を始めるのは事実上の既定路線となっている。
佳織も同じ市内に生活圏を持っているから、交際中の彼と離れているという感覚は持っていない。
「はいはい。さっさと行ってらっしゃい。マスターには言っておくからさ」
なかなか動き出せなさそうな菜都実を、佳織と茜音の二人で追い出す。
「たまにしか会えないんだからいいよねぇ」
「そうそう。きっと会いたくて予定を前倒ししてきたんだろうから」
二人はネオンサインを消した店の外を見ながら言った。
菜都実の交際相手との物理的距離は、二人とは桁外れに遠い。この時間に現れたということは、直行便ではなく飛行機を途中で乗り換えてきたのだと。
「菜都実がいなかったら、今のわたしもないからねぇ。みんなうまくいって欲しいんだよぉ」
「大丈夫だって。茜音が心配しなくたって、みんななんとかやっていくものよ」
「うん……。そだよねぇ」
「ま、菜都実の場合は茜音とは違ってちょっと事情が表沙汰にはできないわなぁ」
「うん、あれは話せない……。菜都実にはこのまま頑張って欲しいよ……」
「……私ね、茜音と会えたことと、この春に菜都実のことを知ってね。司法試験を目指して卒業後は弁護士になろうって決心したの。誰かを支えてあげられる仕事に就きたい。原田君も賛成してくれた。これからの勉強も大変だって分かってるけど、茜音たちが乗り越えてきた苦労に比べれば、まだまだ恵まれてるもん……」
これまで、まだ何となくしか将来の進路を描けていなかった佳織が、ここまでハッキリと将来のビジョンを話したのは初めてではなかったろうか。
茜音の生活経験や珠実園の存在は、その考えの土台にあったとして、菜都実の過去の一件は佳織の針路を軌道修正するには十分すぎるほどの刺激があったということだ。
「佳織……。なれるよ……。佳織なら大丈夫。そしたら、わたしも相談に乗ってもらおうかな」
「もちろん。茜音と健君の役にたてるように頑張るよ」
二人は掃除のモップを片付けて店内を暗くし終わると、再びブラインドを開けて月明かりの海辺に視線を戻しつつ、春先からのことを思い出していた。