夜遅く、健が夜食を持って自習室に入ってきた。
「少し休みなよ」
「うん。でも、もう少し」
右手の後ろ側がいつもどおり鉛筆のカスで汚れているのもすっかり見慣れた。
「どう? もうイメージできた?」
「うん……。でも、やってもやって不安になっちゃって」
「そうか……。それは誰もみんな同じだよ」
「ここで受からないと、姉さんに並ぶことが出来ないから」
「おっと、やっぱりそこかぁ?」
健は苦笑いだ。未来を突き動かしているのが自分への気持ちだと言うことも分かっている。
ただ、今はそれでいい。とにかく目標を設定したのだから、理由は何であれそこまでたどり着くことの方が大事だから。
「姉さん言ってたんだよ。最後に相手を選ぶのは兄さんだって。だから姉さんも負けないように頑張るって言ってた」
茜音が言いそうなセリフだと思った。先日の決意表明。あれは単なる未来へのメッセージではない。茜音自身へのメッセージでもあったはずだ。
あの言葉どおり、彼女はまだ先を見据えて努力を続けている。
「茜音ちゃんは、本当に先生とか向いているんじゃないかなぁ」
茜音との将来の道を自分も考えなければならない。
そして、それまでの時間は、自分たちが離れて暮らした10年間よりもずっと短い。また来年の春に自分がこの園から卒園をしなければならない日も意識せざるを得ない。
もちろん、そのときに未来を連れて行くことは誰も望まないし、彼女への許可も下りないだろう。
直接本人にはいえないけれど、その前にはこの未来の将来を任せられる誰かを見届けてやりたかった。
「頑張ったねぇ。明日は朝早いから気をつけるんだよぉ」
翌日の試験会場を設営し終わった後に、茜音が珠実園に寄ってくれた。
お守りにと、驚くべきものをくれた。
茜音の学生証と生徒手帳。よく見れば2年生のときの物で、学生証には無効の処理が施されている。ただ、有効期限切れだとしても絶対に他の人では手に入れることは出来ない本物だ。
「必ず持って行く!」
「うん。大丈夫だから」
邪魔になるからと、引き上げた茜音の後に健が戻ってきた。
「どうだった?」
「この3ヶ月、凄かった……。兄さん、あれが茜音姉さんの本当の姿なの?」
「そうだよ。茜音ちゃんは絶対に外で弱音を吐かない。ああやって、努力を重ねてるから、みんなが応援してくれるんだよ」
「私も、あんなふうになれるかな」
「大丈夫。明日は早いからもう休みな」
「うん。とにかく頑張る」
翌朝、受験当日の未来に弁当を持たせて見送った健は、玄関に大切な物が置いてあったのを見つけた。
置いていったのか。いや、今朝もお守りと言って握りしめていたはずだ。そうやって直前まで出していたから、うっかり置き忘れてしまったのだろう。
自転車で駅まで追いかけたものの、恐らく先に電車に乗ってしまっている時間だ。
健は切符を買ってホームに向かいながら携帯電話を取り出した。