翌日の土曜日、未来の部屋に茜音がやってきた。

「未来が人が変わったように猛然と受験勉強を始めたもんでさ。あの封筒は効果てきめんだったよ」

 健に説明されながら、茜音が部屋に入ってくる。

「未来ちゃん、ウチに志望校決めたんだってねぇ。頑張ってるみたいだから、アップルパイ焼いて持ってきたよ。おやつに食べて?」

 土曜日に予告もなく現れた茜音に未来は驚いた。いや、彼女の来訪に驚いたのではない。正確には茜音が身に着けている制服の方にというのが正しい。

「姉さん……、櫻峰だったんですね?」

 他のメンバーも思い出してみると、茜音が制服で珠実園に現れたのは最初に学校から直行したときだけだったし、その時は委員会で未来は不在だったから、知らなくても仕方ない。

「でも、合格できるかは全然自信もないです」

「わたしもそうだったよ……」

 茜音も決して順調な中学時代だったわけではない。幼い頃のトラウマを執拗につつかれ不登校になりかけたことから、結果的に転校した経緯もある。

 その先でも話は完全に収まることもなく、高校も中高一貫の内部進学ではなく、外部受験をして今の櫻峰高校に進学したくらいだ。

 状況的にはお互いにあまり変わらないのかも知れない。それでも、未来の場合は茜音というお手本がいる状況に変化した。

 未来個人の思いとしては、ライバルである茜音の手を本来ならば借りたくないけれど、茜音も高校3年生。お互いに受験生ということもあって、この期間だけは休戦だ。

「あそこの入試問題は、あまり意地悪な問題じゃなくて、難しそうに見えても基本が分かっていれば解けるものばかりだから、落ち着くのが大事なの」

 茜音が使っていたものと、今年用の過去問を持ってきてくれていた。

「うん、頑張ってみる」

「でも、未来ちゃん、どうして櫻峰なの?」

 未来はもう一度、中学の先輩から伝わっている話をする。

「姉さん、そんな大恋愛の同級生って、どんな人なんですか? やっぱり素敵な人なんですか?」

「えっとー、あぁ……、それねぇ……」

 一緒に聞いていた健がとうとう吹き出した。

「今までこれだけの材料があって、そこまで聞いてもまだ気づかないか?」

「えぇ?」

「そんな伝説にもなっちゃうような大先輩なら、すぐ目の前にいるじゃんか」

「えっ、そうなんですか?」

 恐らく櫻峰高校で片岡茜音の名前を知らない者はいないし、彼女の先輩経由とはいえ、中学までその噂が伝わってくるほど。そんな雲の上の存在のような人物が、実は目の前にちょこんと座っている。しかも自分の受験を応援してくれると。

 こんなことってあるのか。塾には行っていないけれど、精神的な支えとしてはどんなベテラン塾講師よりも強力で心強い。

 それから、ますます未来は熱を入れた。学校から帰ると食事の時間以外は机の前から動かなかった。自分の場合はただ合格するだけではだめで、奨学生まで上り詰めなければならない。

 それまではひとつの目標だった入学試験というものに、あの伝説の先輩が自分の味方についてくれている。これは失敗するわけにいかない。

 それから茜音も時間を見つけては珠実園にやってきて、自習室に入ると問題の解き方を教えてくれた。彼女自身も受験生と言うこともあり、同じように机を並べて過去問や参考書を開いて隣で勉強するようになったからだ。