家族そろって久々の外出となったその日は、朝から夏の太陽が照りつける天気だった。

「暑いねぇ」

「帽子かぶらなくて平気なの?」

「うん、平気」

 他愛もない家族の会話をしながら駅へ向かう。

 マンション暮らしの片岡家ではあるけれど、自家用車を持っている。それなのに、なぜ炎天下を歩くのか。

 茜音は少し不思議に思いながらも、それは表に出さないでいた。

 鉄道で約1時間、その後バスに揺られて住宅地の方に進んでいく。

 先日まで全国を駆け抜けた茜音、実は地元は昔の同窓生に会いたくないという事情も加わり、あまり詳しくない。

 両親二人が自分をどこに連れて行こうとしているか茜音は理解できていなかった。

「もうすぐ降りるよ」

「うん分かった」

 窓から外を見回してもあまり大きな目的地があるようには見えない。

 それに夜はお祝いの食事は夕食となっている。

 あとで分かるとだけ。何かサプライズを仕掛けているに違いないとは感じているけれど、その想像ができなかった。

 住宅地の中にポツンと立つバス停に降りたのは三人だけだった。

「茜音、ここに見覚えは無いか?」

「どうかなぁ……。分からないかも……」

 父親から尋ねられた彼女が周囲を見渡している間に、二人は先に進んでしまう。

 今日も真夏日になっているのだろう。じっとしていると汗が玉になって落ちてきそうだ。

 少し小走りで両親が立ち止まっているところまで追い付いたとき、茜音は足が動かなくなった。

「あれ……」

 小さな園庭の幼稚園。

 今は夏休みなので園児たちの姿は無い。

 しかし、少しくたびれてしまった建物は茜音が今までどうしても思い出せなかった記憶を少しずつ呼び戻しはじめた。

 成長した今となっては、簡単に開けられる門のロックを外し、その中に入っていく。

「こんなに小さかったんだぁ……」

 今は窮屈になってしまったブランコに座り少し揺らしてみる。

 あの当時、一人になった夕方の幼稚園の庭で、茜音はよくこのブランコで両親の帰りを待っていた。古くなって交換もされているだろうが、ここから見る景色には覚えがある。

「茜音、行くよ」

「う、うん……」

 呼ばれなくても、今にも走り出しそう……。

 通りに出て微かによみがえった記憶を元に道を進んでいく。

「まだあった……」

 夢で見たお店はまだ存在していた。こちらは当時よりも外見は小綺麗になっているようだが、外看板のメニューを見れば茜音の好物はまだ残っているらしい。

「ってことは……」

 茜音の胸は早鐘を打ち始めた。

 間違いなくここは自分が幼い時に暮らしていた街。となれば……。

 後ろから付いてくる二人を置き去りに、早足で歩いていく。

 道順の記憶は完全ではない。体の奥底から沸き上がってくる感情のままに足を進めた。

「あったぁ……」

 ある家の前で足は止まった。茶色いレンガ造りの戸建ての家は、主人を待っているかのようにそこに建っていた。

「あれぇ、そういえば表札が無い…」

 この家に今は誰が住んでいるのだろうと思っても、どこを見ても現在の住人のものと思しき表札は出ていなかった。

「あっ……」

 しばらく見て回ると、郵便受けの中にそれは外されているのが分かった。

 門を押してみると鍵はかかっていない。

「佐々木……茜音……。う、うそぉ……」

 忘れもしない。三人の名前が刻まれたプレートだ。

「やっと着いた」

「やっぱり、坂を上ってくるから疲れるわね」

 門の外で二人の声がした。

「お父さん、お母さん……」

 茜音はそのプレートを持ったまま門を開けた。

「お、早速見つけたか」

 彼はポケットの中から1本の鍵を出して茜音に渡した。

「マスターキーだ。預かっていたものを返すよ。茜音」

「ほえ?」

 一瞬その言葉が理解できなかった。ここは他人の家ではないのか。しかし手に持っているプレートと鍵。

「ここが茜音の本当の家なんだから、遠慮することはない」

 言われるままにその鍵を扉に差し込んでみる。何のためらいも無くその鍵は回った。

「ほえぇ……」

 扉を開けた茜音はそれ以上の言葉が出なかった。玄関の上がり口のところに座り込んで、見回している。

「お邪魔するよ」

「へ? あ、うん」

 体は勝手に動いた。当時と全く同じ場所からスリッパを出してくる。玄関から横に入れる扉がリビングのはず。

「うわぁ……」

 口をぽかんと開けてしまった。記憶の中と寸分違わぬ自分の家。夢の中にいるような感覚だ。

「あ、あのぉ……」

 リビングの明かりが灯り、奥から父親が戻ってくる。

「とにかく座りなさい。説明しよう」

「う、うん……」

 そうでなくとも、腰が抜けそうなのだから。

「この家を茜音に返すことが、茜音と家族になるための条件の1つだったんだよ」

 静かなリビングに、その声はゆっくりと響いていった。