「あれ佳織、茜音は?」
夕立は上がったものの、地面がぬかるんで危ないとの判断で、その日の夕食はウッドデッキでのバーベキュー開催となった。
健や里見と一緒に手伝いをしていた菜都実は、佳織が一人下に降りてきたのを見つけた。
「目も覚ましたし、あとで降りてこられると思うよ。今はここの家主さんとお話し中」
「は? 茜音になんか関係あんの?」
菜都実は一瞬訳が分からなかったが、すぐに思い直した。
「茜音ってさぁ、どこに味方がいるか分からないよなぁ」
「まぁ、ただでさえあちこち出歩いているから、そんなところかもしれないけどね」
食事が終わる頃になると、子供たちは自然にデッキのあるダイニングキッチンではなく、大きな客間の方に集まりだした。
「今年はどんな曲かなぁ」
「なんかあるの?」
未来が健と話しているところに、菜都実が割り込んだ。
「ここの家主さんってさ、有名なオーケストラのコンサートマスターなんだって。だから毎年このタイミングでいつも演奏してくれるんだよ。その時々で曲が違うってのがあってさ」
「なるほどねぇ……」
珠実園の子たちがなかなかプロの生演奏というものに触れることは容易ではないだろうから、楽しみにしているということも理解できる。
その話をまた横から聞いて、佳織は納得したように腕組みをしていたけれど、それと同時にその人物が茜音と会っているということに、何かがあると感じた。
日も暮れ、周囲も暗くなった頃、その人物は客間に姿を見せた。
「皆さん、お久しぶりですね。ずいぶん大きくなられた方もいるようですが、お元気で何よりです」
バイオリンを手に現れたその男性は小峰と紹介されていた。普段は東京のオーケストラに所属し、コンサートマスターをしている身でありながら、この珠実園には何かと縁があって協力をしてくれているという。
「うわぁ……。あの楽団のコンサートなんて、とても取れないわ……」
小峰の自己紹介に佳織が目を丸くしている。
「本日は、思いがけない方とお目にかかれたので、特別な演奏でお聴かせできることになりました」
小峰氏はドアを開けて、玄関ホールで待機していた人物を招き入れた。
「あ、あのぉ……、本当にいいんですか……?」
そう言いながら楽譜を抱えて入ってきたのは、
「あれ、茜音だよな……?」
「珍しい。髪型まで変えてくるなんて」
「っていうかさぁ、あんな服を持ってきていたっけ?」
菜都実と佳織の指摘のとおり、その人物は茜音以外にないわけだが、いつも見ている彼女の姿ではなかった。
普段、両サイドの前の方で三つ編みを2本作っている髪型を、このときは後ろ側に垂らしている髪も入れて二つに分けて太い編み込みにしている。
服もこれまで見たことがない、白い丸襟のブラウスに青と白のギンガムチェックのエプロンドレスを合わせ、上品さというよりも、素朴さが強調されているようなデザインだった。白いストラップパンプスも持参品ではない。
「皆さんもご存じの、片岡茜音さんが本日の特別ゲストです」
小峰は茜音の隣に立って説明を続ける。
「以前のお名前は佐々木茜音さんとおっしゃいます。そして以前、私は茜音さんのご両親とは家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていました」
「えっ?」
菜都実が驚いた顔をしているが、佳織は謎解きが終わったような表情だった。
「この茜音さんのご両親は、佐々木秀一郎さんと成実さんとおっしゃいまして、お父様の秀一郎さんは当時、楽団の先代コンサートマスターをしておられました。世界でも有数のバイオリニストです。そして、お母様の成実さんは、新人でありながらトップのピアニストでしたから。お二人はいつもこの家で練習をされていたんですよ。そして、そのお嬢さんの茜音さんも幼い頃によくこちらに見えていますからね」
「えぇー?」
一斉に視線が茜音に注がれる。
「やっぱりかぁ……」
「なによ、知ってたの?」
納得している佳織に、健と菜都実が目を向けた。
「知らなかったわよ。だとしても、お店であれだけ弾ける茜音の才能を考えたら、なんかあるって普通思うじゃない」
「そっかぁ」
「『茜音』さんのお名前は、お生まれになった9月10日当日の夕焼けを茜色と、ご両親を結びつけてくれた音楽への感謝を込めてつけられています。茜音さんもご存知ではなかったでしょう?」
「はい。そんな話、はじめて聞きました……」
準備も終わり、茜音はピアノの前に座った。使い込まれたピアノだから、彼女が昔触った記憶があるという謎も解けていた。