「あーあ、菜都実行っちゃった」
風呂を終えた後のリビングで茜音はソファーに勢いをつけて座った。
「みんなで笑顔で送り出せたんだよ。今度は遊びに行かなくちゃ」
「そうだねぇ。でも珠実園の宿泊キャンプにはちょっと遠いよなぁ……」
「いいんじゃないか? あれとは別に企画すればいい」
春休みも最後の日、佳織と茜音に健を加えて早朝のウィンディに集まった。
「じゃぁ、行ってくる。いままでありがとう」
両親に抱きついている菜都実に涙はなかった。
「頑張ってきなさい。幸せになるのよ」
「うん、ちゃんと届けとか式をやるときは相談するから。あと、赤ちゃんも準備が出来たら頑張る」
昨日は親子三人、川の字で寝たという。
店の準備で抜けられない両親の代わりに、三人が車で羽田まで送ることにしていた。
「いいよ、行こう」
車に乗り込んで菜都実は頷いた。
「いい?」
「うん。忘れ物ない。あっても国内だし」
「そーいう問題じゃないでしょ」
「佳織、あたしを泣かそうったってそうはいかないぞ?」
「バレたか」
すでに大きな荷物は現地に送ってある。最初の数日分と送れなかった手回り品を持っての出発だった。
「絶対に遊びに行くからね」
「あたしだって、里帰りはするわよ。それに、将来的には戻ってくる予定だから。だから、あのお地蔵様もそのままにしたんだ。三人であの街で暮らしていた記憶だから。お寺にもちゃんと言ってきたよ。留守は任せなさいってさ」
数カ月前と同じように、ゲート前で手を振る。
「ねぇ、二人とも?」
「なに?」
「茜音が先か、うちが先か分からないけど、うちは入籍はしても式はしばらく出来ないから、みんなで一緒にやらない?」
「3組同時? 大変そう~」
「あのチームならなんとかなるっしょ」
「だれか、ウエディングプランナーの就職いたっけ?」
「まだ先の話だから、ゆっくり考えよう。じゃぁ、行ってきます!」
「菜都実、いってらっしゃい」
最後にとびきりの笑顔を見せて、彼女はゲートの奥に消えた。
「健ちゃん……。わたしたちも、落ち着いたら、結婚できるよね……」
茜音の家での風呂上り。最近は健も自分の荷物をこの家に移しつつあり、二人で暮らす時間が多くなっている。
「うん。茜音ちゃんのドレス姿見たいなぁ」
本当なら、もういつでも構わない。茜音自身はその準備も済ませた。二人で話し合って、健が正式に落ち着いたら、そのタイミングで入れようと決めたのがつい先日。
本当なら婚約指輪を買うと言っていたのに、茜音はシンプルなシルバーリングを自分で買って健に渡した。
「これをつけて。健ちゃんにはめてもらえば、それでエンゲージリングだよぉ」
「まったく、茜音ちゃんはしっかりしてるなぁ」
分かっている。こんなリングなどでは表しきれない。彼女はすでに仕事も含めた人生をパートナーに預けているのだ。楽しいことはもちろん、大変なこともあるに違いない。
昨年の沖縄で誓った。真っすぐではないけれど、二人で手をつないで人生を歩くと。
8歳の時に、茜音を連れ出すと決めたときと似ている。
「茜音ちゃん……」
「なぁに?」
あの時のあどけなさはだいぶ大人っぽく変わったけれど、大好きなダークブラウンの瞳は当時と変わらない。
「あの時から、いろんなこと言って、茜音ちゃんにも苦労かけちゃった。それなのに、僕のところに来てくれた。ありがとう。茜音ちゃんとのゴール、一緒に目指していいかな?」
パジャマ姿の茜音が隣に座る。ふんわりとシャンプーの香りがした。
「あの日、二人だけの列車の中で約束したよ。どこまでも健ちゃんについて行くって。だから、ずっと一緒なの」
自分を見上げて笑った茜音が目をつぶる。健はそんな彼女の唇をそっとふさいだ。