「菜都実と保紀くんを見たときに、わたしも進まなくちゃって思ったんだよ。辛いことにも向き合わなくちゃいけないってね」

「なんか、茜音に言われると照れるなぁ。まぁ、あたしの場合、もうある意味レール敷いちゃってたしさ。そこに帰るって意味では茜音と変わらないかもね」

「この先も、チーム茜音は鉄壁だし。それでいいんじゃないかね。解散する気なんかないからね」

「チーム茜音かぁ。いいかもなぁ。でもそれだったら、うちら三人だけじゃないでしょ」

「みんな元気かなぁ……。そうそう、千夏ちゃんはいま看護学校に行ってるって言ってたよぉ」

 茜音が旅先として一番最初に訪れた高知県で出会った河名(かわな)千夏(ちなつ)は高校を卒業したあと、地元を出て高知市内の看護学校に通っているという。

 下宿は幼なじみの西村(にしむら)和樹(かずき)と一緒で、こちらも学校を出てめどが付けは籍を入れたいとの話も聞いている。

 この二人にも茜音は大きな影響を受けている。千夏が看護を目指しているのは、腕に故障を持つパートナーの和樹の存在が大きいからだ。

「みんなに比べたら、わたしの目標の決め方なんてちっぽけかもしれないけどね」

「それ以上の適任はないよ、茜音センセ」

「大丈夫、みんな進んでるんだもん。ときどきこうやって集まってやろうよ。あたしは好きだよこういう時間」

「わたしたちが駆け落ちした頃とは違って、今はいくらでも連絡取れたりするし、菜都実の意見を素直に出していいと思うよ?」

 少し前に話していたのは、やはり保紀と菜都実は二人ともこの横須賀生まれで愛着もある。しかし、いきなりウィンディを継ぐにはやはり高いハードルがいくつもあった。

 中学時代の騒動の本質を知っている同級生はこの二人を除いてほとんどいないはずだが、どこから話が湧いて来るか分からない。保紀が単身で菜都実の家に来ることで、蒸し返されてしまう可能性もあるからだ。

 それならば、一度、保紀のもとに行き、きちんと結婚し、家族を固めた上で決めてみるのもいいかと話していた。

「まだ起きてたんだね」

「マスター」「お父さん……ごめん」

 ふと横を見ると、三人が大好きな甘いココアを用意してくれたマスターが立っていた。

「菜都実、ここのことは心配しなくていい。菜都実がいなくても、茜音ちゃんと佳織ちゃんは好きなときに来てくれればいい。父さんの役目は、この三人の娘たちが帰ってくる場所を守っておくこと。そして、菜都実たちが本当にここを引き継ぐことを決めたときに、安心して渡せるように用意しておくことだと思う。それなら、由香利も納得してくれるだろう。保紀くんのお父さんとも、いくつかのパターンは考えてある」

 菜都実は涙をこぼしながらうなずいた。彼女もやはり自分の思いと周囲の期待や立場との間で身動きが取れなくなっていたから。

「菜都実、中3の時に言っただろう。お前が身ごもったとき、歳さえ許せば祝ってやれると。あの頃から、もう心の準備はできていたよ。今度こそ幸せになれ。父さんたちに元気な孫を見せてくれるのが、今の菜都実と保紀くんにお願いする親孝行だ。それで充分だ」

「うん……。頑張るよ。今度こそ、だね」

「よかったね菜都実」

「先越されちゃったぁ。おめでとうだね」

 涙で顔がぐしゃぐしゃになりながら、菜都実は三人に頭を下げた。

「みんなごめん。あたしのわがままで……」

「わがままじゃないよぉ。菜都実の決断だもん。わたしたちは応援するだけだよ」

「茜音は気が楽になったんじゃない? あんたはいつも自分より他人を優先する癖があるから」

 タオルで顔を何度も拭いているうちに、菜都実の化粧もすっかり落ちてしまったし、ほかの二人も目の周りは見せられた物ではない。思わず笑い出してしまう。

「今夜はもう遅いから泊まって行きなさい。菜都実、お風呂の準備と毛布出してあげなさい」

「うん、ちょっと待ってて」

 奥に消えた菜都実を見送る三人。

「マスター、凄いですね」

「親としてしか出来ないことだよ。君たちも何十年かすれば言うことだ。娘の幸せは、親なら誰もが願うことだ。もちろん寂しいけどな。佳織ちゃんも、茜音ちゃんのどちらのご両親に聞いてみても同じことを言うと思うよ」

「さ、茜音。大変だよ?」

「ほぇ?」

 佳織は席を立って、いつも茜音が演奏するピアノの蓋を開けて指を走らせた。

「あたしたちのウィンディ卒業ライブ」

「そっかぁ……。マスター、大丈夫ですかぁ?」

「大丈夫だ。君たちの好きにやればいい」

 その夜はいつまでも菜都実の部屋の明かりが消えることはなかった。