「もう、18年前のことです。私は途方に暮れてしまいました。 学校を出て、ストリートをしながら、ようやく事務所に拾ってもらえて。これからだと言うときに……。私はお腹に命を授かったのです」

「病院には……?」

「生理が止まってしまったことは気付いていましたが、その頃は体調的にも精神的にもかなり参っていた頃で……。それが原因だと、勝手に思い込んでしまったのです。気付いたときには手遅れでした……」

 彼女はハンカチを握りしめた。

「もし、早く気付いていたら、何か変わっていましたか?」

「分かりません。でも、結局オロオロして、結果的には同じだったかも知れません」

「あの……、その子のお父さんは……」

 黙っていなければと分かっていても、たまらなくなって茜音が口を開いてしまった。

「その方には子供が出来たことは伝えていませんし、今はイギリスでプロデューサーをしています。お互いに駆け出しの私たちにとって、許される恋愛ではなかったのです……」

「ありがとうございます……」

「たまたま駆け込んだのが、知り合いの病院でした。ちょうど、私もインディーズの頃の曲をリメイクしたアルバムの制作が入ったので、しばらく人前に出なくても済む。そして、私は一人、女の子を産んだんです。でも、私一人ではまだ育てられない。そんな時に聞いたのが、こちらのような施設でした。でも、理由をどのようにつけても、受け入れていただけるものではない……。暖かい春の朝でした……。私は……、こちらのあの門の前に、まだ生まれたばかりの娘を置き去りにしたのです……」

 誰もが言葉を出せなかった。彼女の涙を啜る音だけが、部屋の中に響いた。

「許していただけることは絶対に無いと分かっています。でも、忘れたことは1日もありません。もし、あの子が元気なら一目でもその姿が見たい。殴られても、怒鳴られても、嫌われてもいい。ただ……、あの子の前に手をついて謝りたかった……。時を戻せるなら、あの子を連れて帰り母子家庭だとしても育てたいと思います」

 うな垂れた千尋の前にひざまずいた人物がいた。

「未来さん……」

 未来も両目にいっぱいの涙が浮かんでいた。あの握手会と同じように、両手をあわせて握って、千尋の顔を見た。

「…………お……」

 未来は一度飲み込んだ言葉を必死に絞り出そうと頭を振った。

「…………おかあさん…………」

 次の瞬間、千尋は未来を抱いて泣き崩れた。



 途中から分かっていた。ここにいる全員が未来の生い立ちを知っている。細かいところまで、全てが一致する。これは当事者でなければ知ることのない真実だ。

「ごめんなさい! 酷いことをしてしまった……」

 未来も昼間の一瞬で分かっていた。自分の深層心理にある、一人の女性の顔。そして、心の鍵をいとも簡単に開けてしまった。実の母親であれば、それは容易いことだったのかも知れない。少なくとも、未来はこの世に生まれて、しばらくは彼女に抱かれていたのだから。

「怒ってなんかいません……。ただ……会いたかった……。抱っこされたかった……。お母さんって呼びたかった……」

「そうだよね……。こんなに立派に育てていただいて……。なんとお礼を申し上げてよいのか、本当にありがとうございました」

 二人の様子を見ていて、健と茜音は顔を見合わせてうなずいた。